骸に唄を

すっかり寝床に馴染んでしまった体が波の動きに合わせてゆれる。なんでもないはずだったその揺れさえ今は恨めしい。
凪いだ海なんか嫌いだったのに、今は風も波も、全ての停止を願うばかり。
「船長、水を」
甲斐甲斐しい仲間が水を運んできて口に入れてくれる。
礼を言おうとして口をぱくぱく、魚みたいに動かした。最近まともに声が出ない。
口の動きと視線だけの反応にも水をくれた仲間は満足げに微笑む。そして他の仲間にも水を配って回った。
マスクはもう一つの船と別れてから外されて、そのままになっている。どうせ、ここにいる奴は全員感染済みだから。せめて船長の顔を見たいと、誰かが外したのだ。そんなにありがたい顔でもないだろうに。


まだ声がちゃんと出た頃。
「少しでも長生きしたきゃ、この部屋に寄りつかねェ方がいい」
運命共同体のクルーにそういったら。
「長生きしたきゃ船長と海賊なんかしちゃいねェ」
そう言って笑われた。
違いねェと笑ったら、みんな何か開き直ったようで、当たり前のようにこの部屋でごろごろしている。せめてベッドで寝たらいいのに。それを言うと。
「船長、一人にすると、ぎゃーぎゃー寂しがるじゃねェか。みんな一緒だから安心して寝ててくれ」
日頃の行いが招いた結果らしかった。我ながら大人気ねェと苦笑するしかない。
一人で心細いなんてことは、だから、一瞬もない。
いっそ一人にしてくれと思うほど、今は気持ちが強くない。
いつでも誰かが側にいる。それが、とても心地よく。
だから、とても辛い。
誰か貴様の所為だと詰ってくれたら。
こんな目に遭わせやがって、この責任をどう取ってくれるんだと殴ってくれたら。
少しは楽になるだろう。
誰も。一度たりとも。恨み言の一つも言ってくれない。
どんな拷問めいた仕打ちにも耐えるつもりでいたけれど。
声も出せないこんなボロキレみたいな男をまだ、船長と慕ってくれる。
「…」
声にはならないけれど。
思ったよりしんどいよ、とここにいない仲間に弱音を吐いた。


船を二つに分けるとき。
昔馴染みの船医が言っていた。
「…お前、死ぬより辛いぞ」
「…かもね」
「お前は船長だから、みんなお前を生かそうとする。献身的に、毎日毎日…お前に尽くす。お前は死ねないのに先にくたばるやつだっているかも知れねェ」
そのときは、そんなことはさせないと強がった。いや、本気でそう思っていた。この時点で一番重症なのは自分のはずだったから。
「お前を生かすことで、他のやつは支えられるはずだ。…お前が死ねば、そこからは、案外早い」
船を別けるというこの提案を持ち出したのはこの船医で、泣いたのはそのときだけだった。
あとは医者として命に忠実に、淡々と仕事をこなす。そんな風に見えた。
「じゃ、長生きしなきゃなァ…」
「…嫌でもさせられるさ」
「嫌でもねェ…」
意味は分かったつもりだったが想像と現実は少し違っていた。
「アンタ、一緒にこっちに来るって言い張るかと思ったのに案外あっさりしてるんだなァ」
ちょっと拗ねて見せると。
「一緒にゃ乗らねェ」
もちろん、乗るといっても乗せなかったが。船医は顔を上げて目を合わせた。
「代わりに乗れるなら、喜んで行くんだがな」
久しぶりにまともに見た目は、実年齢よりずっと老けて見えた。これじゃどちらが病人だか分からない。
「…おれの船、よろしくな」
「お前の半身だろ」
「うん、そう。だから」
「おれがお前を治せなかったことがあるのかよ」
「ないな、ぬはは」
好きなあの唄に送られたあと、無駄に長い時間の中で。長く付き合った船医のことを考えた。
出会った頃は船に乗っていなかったから、もちろん船医ではなかったのだが。いつの間に、人を治す医者から、船の命を守る医者になったのだろう。
この提案は、たとえば船長≠ェ海賊の心臓なら。他の臓器に心臓が止まったことを気づかせないようにする。そういう治療だった。見事に患部を除去して、それでも体が死なないようにする妙案だ。
船の医者だから船医。知らないうちに、自分の友人の医者ではなく、見事な船医になっていたらしい。
最後に見た老け込んだ目が忘れられない。苦労をかけっぱなしで。まだ、自分の半身が世話になっている。
死ぬより辛いのはどっちだろうなァ、とまだ出る声で呟いた。
そして、もう弱音を聞いてくれる昔馴染みは同じ船にはいないのだと、ひどく寂しくなった。


もう、もたない。
今日中か。明日はもうないのだろう。
こんなにはっきり分かるものなのかな。気のせいかもしれない。死んだことないから分からないな。
死ぬのは怖い。
怖いけれどもう苦しまなくていいのだと、最後にちょっとがまんしたら、それで終わるんだと、そう思うと少し気持ちは楽になる。
困るのは部屋に転がってぐだぐだしている仲間たちだ。
自分を失った後、どうなるのか。考えたくても考えられない。先に逝ったやつは幸せだって誰かが言ってたように思う。
そうか、おれより先が、幸せか。
いつからおれはこんなに偉くなっちまったのかね。
唄って騒ぐのが好きで。海に出たくて。海賊やって。好き放題に生きたらこうなった。
自分だけならよかったのに。巻き添え食らったやつらが、それでもおれが死んだらそのまま生きる気力を失うほど。何かの支えになってるらしい。
みんな、知らねェのか。おれァそんなにすごいやつでも何でもなくて。ただカッコイイところ見せたくて、カッコつけるとお前らが褒めてくれるから。おだてに乗っちまってもっとカッコつけたくなって。…ただそれだけなのに。ブルック辺りは気づいてて、それでも船長って言うくらいだから。お前らもそうなのかな。
おれの所為でこんなになって、謝り倒したいくらいなのに、だれもそれはさせてくれない。
船長という名前を遥かに越えて、それくらい高いところの偉い何かになっちまってる。
「…」
まるで神様だ。
ここにこうやって寝ているだけでこいつらは救われているのかと思ったらそんなことが思い浮かんだ。
ガラじゃないねェ。可笑しいけれど顔がこわばるだけで笑えなかった。
『…お前が死ねば、そこからは、案外早い』
船長が神様なら船医は預言者?
馬鹿馬鹿しいと笑うだろう?
でも今ここで。
おれが何もしないで死んでみろ。
本当にこいつら、支えを失くしてバタバタ逝っちまう。長けりゃいいってもんでもないが、おれが止めを刺すなんて真っ平だ。
…なってやろうじゃねェか。神様でも、なんでもいいや。
「…おい」
久しぶりに声が出た。寝転んでいた病んだ仲間がいっせいに跳ね起きる。その元気があるなら、まだ大丈夫…のはずだよな?
「おれは…これから、ちょっと寝るけどよ。お前らが唄ってる間はちゃんと…聞いてるから。目を開けなくても…返事しなくても…あの唄、ちゃんと唄ってくれよ」
ちゃんと喋れたのかよく分からない。
ただ、おれの顔を見る幾つもの顔が何度も頷いて。
やがて誰かが唄いはじめた。みんなで唄ってくれた。
おれの好きな唄だ。
苦しいのに唄わせて、ごめんな。辛いよな。鬼の所業だ。
おれはひどい男だよ。
もっと罵ってくれてよかったのに。
みんな、いいやつばっかりで。
おれの方が救われてて。
なのに先に逝くなんて。
みんなを残していくなんて。
本当に。
…ごめんはあの世にとっとくか。
この唄、好きなんだ。
こんなにひどい男がこんなに幸せでいいのかね。
おれの体は好きにしていいよ。
みんなの気の済むまで唄ったら捨てようが祀ろうが好きにすりゃいい。サンドバッグの代わりでも、すり潰して食べるんでも、なんでもいいんだ。
それで救いになるのなら。神様にだってなってやる。
もう、他に、してやれることがないんだ。おれ船長なのに。ごめんな、みんな。
急に辺りが暗くなった。
夜か?
まだみんな唄ってる。
いいなァ、好きだなァ、その唄。
痛くない。
苦しくない。
…なんだ、思ったより怖くないな。
まだ、そこで唄ってる?
唄のおかげかな。子守唄みたい。
眠くなってきた。
まだ
そこで
 みん な   うた   て    ?






履歴

20090509 某ブログにて公開
20100302 本サイトにて公開
タイトルはこちらからお借りしました。