雨期のバンコクにて
《TRAVEL3》
タイ 2002/8/11-17
4.海と雨
空には厚い雲が立ちこめ、太陽の光を遮っている。そのため辺りは薄暗く、いまにも雨が降り出しそうな気配だ。海は濁り、ビーチに人影はない。そこにいるのは、ただ餌を探してさまよっている犬だけ。海岸沿いの道路を走る車は1時間に数台、その道沿いに建つホテルも静まり返っている。ホテルの横には寂れた店が1軒。店員らしき初老の女性は何をするでもなく、1人海を眺めぼーっとしている。
Tシャツ1枚では肌寒いくらいの陽気ではあるが、オレタチは海に入り、誰もいないビーチで泳いでいた。しかし、しばらくすると体は冷え、すぐに海からあがる。
オレタチは会社の夏休みを利用し、タイへ来ている。ここはバンコクから南東へ約150kmの所にあるラヨーンという町。この町からサメット島というリゾートへボートが出ていて、オレタチもサメット島へ行くつもりでここまで来た。しかしオレタチはこの天気にテンションが下がってしまい、結局サメット島へは行かずにラヨーンのビーチへ来たのだった。ところが海はこの静けさ・・・。
オレタチは海から上がると、砂浜を歩いた。そして唯一営業していたこの寂れた店にたどり着いたのだ。
店の冷蔵庫からジュースを取り出し店員の女性に渡す、日本では最近見なくなったビン入りのファンタだ。店のおばちゃんはビンの中身をビニール袋に移し替えると、そこにストローを挿しオレタチに差し出した。これがタイ式のジュースの飲み方だ。
オレタチはその店の椅子に腰をおろすと、持っていたリュックから文明の力、MDウォークマンを取り出した。そしてビニール袋のジュースを飲みながら、オレタチのお気に入りのアーティストのバラードを聞く。
ウォークマンがめずらしいのか、それとも1つのウォークマンを2人で聞いていた姿が滑稽だったのか、店のおばちゃんはオレタチを不思議そうに見ている。あるいはこの時期に、この地に、海外からの来客があったということに驚いていたのかもしれない。
とにかく、そんなこんなしているうちにやはり雨が降り出した。
店の軒下に置いてある大きな鉢のような水槽には、蓮の葉が浮いている。そしてよく見るとその中では、10数匹のグッピーが泳いでいた。日本では観賞魚として売られているグッピーが、そこではまるで金魚やオタマジャクシのような感覚で飼われているのだ。
水面には雨によってつくられた波紋が拡がる。そしてそれを見つめるオレタチの気分も、まるでそこにある底の見えない水槽のようだった。
考えてみるとオレタチは前の日も同じようなことをしていた。昨日、バンコクからバスで2時間かけてパタヤにやって来た。パタヤという町はベトナム戦争時にアメリカ軍の帰休兵のために開かれた娯楽街で、ホテルやショッピングセンターなどが建ち並び、常に観光客が絶えないビーチリゾートだ。
パタヤに到着しホテルを決めると、オレタチは早速ビーチへ出掛けた。ホテルのすぐ目の前にあるパタヤビーチに行ってはみたものの、地元の若者カップルが1組いるだけで、物売りの姿さえない。曇った空と濁った海、汚れた砂浜を呆然と見つめながら、ただ無言でタバコをふかすオレタチ。
しばらくの間そこに座っていたが、南の丘を越えればもうひとつビーチがあることを知ったオレタチは、そっちに行ってみることにしてタクシーに乗り込んだ。
そこはジョムティエンビーチという所で、パタヤビーチより広くて騒々しいバーなども少ないのでのんびりした雰囲気だ。10分ほどでそこに着いたが、こちらにはそれなりに人がいて少し救われた気がしたオレタチ。とはいっても海で泳いでいるのは現地の子供とビーチボーイだけで、観光で来ている欧米人の多くはベンチに座ってまったりしている。
オレタチもそれに混ざって、静かに周りの風景と人を眺めていた。
貴重な夏休みにはるばるタイにやって来たのだ。にもかかわらずオレタチはパタヤにいた昨日、ラヨーンの今日と、曇り空のビーチでただ海を眺めている。
そして今、バラードを聞きながらこうして雨粒の軌跡を目で追っていると、オレタチはそろって哀しい気分になってきた。
しかしその哀しさは、せっかくの夏休みの海外旅行が雨にたたられたからという理由だけではない。どこか別のところから来る哀しさも入り混じっていた。それが何なのか? どこから来るものなのか? この時のオレタチはまだその正体を知らなかった。そしてそれについて深く考えもしなかった。このときはまだ・・・。
寂しいビーチ
5.貧と富
タイの国産ビール 「シンハ」 、オレタチはタイに来た2日目からこの酒の虜になった。なぜ初日からではないのか、それは最初の日は飲まなかったから、というわけではない。タイに着いて最初の食事の時にも、もちろんシンハを飲んでいた。しかしこの時には日本のビールより 「苦い」 という感じを受け、たいしておいしいとは思わなかった。ところが不思議なことに南国であるタイ特有の辛い料理に舌が慣れたころには、その苦みはすっかり消え失せてしまい 「最高にうまいビール」 と感じるようになっていた。やはり料理に合う酒こそが、おいしい酒なのだ。
オレタチは今、そのシンハを飲みながらタイのキックボクシング、ムエタイの試合を観ている。といってもスタジアムにいるのではなく、バーの中でショーとして行われている、いわばボクサーの卵の試合だ。そのためか試合には迫力が感じられず、派手なノックアウトシーンを見ることはなかった。格闘技好きのナグでさえ
「つまらないな。」
と、熱くなることなくそれを観ていた。
しばらくすると試合は終わり、判定によって敗れた方のボクサーはそそくさと帰っていった。一方の勝ったボクサーは喜びの舞を踊り、近くで観ていた観客からチップを集めている。そしてオレタチにもグローブをつけたままの手を差し出すが、オレタチはこんな試合でチップはねーだろといった感じで首を振る。ボクサーは、 「こいつらジャパニーズのくせにはぶり悪り〜な〜」 と言いたげな顔をしながらも次の客にチップを貰っている。
試合で勝った時よりも、チップを貰った時の方が嬉しそうな顔をしているボクサー・・・。そんな彼を見ていると、もしかしたらこのチップがファイトマネーで、この金がなければ田舎の親兄弟は生活していけないのではないか? などと、勝手なことを想像してしまうオレタチだった。
なぜそんなことを思ったのかというと、これまでタイを見てきて 「この国は貧しい国だ」 ということが常に頭のどこかにあったからだ。もちろんそれは、ある意味常識として以前から分かっていたことではあるが、現地で街を歩いて、人と会って、それを特に強く感じるようになっていた。
2日前のことだった。オレタチはバンコクの町外れを駅に向かって歩いていた。その道路は片側3車線の広い道路で、ホテルやオフィスなどのビルが多く建っている。ときおりビルとビルの間に庶民の生活するエリアを目にしたのだが、そこは今にも崩れそうなトタン張りの家や、壁が無く柱と屋根だけの家がほとんどで、雨ざらしになった家具が所せましと並んでいた。これが本当に家なのだろうか、ここで本当に生活しているのだろうか。そう感じてしまうほど粗末な住まいであった。
そんな 「スラム」 とも呼べるものが駅に着くまでの間に幾つも形成されていた。子供たちは無邪気に走り回り、大人たちはただそこに座っている。そこに暮らす人々は皆うす汚れた服を着て、一様に疲れた表情を浮かべている。この日はタイ王妃の誕生日で祝日、つまり学校も会社も休みなのでこのような風景を目にすることができたのだが、あるいはここでは毎日が今日と同じなのではないかとも思ったりした。
駅に着くとオレタチは列車に乗りバンコクの繁華街へ行ったのだが、駅を出た瞬間にタクシーや 「トゥクトゥク」 と呼ばれるオート3輪の運転手が声を掛けてくる。その客引きぶりは強引で、そしてしつこい。彼らはこれが仕事であるし、競争相手も多いので当然の事をしているだけということは分かっている。しかしそれはわずらわしいということに加え、日本人のオレタチの目には、彼らの貧しさを誇張しているように映ってしまうのだ。
もちろん、見るからに貧しさのかけらも感じられないような運転手もいるのだが、それは逆に 「旅行者にたかるイヤな奴」 と感じてしまい、とにかく向こうから声を掛けてくる人間を相手にしたくないとオレタチは思うようになっていた。
それはうるさいだとか、高い金を取られるだとかいう以上に、金に対する卑しさをありありと感じさせる彼らのことを嫌ったからなのだ。
「貧しさ」 とそこから生まれたのであろう 「金への執着」 それを目の当たりにして戸惑うオレタチに、さらに追い打ちをかけるような場面に出くわした。
バンコクの中華街、ヤワラー通りに夕飯を食べに行った時のことなのだが、オレタチが注文を済ましテーブルでラーメンが出来上がるのを待っていると、幼い女の子がオレタチの所にやって来た。しかしただ無言でそこに立ち、2人の顔を覗き込んでいる。最初は店の子が日本から来た旅行者を珍しがっているのかと思ったが、女の子の汚れた顔とボロボロの服を見てそうではないと悟った。捨て子か貧しい家の子で、ご飯を食べる金もないのだ。食べ物か金を恵んで欲しくてここに立っている。オレタチが困惑していると、店の店員がひとことふたこと言ってその子を追い払い、女の子はまた人混みの中に消えていった。
こちらに来てから多くの物乞いを目にしてきたが、オレタチは見て見ぬふりをしてきた。しかしこの時ばかりはなぜか、何もあげなかったことに罪悪感がなくもなかった。相手が幼く可愛い女の子だったからであろうか、とにかくオレタチにはその罪悪感とともに1つの疑問のようなものが芽生え始めていた。
それは 「ただ日本に生まれたから」 というだけの理由で裕福な暮らしをしているオレタチ自身に対してのもので、何の才能があるわけでも、努力をしたわけでもない、 「ただ日本に生まれたから」 というだけで金持ちになれて、こうして海外にまで旅行ができる。何もしなくても経済的に、物質的に裕福になれるわけだ
それに対して、ここの人たちは 「ただタイに生まれたから」 というだけの理由で貧しい暮らしをしている。いや、タイはまだ良い方だ。もっと貧しい国はいくらでもある。そしてどんなに才能があって努力をしても、貧しさから抜け出すのには限界がある。
それは 「しかたがない」 の一言で済まされていいものだろうか? さらにオレタチは 「自分は金を持っているけど、それって本当に幸せなことなのかな?」 とも考えていた。
世界が長い歴史を歩んだ結果、日本や多くの先進国の人々は物質的には豊かさを手にいれたが、それと引き替えに心の豊かさを失ってしまったように感じるのだ。
そしてそのこころの豊かさこそが本当の幸せなのではと・・・。
やはり旅は良いものだ。旅をして様々な刺激を受けることで、様々な感情が生まれる。そして考える。そして成長するのだ。
だが悲しいことにオレタチは、30分後には中華街の華僑が作った本格中華料理に心を奪われ、それまでの疑問はすっかりどこかに消え失せてしまった。
線路沿いのスラム / バンコクの中華街ヤワラー通り
6.つかの間の一人旅
カオサンは今日も朝から騒がしい。
オレタチはパタヤからバンコクへ戻った。カオサン通りに宿をとり、そして一夜が明けた。
ここカオサン通りは「バックパッカーの聖地」と呼ばれている。安宿や安食堂が多いばかりではなく、ありとあらゆる物を売っている屋台に旅行代理店、インターネットカフェ、国際電話屋、と旅人に必要な物なら何でもある。当然世界各国の旅人が集まり、それを相手に商売をするタイ人が集まる。そして24時間、365日、まさにエンドレスで人が行き交い、物が行き交う。
その騒音は凄まじく、屋台から、カフェから、街頭ビジョンから、様々な音楽が流れ、タクシーやトゥクトゥクのクラクションが鳴り響く。その中で人々はこれまた様々な国の言葉で会話をし、屋台からは客を呼ぶ大声が聞こえる。ここに1時間もいれば間違いなく頭が痛くなるだろう。
しかし、1本裏通りに入り込むと、そこには静寂があった。オレはその朝の静寂の中を、1人歩いている。
この日早起きしたオレタチは午後1時までの間、別行動をすることにしたのだ。ほんの数時間ではあるが、一人旅の気分を味わおうということになった。
「カオサン」は旅行者にとってあまりに有名ではあるが、カオサン通り自体は東西にわずか300mという狭さだ。西に行くとチャクラポン通りに突き当たり、その通りを挟んでワット・チャナソンクラムという仏教寺院が建っている。ワットというのはタイ語で寺という意味だ。
寺院の脇道を抜けて歩いて行くと、韓国人向けの安宿が集まっているエリアがあった。なぜそこが韓国人向けと分かったのかと言うと、どの宿にも国旗が飾られていたからだ。
オレは彼らを見るといつも感じることがある。それはこの国旗にも象徴される「愛国心」だ。
ここでオレはふと思った。
「オレは日本に愛国心を持っているのか? いやオレだけでなく多くの日本人はどうなのだろう?」
と。
「自信を持って心から愛国心があると言い切れるのは、サッカーの日本代表の試合を観ている時だけだろう」
などと考えながら、迷路のような路地を抜けて行くと、ふいに茶色く濁った川に出た。チャオプラヤだ。
バンコクには網の目のように運河がはりめぐされ、それは当然チャオプラヤにつながっている。そこには水上タクシーが運行されていて、「世界一の渋滞」と呼ばれる地上交通を補っている。水上タクシーだけでなく観光用のボート、河で行商をしている船、水上レストラン、とさまざまな種類、形、大きさの船がそこを通っていく。
オレは河岸のベンチに座りそこでタバコをふかしながら、川と、そこを行き交う船とを眺めていた。
そしてまたしても物思いにふけるオレ・・・。
どれぐらいの間こうしていたのだろう? オレはふと我に返った。どこの国の娘かは分からなかったが、2人の白人の女の娘が話しかけてきたからだ。
「ボートに乗りたいんだけどどこに行けばいいの?」
「ごめん。分からないや」
そう答えたのだが、よく見ると1人の娘が地図を持っているのに気付いた。
「それ見せて」
オレはそう言って地図を見せてもらうと、その地図にはボート乗り場がしっかりと記してあった。女の娘もそこを指差して
「ここなんだけど」
と言っている。
なんのことはない。彼女たちはただ単に地図が読めないだけのことだった。しかもその地図は子供でも分かるように感じられたが、とにかくそれは彼女たちにとって難解なものだったらしい。
オレは苦手な英語で何とか教えてあげることができたのだが、彼女たちは眉をひそめている。「こいつ、ろくに英語もしゃべれないのか」と思っていたのか「こいつの言っている場所は違うだろ」と思っていたのか? とにかく2人は浮かない表情でなにやら話し合っている。
そして次の瞬間、オレは怒りを感じた。「ありがとう」も言わずにその場を立ち去った彼女たちが、教えたのと反対の方向に歩いて行ったからだ。
オレの言ったことを全く信用していないようだった。
「なめてんのか。それなら最初から聞くな!」
しかし、その怒りは彼女たちがこの後どうするのかという好奇心に変わった。彼女たちが歩いていった方向は行き止まりだと知っていたからだ。
ベンチに座り2人の方をずっと見ていたが、当然彼女たちはまた引き返してくることとなった。オレは戻ってきた2人に「ほらね」といった感じで笑いかけた。しかし彼女らは完全それを無視して通り過ぎたのだ。その態度にまた不愉快になってしまった。
このような感情はこの時初めて感じたことではなかった。こちらに来て欧米人の旅行者を見ていると、どこかタイ人や日本人を見下しているような、バカにしているような気がしてならなかったのだ。それはオレタチの単なる誤解にすぎないのかもしれないが・・・。
バックパッカーの聖地カオサン通り
7.マイペンライ
その頃ナグはトゥクトゥクに乗っていた。バンコクの原宿と呼ばれるサイアムスクエアをぶらついていたのだが、待ち合わせの時間が近づいたため宿のあるカオサンへ向かって走っていた。
赤信号でトゥクトゥクが止まると、運転手が言った。
「観光しないか? どこでも案内してやるから」
「行かない」
再び走り出すトゥクトゥク。しかし世界一の渋滞を誇るバンコクである。5分も走らないうちに車の流れは止まった。
「観光しないか? どこでも案内してやるから」
「行かない」
これが5回目だった。
初めはうるさい運転手だと思っていたナグも、さすがにここまでしつこいと、逆にそれがおもしろくなってきた。
「観光しないか? どこでも案内してやるから」
「行かない」
そのうちトゥクトゥクはカオサンに着いた。いや着いてしまった。放っておいたら1日中言い続けるのではないかとも思われる、運転手の「観光しないか?」も、もう聞けなくなったのだ。
ナグは泊まっていたD&D INNという名の安宿に戻った。時間にルーズなナグにしてはめずらしく1時少し前だった。
30分近く待ってオレが現れた。ところがどこか変だ。
「何だよそれ」
オレは髪の毛を切ってきたのだった。
日本語はもちろん英語も全く分からない床屋のおばちゃんに軍人カットにされてしまった・・・。どこからみても「鬼軍曹」以外の何者でもない。オレタチは2人で大笑いしながら階段を上り、部屋に入った。
なにはともあれ無事再会をはたしたオレタチは、午前のことを報告し合った。普通ならここで「どうだった?」とか「こうだった」とかという具合の会話で盛り上がるのだろうが、この時のオレタチはそのような気分ではなかった。お互いに何か考え事をしていたのだ。
それからというものオレタチは、どこに行っても、何を見ても、気分が乗らなくなってしまった。そんな時には決まって「奴」がやって来る。雨だ。
日本に帰る日が近づいていたオレタチは雨宿りついでにデパートへ行き、土産物を買った。
夕食まではまだ時間がたっぷりとあったが、どこにも行きたいと思わなくなってしまった。しかし
「せっかくバンコクにいるんだし、気分を晴らすためにもどこかを観光しよう」
とオレタチは、「エメラルド寺院」という呼び名で有名なワット・プラケオへ向かった。
夕方のラッシュ時間でもないのにバンコクはひどい渋滞だった。1時間近く掛かってしまったが、エメラルド寺院に到着した。
オレタチはタクシーを降りるとまっすぐチケット売場へ向かったが、寺院へは3時半までしか入場ができなかった。この時すでに4時。
「仏にも見放されたか・・・」
そしてオレタチは
「マイペンライ」
「マイペンライ」
と力なく口にした。
マイペンライとはタイ語で頻繁に使われる言葉で、「どういたしまして」「大丈夫」「気にするな」などいろいろな意味で使われるが、「まっいーか」という意味の解釈が、この言葉の、そしてタイ人の気質を良く表しているといえよう。タイには「マイペンライ精神」と呼ばれるものがあり、何をしてもこの「マイペンライ」つまり「まっいーか」、「気にすんな」で済まされてしまうのだ。
結局オレタチはあきらめて歩き出した。というより、あきらめるしかないのだが・・・。
8.チャオプラヤにて
どこか行くあてがあるわけでもないのだが、オレタチは人混みをかき分け、細い路地を縫うように、ただひたすら歩いた。まるでなにかに取り憑かれたか、あるいはなにか不思議な力に導かれているかのように・・・。
そしてオレタチが行き着いた所は、チャオプラヤのボート乗り場であった。例によって声が掛かる。
「ニホンジン? ボート? カワクダリ? ヤスイ」
オレタチはどうせ何の予定もないのだからと、チケット売場に行ってみた。
「Are you student? 」
事務机に座った女性がオレタチに聞いた。ここはもちろん
「Yes」
と答えるのが正しいだろう。結果、学割+交渉によって半額になった。
オレタチがボートに乗りこむと、エンジンはけたたましい音をたて始め、ボートは水面を走り出した。
すぐ横を別のボートが通ると、スクリューでつくられる水しぶきが容赦なく飛んでくる。これもマイペンライなのだろうか?
しばらくすると河の部分から運河の部分へと入っていき、当然風景も一変した。オフィスや寺が多かった河岸が人々の暮らすエリアに変わったのだ。広い河から狭い運河に入ったということもあるが、タイ人の庶民の普通の暮らしがそこには見られた。見るからに貧しそうな家も多かった。数日前に目にしたあのスラムのような風景がここにもあった。壁のない、トタン屋根だけの家で戯れる兄弟、運河で釣りをする親子、食卓を囲む家族・・・。
しかし、こんな環境で生きている彼らは「笑顔」だ。楽しそうだ。生き生きしている。
オレタチはこの時、「貧しさ」の中に「幸せ」を見つけたのだった・・・。
オレタチはしだいに口数が減っていき、ついにはただ無言で河岸の家並み、人々の生活、チャオプラヤの流れ、そして相変わらずの曇り空を眺めていた。
オレタチが黙りこんで風景を眺めている。どういうわけかタイに来てからそんな時間が異常に多かった。ビーチで、電車で、屋台で、カフェで。
その時オレタチは目の前の、日本でいつも目にしているものとは違う風景を見ている。違う空気を感じ、違う臭いを感じ、違う音や声を聞いている。そして、いつも心に持っているものとは違う感情を抱いている。それは、日本にいては決して感じることのできないものだろう。
今回の旅行の中で、オレタチは実に多くの事を感じ、そして考えた。いや、考えさせられたと言った方が良いのかもしれない。
金のこと、日本のこと、日本人のこと、女のこと、友人のこと、仕事のこと、将来のこと・・・。
このときのチャオプラヤの上のオレタチも、強烈に何かを感じ、考えていた。生まれてから今までにこれ以上とないほど真剣に、そして深く。それはもちろん自分の人生についてであり、自分の未来についてであった。
「オレは今まで何をしていたんだ?」
「オレは今何をしているんだ?」
「オレはこれから何をすべきなんだ?」
「オレは幸せなのか?」
「オレはなぜ生きているんだ?」
「人間とは何なんだ?」
タイに来てから、ずっと心の深いところにあった、「何か」が、チャオプラヤの上で一気に、激しく、そしてとめどなくあふれてきた。それも2人そろってだ。
そして考えに考えぬいた結果、オレタチはある決断をした。
「旅にでよう」
もちろん、この決断は決してネガティブなものではなくポジティブなものであると、オレタチは信じている。
せっかくこの地球という星に生まれ、日本という国に生まれたのだ。このままではもったいないじゃないか。もっと「世界」を見てやろう、もっと「世界」を感じてやろう、そして「世界」を生きていこう。
その先に何があるのかは分からない。それを見つけにいくのだから・・・。
たとえ何もなかったとしてもいいではないか。ここに留まっていては何も生まれない。
オレタチはこう考えたのだ。要するに今の自分を破壊したかった。社会に、会社に、システムに支配され、がんじがらめになっていた自分、そして「楽しむ」ことを忘れかけていた自分を・・・。
今の自分を破壊し、新しい自分を創る。「破壊」無くして「創造」はないのだ。まずは「破壊」をしなければならないのだ。
しかしそれが単なる「逃避」でしかないことは、2人とも解っている。だが「逃避」のどこがいけないというのか? 逃げてこそ見えてくるものだってあると思うのだ、逃げることによって一度客観的に自分を見てみよう。
それに人間、どうせいつかは死ぬのだ。「楽しんだ者勝ち」じゃないか。
オレタチが正しいのか? なんてことは、分かるはずはない。そもそもこの世の中、何が正しくて、何が正しくない、などということを考えること自体正しくないのではないか?
ただ、自分を信じ、自分の選んだ道を歩いていく。それだけのことだ。
自分自身で、自分の「未来」を創っていく。ただ、それだけの・・・。
オレタチが一生忘れることのない風景