星うたう

 零れてきそうな星空に煙を吐いた。輝く幾万の星々も葉巻の煙の向こうに霞む。圧倒されるような澄み渡る空を煙越しにしか眺められない自分は案外気の毒な性分なのかもしれないと人知れず自嘲した。
 冬島が近くなった所為か、昨夜と比べて気温はずいぶんと低く感じる。
「スモーカーさん、そんな格好じゃ風邪引きますよ」
 暖かそうなジャケットを羽織ったたしぎが毛布を手にぱたぱたとかけてきた。素肌に上着というスタイルは諦めているのか下に着るものを持ってこないのは付き合いの長さだなと変な感心をする。そしてスモーカーはふと自分がどこに腰掛けているのかを認識し直す。階段の中ほどだ。あのたしぎと階段。宜しくない取り合わせだ。
 考えているうちに悲鳴と共に目の前で足を引っ掛け、毛布と部下が自分に向かって倒れてくるのが見えた。もちろん自然系≠フスモーカーは煙になってそれを避けることも可能なのだが。階段に打ち付けられることになる部下を思って敢えてそのままその惨劇の塊を受け入れる。
「…何がしてェんだ、たしぎ」
「す、すいませんっ!」
 慌てるので毛布が絡んで上手く起き上がれずにもがいている。剣の腕は確かなんだがどうしてこうドジなんだろうなァと半ば呆れながら、謝り続けるたしぎの下敷きになってしばらく耐えた。仏頂面は改めないが実は憎からずの女性とこういう体勢になるのは悪い気はしない。コーヒーを零されるよりは何倍かマシだ。
 やっと起き上がった眼鏡の女は決まり悪そうに、それでも毛布をスモーカーの肩に掛けた。
「冬島が近いんですよ。冬の冬島なんですよ!? 大体こんなに寒いのにどうして外に…」
 説教が始まりそうになったのでスモーカーは掛けられた毛布を片腕で半分持ち上げる。
「この寒いのに外で立ち話もなんじゃねェか」
「…う」
「別に取って食いやしねェよ」
「…それもなんだか失礼ですよね…」
「食われてェのか」
「や、あの…」
 もごもごと口の中でなにか言いながらたしぎは渋々隣に座って一つの毛布に二人で包まった。
「星を」
「え?」
「星を見てた」
 眼鏡の奥の黒目がちな瞳をぱちくりと動かす。それから視線を上に向けた。
「わぁ…キレイ…。冬島の近くでこんなに晴れてるのって…そういえば珍しいですね?」
 らしくない行動を茶化すことなく満天の星を眺めながら感動したように息を吐いた。白くなる息は風に流されてすぐに消える。スモーカーは煙と違って空を濁らせないそのため息を綺麗だなとなんとなく思って眺めていた。女という生き物は星を眺めるとき誰もがこういう屈託のない子供のような顔をするものなのだろうか。そう考えてから、たしぎの場合刀を見ている時もこんな表情だったなと考えを改める。
 しばらく二人並んで星空を眺めた。帆は畳まれていたがマストが視界に入ることさえ邪魔だと感じる。こんな夜空にはどんな言葉よりも沈黙が何よりの賞賛なのかもしれない。
「こういう夜は…やっぱり女には星が歌うように見えるのか?」
「はい?」
 もう一度ぱちくりした瞳がスモーカーを凝視する。
「冬の冬島の側で晴れた夜…星がいつもの倍になったように見えるって教えてくれた奴が…そう言ったんだ」
 スモーカーは煙越しに空を見上げて懐かしむような顔をした。





 やはり冬島に近づく船の上で。
 やはり澄み渡った夜空の下で。
 彼女はいつにない笑顔を見せた。
「冬島の付近は空気が澄んでいるから雪雲に覆われていないときはとても星が綺麗なの。特に冬島の冬が一番ね。いつもの倍はあるように見えるわ」
 同期のヒナと同じ船に乗ったのは実はそう何度もあることではなかった。同じほどのスピードで昇進する彼女のことはライバルとしてそれなりに意識していた。だが実際に本部以外で同じ作戦に参加する機会は数えるほどしかなかったのだ。確かあの時もそんな格好でと窘められたような気がする。
「倍ねぇ…」
 凍えるような寒さの中。スモーカーの記憶が確かならヒナの方から外へ出てみようと誘ったのだ。星が見たいと。言われてそれに従った。黒檻のヒナと恐れられる人間がそんなことを言うのが意外だった所為もあったと思う。女性というだけで珍しい軍の中で、男女を問わず誰もが振り返るほどの美女。華々しい昇級も相まって近寄り難い存在にまでなっている彼女もまた自分に一目置いていたのか、同じ船に乗るたびよく話をした。狭い船の上、恨まれたり妬まれたりもしたがスモーカーの実力がそれを本人の耳に届くのを阻んでいた。
「倍は言いすぎだろ。…確かにいつもよりは澄んで見える気はするが」
「…スモーカー君は煙で目も曇ってるんじゃないかしら」
「そりゃ悪かったな」
 ふて腐れたように言うとヒナはクスと笑って長い髪をかき上げて煙草の煙を吐いた。そしてまた自分より大人っぽく見える仕草で視線を星空へ向ける。
 星よりも星を見上げる彼女の方に視線を奪われた。男として当然の反応だったと思う。降るような星の光に照らされる横顔は。真冬の空気よりも透明で、幾万の星よりも輝いて見えた。
 長く沈黙したままでいた。ヒナは星を見つめ、スモーカーは彼女をじっと見ていた。
「こうしていると…星が歌っているみたいね」
 視線に気づいていたのかそうでもないのか。ヒナは突然そう呟いてスモーカーを見た。
「…は?」
「フフ、詩人ね。ヒナ詩人」
「なんだそりゃ」
 いつもの硬い表情とはうって変わって。彼女は星空よりも綺麗な笑顔を輝かせていた。
 後にも先にも。彼女のあんな顔を見たことがない。とても楽しそうで、見ているこっちまで幸せになるような。海軍本部の大佐という肩書きも黒檻の異名も全く似合わない、気取ったところが少しもない、幼い女の子のように笑っていたのだ。
 その笑顔が眩しかったのか。
 それともそれは星空の所為だったのか。
 今でもスモーカーは冬島の近くで晴れた日には必ず星を見る。だがどうしても直視できないのだ。あのときの眩しさが目に焼きついたように。星空が眩しくて普段より余計に葉巻の煙を撒き散らし隙間からしか見ることが出来なくなっていた。





 あの時は分からなかったが、今なら分かるような気がする。確かに普段の倍に星が増えたと思わせるほど夜空は明るい。
 見上げたまま昔の話をすると黙って聞いていたたしぎが急に声を上げた。
「それって…! スモーカーさん、その後は!?」
「? なんだ急に」
「その後二人はイイ雰囲気になって私には言えないようなキャーってことになったんですよね!?」
 そうでなければ許さないというような勢いでまくしたてられた。
「なんでそうなるんだ。星が歌うって…意味が分からねェと言ったら…分からなくていいって一点張りだ。どうにもならねェよ」
 答えるとたしぎは毛布のことなど忘れたように一人立ち上がって。
「ひどいですっ!スモーカーさん鈍すぎる!それじゃヒナさんが可哀相ですよぉーッ!」
 突然罵り始めたかと思うと今度は階段に膝をついて同じ目線で睨んできた。
「二人きりで、星を眺めて、それで星が歌うみたいって…それって、それって…!ああ、もうヒナさんたら…こんな鈍い人にそんな回りくどいことを…!」
 目の前で怒ったり同情したり。百面相を繰り広げるたしぎの言わんとするところがさっぱり分からない。
「なんなんだ、一体」
 まだ理解しないことを咎めるように。怒った表情でたしぎはスモーカーに告げる。
「大好きな人と見る星空はきっととっても綺麗ですよね!?」
「はぁ!?」
「だから!ヒナさんの星が歌っているみたいっていうのは、スモーカーさんと星空を見たらとっても星が綺麗に見えて、つまりヒナさんはスモーカーさんのこと大好きって言いたかったんですよ!」
 聞き分けのない子供を叱るような口ぶりでたしぎはそう言うと、また立ち上がる。階段を下りて甲板をうろうろ歩きながら何かブツブツ言っていた。どうしてスモーカーさんはこうなんだろう。ヒナさんはああ見えて照れ屋さんだからそういう言い方しか出来ないのになんで分かってあげないんだろう。そんなことを自分のことのように憤って呟いている。
「そりゃ…ねェだろう」
「ありますよ! スモーカーさんひどいです! ヒナさんだって女の子なんですよ!?」
「…」
 言われて初めて気づく。そういえばヒナの事を異性と思って接したことがないように思う。
 軍の中でなくても、男なら誰もが振り返る絶世の美女。それは理解していたのだが。その中身はどんな男よりも男らしく。だからといって粗暴でもなかった。女らしくないのではない。必要な時は女の武器とやらも存分に使っているらしい。だがライバルとも恋人とも噂される自分は。同性と同じように扱うことが彼女に対する礼儀だと思っていた。本人がそういう要望を口にしたことはなかったが、異性として手加減されることも意識されることも望んでいない。それはその態度に常に表れていたはずだ。いっそ本当に男同士だったら妬みやっかみのことなど気にせずに友人として付き合えただろうに、と思ったこともある。
「…!まさか…言ってませんよね?」
「なにをだ?」
「男同士ならよかった、なんて」
「…たぶん言ったな」
「スモーカーさんのバカ! だからヒナさんは言えないんじゃないですか…!」
 何故かたしぎが涙目になっている。どうしてこう、他人の話で感情的になれるのだろう。誰よりも女性として扱われるのを嫌う部下は誰よりも女性らしい一面を垣間見せる。ヒナの様になりたいといつも憧れを聞かされるが根本が違いすぎるのだ。たしぎとは同性の方がよかったなどとはとても思えない。
「お前が思うような…そういう色っぽいモンじゃねェよ。おれ達は」
「それはスモーカーさんがそうなりたいって言ったからヒナさんがそうしてるんじゃないですか!だから星が歌うみたいって!そういう回りくどい告白しか出来ないんじゃないですか!分かってあげなきゃ…ヒナさんが可哀相ですよ…」
 語尾はどんどん小さくなった。まずい、と思うがこの誤解は放置できないと言葉を重ねる。
「あいつにはおれじゃなくたって言い寄る男は山のようにいるんだ。なんであいつがわざわざおれに…」
「だから、分かってないって言うんです。…スモーカーさんは、ちゃんと分かってるくせに、ずるい…」
「なんだそりゃ。…分かってるのか分かってないのか…何がいいてェんだ」
 泣き出す寸前の支離滅裂に付き合うのは難儀だった。ヒナが相手なら絶対にない会話。いや、他の相手でもこんな風に話はしないだろう。
「だって…じゃァ、ヒナさん、その日はなんでそんなに綺麗に笑ったんですか。控えめだけど気持ちを伝えられて嬉しかったんじゃないですか」
「…」
 流石に返す言葉が見つからなかった。
 果たして男よりも男らしいと思えるあの女にそんな奥ゆかしい一面があるかどうかは甚だ疑問だが。そう考えると確かにあの夜の眩しいほどの笑顔の理由が分かる気がした。
「スモーカーさんだって、その日から星空が眩しいってことは、つまり…ヒナさんの笑顔に見事に恋しちゃったってことじゃないですか!自分の気持ちくらいちゃんと気づいて下さい…」
 ああ。と、感嘆のようなため息のような変な声がスモーカーの口から漏れた。
 今にも泣きそうなたしぎから目を逸らすと星空が見えた。仰向けに倒れそうになるのをなんとか堪える。
 理由が分かった所為か満天の星空は目を覆いたくなるような眩しさを失っていた。
 確かに自分はヒナのあの笑顔に捕らわれていたのだろう。流石黒檻のヒナとでも言えばいいのか。一度見せたあの極上の笑顔で今の今まで自分の心の一部をしっかりと捕らえて放さなかった。本人はそんなことに気づきもしなかっただろうし。自分もまたそうとは知らなかった。ただ、話を聞いただけのたしぎがその種明かしをして見せたのだ。恋と呼ぶには淡すぎる、だが全く異性として見ていなかったとは言えない微妙な思い出。
 人間、自分のことほどよく見えないというよい例だ。他人事のように考えながら先ほどまで直視できなかった夜空を見ていた。
 降ってきそうな星空はもう彼女の笑顔と重ならない。種明かしと共に星の呪縛は消えてなくなったようだ。
 昔の話だ。たとえあの時本当にヒナが自分にそういう思いを抱いたとしてもすでに過去の出来事。自分が気づけば何か変ったのかもしれないが、たしぎの言うとおり鈍感な自分はその期を逃した。今更何がどうなることもない。
「…スモーカーさん?」
 座って上を向いたまま呆けていると心配そうな顔が覗き込んだ。
 表情豊かで。お節介で。それでいて人一倍他人から心配されているような。
 ヒナとは対極の人間がヒナのように男と混ざって男と同じように扱われたいと願っている。ヒナのようでありたいと憧れている。
 ひどい矛盾だ。あいつはあの時、寒そうな格好の自分をそのまま外に連れ出した。お前は寒い中わざわざ毛布を持って出てきて説教しようとした。どちらが女らしく映るのか本人には分からないのだろう。
 彼女は女の武器なんてものはその信念にかけて絶対に使わないつもりだろう。その存在自体が既に男なら守るべき存在だと感じるような。女性の武器を体現しているとも知らずに。
 自分のことはよく見えないお手本がここにもいる。そう思いながら夜空を隠したあどけない顔にぼそりと言葉を吐く。
「…星が」
「え?」
「星が歌っているみてェだな」
 覗きこむのを止めてたしぎはまた騒がしく詰った。
「そ、れ、は! 私に言ってもダメですよーっ! ちゃんとヒナさんに言ってあげないと!」
 この上司にしてこの部下あり。鈍感は上官譲りか、たしぎ。
 今、ここで、お前を見てそう感じたから言ったんだ。お前が種明かしをしたくせに言われてその反応とは。誰が鈍感で酷いって? 可哀相なのは誰だって?
 ヒナ、お前もこういう気分だったのか。
 そうだとしたら悪いことをした。笑ったのは鈍感さが可笑しかったからじゃないだろうな。
「…おれは流石にここで笑えねェな…」
 独りごちてみると、たしぎが不思議そうな顔で聞き返す。
 あとは彼女を見習って分からなくていいの一点張り。
 何故かヒナに負けたような気がして面白くない。同じ台詞を使ったのに心を捉えるどころかあらぬ誤解をされたまま。折角の告白も相手の瞼に何かを焼き付けることもできず。ただ煙のように星空に溶けて消えてしまった。
 虚しさを抱えて見上げると星たちは気の毒な男を慰めるように歌ってくれているような気がした。






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スモーカーさんはかっこよく書かなくちゃという気負いがなくても、ヘタレに書いてもかっこいい。というような思い込みをしているので散々な扱いですがカッコイイと信じて疑いません。
女性陣は可愛らしく美しく書くのに非常に気を遣ったようです^^
なかなか進展できないトライアングルが楽しいです。

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