ニセモノの名前

 こんなことを訊けばまたやる気がないと怒るだろうと予想しつつ。
「夜神くん」
「ん」
 実際、以前ほどやる気のない私は暇つぶしのように尋ねてみた。
「Lがイニシャルでもなんでもなく…何か、英単語の頭文字だとしたらどんな単語だと思いますか」
 モニターからこちらへ視線を移し、何故そんな質問をするのかと問い詰めるような顔をする。
「気分転換ですよ。特に正解がある訳でもない…ただのゲームです」
「意外だな。竜崎がそんな意味の無い話をするなんて」
 やる気がないと咎められている気がするのは、おそらく気のせいではないだろう。
「そうですか?」
「それともそれで僕がキラかどうか分かるのかな」
「そうですね。そうだといいんですが」
 本当はずっと訊いてみたかったなんて言えば、彼は更に深読みして思い浮かんだ言葉を口にしないだろう。
「本当にただのゲームですよ。私がLだという情報を元に何を連想するかで夜神くんの私に対するイメージが分かり、夜神くんの想像力の豊かさが試されます」
「L…か…」
 面白く無さそうに、けれど仕方なくを装いながら優秀な脳ではありとあらゆるLで始まる単語が駆け巡っているに違いない。試すと言われて受けない訳が無い。キラかどうかはともかく夜神くんの負けず嫌いは実証済みだ。
「……」
 答えを待ちながら時折彼の唇が微かに私の名前の形に動くのをじっと見ていた。







 幼い私の側には両親役の男女とワタリが居た。当時は分からなかったがその人数で暮らすにはずいぶんと広い家だった。
 両親役というのは対外的に両親が必要な場面で両親の振りをする人のことだ。それ以外は食事を与えてくれる訳でも、一緒に遊んでくれる訳でもなかった。
 それらは全てワタリの仕事だった。
 おそらく言葉を教えたのもワタリだろう。
 私には「本当の名前」があったがワタリはいつも「L」と呼んだ。だが家の中以外では偽名を使うように言われてその習慣がついた。
 ワタリは色々なことを教えてくれた。
 そして玩具を与える代わりに事件とそれに関する報道、警察が掴んだ事実などを持ってきて私に聞かせてくれた。寝物語としてではなく玩具として。
 どうやったら事件を起こした人物を特定出来るか。何の為に事実と報道は異なるのか。色々な質問をしながらワタリは私の考えを導いていく。事件に関する質問すれば何でも教えてくれたが「何故?」という問にはいつも同じ返事が返ってきた。
「何故でしょうか」
 自分で考えなさいと優しく促されて私は毎回頭を捻った。そして私が自分で答えを見つけるとワタリは喜んでくれた。事件を解決する方法を見つけるとお菓子をくれた。
 それが何より楽しい遊びだった。
 学校というところにも通ったことがある。もちろん偽名を使って。
 勉強は幼稚で退屈だったが色々な人間を見るのは面白かった。何を言えば怒り何をすれば悲しむのか。何をすると喜んで何をすると私の言うことをきくか。色々なことを学んだ。
 私が学校に通い始めるとワタリは事件を持ってこなくなった。
 ニュースを見て新聞を読んでワタリと話あった。情報が欲しい時はどうすれば調べられるのか、その情報が信じるに値するものかどうかをどうやって評価するか。ワタリは一度教えたことを二度は言わなかった。以前教えた方法を応用すれば解ける問題には無言で答えた。
 実際のニュースを調べていくと時々目にする言葉があった。「L」だ。それが人物を指すのか団体なのかさえ分からなかった。
「Lとはなんですか」
「…それは私からは教えられません」
 無言の調べて御覧なさいとは違う答えだった。
「私とこのLは何か関係があるのですか」
「お答えできません」
 ワタリの返事は私の興味をかき立てた。私と同じ名前で呼ばれる何かを追いかけずには居られなかった。それは今まで見てきたどんな事件のニュースより胸の踊る言葉だ。
 調べれば調べるほど「L」は不思議な存在だった。
 探偵、ということだけは分かった。だがそれ以上のことは一切分からない。子供だという情報もあれば老人だという人もいる。男なのか女なのかさえはっきりしない。
 個人であり団体でもある。いや「L」という人物も「L」という団体も存在するようだった。私もその一部なのだろうか。ではワタリも。
 私を取り巻く大掛かりな舞台装置がゆっくりとその姿を現す。それを知ってしまうのはとても怖いことのような気がした。私に両親がいないことに不自由を感じたことはなかったが、その理由は少し気になった。
「ワタリ」
「はい」
「私は…Lですか」
「はい。ずっとそうお呼びしてきました」
 Lに関してワタリが初めてまともに答えたのは十歳を過ぎた頃だった。
「Lは組織であり、また一人の人物でもある。そうですね?」
「逆のような気が致しますね」
「…?」
「Lという人物が居て、そしてそれは私と話しているあなたでもある…ということです」
「ワタリはLですか」
「いいえ」
「ワタリは個人ですか。それとも他にワタリという人が居ますか」
「いいえ。私だけです」
「ワタリは他のLに会ったことがありますか」
「あります」
 お茶を淹れながらいつもと変わり無い穏やかな声で告げられて、何かひどく裏切られたような気分になった。
 椅子の上に膝を抱えて座る。親指の爪を噛んだ。こうするといつもワタリは嗜めたが、その時だけは何も言わなかった。
「ワタリは私がLについて調べる事をどう思いますか」
「…自分のことを知りたいと思うのは自然なことだと思いますが…」
「ワタリは嬉しいですか、悲しいですか。…別に何とも思いませんか」
「Lの成長を見るのは嬉しいことです」
 ワタリが優しく微笑んだりせずに止めてくれたなら私は止めたかも知れない。これ以上「L」について知ることは、私と私を包む世界の崩壊さえ招く。そんな根拠の無い恐怖に囚われていた。
「…私が全てを知っても…ワタリは側に居てくれますか」
「Lがそうお望みなら、いつまでも私はお側に居ます」
「本当ですか?」
「はい」
「他のLのところに行ったりしませんか」
「はい」
 大好物のチョコケーキを差し出しながらワタリがいつもと変わり無い穏やかな声で答えたので、あっという間に恐怖が逃げ去ってしまった。大好きなケーキはいつもより甘いように感じた。
 ワタリがそれ以上のことは答えないのでまた「L」を調べて追いかけた。質問には答えないがワタリは私が言えば何でもしてくれた。保護者で教育者だったワタリはこれ以上ない有能な助手に変わった。
 組織の方は少しもその正体を見せないが「L」という人物は難解な事件の裏でよくその名前を見せる。
 ある時ホテルの一室に「L」が居ると知り私はそこに潜り込んだ。だが私がその部屋に辿り着いた時にはもうもぬけの殻だった。ただそこに一枚のメモが残っていた。

 私を見つけ出すのはとても難しい。だが私が「L」だと証明することはもっと難しい。

 その内容はもっともなことだった。誰も顔を知らない人間をその人だと証明するのは困難だろう。だがそんなことはどうでもよかった。
 相手は私が追いかけているのを知っている。その上で挑戦状を叩きつけてきたのだ。見つけてみろと。メモを握り締めながら私は声を出して笑った。そして絶対見つけてやると叫んだ。
 その後、彼はずっと逃げて回った。だから追いかけた。見つけたと思えばするりと指の隙間から逃げられてしまう。また追いかける。もう一段踏み込んで追い詰めると更に一段私の予想を飛び越えて魔法のように消えてしまう。どんな犯罪者より隠れるのが上手で賢い相手だ。夢中になって彼を追った。
 その繰り返しは鬼ごっこと言うよりも、親が歩くことを覚えたばかりの子供に手を叩いてこちらへおいでと呼ぶような。少しでも上手に長く歩けるように微笑ましく見守りながらの訓練だった。
 追いかけていることを知っているはずなのに何故か「L」からの敵意は少しも感じない。
 遊ばれていると怒りを感じることもない。
 ただ逃げられれば逃げられるほど逢いたくてたまらなくなる。
 その理由をずっと知らずに私は「L」を追いかけ続けた。



 物の少ないホテルの一室。
 私はこれとよく似た部屋をいくつも見た。もぬけの殻の部屋はいつもこうだった。豪華な作りなのに空間を持て余すような物の少なさを感じる。
 そして私自身も同じような物の少ないホテルの部屋で暮らしている。彼に辿り着くには自分の居場所を隠す必要があった。
「はじめまして、L」
「ああ…はじめまして、L」
 口元に薄く笑みを乗せて彼は答えた。私は過去一度もLと名乗ったことはない。
 大きなモニターを前に床に座りこんだ男は私を見て何か考えるように口元に手を持っていく。
「私がLだという証明は出来るのかな」
「その発言で認めたことになると思いますが…私が誰かを向かわせるのではなく、こうやって直にあなたに会いに来たことがその証明です」
 彼は嬉しそうに笑った。その顔は年齢の差こそあるものの私の顔とよく似ていた。年齢の違う双子というものが居るならこういう感じだろう。この顔こそ私も彼も「L」であるという証拠だ。
「あのLに会ったのか」
「ええ…最近です。ワタリよりも歳が多く見えました」
「実際は君より少し上なだけだ…私を嫌悪したか」
 彼を追ううちに辿り着いた病室。そこで見た老人は「L」だった。老人は私の顔を見ると何も尋ねないうちに「L」という組織のことを教えてくれた。
 世界が頼みの綱としている探偵の「L」は三十代半ばで、自己免疫性疾患を発症して身動きが取れなくなる。未だ治療法のない病だ。そしてやがては死んでしまう。「L」の遺伝子を解析した結果、そう診断された。解析を依頼したのは某国の警察だ。そして「L」を複製するプロジェクトが発生した。世界的な組織だった。
 自己免疫性疾患を引き起こす遺伝子を別のものと置き変えて「病死しないL」を作り出す。それがその組織の目的だった。
 当初は人の形にならずに死んでいった「L」たち。普通にクローンを作り出す技術さえ無かった時代だ。遺伝子を少し弄ったことでそれは困難を極めた。やがて三人の「L候補」が出来上がる。
 一人目は「L」にならなかった。知能指数は平均よりも低く外見さえ似ても似つかなかった。両親を与えられて普通の人として生きている。
 二人目は「L」としての素質を十分に持っていた。だが成長段階の途中で老化が始まってしまった。自分の生まれた理由を教えられ、三人目の為に命の限り生きることを望んだ。
 そして三人目は私だ。私が「L」と認められた時点で「L」を複製する組織は消滅し、代わりに私を「L」へと育てる組織が出来上がった。私の両親役の人たちだ。
「嫌悪はしませんでした。何故こんなにLに逢いたいと思うのか…その説明にはなったと思います」
 自分の生まれた理由を知っても私は特に変わらなかった。相変わらず座り方をワタリに注意されて、甘いものが好きで、「L」を追いかけていた。
 ワタリは組織とは別個に「L」から私の側に居るようにと命じられた「L」の部下だった。
「やっと会えた…ここまで来たLは君が始めてだ。私は君を誇りに思うよ」
 やっと会えたはこちらの台詞だ。あのメモを見てから二年もかかってしまった。
 Lは立ち上がって私の頭を撫でた。
「真っ直ぐな髪だ。珍しい」
「…他のは全部くせっ毛でしたか」
「…物のように言うのは止めてくれないか。私にとっては全てのLが大切な存在なのだから」
 自分の癖のある髪を掻きながら特長のある声で諌める。将来私もこんな声になるのだろうか。
「…すいません」
「もちろん君もだ。よく来てくれたね。今までの話を聞かせてくれないか。君が何を考えどうやって生きてきたか」
「私が何をして生きてきたのかはよく知っているでしょう」
 そう言うとLの表情が曇った。床に膝をついて私を抱きしめる。
「君は賢いがまだ幼い。学ぶべきことがたくさんある。それは分かるね」
「…はい」
 間近に感じるLに懐かしいような、縋って泣き出したいような、そんな想いが胸に溢れ、返事が上ずった。
「君に必要なものを与えられるのは私だけであり…私に必要なものを与えることが出来るのは君だけだ、L」
 癖のある髪から、いやLからは甘い匂いがした。初めて逢った筈なのにとても懐かしい。
 帰ってきた。その言葉が何より今の私に当てはまる気がした。
 やっと会えたのだ。本当のLに。
 憎しみも悲しみも無かった。
 ただ逢いたかったのだ。
「おかえり、L」
「…ただいま、L」
 普通の子供が親にそうするように。私はLの肩に顔をこすりつけて少しだけ泣いた。


 私はソファに膝を抱えて座り、彼は床に座って片方の膝を立てていた。
 大好きなチョコケーキがホールで用意されていたのは私の為なのかと思ったがそうでもないらしい。単に彼も甘い物が好物だったのだ。
 二人でケーキを食べながらどうでもいい話をした。
「その座り方…ワタリに叱られないか」
「注意されます。でもこれでないと駄目なんです」
「私もだ。行儀が悪いと言われてもこれでないと頭がすっきりしない」
「ワタリはお菓子を食べるのも怒ります」
「食べ過ぎるからだ…というのは分かっているのだけどね」
「ですね」
 そんな下らない話を、苦痛にも思わずに何時間もしていた。会わずに居た年数を埋め合わせるように。私も彼も沢山話した。
「L、これからしばらく一緒に捜査をしよう」
「はい」
 ワタリはどうするのだろう。彼に返すべきではないのか。そう思っただけで胸が苦しくなった。
「ワタリはもう私とは会わない」
 考えを読まれたことと言葉の意味に息を呑んだ。
「今から君がLを名乗るといい。私は君の助言者になろう。ワタリはLの信頼すべき部下だ」
 意見することを拒む硬い声だった。ワタリはLが命じない限り他の人間の前に姿を現さない。つまり彼にも会わない。彼がそう命じたのかもしれない。
「ワタリが元気かどうかくらいは聞いてもいいかな」
「元気です。とても」
「相変わらず元気なおじいさんか」
「Lと一緒にいた頃からおじいさんだったんですか」
「そうだな。おじさんではなかったから…おじいさんだろうな」
 二人で少し笑った。私が寂しそうに笑う顔はあんな顔なのかと見詰めてしまった。



 一緒に捜査を始めて一年ほど経った頃。
 捜査が行き詰って連絡待ちのもどかしい時間を過ごしている時。
「…Lという呼び方にどういう意味があるか考えたことがある?」
 少し意地悪な笑顔でLは尋ねた。
「…いいえ」
「君は…そうだなLightのLだな。私の、世界の希望の光だ」
 くしゃくしゃと私の頭を撫でて恥かしいことを言う。
「Lは?」
「私は…決まっているじゃないか」
「?」
「LoveのLさ。正義と君を、全てのLを愛する者だよ」
 彼のこういう所は私に遺伝しなくて良かったと心底思った。


 私を愛すると言ったLが病気の所為で日のあたる場所に出られなくなるのはそれから数日後だった。
 彼の免疫機構は自分の体と他の物質を区別出来なくなっている。自己も非自己も同じように扱ってしまう。自分と私を同じものとして扱う彼には皮肉な病気だ。
「…全てを愛しすぎですよ」
「希望の光が眩しいから日の光は要らないんだ」
 彼のこういう所が私に遺伝しなくて良かったと心底思う。
「何も変わりない。君がLであり私は助言者だ。すでに私と君は繋がった。十分だろう」
 繋がった。その意味は分かった。
 双子は離れた場所にいてもお互いを感じることがあるという。
 私もLを感じる。
 どんな場所へ行ってもいつも彼を感じる。
 私達はリンクしている。


「必ずおまえを捜し出して始末する!!」


 キラにそう叫んだのは彼だったのか。私だったのか。
 もう私も区別できない。







 馬鹿らしくなったのか、ため息をついてモニターに視線を戻した。
「どうしました?」
「見ての通りだよ、馬鹿らしくなったんだ。つまらないことに頭を使うのがね」
「人の名前のことを詰まらないとは、らしくない失言ですね」
 今の私は未だ希望の光だろうか。L以外の人間から見てもそう見えるだろうか。それが気になって聞いて回りたい衝動に駆られる。Lから遠く離れ、日本に来てからは特に。
「…どうしても何かに決めろというなら…そうだな…Lightだけは勘弁して欲しいな」
 内心私がどれほどがっかりしたか彼には分からないだろう。
「どうしてですか」
「名前だけで僕がキラだと決められそうだからさ。運命的だろう。追いかけるLもキラも同じLightだなんて」
「…いいですね。それは」
「運命なんか信じるのか、竜崎」
「いいえ」
「…」
「では私のLは何のLだと思いますか」
 私は食い下がった。自分でもこんな言葉遊びに執着するのは下らないと思う。
 それでも私の名前を否定した彼をこのままこの問から解放するつもりは無かった。
「…Love…かな。およそ竜崎には似合わないし陳腐でいいだろう」
「…何を愛するんですか」
「正義を愛する者…かな、ははは」
 内心私がどれほど驚いたか彼には分からないだろう。
「…」
 L、聞こえますか。
 私もLに近づけましたか。
 キラかもしれない相手にあなたと同じ名前で呼ばれました。
 少しはLらしくなってきたと思ってもいいですか。
 私はいつかあなたに追いつけるでしょうか。
「…」
 膝に顔を擦りつけて少しだけ泣いた。
「どうした?」
 顔を上げると心配そうに覗きこむ顔が近くにあった。
「…やはり夜神くんはキラ決定です」
「どうして」
「心臓が止まりかけました。私にはこれ以上ない殺し文句でしたから」
 おどけて見せると付き合いきれないと文句を言って、しばらく口をきいてくれなかった。





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