ぽとり。
命の尽きる音は人それぞれで、今日聞いた音は燃え尽きた何かが落ちるようなそんな音。
小さな手でいくつもの命を掴み、救ってきた医者は、それでも時折無力感に打ちひしがれる。こんな風に餓死と同意義の病死の場合、神医といえどもなす術がない。食べるものがあればただの風邪で済んだ病だ。農村には特に多い。植物が枯れるようにして人の命も枯れている。
「医師」
「その話はヤメロと言ったはずじゃ」
呼んだだけで叱られてしまった。ヤメロと言われたその話をまさにしようとしていたのだから理不尽ということもない。
だが彼はここでこうやって枯れていく命を看取る医者ではないはずなのだ。彼らを救いたいからこそ毎日駆け回っている。それでも足りない。薬も医術も関係のないところで人の命は削れて消えてしまうから。
こんなところで歯噛みして終るのは普通の医者のすることだ。彼は救わなくてはいけない。病んだこの国を。
「医師」
「くどいぞ」
「違います。アタシね、考えたんですけど」
自分の薬師としての才能は彼のように非凡なものではない。薬を生かすも殺すも医者なのだ。彼が正しく使うから、自分の薬はよく効いている様に見えるに過ぎない。自分は言われたとおりのものを差し出すだけ。
ただ、彼に差し出すものを作り出す知識と技術は医者自身にはなく、自分が持っているというだけなのだ。彼は薬草を探したりすり潰したりする暇があれば一人でも多くの患者を診たいだろう。そのために全力のサポートをしている。薬を作るのも、彼を乗せて走るのもそのため。それだけなのだ。自分の存在意義というのは。
だからこそ。これは自分の役目だろうと思う。
「アタシ、作りたいんです。国の病を治す薬を作ってみたいんです」
幼い医者は半開きの目を丸くして驚いていた。らしくない。それは自分が一番分かっている。凡庸さも知識の足りなさも誰よりもよく知っているのだ。
「できかかってると、思うんです。でも大事な材料が…足りない」
そこまで言うと続きは読めたというように普段の冷めた表情に戻る。
「下らんな。そんなもの、本気でできると思うのか」
「思います」
断言するとまた少し驚いたようだった。自分から彼にこんなに意見を言うことは滅多にない。でもこれが自分の役目なのだから。嘘だろうと根拠がなかろうと躊躇う理由にはならなかった。
今まで彼にワガママを言ったことなどない。
ただ、この願いだけはどうしても聞き入れて欲しい。
「アタシが思うに、できかかってるその薬には安道全という医者が足りない。その材料が揃ったら、下らない夢物語じゃなくなるって思うんです。国を治す薬、できると思います」
小さな医者はしばらく自分を見上げていた。逃げずに視線を受け止める。本気で本気の本気な言葉だと知ってもらいたい。
「…やれやれ」
長い沈黙の後、医者は息を吐きながら疲れたような声を出す。
「ワシはお前ほど薬に詳しくないが」
乗せろと言うように腕を引っ張られたので屈んで肩を下げる。定位置に収まった医師は普段どおりの仏頂面で。
「その材料をそこへ入れるには…薛永という薬師が必要だということくらいは分かる」
照れるでもなく、さらりとそんなことを言う。
自分が一緒ならば行くと。幼いのに男前な誘い文句だ。
「アイサー! アタシでよければどこまでだってお供しますとも」
勢いよく立ち上がって走り始めた。患者は死んでも死んでも、救っても救っても、数限りなくいる。立ち止まる暇がないほどいる。この状態が国が病んでいると言うことだ。
医者が悔しくないはずがない。ただあそこに加わる口実が足りないだけなのだ。それを与えるのが自分の役目。
「ワシはお前の薬の材料としていくんじゃ。晁蓋にちゃんとそう言え」
「アイサー!」
貧しい村を回りながら、枯れていくばかりの人たちを診察しながら。
二人で梁山泊へと向かっていた。