愛すべき病 4

 屋敷の中に晁蓋と呉用の姿を見つけた。
 変な時間に開かれた鍋パーティーで腹を満たした後のんびりくつろいでいるようだ。白勝は茶を淹れて持っていくことにした。
 別に晁蓋に使用人として雇われているわけではない。ただ彼のために出来ることはなんでもしようと思っているだけだ。それだけの恩が、返しきれないほどの恩があるのだ。
 始めは晁蓋も白勝の行動を止めようとしたが、すぐに放置された。やりたいようにやっているというのが伝わったのだろう。
 茶を置くと晁蓋は煙を吐き出しながら短く返事をしただけだったが、呉用は丁寧に礼を述べた。この育ちの良さそうな教師は、人当たりがよく、優しいのだが、どうにも埋めようの無い溝のようなものを感じる。
 自分の育ちの悪さは今更どうにもならない。言葉も出来るだけ丁寧にしているつもりだがどうにも上手くいかない。晁蓋が拾ってくれるまでは真っ当な生き方はしてこなかった。足は洗ったが、体に染み付いたものは今更きれいにはならないだろう。もともと晁蓋はこんな役職にいるのが不思議なくらいカタギの匂いがしない人物で、自分に染み込んだ悪臭も気にならない様子だった。
 だが、彼の幼馴染は違う。知恵と知識と良識が眼鏡をかけて論語を読んでいるような人間なのだ。蔑視しないようにと努力しているのは分かるのだが、どうしても信用できない、というのが本音だろう。今までの人生を振り返ればそういう反応をされて当然といえば当然だ。
 今日、晁蓋が話した計画についても、たまたま晁蓋が直接話をしなかったのが阮三兄弟だったからあの三人を試すことになったわけだが。呉用は本来自分を一番試したいと思っているに違いなかった。こうやって献身的にすればするほど、いつ寝返るのかと警戒を強めているような気もする。
「そうだ、白勝に感謝しとけよ」
 茶だけ置いて部屋を去ろうと考えていたのだが、晁蓋が意外な言葉を発した。
「え?」
「先生が殺されるー! …ってこいつが転がり込んでこなかったら、今頃オレたちは呉用鍋を美味しくい召し上がってたところだぜ?」
 呉用は眼鏡の奥の目を大きく見開いて白勝を見つめていた。心底驚いた様子だ。
「それは…ありがとうございました、白勝さん。あんまりタイミングよく晁蓋が来たから、てっきり覗き見でもしてたのかと思ってました」
「お前ほど悪趣味じゃねーよ、オレは」
 正反対の二人だが、実に仲がいい。自分がどんなに晁蓋に尽くしても、到底呉用の立つ位置にはいけはしないのだろう。それを願うことさえ、図々しいというものだ。
 二日酔いで頭が痛いからあとは呉用に任せる、と言って晁蓋は寝床に潜り込み。同時に白勝には呉用の側にいるようにと命じた。もういいから晁蓋のところへ戻れと言われても、こっそり見張っているようにとも言われた。呉用に任せるとどんなことをするのか、おおよそ分かっていたのだろう。
 それが命を救うことに繋がったのは偶然といえば偶然。晁蓋は呉用と違って計算の人間ではない。あんな大事になることまで見越していたわけではないだろう。念のため、くらいのつもりだったはずだ。
 だが偶然でもこれが呉用の信用を勝ち得るきっかけになればいい、と期待はする。
「いやいや、先生。そんなかしこまられるほどのことじゃねぇんです。面白いもんを見させてもらいやしたし」
 謙遜したつもりがつい要らないことを口走っていた。これだから、自分は信用に値しないと思われるのだろう。
「面白いもんってなんだ、おい」
 食いついてきたのは晁蓋だった。呉用は何のことか分からず首を傾げている。
「いや…すんません、先生。その…先生の役者っぷりが…」
 思い出しただけで白勝は噴出してしまった。
 三人を騙そうとして、吐いた嘘の内容は良く出来ていたとは思う。だが問題はその嘘の吐き方だ。
 きっと真面目に、真っ当に生きてきたのだろう。あんなに嘘が下手な人間もいるのだと建物の影から見ていて思った。美徳ではあるが、生きていくには不都合も多いだろう。そんな風に考えながら必死に笑いを堪えていた。
 棒読みで、単調で、明らかにいつもの呉用とは違う。三人も安道全に妙な情報を吹き込まれていなければあっさり見破れたに違いない。
「なんだよ、そのときオレを呼べよ! 見たかったなァ、呉用のダイコンっぷりをよォ。そうだ、呉用先生、もう一回ここで一舞台やってくれよ」
「嫌だよ! もう! どうせ僕は不器用ですよ!」
 真っ赤になって呉用は叫んだ。白勝を恨みがましい目で見ている。折角好印象を持ってもらうチャンスだったというのに、自分でそれを潰してしまった。
「拗ねるなって。人間得手不得手はあって当然なんだから、そういうところは上手い奴に任せちまえよ」
 晁蓋の口調がからかうものではなくなっていた。
「任せるって」
「白勝なんか嘘吐くために生まれてきたってくらい嘘は上手いぞ」
「そりゃぁ…恐縮するところですかね?」
 自慢にならないことを言われて、どんな顔をしたらいいか分からなかった。どうせいつものネズミみたいな顔をしているだけなのだろうが。
「こいつなら、あの三人を怒らせても、勝てはしなくても逃げ切れるだろうし。本気で謝れば分かってもらえるだろ」
 白勝の話をしているようで、実は呉用の心配をしているのだ。頭はいいくせに察しの悪い呉用はそのことに気づいていないらしく、情けない顔をして俯いている。
 今日のようなつまらないことで命を落とされたら晁蓋が困るのだろう。それを無二の親友は理解していない。じれったくて白勝が細かく説明してしまいたいとさえ思う。
 晁蓋は面倒くさそうに頭を掻いて、言葉にしようか止めようか悩んでいるような声を出す。ここは言ってやったほうがいいですよ、と目で訴えたが結局目が合うことは無かった。
「なんでも、一人でやろうとすんなって言ってんだ。殺されそうになっても、悲鳴の一つも上げやがらねぇ。『助けてーェ! ちょーがぁああい!』とか言えよ、せめて」
 眼鏡の少年がネコ型ロボットを呼ぶときのような声色を使って、少しおどけて見せる。照れ隠しなのだろう。
 そこまで言われてようやく、心配されていることに気づいたようだ。呉用の顔に意外だと書いてある。白勝から見れば晁蓋が呉用の心配をすることなど当然のこと過ぎて意外な部分がどこなのかよく分からないが、とにかく呉用にとっては驚くようなことだったらしい。
「…考えておきます」
「素直じゃねェな」
 晁蓋はにやりと笑っていた。保正なんかをやらせておくのは勿体無いくらいの悪人面だ。
「お前こんなところでうっかり死んだらオレに頼まれたら断れない男≠ナ終わるんだぞ? いいのかよ、そんなので」
「それは…!」
 それが晁蓋の本心ではないことも呉用は知らないのかもしれない。その程度の存在ならわざわざ白勝に見張らせなくても代わりは利く。断らないというだけなら白勝にもできるのだ。
 否定したい、と口は動いたが声になっていなかった。呉用は自分などより余程、晁蓋のために生きていると言っていい。何をするのも晁蓋のため。誰かを騙すのも。試すのも。疑うのも。身につけた学問さえ晁蓋のためだったのかもしれない。それが誰の目にも明らかなことは本人だけが知らないのだろう。
 ただ晁蓋のワガママを単なるワガママで終わらせないために。晁蓋を害する者が彼の周りに来ることがないように。そのために呉用は人生の八割を使っているように見える。残り二割は塾の生徒のことでも考えているのだろう。単なるお人好しでは片付けられない人間なのだ。
「おれはこんな小さな村の保正で終わる気はねェ。呉用、お前もオレに頼まれたら不可能も可能に変える男≠ュらいにはなってもらわなきゃ困るんだ」
 また目を見開いて呉用は晁蓋を見つめていた。恐らく、呉用の望み以上のことを晁蓋は言ったのだろう。彼には天性の人を惹きつけるものがある。相手によって言葉だったり行動だったりするのだろうが、堅物の呉用には言って聞かせるのが一番ではある。
 かくいう白勝もその眩しいものに惚れ込んでしまった一人だ。生まれ持った覇王の素質と言えば大げさに聞こえるが、晁蓋にはそれがあると信じて疑わない。呉用も同じだろう。
 そんな話を一度してみればいいのかもしれない。呉用に信用してもらうには言葉が一番伝わるのだから、どんなに晁蓋に惚れこんでいるかを話すだけで案外理解し合える気もする。
「そ、そんな風におだてて、面倒は全部押し付けるってことだろ」
 呉用の照れ隠しは分かりやすい。内心喜んでしまっているのが手に取るように分かる。
「頼りにしてるって、呉用先生」
 ニヒルな笑顔で決めた。と思ったら、がばりと立ち上がって背を向けた。なんでも豪快な人だが、吐くときも豪快だ。
 二日酔いの人間が鍋を食べて迎え酒なんてやれば当然こうなるのだ。
 呉用はくどくどとそのことを詰りながら、白勝はそれを聞いて苦笑しながら、大きな背中を二人でさすった。
「決まりきらないのが、らしいと言えばらしいけどね…」
 呆れたようにため息をついて、呉用が白勝を見た。
「こんな中途半端なダメ人間、早めに見放した方がいい気がしてきません?」
 普通なら冗談と受け取って笑うところだろう。
 だが呉用の目は無駄に真剣で、言葉はものすごく棒読みだった。先程の忠告は少しも効果がなかったようだ。
「…先生のその病気も安道全医師でさえ、手に負えねぇんでしょうねェ」
 下手な嘘は無かったことにしてやって白勝は少し笑う。
 一生自分を信じてくれそうにない晁蓋の片腕候補を、白勝はなぜか嫌いにはなれなかった。



終。

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20091228 公開