その後のオレタチ


日本 2002-2003





9.日常でない日常

 東京。大都会のオフィス街のど真ん中、ビルの海のその中で溺死寸前のサラリーマンたち。ナグもその海の中で、必死に何かと格闘している。
 タイから戻り、つまり夏期休暇が終わりまたいつもの戦場に戻ってから、いつの間にか時間だけが過ぎていた。季節はすっかり冬である。日々の仕事に追われ、季節を感じている暇も無かったことにすら気付かない。
 そして、チャオプラヤでの「決断」までも忘れかけそうになっていた。
 こんなふうにして日常に埋没し、夢も希望も無くなり、何も残さずに死んでいく。そんな人間になってしまう恐怖を感じ、焦りを感じることができるだけ、まだ救いがあるのだが・・・。
 そんな彼をさらに焦らせたのはオレだった。オレはすでに旅の準備を始め、会社を退社する期日さえも決定していたのだ。旅に関する本を読みあさり、様々なことも調べあげている。あとは時が来るのを待つのみなのだ。
「俺も早く行動を起こさなくては、未来を変えなくては」
 しかし心の中で決断することと、それを実行することとが噛み合っていかなかった。それを歯がゆく思うナグだが、日常の戦いの中で悪循環を繰り返すばかりであった。

 オレにも不安や焦りはあった。
 オレは「決断」のあとインターネットや、本などで、旅や旅人についての情報を集めていたのだが。その中でこんな事実を知った。
 今までにもオレタチのように「決断」をして旅をした人、あるいはたった今この瞬間にも旅のただ中にいる人、そんな人が思った以上に多いこと。掃いて捨てるくらい存在すること。そしてそれは日本人に限らず、世界中の若者であること。
 しかもそのような人たちの旅に関する考え方が、旅に出る理由が、旅の目的が、オレタチのそれにほぼ同じなのだ。
 オレにはこれがショックだった。
 オレは「決断」をしたことが特別なことだと思っていた。普通の人がしないことをオレタチはしようとしているのだと思っていた。そしてオレタチが特別な存在になるのだとさえ思っていた。
 しかしそうではない、とんでもない勘違いだということに気付いたのだ。何も特別なことなんかではない、ごくごく普通の人間でしかなかったのだ。腐るほどいる大勢の中の1人でしか・・・。
 そしてその大勢の旅の前の話、旅の話、旅の後の話を読み、聞き、見て、自分たちが旅に出ることに危うさを感じずにはいられなかった。不安を感じずにはいられなかった。
 だがそれは当然のことではないか。会社を辞め、日常を捨て、何ヶ月も異国で暮らそうというのだ。言ってみれば「アウトサイダー」になるわけだ。不安が無いわけがない。もちろんそれはナグも感じていたし、旅に出る誰もが感じるであろう。
 この不安と戦うことが、旅の最初にして最大の試練なのだ。
 しかし、しかしだ、この戦いにたとえ負けてしまったとしても、オレは旅に出るだろう。ナグは旅に出るだろう。他の誰もが旅に出るだろう。もうすでに「決断」をした時点で、心は旅に出てしまっているのだ。旅は始まってしまっているのだ。日常にありながら旅をしているのだ。もう動き出した運命を止めることはできない。



10.タイミング

 海岸沿いに続く長い一本道。オレは車を走らせている。今日は恐ろしいほど空が青く、雲1つない。太陽の光が海に反射し、キラキラと輝いている。全開のウィンドウから車内に吹き込む風が心地良い。
 日本は春を迎えていた。そしてオレは会社を退職し、旅の準備を進めていた。
 ところが、本来ならば希望と期待に満ちあふれる、旅立ちの春となるはずが、そうはならなかった。
 こんなにも気持ちがよい午後なのに、オレはカーラジオから流れるニュースに憤りと苛立ちを覚えていた。世界では大きな事件が起きていたのだ。

「戦争」

 アメリカがイラクを攻撃し、イラク戦争が勃発した。このためイラクはもちろん周辺諸国への渡航も、危険なものとなってしまった。イラクと国境を接するイラン、トルコなどは、旅の重要なルートとして考えていた。しかしそのルートが危険で、リスキーなものになってしまったのだ。
 この時オレタチは強く「戦争反対」を思った。フセインにブッシュに怒りを感じた。自国のことしか、いや自分のことしか考えていないのだと。ところがよくよく考えると、そんなオレタチもおかしいことに気付く。今まで政治や世界情勢にほとんど無関心だった。逆に、戦争の映像を見て映画やゲームの様だと好奇の目で見ていたほどだ。それなのに自分達が旅に出れないという理由で「戦争反対」を唱える。これこそ自分のことしか考えていない。フセインやブッシュと同じではないか。きっとこんな人間が戦争を起こすのだろう。

 さらに世界は混乱していた。東南アジアを中心に「新型肺炎」が流行し、多くの人間が亡くなっていたのだ。これこそ旅どころではない。
 旅先で病気になるということももちろんだが、マレーシアやタイなどでは感染者の多い香港や中国広東省、ベトナム北部などからの入国を拒否しているそうだ。
 正直病気自体はそれほど危険ではないかもしれない、しかし国境を越えられなければお手上げである。この地域は旅のメインになる国々なのだ、それなのにこの状況では旅を遅らせる他なかった。

 しかし旅に出れない理由はこれだけではなかった。
 まず、オレタチ2人に共通の友人の結婚式の予定が入った。さらにはナグの退社が遅れ、最低あと3ヶ月は会社にいることになった。
 オレタチは始めのうちは落胆したが、これも運命だったのだと思うことにした。オレタチはツイているのだと。
 そうだ。ツイているのだ。考えてみればすべてが同時に起こったから良かったのだ。1つが解決したらまた次の問題、それが済めばまた次ぎ、となってしまってはすべてが解決するのに1年はかかってしまうだろう。
 本当にツイていたのだ。
 もしかしたらこの春に旅立ち、病気にかかってしまったかもしれない。あるいは戦争の犠牲になっていたかもしれない。3ヶ月待つことで命が救われたのだ。
 そう考えるしかなかった。

 ただし、3ヶ月で病気が治まり、3ヶ月で戦争が終わるという保証は何1つなかったのだが・・・。
 オレタチは運を天に委ね、ただ待つしかなかった。その時を。



11.あれから1年

 日は高く昇り、部屋はサウナのようになっていた。セミの声で目を覚まし、汗まみれの重い体を起こす。オレは
「向こうへ行ったら毎日こんな目覚め方をするのかな」
 と思いながら時計を見ると、もう11時を過ぎていた。
 長かった梅雨もようやく明け、オレタチの好きな夏が来た。そしてようやく旅立ちの時をむかえていたのだ。オレだけは・・・。

 イラク戦争は終結し、新型肺炎は沈静化した。しかしオレタチには大きな問題があった。それはナグだ。会社側にナグの退社を認めてもらえず、あい変わらずの生活を続けていた。そして今の時点では今後どうなるのか、ナグにさえ全く予想できないという状況だ。
 こんなことになるとは・・・。2人とも考えもしなかった事態だ。
 オレタチは考えた。2人揃って旅立ちたいのはもちろんなのだが、考えれば考えるほどそれは出来ないことなのだと思い始めた。
 ナグはオレを待たせ、無駄な日々を送らせるわけにはいかなかったし、オレはナグを待つことで、ナグにプレッシャーをかけたくなかった。
 そしてオレタチはこのように結論を出した。オレは1人で先に旅立ち、ナグが会社を辞め次第、どこかの国で合流する。

 オレはチケットを手配し、出発の準備を始めた。そして8月16日に出発することになったのだが、この時オレはある事実に気付いた。8月16日といえば「決断の日」・・・。そう、あの日からちょうど1年後にあたる日なのだ。またしても運命めいたものを感じたオレタチであった。

 ところで最初はバンコクへ行くことにした。
「やはり、あの場所から旅を始めよう」
 オレはそう考えたのだ。



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