夢の終わりは悪夢の再開。仲間たちの声は消え、陽気な音楽は霧にかわった。
誰もいない船の上。誰か叱ってくれないものかと下ネタをいくつか連発してみたが。ただただ虚しさが霧に融けていくばかり。
「ヨホホホ〜・・・」
船長も仲間たちも、そして自分も大好きだった歌を口ずさむ。ありもしない喉が震えてすぐに声が出なくなってしまった。波の音と古くなった船が軋む音がやけに大きく聞こえる。
―なァ、ブルック。歌ってくれよ。おれの大好きなあの唄を。
懐かしい姿が灰色の霧に浮かび上がる。次々に。楽器を携え、歌いながら。楽しそうに手を叩き。愉快な音が周りを埋め尽くす。
―何やってんだ、ブルック。しんみりすんな!歌おうぜ!
船長。私、約束しましたね。必ずこの唄を届けるって。
皆にも約束しましたね。蘇ったら必ずこの唄をラブーンに届けるって。あの音貝≠ヘちゃんと保管してあるんですよ。時々出して一人で楽しんだりしちゃうんですけどね。
約束の唄を歌うたびに皆のことを思い出して。私一人でも全然寂しくなんかありませんから。この唄さえ歌えば皆と一緒です。ちっとも寂しくなんかないんですよ。ほら、目なんかカラカラに乾いて。私、骨だから全身カラカラなんですけど。
―だったら・・・なんで歌えないんだ?
幻は四散し船長の声だけが最後に響く。彼はこの唄の中に生きているような気がした。もし自分が歌うことを止めるならそれは彼を本当に殺してしまうのと同じだと思っている。だから幻は最後に問うたのだ。おれを殺すのか、と。
「船長・・・私」
独りぼっちの毎日をあの歌と過ごした。約束のため。約束のため。約束のため。
ラブーンとの。ヨーキ船長との。仲間たちとの。やくそく。
「私・・・一人残って・・・」
考えない日はなかった。再び得た命を捨てて皆のところへ行くことを。終わりの見えない孤独を断ち切って二度と夢から覚めることない安息を選ぶことを。
「・・・いつか果たせるんでしょうか・・・やくそく・・・」
不安にならない日はなかった。いつまでこんな生活が続くのか。終わりは本当にあるのか。一人で歌っていることに何か意味はあるのか。
「まだ・・・頑張らなくちゃいけません・・・よね・・・?」
歌いながらいつしか考えるようになっていた。どうやったら自分は約束から解放されるのかと。
そして今日はとうとう歌うことが出来なくなってしまった。歌えない音楽家に何かまだ価値があるのだろうか。
「こんなこと・・・言ったら船長は怒りますよね・・・。私ね、本当は辛くて、寂しくて、苦しいんです・・・船長」
弱音を吐くと、いつも陽気で強気だった船長が別れ際に見せた涙が蘇る。悔しいと呟いた声を思い出す。あばら骨が軋むように胸が痛くなる。これが自分を縛る約束。安楽を選べない原因。
あの唄は約束。そして死ねない呪い。
「そんなときは陽気に歌って笑えって・・・言いますよね、ヨーキ船長・・・」
霧の中から返事は返ってこない。
波の音と。古い木が歪む音と。自分の骨と骨が擦れる小さな音。
誰も許してくれない。寂しさに負けていいよと言ってくれない。海に落ちれば簡単に消せる命。捨てることを選ばせてはくれない。
―歌えねェなら泣けばいい。
唯一、船長がそう言ったことがあった。記憶が遠い。ルンバー海賊団の旗揚げをしてまだ間もない頃。初めて仲間を亡くす経験をした時のこと。
―歌って死ぬより泣いて生きろ。それから奴らの分まで歌って騒ごう。
そう言って仲間を号泣させた。自分も遠慮なく泣いた。
その日だけは泣く子も笑う海賊団から音楽が止む。呻いて叫んで何かを呪って。音楽好きな仲間たちは実に感受性に富んでいて。失う悲しみを胸に抱えたままでは満足に楽器も奏でられない状態だったからだ。吐き出さなければ心が膿んでしまうことを彼は知っていたのだろう。
あのとき船長だけは涙を見せなかった。自分が彼の涙を見たのは別れ際のあの時だけだ。
「まったく・・・船長、アンタはイイカッコしいなんですから」
思い出し笑い出来ることに驚いた。
―死んでごめんじゃあるまいし。お前ら、あの世で奴らに会わせる顔がねェなんて無様なことにゃなりたくねェだろ。胸張って会えるようになるまでしつこく生きろ。
「・・・そうでした。私、今皆に会いにいってしまったら会わせる顔がありません。そうですね。歌えないなら泣けばいいんでしたね」
三日三晩ほど。辛い、苦しい、死にたい、助けて、もう嫌だ。と叫ぶつもりで。最初は小声で。だんだん大きく。穴の空いた目から涙は出なかったけれど思う存分流している気分に浸って。叫び続けた。
結局三時間も経たないうちに疲れて止めた。
「あー・・・叫びすぎて喉が痛い。喉ないんですけど」
誰もいない荒れた甲板を歩いてみた。こつこつと靴と板が乾いた音を立てる。
見飽きた灰色の風景。波の音。船が軋む音。自分の一人だけの足音。
どれもうんざりだと思っていたのに。急に全てが音楽に聞こえた。寂しい音だけれど。愛しい音楽が自分の中に戻ってくる。
そしていつの間にか口ずさんでいるのだ。
あの唄を。
船長の大好きなあの唄を一人歌った。とびきり元気よく。楽しそうに歌った。泣いた後の歌はあまりいい声ではなかったけれど。それでも独りぼっちで歌ったどの歌よりも自分にとっては心地よかった。
「ねェ、ヨーキ船長。あの日アンタも泣いたから・・・あれは死ぬ覚悟じゃなくて。ただの悔し泣きじゃなくて。泣いて生きる覚悟をしてたんですね・・・?」
舵を握って霧に問う。
自分が歌い続ける限り彼はそこに生きているのだと言い聞かせるのは止めることにした。自分が命を預けた相手は一つの唄に収まるような男ではなかったはずだ。
「かっこつけの船長が泣いたんです。私の前で。きっと・・・そうに決まってます」
返事はないが確信に満ちていた。
生きているとしたらもう相当な歳になるだろう。きっと元気で陽気な老人になっているに違いない。この唄を届ける約束ではなく。生きて会う約束を果たすために。泣いて別れた。あれは生きるための涙だったのだから。
「ねぇ、船長、そうですよねぇ」
何度訊いても返事はない。
唄は重荷ではない。呪いでもない。自分を縛る鎖であってはいけない。
歌いたいから歌うのだ。彼のために、仲間のために、自分のために。
「私も生きるためにいっぱい泣いて、飽きるまで泣きますよ。・・・泣き虫だって笑わないでくださいね。思いきり泣いたら、また思いきり歌いますから」
いつか会うとき。この世でもあの世でも。胸を張って会えるように。
今は泣き。
明日は歌って。
生き続けることを自分に誓う。
いつか来る日の笑顔のために。
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あの状況を生き抜いたブルックは偉いと思う。歌に誓うと重くて歌えなくなるから音楽家は唄には誓わないんじゃないかな、という妄想。
ヨーキ船長、捏造激しくてスイマセン。大好きです。
090215