愛の巣立て篭もり生活を始めてから一週間が経った。
神の扱いに慣れてきたシュラは先に起きて朝餉の支度をする。自分でも甲斐甲斐しいなァと時々苦笑しながら料理をしていると、目を擦りながらエネルが起きて来る。
朝食を済ませると今度は鳥に餌をやる。
どんどん成長してもう日に二度か三度のご飯で良くなっていた。
「そろそろ餌箱を巣に作ろうと思います。水入れも」
「?」
「口に突っ込んでやらなくても自分で食べるでしょう」
「そうか…」
雛の成長を惜しむようにエネルは言った。小さな箱を持って中庭に行くシュラの後についていく。
「もうお前の方がお兄ちゃんか」
前ほど口を開けてばかりではなくなった鳥を見てエネルは寂しそうに言う。
「そうですね。餌を入れておけばあとは自分で自分のことが出来ますから」
意地悪を言うと睨まれた。
シュラはその顔を見て笑うと小さな鳥をつまみ出し巣の中のごちゃごちゃした物を退かし始めた。
「飛び方はフザが教えるんだぞ」
エネルに遠慮しているのか少し離れたところにいるフザがクカカカといい返事をした。今までもシュラが見ていないときはフザがこの雛を見守っていた。何か家族の情のようなものが生まれたようだ。
「そうか…いずれ飛ぶようになるんだな…名前でもつけてやればよかったなあ」
のんびりとした声でエネルが言い、空を見上げる。その目はどこか虚ろで空の青も正しく映ってはいないように見える。
そろそろこのままごとの生活も限界に来ている。
一見、一週間前と何も変わらないようだが雛が成長しているように確実に時が過ぎていた。
エネルの情緒不安定は日に日に酷くなっていく。昼間でも心細いのかこうやってシュラの後にくっついている時間が増えた。それはそうだろうと、シュラも思う。まさか本当に一週間も貝≠ェ見つからないとは思わなかった。
あまりに不安定でいっそ女のように抱いてやったら落ち着くんじゃないかと考えた夜もあった。今はまだ思いとどまって頭を撫でるくらいで留めているがこれ以上続けば何が起こっても不思議はないなと思う。まさに紙一重の状態だった。
このまま神の社に立て篭もり続けるにも限界がある。雷を失った雛は成長しなくとも強制的にこの籠から追い出されてしまうだろう。敵の手によってか元部下の誰かによってかは分からないが。
覚悟を決めなくてはいけない。
何気ない作り物の日常に今は浸りながらも、確実に近づく時のために心の準備をしていた。
何があってもこの人はおれが守ろう。
「それにしても…どうしてお前の親は巣をこんなに汚くしとくんだ」
ここに連れて来た日にエネルの目に触れないうちにこの雛の兄弟の屍だけフザにくれてやった。共食いは嫌だったらしくフザは銜えていってどこかに捨ててきたようだ。それ以来この小汚い巣には触らないでいた。
「…お前、本当に鳥に詳しいのか」
呆れたようにエネルに言われて何がですかと言い返す。
「これはおそらくメスの気を引くための飾りだ。そういう習性の鳥が居るだろう」
「そうなんですか」
「鳥博士が聞いて呆れる」
「誰が鳥博士ですか。おれはスカイライダーです。スカイライダー…!」
巣の中から手に取った黄色いものに驚いてシュラは言葉をなくした。
「…なんだ…神兵がいくら探しても見つからない訳だ…」
エネルも絶句してからやっとその一言だけ言った。
巣から出したシュラの手に電気貝≠ェあった。
エネルが枝から落ちたのに驚いてシュラは貝≠放り出し、それはこの巣の中に落ちて、ずっとここにあったのだ。
「ヤハ…ヤハハハハ!」
「…!カハハハハ!!」
二人は顔を見合わせてから思い切り笑った。もう笑うしかなかった。
「馬鹿馬鹿しい!こんなところに!」
「全くです、なんで最初に探さなかったんだ!」
「おい、お前が持つな。またどこかへ失くされてはたまらん」
「そうだ、さっさと殻頂を押してください」
エネルに貝≠手渡した。それをじっと見てエネルは顔をしかめる。
「…思うのだが…今おれは生身の体だな?」
「そうですよ、早く元に戻って下さい」
「生身の人間が何万ボルトもの電撃を受けて…大丈夫なのか」
「元はアンタのモンだったんだ、平気でしょう。何を怖気づいてるんですか、押せないのなら押しましょうか?」
「…いい。自分でやろう」
エネルは覚悟を決めるように深呼吸をして、自分に貝≠向け、殻頂を押した。
恐れていた衝撃は何もない様子。青白い光がチカチカと見えるだけだった。
「エネル様…太鼓が」
背に四つの太鼓が戻った。
エネルは手のひらを見る。バリバリと小さな音を立てて火花が思い通りに出えることを確かめている。
「よし、元通りだ。見せてやろう…神の裁き=v
空に向って青白い光の柱が立ち上る。
「よかった…本当によかった…!」
その光を見上げてシュラは感涙した。気が狂いそうに神経が磨耗していたのはシュラも同じだったのだ。
エネルは電気貝≠落として踏んだ。珍しい貝≠ヘ粉々に破壊された。
「ヤハハ…!よし…これでいい…よく付き合ってくれたな、シュラ」
先程まで抜け殻だったエネルにようやく魂が戻った。そんな変貌を遂げてエネルはにやりと笑う。
「おめでとうございます。この日を待ちわびました…!」
「私もだ…。お前が居てくれて本当に良かった」
「そのような…勿体無いお言葉です」
シュラは久しぶりにエネルの前に平伏した。ずっと側に居た筈なのに懐かしいとさえ思う。
「いや…他の者であったらこのようにはいかなかっただろう。お前が単純馬鹿で本当に助かった…」
「…?」
顔を上げるとエネルは真っ黒な微笑を浮かべて見下ろしていた。
「シュラ、忌々しい貝≠知る者と…この一週間の私を知るものは…何人居ると思う?」
それはここに居る二人だけだった。シュラの顔からザーッと音を立てて血の気が引いていく。
「お前もよく知るように私は用心深い…自分に不利な物は徹底的に消すのだ。…分かるな…?」
「そ、そんな…!」
「ヤハハ、そう怯えるな。私はお前に感謝している。数々の無礼も水に流そう。不届きなことを考えたこともお前の名誉のために黙っておこう。シュラ…お前が馬鹿なお陰で消す人間が一人で済んだ…。せめて苦しまないようにしてやろう…」
いくらなんでも、それは酷い。元に戻るのを通り越して更に最低度が増している。
「エネル様…!あんまりだ…!!!」
悲痛な叫びもエネルには届かない。大きな手がシュラの頭を掴んだ。
「愛の巣ごっこは痴情の縺れで終了だ。ご苦労だったな…一千万V放電=I!!!」
「!!!!」
硬く目を閉じた…が、何も起こらなかった。そっと目を開けるとエネルがニヤニヤと笑って見ていた。
「ヤハハ!まったく単純だな。なんでも鵜呑みにするな、馬鹿が」
「な…!?何を…!」
「戯れだ、ここまで尽くした者をあっさり手放すほど愚かではないつもりだぞ?」
エネルは高笑いして話す。
「まさか、お前が私を裏切って同じ貝≠探し出そうとするとは思えん。その程度には理解した。約束だからな」
元に戻るまで愛想を尽かさなかったら自分とそれに仕える者たちを少しは信用しよう。最初に交わしたその約束を果たしたのだと、そのときのシュラにはなかなか理解できなかった。
当社費1.5倍で偉そうな神・エネルには照れ隠しが多分に入っていることも、驚くばかりのシュラには分からなかった。殺そうと芝居を打ったのも同じ理由だったが混乱したシュラに分かるはずもなかった。
「まあ…とにかくだ。ひとまず片はついた」
「…はい」
とにかく命だけは助かったのだとシュラはそれだけようやく理解する。
「だが、この愛の巣の終局の形はやはり痴情の縺れしか無いと思う」
「そうでしょうか…!」
「このまま結婚したいのか…まさか本気で惚れたんじゃないだろうな。生憎だがその気持ちには応えられない」
「違います!真顔で言わんで下さい!ただ…」
痴話喧嘩だの痴情の縺れだの、諍いを起こして終わらせると認めればシュラの運命は自ずと決まってくる。
死なない程度に放電≠受けなければならないと。
「当たりだ、なんということはない。いつものことじゃあないか」
にっこり笑ってエネルは両腕を広げた。人差し指を互いに向かい合わせてその間にシュラの頭が入るようにする。
「愛しているぞ、シュラ」
「…はいはい。おれもですよ…」
観念してシュラは言った。両手を顔の前で組み祈るときのようなポーズを取った。覚悟を決めて目を閉じる。
「おやすみなさい、エネル様」
「ああ、おやすみ、シュラ」
衝撃と共にしばらく目の覚めない強制的な眠りにつかされた。
シュラが目を覚ますと自室に寝かされていた。
フザと例の小鳥が心配そうに覗き込んでいた。
なんとなく予想はしていたが神の社には立ち入りが禁止されていた。神はすっかり傷心してシュラの顔など当分見たく無いと言っているそうだ。
仲間うちからは同性愛者のレッテルもしっかりと貼られていた。その上、神と背の低い童顔で巨乳の女≠ニ二股をかけていた最低男だと周りからの声≠ェ言っている。
他の神官は喧嘩するどころか目も合わせてくれない。ヤマに至っては出会い頭に斬撃満点≠ナ襲い掛かってくる始末だ。
結局、自室に篭って雛の世話でもしているしかなかった。自主的な謹慎状態だ。
憂さ晴らしに鳥にエネル≠ニ名付けてみた。
「こら、エネル!餌を散らかすんじゃない」
だが余計に寂しいのですぐにその名で呼ぶのはやめた。
雛はすっかり育ち飛ぶことも覚えた。あのエネルがこれを見たら…と寂しそうにこの鳥が飛ぶところを見上げるエネルの顔を思い浮かべる。それだけで肖像権を侵害された神から警告の雷が家のすぐ側に落ちた。
数日後、とくに名残惜しそうでも無く、小鳥は育ち巣立っていった。彼との思い出と共に鳥は去っていく。
それでもまだ七十五日は過ぎず人の噂は過去のものにはなっていない。
シュラの孤独な日々は続く。
「フザ…オセロでもしようか…」
クカカカ。
全てを知る主人想いの三丈鳥が優しい声で鳴いた。
終