故郷は遠く、友は近く

自分に伝染らないという事はマスクが有効か、もしくは飛まつ感染や空気感染はしないウイルスだと思われる。
「分かったって、ちゃんと食べてる。ホントだって」
ダメだと言っているのにヨーキのところには毎日誰かしら見舞いに来てしまう。おやつの差し入れだの、音楽の差し入れだの。
とにかく会いたいという気持ちは分からなくもない。
「平気だって。なんだよ、腕相撲ならミズータ兄弟二人がかりでも構わねェぞ?」
見舞われる方も寂しいのか強く拒まないのが難点だ。
強がって起き上がってくるのを止めるのが仕事。
「見舞いより甲板で唄でも歌った方が船長にとっちゃ薬になるんだ。いい加減にしとけよ」
渋々部屋を出て行くときは決まって。
「船長、お大事に」
「早く良くなってくれよ、船長」
自分が押し出すように扉を閉めてしまうまで口々にそれを言う。
扉の向こうから諦めた足音が聞こえて。
静けさが戻ってくると。
無理をした反動で激しく咳き込む。横を向かせて背中をさする。
この無理の所為か、感染者の誰よりヨーキが一番重篤だった。
咳が収まると早い呼吸音がヒュウヒュウと聞こえた。
「お疲れさん」
苦しくてたまらないはずなのに来てしまったクルーを追い返すようなまねは殆どしない。
口が利けなくなるくらい無理して元気なところを見せて。
精一杯「船長」をしている。
難儀な商売だ。船医とは別の種類の難儀だが。
こいつは死ぬまで、いや死んでも「船長」なんだろうなと考えることがある。
出会った頃はただのチャラチャラしたガキだと思っていたが、いつの間にか自分よりも大きな器の「船長」に成長して、偉大なる航路≠ノまで挑戦した。
思えば遠くへ来たものだと、妙な感慨に浸りながら筋肉が落ちて骨の出た背中をさする。
急ぎすぎだ。
歳の順てものが世の中にはあるのだともっとよく言い聞かせておけばよかった。
呼吸の音が小さくなってきた。
「…アンタだけか?」
「おう」
返事をすると、すぐにヨーキは「船長」を放棄する。
「苦しい」
「そりゃそうだ、そんな体で無茶しやがって」
「苦しいよ」
「…分かったならもうするな」
「もう、疲れた、苦しい、辛いんだ…もう」
無理だ、と続いたのか。よく聞こえなかった。
むこうを向いていて顔は見えない。涙だか鼻水だかよく分からない湿った音が聞こえた。
病は人を元の姿に戻してしまう。
ただのチャラチャラしたガキが船長だと虚勢をはってここまで頑張ってきた。
そいつを全部投げ捨てさせてしまう。
特に日ごろ病んだことのない人間はその落差が激しい。
「お前は昔からそうだ。ちょっとの風邪でやれ死ぬだの殺せだのヒーヒー喚きやがって。そのくせ他のやつには強がるもんだから性質が悪ィ」
悪態をついてやると、泣きべそかいてたガキが少し笑ったようだった。
「無理さえしなきゃ、そのうち体に力が戻ってウイルス追い出せる。もう少し辛抱しろ、ヨーキ」
「…どうかな、アンタ嘘つきだから」
「おれがいつ嘘ついたって?」
「この薬は苦くねェとか、この注射は痛くねェとか」
「おかげで治ったんじゃねェか」
「…そうだけどよ」
ごしごしと腕で顔を拭いてから仰向けに寝なおす。
「おれァ、船長になったから」
「ん?」
見上げてくる視線は若い頃と変わらず真っ直ぐで、人間の芯の部分は変わらないのだと思わせる。
「苦しくってもみんなの前で死ねねェんだ」
どうやら今回の嘘には簡単に騙されてくれないらしい。
「馬鹿、そんな風邪で死ぬかよ」
それでも嘘をつくのが仕事。これはこれで難儀ではあるよなあと自分を労う。
「…そうか」
「そうだよ、これだから普段元気なやつが病むと面倒なんだ。無駄に気弱になりやがって」
「ぬはは、だよなァ」
無理をしない笑い声はか細い。
「アンタがおれを治せなかったこと、ねェもんなァ」
「だろ」
医者になって一番磨かれたのは医術ではない。演技力だと思う。意外とこれが一番患者にはよく効くのだ。
この薬は効く、だから大丈夫だ。そう確信を込めて言うと、小麦粉だって薬になる。
医者は外見から入って、演技力で治す。そう言ったら乱暴だが近いものはあると思う。少なくとも自分はどんな医学や薬学よりそちらの方が効果的だと思っている。
「また元気になったらヨーキがどんなにヘタレたこと言ってたかみんなに教えてやるよ」
「げぇ…勘弁してよ…」
「今は真面目にみんな心配してるから、迂闊にヘタレ話もできやしねェ。さっさと元気になりやがれ」
「…うん」
妙に素直なのは反発する気力がないからだろう。会話は日に日に短くなっている。
「メシまでよく眠れ。起きるなよ」
「うん。…なぁ」
「なんだ」
「おれ船長になったから…クルーの嘘くらい分かるんだ」
思わず息をのんで、しくじったと心の中で舌打ちをする。
「おれがみんなの前で死ぬような…そんなみっともねェことにならねェように、なんか考えてくれよ」
「お前が死ぬような病気に罹ったときにな」
「…うん、そのときでいいから」
いつの間にこんなに立派になっちまったのか。
「船長」と呼ばれるのは伊達じゃなかったんだと今更のように思い知る。ここに寝ているのは出会った頃のガキじゃなく。病気に全てを剥がされても最後まで残る芯は「船長」になる男なのだ。
「くだらねぇこと考えてないで寝ろ」
はぁい、とらしくない優等生みたいな返事をしてふざけていた。
部屋を出て手を洗う。
自分の前でもヨーキではなく船長になり始めた患者は、予後を悟って覚悟を決めた。
今度はこちらが覚悟を決める番、か。
「こっちも難儀な商売だ…」
一人ごちて甲板に出た。
「ドクター、船長は?」
注目を浴びて、また一芝居かと密かなため息を落とす。
「船長≠ネらまだまだ大丈夫そうだ」
これは嘘じゃないな、と思いながら。
死んでも船長であるだろう若い友を想った。
彼の大切な船員を彼の死からどうやって救うのか。
大勢の仲間が自分の言葉に騙されていくのを見て。
これは医者としてでなく、むしろ友人として大きな役をもらったものだと考えた。





一応ノック。返事を待つほど上品な間柄ではない。
「起こしたか」
「や、起きてた」
「船長、話がある」
違和感に気づいた顔だった。
船員から船長の死を隠す方法を思いついた。だからそれを伝えた。
「船ごと…か」
遠くを見るような目でぼんやりと呟く。
「それが一番だと思う」
思いつく限りで一番の衛生面での安全策。
そして思いつく限りで一番の目隠しだった。
船長は生きているかもしれない。
そう思わせるための目隠し。船長にはそれが必要で、クルー達にもまた必要なのだろう。
この海賊団を船長不在のみなしごにしないために、病とともに彼が去る。
「アンタが言うならそうなんだろう、ありがとう」
「いいのか、それで」
ヨーキの顔がマスクの下で笑顔になっているのが分かる。
いつの間にここで笑えるようなやつになったのか。
知らなかった。
長い付き合いだってのに。
情けねェ。
「患者の前で泣く医者があるかよ」
手を伸ばして涙を拭おうとしたのかもしれない。
だが包帯だらけの自分の手を見て思い出したようにそれを止める。いっそその手で触れてくれたらこの涙は止まるかもしれないのに。
「悪ィな、アンタの目隠しだけはできそうにねェ」
自分の腕で顔を拭いた。
「馬鹿野郎、誰に謝ってんだ。おれの前で船長面すんじゃねェ、ヨーキ」
「…あァ、まったくだ」
ヨーキはまだ若かった頃の幾つかの思い出をぽつりぽつりと話す。
そしてさいごに、船長の顔をして「ありがとう」と礼を言った。
故郷は遠いが、友は近くに。
そう思っていたのはこっちだけだったのか。
歳の離れた親友は知らないうちに遠いところに行ってしまったようだった。



履歴

20090426 某ブログにて公開
20100228 本サイトにて公開
タイトルはこちらからお借りしました。
「ヨーキ船長とドクターが昔馴染み設定」は矢車サトル様から拝借しています。