ケモノノテノヒラ

 視界が真っ赤で。世界が遠い。
 あァ、うるせェな。大丈夫だから喚くなよリリー。いつだったか…おれが服汚した時すごい剣幕で怒って蹴りまで入れたくせに。おれに触るなって。血ィつくぞ。気に入ってんだろ、その服も。
 悪ィなミュレ。この前麦わらにやられたときに世話になったばっかりだってのに。今回はもう少し手間がかかるよな。こんな時に不謹慎だけど。元から美人のお前だけどさ。そうやって医者の顔してるときが一番カッコイイなァ。おれが最高にカッコ悪ィときに限ってミュレはカッコイイんだ。間違えて惚れちまいそうだぜ。
 真っ赤な視界なのにエディの顔面が異様に蒼白。ムリすんな。こういうの苦手なんだろ。今はいいよ。航海士は確かにいつも不安な顔しちゃいけねェんだろうが、こんな時だ。大丈夫そうに振舞わなくても。おれは本当に大丈夫だから。少しくらいお前の顔に出たって平気だ。お前がぶっ倒れてもきっと隣のヒューイットが運んでくれるだろ。流石にコックのお前にはこのくらいの血は何でもねェよな。頼むぜ、ヒューイット。隣の倒れそうなヤツも。他の船員も。おれが見てないうちに痩せ細ってたらぶん殴るからな。何が何でも口に食いもんぶち込んどけよ。
 イテェな。ロスもリヴァーズも。もうちょっと静かに運んでくれよ。いや、大丈夫だけどよ。歩ける、歩けるって。大丈夫。でも痛ェもんは痛ェんだ。黙るなよ。どうせ喋ってもおれにはよく聞こえねェけど。なんかすごく怒ってる顔に見えるじゃねェか。まァ無理もねェ。それだけ怒ってるくせによくあの男に向かっていかなかった。向かっていっても敵う相手じゃねェ。おもちゃにされて皆殺しだ。お前らが賢くて助かった。…そうか。そんで悔しくて怒ってんだな。焦るな。おれがちょっと休んだらまた一緒に暴れよう。
 あ?そうだ、サーキースはどこだ?
 視界が悪くて…全部真っ赤でよく見えねェ。誰か隣に居てやってるか?
 あいつ腕は確かなんだが。根っこの辺りが妙に脆くて。さっきのアレはおれよりあいつの方が致命傷だ。たぶん。
 なァ誰か。サーキースのところに行ってやってくれよ。おれより重症なんだ。
 マニ?よかった。マニが隣に居るな?さすが察しがいいな。ボロボロなんだ。そいつ。一人にしないでやってくれ。
 サーキース。よかった。あんなことになったからお前どこかへ行っちまうんじゃねェかと思ったんだ。おれは大丈夫だから。お前ちゃんと抵抗してくれたんだろ。だからこの程度で済んだんだろ。助かった。嫌な役やらせちまったな。おれは大丈夫だからそんな情けない顔すんな、副船長。
 おれはお前に…



 うわ言のようにサーキースを呼ぶベラミーを血溜まりから起こして二人で支えて歩かせる。ロスのコートもリヴァーズの帽子も見る間に赤く染まり二人の肩を生温く濡らした。応急処置が本当に応急処置でしかないことを思い知らされる。
 一歩ごとに引きずる血の足跡。
 サーキースを認めると血塗れの顔が一瞬緩んで。ロスの肩から腕を解いて左手を伸ばす。
「―――…」
 唇が何か言おうと動き、だが声は誰にも届かなかった。
 代わりに湿った音を立ててサーキースの胸の刺青に手をつき。そしてずるりと崩れ落ちた。
 甲高い悲鳴。怒鳴る声。叱咤の声。仲間の声。仲間の声。仲間の声。
 サーキースにはどれも聞こえすぎるほどよく聞こえて。どれ一つとして理解できなかった。ざわめきも人の動く気配もまるで遠い世界の出来事のようで。壊れた人形みたいに運ばれていくベラミーの力の抜けた体さえ。全く他人事のように見送った。
 気づけば一人ただ立ち尽くしていて。恐々と上着をめくって胸を見た。血で濡れた生暖かな感触が。ぬるりと滑った手の跡が。赤黒い色でまだそこにある。
 ドフラミンゴのシンボルがベラミーの掠れた手形で半分見えなくなっている。
 赤く汚され血を吐いたような刺青がそれでもなお不気味に笑っているような気がした。




 あれから三度目の朝焼け。
 サーキースは一人ベラミー海賊団の船に戻り昼となく夜となく飲んだくれては眠り。だらだらと過ごしていた。春島特有の心地よい風が全てのものを優しく撫でていく。空は晴れわたり今日も一日快晴を予感させる。そんな清々しい一日の始まりを船上の酔っぱらいは全く清々しさとはかけ離れた気分で迎えていた。
 どうやってここまで来たのかは覚えていない。皆はトロピカルホテルでベラミーの看病している。らしい。とてもそこへは帰れないと勝手に思った。よく覚えていないがあの事件の直後、誰も操られてベラミーを斬った自分を責めたりはしなかったと思う。自分を責めているのは自分だけだ。
 あの騒ぎはあっという間にモックタウン中に知れ渡った。今ではすっかり話に尾ひれがついてドフラミンゴに寝返ったサーキースがベラミーを斬ったなどと無責任な噂が飛び交っている。自分も仲間達ももうこの街の酒場で飲むことはないだろう。もともとならず者たちの集まる場所だ。酒を買いに街へ行っただけでも冷やかしの声が常にサーキースの背について回った。イラつきは最高潮でも全ての喧嘩を買って歩く気力はなく。おまけに刀もどこかに失くしてしまった。
 あのときどうしても手から離れなかった刀。呪縛から解かれて。それで。そこからサーキースの記憶は判然としない。トレードマークのビッグナイフを失くして。覇気も無ければ武器も無い。ただの酔っ払いの出来上がりだった。
 隣で毛布とサーキースのコートに包まってすやすやと眠っているリリーをぼんやりと見ていた。朝日が眩しくて目を覚ますかもしれない。酔って重たい体を移動させてフワフワした長い髪の上に日影を作ってやった。目を覚ましたらまた喧しくなる。眠っていてくれた方がありがたい。
 空になった酒瓶を放り投げそうになって思いとどまり音を立てずにそっと置く。新しく開けた酒はやはり生温く爽やかな夜明けとは無縁の味がした。


 あの事件の直後。イラつき任せで買った強い酒をあおって咽を焼き。どんなに飲んでも酔わない頭の芯に更にイラつきをつのらせながらいつの間にかこの船に一人辿り着いていた。そのときは確かに一人だったはずだ。だが酔って浅く短く眠って。ふと顔を上げるとリリーが仁王立ちで目の前にいた。
「もう!サーキース汚い!臭い!早くお風呂入ってきてよ!」
 突然怒り出して船のシャワールームに閉じ込められた。
 言われるままにシャワーを浴びると体の中の何かが溶けるように力が抜けていくのが分った。一緒に胸に残っていたベラミーの手の跡も溶けて。それでもそれは消えてなくなりはしない気がした。目には見えない手形が今も胸に刻まれている。どうせなら流れて消えればいいと思う刺青と共に。
 それからリリーはほとんどの時間をサーキースと船の上で一緒に過ごした。彼女にしては驚くような忍耐力を見せている。一緒に帰ろうといくら言っても聞かないサーキースに時々キレながらも。側からはなれない。買ってきた酒を飲みつくして渋々街へ行く時もなんだかんだと文句を言いながらついてくる。
 昨夜も、
「私もう甲板はヤダ!中で寝るからね!」
「おう、勝手にしろよ」
「本当に中で寝るからね!?サーキースが一人ぼっちで寂しくても知らないんだからね!?」
「はいはい、お休み、リリー」
 そんな意味不明の会話をしながら船室に入ったかと思えば。十分も経たないうちに毛布を抱えて出てきて。
「サーキースのバカ!意地っ張り!」
 勝手に怒って隣で寝てしまった。しっかりとコートの裾を掴んで。
 サーキースが考えるに。リリーはきっと誰かに自分の見張りを頼まれたんだろう。勝手に船ごと消えてしまうとか。このまま皆のところへ戻らないとか。そんなことを心配して。
 それに。彼女は可愛いだけが取り柄で生きているような女だ。いざ戦闘だというときは妙に気転が利いて足を引っ張るどころか助けられることもあるのだが。平時はただの喧しい我侭な女。重症の怪我人なんかを抱えた時は、一人で拗ねて船に引きこもっている男の見張りにでもしておく方が向こうとしても都合がいいのかもしれない。




 リリーがサーキースの側を一度離れたのは昨日の朝。
 船に引きこもってリリーが来たと思えば。そのすぐ後にお節介にも毎食誰かが二人に食事を運ぶというシステムが出来ていた。ヒューイット自身が持ってくることもあったがコックの手が放せない時は別の奴が来る。昨日の朝はマニだった。
 誰が来てもリリーに聞かせるフリをしてベラミーの様態を二人に伝えた。
「目を覚ましたよ」
 マニがそう言うとリリーは奇声を発して喜び。一度サーキースを気にするように視線を向けた。
 サーキースは背中で会話を聞き内心ホッと胸を撫で下ろした。だがそれだけだった。会いにいって何をどうすればいいのか。見えない胸の手の跡が痛む。
「いいよ、あたしがここに居る」
「うん!」
 マニのため息とリリーの嬉しそうな返事。化粧が崩れるのも気にせずにボロボロ泣きながら桟橋を駆けていくリリーを見てしまいサーキースも深く息を吐いた。操られたとは言ってもこの手があの涙を零させたのだと思うと胸が軋む。
「…あんたもねェ」
「今度はお前が説教かよ」
「違うわよ。…会いたがってる」
 持って来た食事を渡しながらマニは静かに声に出した。
「ベラミー、目を覚ましてからサーキースを探してるんだよ」
 そう言ったきり黙ってサーキースが食事を済ませるのを待っていた。一人分の食事を持って来たということは最初からリリーは一度戻りたがり、サーキースは戻って来ないと読まれていたということだ。
 まだ暖かいヒューイットの料理はこの街の品のない食べ物と違い妙に懐かしい味がした。航海中ならともかく偉大なる航路≠フ島にいる時には滅多に作らない北の海≠フ料理だ。男の料理のくせにおふくろの味を出しやがって。サーキースがそんな独り言をマニに聞かせると。
「こんなときだからこそ…だね。参っちゃうね。あたしには出来ない芸当だもの」
 マニは少しだけ笑って独り言のように言う。鍛え上げられた手を広げては握る仕草を繰り返した。男の手に負けない力を秘めた掌をどんな気持ちで見つめているのか。マニは何か諦めたように微かに苦笑しているように見えた。
 ふと。サーキースはあの時のことを思い出す。手から刀がようやく落ちて。それからすぐに誰かがサーキースの手を握ってくれた。今まで思い出せなかったが。きっとマニだったと思う。ずっと名前を呼んで。
「アンタがやったんじゃない!しっかりしな!あんたの手がやったことじゃないんだ!あたしの手を握ってみなよ。ほら、こっちがあんたの意思だ。サーキース。アンタがあんなことしたんじゃない」
 そうやってずっと。隣で言い続けてくれた。斬られたベラミーよりも斬ったサーキースを支えていた。震えるのを堪えきれないあの力強い手がずっと手袋越しに励ましてくれていた。
 思い出すにつれ情けなくなるのと同時にこの女には敵わないと観念する。
「…まだ会えねェ」
 食べ終わってからぼそりと弱音を吐くようにサーキースが言うと。
「あ、そ。…いいけど。あたしは船長にはなんて言い訳すればいい?」
「…」
「ハハ、冗談。あんたは船の見張りをしてるって言ってあるから」
「そうなのか?」
「あの怪我なのに探し回られちゃ困るのよ。ミュレの方便」
「…流石。医者は怖いなァ、嘘吐きで」
 サーキースは自分がここに居る名目が勝手に出来ていたことが可笑しくて笑うと。
「それだけあの船長に心配されてんの分ってる?」
 重いボディーブローのような言葉を食らいサーキースは声も出せなくなった。別段怒った風でもない声でそれを言えるこの女にはやはり敵いそうにない。


 マニと入れ替わりで戻ってきたリリーが聞きもしないのにベラミーの様子を教えてくれた。ミュレに大人しくしないと鎮静剤を打つと脅されるほど元気だそうだ。
「サーキースの昼飯はおれが届けようかって言うんだよ!寝てろって皆で押さえつけてないと本当に来ちゃいそう」
 ベラミーらしくて笑えた。本当に来られたらサーキースとしてはとても気まずいので勘弁願いたいが。押さえ込む仲間の腕力に期待したいところだ。
 そして昼飯を届けに来たのはリヴァーズだった。ベラミーは実際リリーが言うほど動けるわけでもないのだろう。そんなに軽傷のはずがない。
「元気にしてるかァ?船番さん」
 明らかにからかいに来たのはニヤついた表情で分った。リヴァーズは二人と一緒に自分の分まで食事を運んできた。サーキースが買ってきた酒を勝手に飲んでゲラゲラ笑っている。ベラミーが目覚めたお陰で皆いつもの調子が出てきたようだ。
「飯を運ぶ係りが大人気でなァ。あっちじゃベラミーに隠れて凹んでるサーキースを見に行こうツアー≠チて呼んでんだ」
「テメェ…」
「こんな世にも珍しいもん見なきゃ損だろうが」
「アタシはもううんざりするほど見たよぉ。いい加減代わってよー」
「大怪我のお頭ほったらかして遊びに行ってるなんてのが通用するのはお前くらいしか考えられねェだろ」
 サーキースもリリーもふくれっ面にさせてリヴァーズは満足そうに笑っていた。
「それで、傷心の副船長はどうなんだ?そろそろ戻りそうか?」
「まだダメみたいだよ。酔っぱらって、少し寝て、すぐイヤな夢見て起きるみたい。男のくせに済んだ事ウジウジ考えちゃってバッカみたい」
「リリー、お前ェには分らんだろうが男ってのはその辺デリケートに出来てんだよ」
「メンドクサイなぁ…ぶん殴って連れて帰ればいいのにっ」
「ん?それもいいかもなァ?たまにはいいこと言うじゃねェか」
 サーキースの目の前で割りと真剣な面持ちで二人がそんな会話を交わしている。どこから本気なのか判断できない。
「あァ?やろうってのか?返り討ちだぜ」
「普段ならそうかもな。でも今ならおれでもいけそうだぜ?」
 リヴァーズは帽子の奥の笑っていない目でサーキースを見据えていた。
 今までのサーキースならここで躊躇なく手を出していたはずだ。たとえそれが仲間でも。
「…っ」
 だが手をあげるどころか。睨み返すこともせず。いっそ殴り飛ばして欲しいと言うように目を逸らして俯いた。
「…思ったより重症だなァ…」
 殺気をあっさりと引っ込めるとリヴァーズの方もがくりとうな垂れた。仲間に手をあげるなんてたとえ本気でなくても今のサーキースには出来ないのだと思い知らされた。全く別人のようになったサーキースを見て試すようなマネをしたことを心底後悔した。
「なァ。サーキース。船首と帆はいくらでも新しく出来る。でもお前の代わりは居ねェんだ。分ってるよなァ?」
 帰ろうとしたリヴァーズが背を向けたままそう言った。ベラミー海賊団の中にある別のシンボル。もうこの海賊団とは無縁のシンボルが三つ。全てが今この船に集まっている。
「…分ってる…つもりだ」
「それならいい。じゃあ、またな」
 リヴァーズが見えなくなるとリリーがやけにベタベタと引っ付いてきた。
「さっきのって急がなくていいって。きっとそういう意味だったと思うなー」
「…お前ら優しすぎて気持ち悪ィんだよ…いつからこんな甘っちょろい集団になっちまったんだ?」
「たまにはいいじゃん。甘えっこしようよ。サーキースもせっかくだから皆に思い切り甘えたらいいんだよ。あたしなんていつも甘えっぱなしだし。サーキースもこのリリーちゃんに思い切り甘えていいよっ」
「…」
 この船と一緒に捨てられたいなんて。本当に甘えた台詞を吐きそうになってサーキースは思わず口を押さえた。
 口に出すのを堪えると代わりに涙が出そうになる。
「…あたしね。情けないサーキースでも別に嫌いにならないよ?」
 座り込んで俯いたサーキース。時々震えるその背中に寄りかかりながらリリーはしばらく黙ってサーキースにくっついていた。


 日が暮れて。その日三度目の食事を届けに来たのはロスだった。
「…まさかテメェもなんとかツアーに来たんじゃねェだろうな」
「公平にカードで勝ち取った権利だ。文句を言われる筋合はねェ」
 口元は少し皮肉っぽく笑っていたがリヴァーズほど興味本位という感じには見えなかった。リリーはもう北の味に飽きてきたからもっとゴージャスで美味しいものがいいとヒューイットに伝えてとブツブツ文句を言いながら食事をとり、ロスを苦笑させていた。
「ロス」
「ん?」
「あの時…」
 サーキースが口にするあの時がいつのことなのかロスには見当がついていたようで無言のまま頷く。
「ベラミーがなんて言ったか聞こえたか?」
「いや…口が動いてるのは見えたが聞き取れなかった」
 血溜まりからよろめき立ってわざわざサーキースのところまで歩き。手を伸ばして。確かに何か言おうとしていた。サーキースに向かって。胸のシンボルに向かって。何か。
「おれァ…最初はてっきりもう要らねェと言われたのかと思ったんだが」
「ああ…最初はな。お前を追い払いたいように見えた。お前をというか…それを、だな」
 サーキースの胸で笑うドフラミンゴのシンボルを見た。それだけでサーキースはひどく傷ついた顔をする。本人に自覚はないだろうからロスもリリーも敢えて口には出さなかった。
「でもそれは絶対ナイよ!だって起きてからすごく会いたがってたし」
「おれもそう思う。あの時お前は聞こえなかったかもしれないが…おれとリヴァーズにはベラミーがお前を呼んでるのが聞こえたんだ。だからお前の方に歩かせた。あれだけの出血で、あれだけの怪我で。わざわざ居なくなれ≠言うためにお前を呼んだとは思えない」
 ロスは淡々と語った。そして。
「お前が本当に恐れてるのはそれじゃないだろ」
 核心に触れる言葉も同じく淡々と。
「なに、を…」
「おれにもそう見えた。…お前がその刺青に傷をつけることもしないで、船首や帆に何も出来ないのはそういうことだろう?」
 リリーは首を傾げ、サーキースは視線を落としたまま固まった。
「ベラミーがまだそのシンボルに縋ったように見えたんだよ」
 噛んで含めるようにロスはリリーに説明した。同時にサーキースは胸を押さえて苦しそうに浅く速い呼吸を始める。
「おかしいよ。あんなヒドイことされたんだよ!?ありえない!」
「でもそう見えた。だろ?サーキース」
 声に出さず頷きもしなかったがそれは肯定に見えた。
「だから会えないんだな。お前とベラミーが会って…ベラミーがまたそのシンボルに縋るようなら…おれもどうしたらいいか分からない」
「おれはもうあの男に土下座するベラミーなんざ見たくない。でもベラミーがまだ何か考えてるなら…!…!」
 サーキースはベラミーから逃げ続ける理由と、忌々しい刺青に何も出来ない理由を初めて自ら口に出した。サーキースはあの時決して見たくないものを二つ見た。自分に斬り刻まれるベラミーと。地面に頭を擦り付けてドフラミンゴに謝罪するベラミーの姿だ。
「おれが…おれ達がついてきたのは誰だよ…。七武海のナントカいう奴なんかじゃねェ…。なのにあいつは…!大人しく斬られやがった。なんでだよ…!?」
 サーキースの問に答えられる者はここにはいなかった。
「…ベラミーってさ。バカみたいにしてるけど本当は違うよね。いつもやることなすことワガママでムチャクチャだけどさ。あたしたちを納得させる何かがあるよ」
 リリーが珍しく静かな声で言った。それはとても的を射ていた。だからこそこの海賊団は成り立っている。
「だから…分んないんだよね。本当は何をどうしたいのか。なんであんなヤツに土下座までしたのかとか全然わかんないよ」
 やっと理解したサーキースの胸の内を言葉に直してリリーが言った。
「あたしはバカだから相談されても分んないけど。そういうのって話して欲しいね。だって…仲間だから。そういうもんだよね?仲間って」
 サーキースもロスも。黙ってそれを聞いていた。リリーの言葉は彼らが上手く言葉に出来ない感情の代弁だったからだ。
「やっぱりサーキースが会ってちゃんと聞いたらいいと思うな。それはダメなの?」
 ぱっちりとした瞳に真っ直ぐな意見で顔を覗き込まれてサーキースは答えに窮した。
「それが出来ればこんなところに引きこもってないってことだ」
 代わりにロスが苦笑して答える。
「なんだ。やっぱりサーキースが意気地なしなだけじゃん」
「…るせェ」
「あたしが代わりにきいてきてあげよっか?」
「やめとけよ。こいつがこのまま一生ヘタレでもいいのか?」
「それはヤだ!」
「だったらサーキースが自分で聞きに行くまで待ってやれ。…おれだってまだベラミーの答えを聞く覚悟が出来てるかどうか怪しいんだ。もう少しこいつがヘタレてるくらいでちょうどいい」
「言ってろ…」
 洗いざらい溜め込んだものを半ば強制的に吐き出せられてサーキースはテーブルに突っ伏していた。
「悔しいのはお前だけじゃないんだ。おれ達だってお前を止められなくて悪かったと思ってる。お前もベラミーも助けられなかった自分に腹が立つ。…あんまり一人で抱え込むなよ。仲間なんだろ?副船長」
 去り際、頭の上から降ってきたロスの台詞にしばらくサーキースは顔を上げられなくなった。


 ロスが去った後。星空を見上げながら甲板で飲んでいた。
「一度なァおれァベラミーに本気で刀振り回したことがあったんだ」
 全部吐き出した後だったからか。サーキースはいつになく饒舌だった。
「この偉大なる航路≠ノ入って割りとすぐベラミーがドフラミンゴの野郎に繋がる伝手を見つけてきて。上手い具合に傘下に入っただろ?あのシンボル掲げたとたんあれよあれよという間に大型ルーキーの出来上がりだ」
 リリーは側で静かに聞き役をしていた。相槌さえ必要ないくらいサーキースは勝手に喋り続ける。
「あの頃おれ達はすっかり浮き足立ってて。海賊船にあのシンボルを掲げるのも船首まであれに描き直したのも。やりすぎだと思ったけど誰も止めなかったよなァ?ベラミーは派手好きだしよォ」
 一つの海賊船に二つのマークがあるのは本来邪道だった。だがそれをあの船長は独断でやってのけ船員もそれを良しとした。それほど七武海の力は強大だったのだ。
「おれも賞金首になって悪い気はしなかった。だからこれを彫ったんだ」
 胸の印を何度も拳で叩く。
「そうしたらあの野郎メチャメチャ怒り狂って。覚えてるか?」
「うん。すごい喧嘩だったもん」
「テメェが先にやったこと真似して何が悪いって言っても聞かねェし。バネバネの能力まで使ってきたから。殺されると思った。だから本気で刀振り回したんだ」
 リリーはその喧嘩を思い出していた。確か船の上ではなくてどこかの街中だった。サーキースが刺青を見せびらかすようにして歩いてるのをベラミーが見つけて問答無用で襲い掛かってきた。バネバネの実の能力は船の上より建物の多い街中や建物の中の方が使いやすい。サーキースは確かにビッグナイフを振り回したが結果は無残なものだった。
「あいつに一太刀も…いや、かすりもしなかった。流石我らが船長ベラミーだよ。ボコボコにしたおれにこう言ったんだ。『サーキース、おれがなんて呼ばれてるか知ってるか!?ハイエナのベラミー≠セ!覚えとくんだな!ハハッハハハハハハ!』てなァ!」
 笑い声までそっくりに真似て見せた。リリーはその台詞までは覚えていなかった。ベラミーが船にしたこととサーキースが彫った刺青と何がどう違うのか。ベラミーが何を怒ったのか。疑問に思ったがあまり深くは考えなかったのだ。
「そのベラミー様がおれの刀を避けもしなけりゃ防ぎもしねェで…。…。…こんな風に見捨てられる日が来ることも考えてたのかねェ…」
 星空に尋ねるように呟くサーキース。リリーの目に映るベラミーはそこまで深く何かを考えているようには全然見えない。けれどそう考えればあの時怒った理由も分かる気がした。
 今モックタウンで言われている噂もサーキースにこの刺青があるから真実味がある。元々サーキースはベラミー一味に送り込んだドフラミンゴの手下だという話さえ出てきている。超人系は刃物に弱いというところも災いして噂話に歯止めが効かない。
「どうせ彫るならウチのを彫ればよかったね」
「ただそういう意味で怒ったのかと…あの時はそう思ったが…」
 サーキースが急に黙り込む。
「…ベラミーが…まだそのシンボルに縋るって言ったら」
 リリーが他の人間ならとても聞き難いことをさらりと口にする。
「どうするの?」
「…わかんね」
「…だよね」
 自分達を納得させるだけの理由がちゃんとそこにあれば問題はない。ただベラミーは土下座してでも見捨てられたくないほどあの男に傾倒している。自分の海賊旗より目立つところに掲げるほどあのマークに心を寄せている。もしそれだけが縋る理由だったら。そう考えるとリリーの心も暗くなった。ついていく自信が無い。
「あたしもう寝るよ」
「ああ」
 サーキースの心細そうな顔が返事とは裏腹に引き止めているような気がした。そして自分もきっと同じような顔をしていると思う。船長を信じられないなんてこんなに悲しいことはないんだから。
 軽く口喧嘩してから船室に入ってすぐに。全てを語ったサーキースがふらりと居なくなってしまうような。根拠のない不安に駆られた。ベラミーが縋るものを失くせばいいと思うかもしれない。帆を切り裂いて。船首を破壊して。それから自分を。
 怖い答えを聞くよりも今のサーキースはそちらを選ぶかもしれない。それくらい弱ってることは誰よりもリリーがよく知っていた。
 サーキースを見張れ。最初にそう言ったのはエディだった。きっと航海士には海の上じゃなくても船員全体の役割分担や配置が瞬時に分るのだろう。言われたとおり船に来たら本当にサーキースはそこに居た。きっと今このときの為にずっと見張っていたんだ。自分に出来ることはこれしかないんだから。ずっとサーキースと一緒にいよう。
 リリーは毛布を掴んですぐに甲板に戻った。




 三日目の朝。
 リリーも目を覚まし。寝起きのご機嫌ナナメもだいぶ回復し日も高くなった頃にヒューイットがやってきた。二人分の食事が入ったバスケットをリリーに預けてすぐに戻っていく後姿を見た。
「ヒューイットはツアーメンバーじゃないってことか」
「そう…みたいだね」
 リリーの様子が明らかにおかしい。
「…何かあったのか?」
「な、なんでもないよっ!さ、食べよ。今日は懐かしの味じゃないといいなー」
「下手な嘘吐いてんじゃねェ!」
 肩を掴むとバスケットが落ちて中味が悲惨なことになった音が聞こえた。
「…っ!サーキースには…言っちゃダメなんだもん…!」
「なんだよ!?何隠してやがるんだお前ら!?おれを見張らせて何してんだ!?」
 叫ぶほどにリリーの瞳が揺れてぼろぼろと涙を零し始める。
「だって…嘘なんだもん…ベラミーが目を覚ましたとか…元気にしてるとか…全部嘘なんだもん…っ!」
「!? 何言ってんだ、リリー!?」
「だって…そう言ったらサーキースが戻ってくるかもしれないからそう言えって昨日戻ったときに皆に言われたのぉ…」
 昨日会った仲間の顔を一つずつ思い出した。芝居だった!?どれが!?全部か!?
 サーキースは混乱したままリリーの両肩を掴んで揺すった。
「じゃァ、ベラミーは」
「昨日も熱が高くて…苦しそうで…でもそう言ったらサーキースは余計気にするから言うなって…」
「さっきヒューイットは何て言った。おい、答えろリリー!」
 すっかり泣き出してしまったリリーが搾り出すように答えた。
「もう…ダメかもって…!」
 頭の中が真っ白になって。サーキースは駆け出していた。悩んで迷って。何をしていたんだ。本当に失いたくないものが掌から水が零れ落ちるようにあっけなく失われていく。何故それを考えなかった。あれだけ斬りつけたくせに。この手で斬りつけたくせに。仲間に甘えて何をやっていたんだ。
 サーキースはひたすら自分を叱咤しながら走った。
 縋るものくらい与えてやればよかったと。死んでから後悔しても何にもならないのに。一人で傷ついたような顔をして引きこもって。仲間に気を遣わせて。何をやってるんだ。何をやってるんだ。ベラミーが動けないなら副船長が皆をまとめなくて何をやってたんだ。
 トロピカルホテルの妙な動きをする支配人にベラミーの居所を聞き出し更に走った。
 なんでもいい。死ぬな。死なないでくれ。おれ達にはまだお前が必要だ!
 豪華なホテルの一室の扉を体当たりに近い勢いで開けた。
「サーキース!!」
「本当に来た…!」
 入口付近に居たエディとヒューイットが驚いた顔で迎えた。他の船員も全員がサーキースを見る。
「ハハッハハハハハハ!!!ほら見ろ!おれの言ったとおりだろ!」
 大きな部屋の真ん中に特大のベッドがあり。そこで大口を開けて馬鹿笑いするベラミーが。居た。包帯はぐるぐる巻きだが。体を半分起こして。確かにそこに。生きて。居た。
 嘘、か。こっちが嘘だったのか。
「ハハッハハ!おれが死にそうだって聞いたら飛んでくるんだよ、こいつは」
 頭に血が上り視界が真っ赤に染まる。
「…」
「おい、待て!サーキース!」
 気づいたらベラミーを殴り飛ばしていた。ベッドの向こうに包帯人間が転がり落ちる。リヴァーズが面白がるように口笛を吹く。
「自業自得だぜ、ベラミー」
 二人がかりで押さえつけられてそれ以上のことは出来なかった。
「ってェ…。ほら、サーキース。おれは生きてただろうが」
 傷が開いたのかベラミーの包帯にじんわりとピンク色に染まった場所がいくつも浮き上がってきた。
「今度傷が開いたら麻酔無しで縫うって。私言ったわよねェ」
「ミュレ!お前鬼か!?痛いんだぞ!?」
「わざわざ殴らせる人がいけないの」
「この場合仕方ねェだろうが。荒療治も必要だろ?なぁ麻酔はしてくれよ」
「荒療治が必要なんでしょ?」
 ミュレに向かってぶつぶつ文句を言ってからベラミーはゆっくりと立ち上がった。途中でロスが手を貸してゆっくりとベッドに戻る。その間にサーキースを追って来たリリーがようやく辿り着いた。
「すごーい。本当に飛び出してったよ。まァあたしの演技力のお陰って感じだけどねー」
 誇らしげに笑うリリーを振り返り思い切り睨むサーキース。リリーは怯まずに笑っていた。少しずつ冷静になってきた脳で考える。つまり今朝のヒューイットの伝言が一芝居打てというものだったのだろう。女の涙はもう二度と信じない。眩しいほどのリリーの笑顔を睨みつけながらサーキースは心にかたく誓った。
 やっとベッドに寝なおしたベラミーは肩で息をしながら悪意たっぷりの笑顔でサーキースを見た。
「お前のヘナチョコ刀くらいでおれが死んでたまるかよ」
「…そのヘナチョコ野郎のパンチで今吹き飛んだじゃねェか」
「おう。せっかく塞がりかけた傷も開いちまった。だからこれは仕返しだ」
 ベラミーが合図を送るとリヴァーズが身の丈ほどもある、くの字に曲がった大きな刀を持って柄をサーキースに向けた。探しても無いわけだ。ここにあったのだから。
「お前のだろ。拾っといてやった。受け取れよ」
 意地悪く言ったのはベラミーで渡すリヴァーズは軽く俯いて目を合わせなかった。これをまたその手に握れば確実にサーキースの塞がりかけた傷も開くのだ。
「そいつはどうも…」
 サーキースは緊張した声で皮肉を言ってトレードマークのビッグナイフを握り締めた。
 またこの刃が自分の意思に反してベラミーに斬りかかる。そんなことを考えたが。ただ手に馴染む武器が返って来た。それだけのことだった。
「大丈夫だろ。お前はおれに斬りかかるようなマネはしねェよ」
「…ああ。お陰さまで。殴りかかりはしたけどな」
 ベッドを見下ろしてサーキースが言うと独特の笑い方でベラミーは笑っていた。
「サーキース、おれはお前に会いたかったんだ。誰を呼びに行かせてもなかなか来ねェから一芝居打たせた。やっと会えたんだ。もっとこっちへ来いよ」
 招かれてゆっくりと。大きなベッドの横に立つ。
 包帯だらけの手がサーキースの胸に伸びる。あのときの続きのように左手がシンボルの上に添えられた。
「この刺青入れたときおれが言ったこと覚えてるか」
 予想外の言葉にサーキースの返事は一呼吸遅れた。
「…おれがなんて呼ばれてるか覚えとけって…」
「そうだ。おれはなんて呼ばれてる?」
「ハイエナのベラミー≠セろ」
 周りの仲間達も話の行方に耳を傾けていた。
「お前が他人のシンボルを彫るなんて馬鹿げたことをしたのはあのときボコボコにして許してやったが…おれはお前もベラミー海賊団もドフラミンゴの奴にくれてやる気は毛頭ねェ。おれがこのシンボルを傘に着て成り上がったのは分かるだろう。なァサーキース。おれが何を考えてあいつに頭を下げたか分かるか」
 ベラミーは心からあの男を尊敬していた。だから頭を下げて罰も受けた。そう思って疑わなかったが。改めて尋ねられるとこの男が他人にそんな感情を抱くとは思えなかった。
「おいおい。よく考えろ。おれは誰だ?ハイエナ≠セろう。おれはあいつの傘下でもっともっと成り上がって。いつかこのシンボルごとおれの物にしてやろうと思ってたんだ」
 船員たちは息を呑んだ。この男は今とんでもないことを言ったのだ。
「ベラミー…お前、まさか」
「七武海の座を横取りしてやるつもりだったのか…!?」
「なんだお前ら。このおれが本気で誰かを尊敬して崇め奉るとでも思ってたのか!?ハハッハハ!そいつァいい!」
 ベラミーだけがひたすら大声で笑っていた。他の船員はあっけにとられて互いに顔を見合わせて。それから。爆笑した。
「確かに!ありえねぇ!」
「世界中の海賊が誰かに平伏してもアンタだけはしねェだろう!」
「全くだ!」
 十二人全員が大笑いした。船長の呆れるほどの大それた野望に。驚くほどの強かさに。そしてそれを見抜けなかった間抜けな船員達に。大笑いし続けた。

 笑いの波が去ると。ベラミーは激しく咳き込んでベッドに沈んだ。ミュレが慌てて傷の治療を始め船員たちはミュレの指示でバタバタと走り回る。
「…サーキース」
 本来あんな馬鹿笑いができるほど状態はよくなかったのだろう。サーキースを謀って自分を殴らせ、ドフラミンゴへの忠誠を不審に思う仲間の不安を払拭するために。無理をしていたのだ。今の小さな呼び声はサーキースに届いたことさえ奇跡のようにかすれて弱々しいものだった。よく聞こえるように。サーキースの長い髪がベラミーの額に触れるほど顔を寄せて「どうした?」と返事をする。
「今となっちゃそのシンボルは用無しだ。船からは外せ。ドフラミンゴとの繋がりは切れた。もうその線は無理だ。また別の方法を考えよう。おれはハイエナのベラミー≠ネんだからな」
 荒い息をしながら切れ切れにベラミーはそう言うとまた悪気に満ちた笑顔を見せた。それは船長から副船長への指示だった。そして次に視線を横へ滑らせサーキースの胸を見た。
「その刺青は好きにしろ。お前が気に入ってるならそのままでもいい。残しとけばお前のことは連れて行ってくれるかもしれねェ」
「…あいつが?まさか。こっちが願い下げだ」
「ハハッ言うじゃねェか」
 邪悪な微笑みもよく見れば顔色は蒼白でどう見ても重傷患者だった。声もひどく弱々しい。まるでサーキースが自分よりもドフラミンゴを選ぶんじゃないかと心配しているように見えた。
「おれがついて行くと決めたのは一人だけだ。こんなもん、お前がいらねェと知ってたらとっくに消してる」
 サーキースが笑って答えると。
「…そうか」
 ベラミーの表情が少し緩んだように見え。安心したように吐き出した小さな息がサーキースの髪を揺らした。
「…まさかベラミー…あのとき、おれを引き止めたかったのか?」
 伸びてきた手は。押し退けたのでも、縋ったのでもなく。ただ側に居ろという単純で明快で当たり前の願望だったのだろうか。
「…」
「おいおい、嘘だろ!?なァあの時なんて言ったんだ?」
「うるせェ、忘れた。そんなこと」
 ベラミーは目を逸らして思い切り口をへの字に曲げていた。図星の分かり易さにサーキースは顔を一度離して笑った。そしてまた顔を近づけて小声で話す。
「おれはどこにも行かねェから安心して寝てろ。船長が寝てる間はおれがちゃんと仕切っといてやるからよ」
 サーキースがにやりと笑って見せるとベラミーもにやりと笑い。安心したようにそのまま意識を手放した。




 モックタウンを我が物顔で闊歩するサーキース。妙な噂はまだ消えないが売られた喧嘩はことごとく買いことごとくねじ伏せて歩く。
「ねェ。それ。また怒られるんじゃない?」
 肩に腕を回されて一緒に歩くリリーがコートの中の刺青を見て心配そうな声を出した。
「好きにしていいって言ったんだ。怒ったら今度こそ返り討ちにしてやるぜ」
 サーキースは大声で笑いながら歩いた。笑い声だけで人は二人に道を開ける。
 胸のシンボルは消さずにその上から新しい刺青を重ねてあった。笑った顔を半分真っ赤に塗りつぶすような左手。血の滴りをイメージしたデザインの手形が見事にドフラミンゴのシンボルを押さえ込んでいる。
 七武海の一人に喧嘩を売る不遜な刺青を見て人はおののき道を譲るのだ。サーキースが寝返ったという噂もこれですぐに消えるだろう。
 ホテルに戻ってこれを見せたら。ベラミーはどんな顔をするだろうか。軽率な馬鹿野郎だと怒るのかもしれない。
 それでもいいかとサーキースは思う。なんでもいいから驚く顔を今度はこっちが見てやろう。そう思うと楽しみで笑いが止まらなくなり。リリーに「うるさいし、キモイ」と怒られる。
「でもカッコイイだろ?」
「…うん。いいよ。あたしはそれ気に入った」
 新時代とやらが来るとして。その時代すら奪って奪って奪いつくす。七武海の座さえ横取りしようと虎視眈々と狙っていた獣の。彼らが船長と慕う唯一の存在を表す印。
 我が物顔でモックタウンを闊歩するサーキースの胸には新たな時代を乗り切るための輝かしい覚悟が刻まれていた。







-------------

ユガンダシンジュ様に捧げた文でした。
ベラズはかっこいいので手を出しにくかったのですが書いてみたらものすごく楽しかったです。
ベラミーはあんなことになったのでこの話であんな台詞を吐いていますが、あんなことになるまではちゃんとドフラさんのこと尊敬していたんだろうと思っています。その辺りのベラミーの複雑な気持ちとかまた書いてみたいなぁと思ったり。

2007 前サイトにて公開
20090210 本サイト開設と同時に公開