夜明け前 3

 宋万の話によると、杜遷と朱貴がただならぬ仲になっただけでなく、梁山泊を二人の桃源郷にしようとしている、というところまで噂は発展しているそうだ。
「やー…さすが、閉鎖した場所は噂が回るのが早いね。まだ夜も明けてないのに」
 朱貴はのんきに感心している。まだ寝床を占領したままだ。杜遷と宋万は机を挟んで向かい合って座っている。
「だが、今ので少し変っただろう」
「そうね、この三人でどろどろ三角関係がもつれにもつれているところね」
 二人はそう言って杜遷の顔を見る。
「な、なんだィ?」
 意味が分からず二人の顔を交互に見たが、返事はなく、ため息を吐かれた。どうやら新たな誤解を招いたのも自分らしい。杜遷には身に覚えが全くなかった。
「悪気がないのが厄介なのよねェ」
「悪気がありすぎるお前もどうかと思うがな、朱貴」
「しゅ、朱貴っちゃんは悪くないんだ、宋万」
 よく分からないなりに宋万が朱貴を咎めているのに気づいてそこだけ否定する。普段ならなんでもないことだが、今の朱貴には響きすぎる言葉だろう。
「ホント、杜遷は面白いね!」
 ケラケラと機嫌よく笑う朱貴。どうやら杜遷の杞憂だったようだ。いや、笑っているからといって大丈夫とも限らない。壊れるまで誰にも気づかせない人間なのだ。
「結局、今朝の騒ぎはなんだ」
 機嫌が良くても悪くても同じように厳しい顔の宋万がどちらにともなく尋ねた。
「それは…あた」
「た、ただ話をしていただけだよ。朱貴っちゃんの用は本当にただ話をしに来ただけだったのに、ぼくが勝手に慌てて湖に落ちたんだ。溺れたから朱貴っちゃんが助けてくれて、無理して泳いだ所為か気を失ったんだ。それで、ぼくも気が動転して、ここに連れてきて…。少ししたら朱貴っちゃんが目を覚ましてさ、それで普通に話をしてたんだ」
 必死になって朱貴の行動を隠そうと嘘を吐いた。こんなことは本当に苦手で、宋万もそれをよく知っている。
「…そうか」
 宋万は言えない何かを尋ねることはしなかった。
 朱貴は庇われたことと、問わない宋万に少し驚いたような顔をしていた。だがすぐに目を細めていつもの微笑に戻る。
 朱貴が宋万に話してもいいと思ったかどうかは知らない。杜遷が勝手に話したくはないだろうと決め付けたのだ。余計だったかもしれないが迷惑そうではなかった。
「早朝から何を話したかったんだ?」
 嘘の内容から考えれば朱貴に問うべきことのはずだが、宋万は杜遷を見て言った。嘘を吐くなら吐き通せ、ということだ。
「え、ええと…それは、こ、これからの梁山泊のことさ。昨日色々あっただろ。だから、その…頭領は誰になるかとか。そんなことだよ。朱貴っちゃんはぼくの考えないようなこといっぱい考えて、ちょっと煮詰まったから話しにきたのさ」
 自分ではそれらしいことを言えたつもりだった。
 宋万も口を結んだまま少し唸って、それでよしとしてくれたようだ。
「では、ここからはオレも加わって三人で会議ということだな」
「やー…二人ともかっこつけすぎなのよね。惚れ直しちゃうじゃない」
「そういう方向から離れようって話をしてるんだろ、朱貴っちゃん」
 朱貴は笑ってまーまーと杜遷を宥める。杜遷にとっては泣きたくなるような噂話も彼にとっては楽しみのうちでしかない。
「確かに、今日は替天の連中がどう動くか見物なのよね。会議って程じゃないけど話しておくのはいいんじゃないかしら」
「動くって…頭領になりたがるってことかィ?」
 尋ねると。
「頭領は林師範で決まりだろう」
「頭領は豹子頭くんで決まりでしょ」
 二人が同時に同じ内容をきっぱりと言った。朱貴はさらに付け加える。
「もうあっちで説得されてるはずなのよね」
「…分からないねィ。どうして替天行道の正式なメンバーじゃない豹子頭を頭領にしたがるのか」
「一番収まりがいいからよ。こっちにとっても同じでしょ。中立だし。二人に入山試験で勝つほどの腕。何より知名度が高いのがイイのよね。梁山泊にかの豹子頭林冲ありってサマになるじゃない。…杜遷が頭領になりたいっていうなら、私も少し考えるけど」
 下ろしていた髪を手で梳いて器用にまとめながら杜遷を見た。
「何度も言ったけどぼかァそんなつもりはないよ」
「でしょ。なら話は簡単。替天行道も理由は似たようなものだけれど…片足替天行道に突っ込んでいる彼が頭領ならいざ本当の頭領と交代ってときにスムーズにことが運ぶでしょ。それまではこっちとも穏便にって態度だったし」
「豹子頭はうんと言うかな」
「なんでもいいのよ。そうねぇ…次の正式な頭領が決まるまでの暫定的なものだから、とか。そんな感じで言いくるめたらいいの。追われる身でここに居るしかないのは確かだし、どこまでいっても結論が出ないのは彼も嫌だろうしね」
 杜遷は感心して間の抜けた声を出した。あの堂々巡りの会議は林冲を頭領にするための前振りみたいなものだったということなのか。宋万も朱貴の話に頷いている。それに気づいていなかったのは自分だけかもしれない。やはり自分は頭領の器ではないと再確認した。
「それよりあっちはかの有名な替天行道、豹子頭くんを頭領にするなんてことはまだまだ序の口なのよね。連中の小柄な子が昨日何をしたか聞いた?」
 朱貴の語り口はいよいよ普段のように滑らかになっていた。とても先程まで混乱していた人間と同一人物とは思えない変りようだ。饒舌になるほど本当に朱貴はもう元通りなのかと不安になる。平気なフリが上手すぎるのだ。そして杜遷がまだ心配していることさえ朱貴は知っているのだろう。
「小柄な…? あ、あのものすごい速さで走ってチビッコを探し回ってた…」
「そっちじゃなくて。もっと大人しそうな子」
 思い出せない。とびきり乳の大きな女がいたことや、赤い毛のある怖そうだが親切な青年や、力持ちの大男は思い出した。女は何をしていたか知らないが、男達は和尚も一緒になって壊れた家屋の片付けなどを手伝ってくれていた。足の速い小僧はひたすら戴宗を探し回っていただけだったが。
 宋万に目を向けたが顎を横に振る。つまり力仕事ばかりしていた自分達の目にはつかないところにいたのだろう。
「その目立たない子がね、この梁山泊の蓄えとか、住んでいる人数とか、色々聞いて歩いて。街の様子も観察してね。塞の中をぐるっと回った後、こうソロバンをパチパチっとやったと思ったら。今度の刈り入れの時期にどれだけ収穫できて、何ヵ月後に何がどれだけ足りなくなるとか。畑の面積を増やして、何をどれだけ作ればそれが何ヶ月延びるだとか。そんなことを言ったんだって」
 そんなことが出来る人間がいることにも驚いたが、替天行道にそんな人物がいるということにもっと驚いた。
「やー…それを聞いたときは参ったね。今までとは全然違うのよ。本気で国と戦うなら…新しい国として宋と戦うつもりなら、そういう…役人みたいなことをする人間も必要なのよね。でも私たちはそんなこと考えもしなかった。ここに難攻不落の城塞を築いて、それで気が済んでたのよね。その先、具体的に何をするかなんて考えたこともなかった」
 頭の切れる朱貴でさえそうなのだ。杜遷にはまったく考え及ばないことだった。せいぜい仲間たちと調練をして官軍と戦うときに備えていたくらいだ。新しい国と口では言っていたが、それに何が必要かなどと考えたこともなかった。ただ王倫に従っていればいい。そうやって考えることを放棄していた。
「頭領は豹子頭くんでいいとして。もっと他のことががらりと変るんじゃないかしら。組織として全く別のものに組み替えるくらいのことを狙っているのかも。いい方向にね。…つまり、替天行道がこの梁山泊になくてはならない存在になるってこと」
 頭領を敢えて替天行道から出す必要はないのだ。梁山泊の中の組織が変わり、そこに替天行道のメンバーが深く組み込まれて編成されれば、彼らはここの中核になる。頭領を挿げ替えるような単純な話ではなく、時間をかけての内側からの乗っ取りということだ。
「…すごいなァ、朱貴っちゃんは。ぼかァそんなことまで全然頭が回らないや」
 宋万もそこまでは考えていなかったようで杜遷の言葉に頷いた。
「感心してる場合じゃないの。ちゃんと見てなさい。確実にここは変わっていく。王倫は義賊の真似事しかできなかったけど、本当に国と戦う義賊が組織立って動き始めるの。この、梁山泊で」
 朱貴は薄く笑っていたが目つきは真剣なものになっていた。こんな表情のとき案外彼はその状況を楽しんでいる。
「楽しみじゃない? 私はもう頭領なんかじゃなくてもいいわ。ううん、そういう制度も変ってしまうのかも知れない。世直しなんてメンドーなこと興味なかったけど、ここがそういう風に変るのなら見てみたい」
「…うん、ぼくもだ。王倫、は出来なかったことを…替天行道がしようっていうんだろ。ぼくも兵士の一人でいいや。思い切り暴れて世直しの役に立てればそれでいい」
 宋万は腕を組み黙って頷いている。杜遷は誰よりも純粋に王倫の信者だったが、相棒の宋万はどれほどだったのだろう。
 少なくとも自分は口で言うほどすぐには割り切れそうにない。朱貴とは違うのだ。宋万も自分と同じように複雑なものを胸に抱えているに違いない。口数の少ない相棒の相変わらずな難しい顔を見てそう思う。
「…王倫の言葉が皮肉にも的中するようだな」
 宋万が杜遷を見て言った。
「? 王倫、の?」
「王倫様でもいいよ、杜遷。この面子なら」
「そういうわけにもいかないよ。仲間がいっぱい死んだんだ」
「…そう、ね」
 悔しさと信じられないという思いがまだ渦巻いている。忙しく体でも動かしてこの感情の渦をやり過ごしたい。昨日、あの瞬間まで信じていたのだ。彼の言葉を。
「あァ…そうか。よく言ってたねィ」
 大勢の仲間の前で王倫がよく口にした言葉を思い出した。
「夜明けの刻は近い=v
 杜遷が声に出すと、宋万も朱貴も真剣な顔で一度頷く。
 皮肉にも彼がいなくなったあと、まさに梁山泊にとっての夜明けが迫っている。
 王倫に空を覆われ、まがい物の光に惑わされていたこの梁山泊が本当の力を発揮する。その変貌に立ち会うのだ。期待と不安が混ざり合い、緊張と興奮が身を包む。
 折しも窓からは一日の始まりを報せる光が差し込み、部屋の中を明るく照らした。
 期待していい。朝日がそう告げているようだった。
「やー、とりあえずは三人でド修羅場だとか乱交パーティーだとかって誤解を解いてからだけどね」
 大きすぎる杜遷の寝巻きのまま寝床から出てきた朱貴がそう言って二人をげんなりさせる。せっかく引き締まった空気が台無しだ。
 いざ変ろうとする梁山泊の中で、自分たちがまずすることがそんな騒動の始末か思うと気が滅入る。
「まーまー、細かいこと気にしないの。もう、悪夢は終わったんだから」
 朱貴は朝の光に負けない清々しい笑顔を杜遷に向けた。
 梁山泊のことを言ったフリをして朱貴は自分の悪夢のことを言ったのだ。もう心配要らないと、杜遷に伝えたのだろう。杜遷も笑顔を返して、安心したことを伝える。
 昨日の出来事も夜明け前の悪夢のように、夜が明ければ忘れられる瑣末な出来事と思えるようになるのだろうか。この悔しさも悲しみも忘れられるほど替天行道は輝いてくれるのか。
 いや、違う。杜遷は思い直した。朱貴は夜明けをただ待っていたのではない。悪夢からの解放を模索していた。
 惨劇が残した傷を忘れるために、ただ朝日が輝いてくれるのを待つのではなく。探さなくてはいけない。自分が動かなくてはいけない。
「ぼくらも負けてられないねィ」
「そーよ。替天行道にとっても私たちがなくてはならない存在ってことにしてやらなくちゃね」
 自分から悪夢を退けて、目覚める努力をするのだ。もうあんな思いをしなくて済むように、動くべきときなのだ。梁山泊はまだ眠っている。夜明け前の段階なのだから。
 今できることをすぐにやろう。杜遷は己のやるべきことを考えた。残念だが朱貴のいうとおり、今やるべきは己の尻拭いだろう。
「よぉし、ぼかァ、みんなの誤解を解いてくるよ! 元はといえばぼくが大騒ぎしたのが原因だ。杜遷も朱貴っちゃんも二人とも大事なんだって説明すればいいんだねィ!」
 そう言って張り切って部屋を出ようとすると。
 何故か朱貴と宋万に阻まれて、それは任せてくれと懇願された。
 だがやる気になった杜遷は止まるつもりがない。二人を押しのけて外へ出る。
 朝日を浴びて目覚め始めた梁山泊を見渡した。自分が広めてしまったおかしな誤解まで愛しく思う。そんな気分にさせる希望に満ちた朝だ。
「ぼかァ、梁山泊の皆が大好きなんだ!」
 杜遷の声は梁山泊の産声のように大きくどこまでも響き渡った。





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