サトリが服を脱いでも同じ体型であることがハネルのツボに入ったらしくまず姿を見せただけで大笑いさせて。更に眼鏡を取ると案外可愛らしい目だとそれも笑いを誘い。でもうなじはちょっと色っぽいんだぞ。とありもしない首を見せて大笑いさせ続けた。
長い髪をシャンプーで変な形にして遊んでみたり。水貝≠使ってお湯をかけて遊んだり。畏れ多くも背中を流しっこしたり。漫画のように石鹸を踏んで滑って転んだサトリが「効かないね。玉だから」とどこかの海賊王志望みたいな意味不明の決め台詞を吐いてみたり。広くて浅めの浴槽で泳いで見せるハネルに習おうとしたがサトリの体は転がるばかりだったり。
遊び倒して二人は真っ赤な顔で脱衣所に出てきた。そのまま二人とも床に寝転ぶ。
「はー。疲れましたー」
白い肌が全身薄い赤に染まったハネルは素直な感想を漏らす。髪に隠れない笑顔はとても子供らしい自然なものだった。
「ほっほう〜♪こんなに楽しい風呂は久しぶりだ」
童心にかえりすぎたサトリもややぐったりとしつつ笑っていた。
しばらくごろごろして休んでから体を拭いて服を着ようとする。先程まではなかったお揃いの寝巻きが畳んで置いてあった。どうやらそれぞれのサイズに合わせて急遽作られたものらしい。まったく侍女たちの仕事の早さには感心させられた。
「ハネル様、座ってください」
「あ、今度は乾かしっこですね」
脱衣所の端にある鏡の前の丸い椅子にちょこんと座ったハネル。その後ろに立って温風を溜めた風貝≠ナ髪を乾かしてやった。華奢な肩に金色の髪がかかる。小さな背中も長い耳も隠れていく。
サトリには風呂で遊んでいた時から気になっていたことがあった。だがそれを口に出すのは神・エネルの過去に踏み込むことのようで気が引ける。それに風呂の中ではハシャイでいたので問いかける隙もなかったのだが。黙って髪を触っていると好奇心がサトリをつつくのだ。
「真っ直ぐでなきれいな髪だなぁ」
普通に感想を漏らす。
「だから伸ばしてるのか?」
この問は好奇心と良心の折衷案だ。核心に触れるようで逃げ道はいくらでも残してある。ハネルが答えれば聞く。答えたくないのならそっとしておこう。好奇心も忠誠心も選べないサトリは判断を子供に委ねた。
「…」
ハネルは答えずに鏡の中で少し困ったような顔をした。
「サトリさんはどうして伸ばしてるんですか?」
「ん?おれか?おれのは他の二人と見分けをつけろと言われたから…だな」
「他の二人?」
「三つ子の兄弟の残り二人もこの神の島≠ノいるからな。おれと見分けがつかないと皆迷惑だとかなんとか」
「サトリさん三つ子なんですか!?あと二人サトリさんと同じような方が?」
「ほっほ〜う♪見分けのつかないのがあと二人いるぞ。副神兵長をやっている」
サトリだけでも十分面白い人なのにそれが三人も。ハネルはそう言って笑った。
髪を伸ばす理由はやはり言いたくないようだ。では無理に聞くのは止めよう。そう思ったとき。
「…私は」
ぽつり。風貝≠フ音にかき消されそうな小さな声でハネルが言う。
「…たぶんサトリさんが思っている理由で当たりです」
鏡に映っているのは先程までと変わりない子供らしい笑顔だった。
「…」
「……」
風の音だけがやけに大きくなったように感じた。サトリは自分が絶句したことを悔いる。何のことですか、ととぼけて聞き返せばよかったのだ。子供とはいえ相手はあの方であると。何故忘れていたのだろう。言葉の駆け引きで勝てたためしなどありはしないのに。
「この耳、隠したくて。それで」
「すいません。ハネル様」
「…どうして謝るんですか…?」
耳のことはなんとなく分かっていた。ここでの呼び名をどうするかと四人で考え込んでこの少年に問いかけた時。耳のことを揶揄するあだ名を恥ずかしそうに口にさせてしまった。
「…ハネル様…とお呼びしようと言ったのはおれです」
あの時。少年は一瞬複雑そうな顔をした。それで気に入らないのだと思って他のものにしようとしたが。ハネルとサトリの押し問答になり結局ハネルに決まったのだ。
「ハネのつくあだ名もありましたか」
「…はい」
髪を結おうとした侍女から逃げて騒ぎになってしまった時は長い耳朶のことしか思い浮かばなかった。だが風呂場で小さな背中を流していたら長い金髪が隠している別のものにも思い当たったのだ。
羽のない背中。
長い耳たぶもからかう材料にはもってこいだが。羽がないことも子供故の残酷な暴言に繋がったことだろう。
「でも、サトリさんがその名前をつけてくださったとき…ちょっとびっくりしましたけど。嬉しかったんです」
「?」
「大人の私は羽のこともう気にしていないんだなって分かったので」
鏡の中でハネルは柔らかく微笑んでいた。サトリは情けない顔でそれを見ている。
これではどちらが子供なんだか。好奇心を抑え切れずに髪の話を持ち出した自分。それをはぐらかさずに答えてしっかりとフォローまで入れる相手。サトリは髪に触れていることさえ畏れ多いと感じた。確かに彼は神。姿かたちが違っても性格が真逆に思えても。命尽きるまで仕えると誓った神に違いなかった。
「あ、あと…もう一つ髪が伸びてしまった理由があるんですが」
そこまで言ってハネルはしまったという顔をした。
「…なんですか?」
「あー…またサトリさんが謝ることになりそうな予感がします…」
苦笑にサトリも苦笑で答える。
「お母さんの、床屋さんだったんです」
「あ、ああ…」
子供の髪は母親が切る。ありふれた情景を思い浮かべてから。腰まで伸びた髪の毛の語る意味を知る。
「…すいません」
「いえ、今のは私が勝手に…。えーと…新しい母様がいるんですが。ええと。なんというか…」
「すいません」
「いえこちらこそ。こんな話…聞きたくないですよね」
聞きたいけれど聞きたくない。複雑な気分だった。ハネルの子供らしさを欠くほどの礼儀正しさや社の屋根から下りたときの繰り返す謝罪。育ちは良さそうなのにあまり恵まれた家庭環境ではなさそうだと。なんとはなしに思っていたが。どうやら大当たりらしい。エネルと真逆と思える性格はその辺りに由来していそうだ。
尋ねればさらさらとなんでもないことのように教えてくれるだろう。だがもうサトリには好奇心など残っていなかった。子供の口から語らせたくないことばかりを言わせている自分に嫌気がさす。なんでもないように見えるからといって本当にそうだとは限らない。心綱≠ェ通用しない子供を相手に。なんと無神経なことをしているんだろう。いっそ土下座でもしたいくらいだが神ではない子供にそんな謝罪はむしろ困惑させるだけ。
情けない。弟妹の多い分子守には少々自信があった。それがこのザマだ。
「サトリさん?そろそろ換わりましょう」
「いやいやいやいや!ハネル様にそんなことをさせるわけには!おれのは放っておいても変わりないですから」
「だって乾かしっこなら私だけやってもらったのではルール違反です」
背中流しっこと同じ理屈で畏れ多くもハネルに髪を乾かしてもらう。座ってもあまり背が小さくならないサトリの髪の毛に必死で手を伸ばして風をあててくれた。
「サトリさん」
凹み気味で言葉の少なくなったサトリにハネルが明るく声をかける。ああ、気を遣わせた。自分の体に隠れて鏡には映らないハネルの優しい笑顔が思い浮かぶ。サトリは更に凹みそうになるところをぐっと堪えて。
「なんだ?」
努めて明るい声で返事をした。
「大人の私はどういう髪型なんですか」
「ああ、短い髪をしてるぞ。いつも帽子を被ってるな」
「…そうですか…帽子…?」
「帽子は布で出来た白くて飾り気のない帽子だ。髪の長さはそうだなァ…シュラ、あの尖ったヒゲの」
何かを摘まんだような手を顔の両側で外に向けて引くようなジェスチャーをすると、
「はい、尖ったおヒゲのシュラさん」
サトリの横に出て鏡の中でハネルも同じ動きをして笑った。
「あいつよりはちょっと長め、くらいかな」
「…」
少し考えるような顔が見えた。
「…ハネル様。ここでは」
もう余計なことは言うまいと思いつつも。言葉は止まらなかった。どうしても伝えておきたいと思った。
「その耳も、背中も。誇ってよいのです。誰も冷かしたり馬鹿にしたりしません。確かにエネル様の親族だと皆畏敬の念を抱きます」
やや長めの間があり。
「……本当…ですか」
恐る恐るという感じの声がした。風貝≠フ音が止んでいて丸い背中の一箇所に小さな手の感触があった。寝巻きの一部をきゅっと掴まれている感じ。
「はい。エネル様は背中を見せびらかすようにいつも上半身裸だし。耳にはピアスまでしてぶらぶらさせてます」
「えー…それってちょっとした変質者じゃないですか…?」
「ほっほう〜♪ 露出は自信の表れだと思うぞ〜」
それもまさにハネルとエネルの真逆な部分だった。
「…私も、あの、前はこんな頭じゃなくて、ですね…」
サトリの横に来て顔が隠れる長い髪を掬って鏡に映している。
「横の髪はこれが隠れるように長くしていましたが…前髪はこのくらいで」
眉毛の少し下に指で線を描く。
「後ろはこのくらい」
小さなあごと同じくらいの高さでまた線を描く。
「…だったんです」
「変則型おかっぱ頭?」
「あ、そう、そんな感じです。ここが長くなければおかっぱって言うと思います。そうか、ここなら耳も隠さなくていいんですよね。だったら普通のおかっぱになりますね」
鏡を介さずに横にいるハネルの嬉しそうな横顔を見る。
「今日はもう遅いから…明日誰かに切ってもらうか?」
「…!」
流石に決断には少し時間がかかったが。
「はいっ!」
返事は晴れやかだった。
「おれも上手いぞ?おれが切ってやろうか?」
「え」
「あ〜信じてないな〜?本当だぞ?下にもぞろぞろ弟や妹が居たから下のはおれ達三つ子が切ったんだ。おれ達のは兄貴たちが切ったしな」
「そ、そうですか…でも、あの」
なんとか言い訳をしてもっと上手そうな人に切って欲しいというのが心綱≠ェ通じなくてもひしひしと伝わってきて可笑しかった。
「じゃァ明日の朝、エネル様がいつも切ってもらってるヤツに頼んでみよう」
「あ…それでお願いします…!」
ホッとした様子が面白くてサトリは笑いを必死で噛み殺した。
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