グラシアス!アミーゴス!
〈中米編〉


メキシコ(26ヶ国目) 2004/7/22-8/6
ベリーズ(27ヶ国目) 8/6-8
グァテマラ(28ヶ国目) 8/8-31
コスタリカ(29ヶ国目) 8/31-9/6






85.新大陸
     2004 7/29(メキシコ)

 飛行機を降りて空港へ一歩入った瞬間、懐かしい匂いがした。日本からタイへ行った時に、タイの空港で毎回感じるあの匂いだ。これまで何度も飛行機を使って移動したが、この匂いを感じたのはタイとここメキシコシティだけだった。いったい何の匂いなのだろう。オレはこの匂いを嗅ぐと「海外に来たんだな」と強く実感するのだ。
 だがオレとマツモトさんはそんな悠長なことは言っていられなかった。まだ100%メキシコへ入国できるかどうか分からなかったからだ。
 ミュンヘン発のオレたちの飛行機はスペインのマドリッドで乗り換えだったのだが、その時マドリッドの空港で片道のチケットしか持っていないことを指摘され、2人ともパスポートを預けるようにと言われてしまっていた。メキシコへは片道チケットでは入国できないことになっているからだ。そしてメキシコへ着くと、オレたちのパスポートを持った職員に連れられ別室へ入れられた。オレは同じく「片道では入国できない」というルールのあるタイへ片道チケットで3回入国しているし、多くの旅行者が片道でメキシコへ行っているのだから大丈夫だろうと考えていた。だが、いざ別室へ入れられると少々不安にもなってくる。アメリカでのテロ以降、世界的にこのルールについては厳しくなったとは耳にしていたが・・・。
 結局、2時間以上も待たされはしたが、いくつか質問を受け所持金を見せると、そのまま入国となった。賄賂くらいは求められるかと思っていたがそれもなく、逆に職員たちはギャグを言ったりしてフレンドリーだった。さすがはラテンの国だ。

 空港を出たオレは強烈に感じた。
「アジアだ! ここにはアジアと同じ空気がある」
 あの匂いといい、人の顔といい、そしてこの活気。これがオレのメキシコに対する第一印象だった。そしてそう考えると、これから旅をする中南米に対しての期待も大きくなった。
 これまで会った多くの旅行者から南米は最高だと聞かされていたが、オレは正直のところその言葉に半信半疑だった。なぜならば、「南米は最高だ!」と言っていたほとんどの人がアジアへ行ったことがなかったからだ。南米に行ったことがないオレが「アジアは最高だ!」と言うのと同じで、その言葉に説得力がない。
 そんなオレだったが、メキシコに来てたったの1日でここを気に入った。「中南米も話の通りで、楽しいかもしれない」という期待が膨らんだ。こんな楽しい気分は久しぶりだ。やはり楽しさが旅には一番重要なのだ。

 メキシコシティはそれほど見所が多い街というわけではなかったが、歩いていておもしろかった。文化が変わったということもあるが、やはり東欧から来てみると人間が変わったというのが一番大きいように思う。どことなくダークなイメージが拭いきれなかった東欧の人間に対し、メキシコの人間はやたらと明るい。開放感いっぱいのラテン的な人たちだ。物価は少々高めだが、東欧に比べれば安く旅ができる。良い日本人宿もあり、居心地の良い街のように感じた。
 オレの泊っていた宿は、日本人宿の「ペンションアミーゴ」。客の全員が日本人で、さすがにここまで日本から離れていると「旅のベテラン」が多くなってくる。旅を始めてそろそろ1年が経とうとしているオレだが、ここではヒヨッコ同然・・・。
 そんなアミーゴに行った初日、オレが部屋の外でタバコを吸っているとタツヤさんという人に話しかけられた。しばらく話していたが、彼が何気なくオレの部屋を覗いた。
「あれっ? このバッグ誰のですか? もしかしてマツモトさんって人じゃないですか?」
「えーっ!!? そうですけど! マツモトさん知ってるんすか?」
 なんとこのタツヤさんとマツモトさんは知り合いだった。しかも中東で知り合ったらしい、オレが中東からマツモトさんと一緒だと話すと、彼も驚いていた。
 しばらくしてマツモトさんが帰ってくると、
「うぇーっ!! タツヤくんなんでいるの?? 日本に帰るって言ってたじゃん」
「マツモトさんこそドイツで働くんじゃなかったんすか?」
 ・・・「世界」は途方もなく広いが、「旅人の世界」は意外と狭い・・・。

 オレとマツモトさんは中南米についての知識をほとんど持たないままここまで来たため、ここで情報を集める必要があった。それに加えこの日本人だけの宿の居心地の良さ、案の定メキシコシティには1週間の滞在になった。その間に強く感じたことは「オレもスペイン語を勉強しなければ」というものだった。ここにいたほとんどの旅行者がある程度のスペイン語を話したし、過去に会った南米帰りの人たちにも「スペイン語ができれば中南米は楽しい」と言われていた。たしかに中南米のほとんどの国がスペイン語だし、その国の言葉を覚えれば旅が楽しくなることくらい1年も前から分かっていることだ。マツモトさんが、そして多くの旅行者がスペイン語を学ぼうとしているグァテマラで、オレも少しくらい勉強してから南へ向かおうかと思い始めた。

   
ペンションアミーゴにて / 太陽の石 



86.インディヘナ     2004 8/2(メキシコ)

 メキシコは遺跡の宝庫だ。これまでに散々遺跡をまわってきて少々飽きてはきたが、それでも子供のころからこの手のものに興味があったオレは、メキシコでも3つの遺跡を見ることに決めた。まず始めはティオティワカン。メキシコシティからバスで1時間という近場にある。
 またしても作ったニセのメキシコ学生証を使って無料で入場できた。
 宿の日本人みんなで申請に出かけたのだが、これはメキシコの大学に通う学生だけが手に入れられるカードで、メキシコ国内でしか利用できないというものだ。メキシコシティには「ウナム大学」という世界で最も大きい大学があり、オレたちはそこの学生という名目でカードを作った。
 メキシコ学生証を作る時、ついでに国際学生証も作り直した。以前にバンコクで作ったニセモノはプラハでエアチケットを買う時に見破られ、処分されてしまったからだ。ハサミでまっぷたつに切られてしまった。
 だが今回メキシコで作ったのは正真正銘のホンモノだ。ホンモノといってもウソモノなのだが、前回のような「偽造」ではなく「学歴詐称」という代物だ。これで高額なエアチケットまでディスカウントされてしまう。こんなお得なニセモノがいとも簡単に作れてしまうのだから、本当にいい加減なものだ。しかもオレのカードにはTOKYOUNIVと印刷されている。オレは世界一大きい大学に通う、日本一頭の良い大学から来た留学生・・・。
 話は戻ってティオティワカンだが、オレはガッカリだった。マヤ遺跡のいくつかはエジプトの遺跡同様ピラミッドがメインとなっていて、ここもそんなものの1つなのだが、そのピラミッドはいかにも補修しましたという感じが見てとれたからだ。石と石はコンクリートで補強されてしまっている。オレの目には「遺跡」というよりも「現代建造物」に見えてしまった。それに全体的にも整備されすぎている印象だった。「遺跡的」な、「歴史的」な価値よりも、「観光的」な価値を高めてしまった結果だろう。ただ、エジプトのピラミッドとは違って階段状になっている中米のピラミッドは、上まで登ることができる。ピラミッドの頂上から見る遺跡の全景は良かった。それにオレが初めて接する文明ということもあり、それなりには楽しむことができた。
 もちろん、ものの見方は人それぞれだ。実際ここへは宿で知り合った日本人5人で行ったのだが、オレ以外のみんなは「凄かった」と言っていた。オレはそれを聞いて「もう多くのものを見すぎて感性が鈍ってきたか」とも思ってしまった。

 メキシコシティを発ったオレとマツモトさん、そしてここで知り合ったシンペイくんの3人はサンクリストバル・デ・ラスカサスという長い名前の町へ向かった。少しツーリスティックすぎる感じはしたが、良い所だった。特におもしろかったのは「インディヘナ」と呼ばれる先住民のバザールだ。メキシコにはこの「インディヘナ」と入植者である「スペイン人」、そしてその混血の「メスチーソ」が住んでいるのだが、このサンクリ(略称)には先住民の割合が多い。かつてメキシコでは、その先住民たちが独立運動を繰りひろげたこともあり、ここはその本拠地でもあった。
 ここの人たちは東南アジアなどの少数民族同様、カラフルな民族衣装を身に付け民芸品を売っている。その衣装を見ているだけでもおもしろかった。
 彼らはサンクリの外にも村をつくっているのだが、オレたちもそんな先住民の村の1つ、サンファンチャムラへ行ってみることにした。
 村に着くと子供たちが民芸品を売りに飛んでくる。このへんはアジアの少数民族や中東の遊牧民などと同じだ。そして次にお決まりの「One Photo five peso ! 」つまり「写真を撮らせてあげるから金をくれ」だ。これまでにもよく聞いた言葉だが、ここの子供たちがそう言ってくるとは予想外のことだった。というのも、この周辺の先住民は「写真を撮られると魂も取られてしまう」という迷信を信じているからだ。シンペイくんが写真を撮らせてもらったが、その時の女の子の顔は強ばっていた・・・。どうやら本当にそう信じているらしいような表情だ。
 オレはその子を見て、ミャンマーで会った首長族のことを思い出した。このような少数民族や先住民の人たちを、見世物のように写真に撮るオレたち・・・。また同じことをしてしまった。

 サンクリからメキシコで2つ目の古代遺跡となるパレンケへ向かうオレとシンペイくん。ここから直接グァテマラへ向かうマツモトさんとは一時お別れだ。数えてみると2ヶ月近くも一緒にいたことになる。1人旅も良いがやはり友達といた方が旅は楽しいものだ。グァテマラでの再会を誓って彼を見送った。

   
ピラミッドの頂上でパワーを得る! / サンクリのインディヘナマーケット



87.ジャングルに遺跡にビーチ     2004 8/4(メキシコ)

 サンクリからパレンケへ向かうバスは、途中からジャングルの中の1本を走っていった。何度か眺めの良い峠にさしかかったが、高台から見下ろす樹海はこれまでに見たことのある、どの森よりも凄い光景だった。一面のジャングルが地平線のはるか彼方まで続いている・・・。メキシコでこのようなジャングルが見られるとは思わなかった。
 そしてパレンケはそのジャングルのど真ん中にある小さな町だ。クーラーのきいたバスから降りたとたんに全身から汗がふき出す。メキシコシティやサンクリは標高の高い所にあるため暑さもそれほどではなかったが、さすがに低地にあるパレンケは暑く、そして何より湿度が高いために不快指数はMAXだった。今まで初夏のインドやパキスタンそしてエジプトを旅してきたが、そのいずれもが乾燥地帯のため、湿気のあるここが体感的には一番暑く感じる。しかもバスの時間の関係で、一番暑い時間帯にパレンケの遺跡を見るハメになってしまった。
 密林に埋もれていた遺跡は雰囲気のあるものだったが、メインの神殿が修復中で中に入れなかったのは残念だった。それに加えてこのまとわりつくような暑さ。この暑さのせいで、遺跡はイマイチ印象の薄いものになってしまった・・・。

 オレとシンペイくんはその日のうちに夜行バスでメリダへ向かい、翌朝さらにメリダでバスを乗り継ぎチチェンイツァへ行った。ここもメキシコを代表するマヤ遺跡の1つだ。ここへは午前中の比較的涼しい時間帯に到着したため、じっくりと遺跡を見学することができた。
 それ自体が暦になっているという階段ピラミッドや、天文台、スチームバスなど高度な文明を持っていたことを示す物が多く、興味深く見ることはできた。しかしマヤ文明の遺跡はどこか味気なく感じてしまう。オレにはアジアや中東の遺跡と比べ「芸術性」が薄いように見えるのだ。遺跡なのだからそんなものを求めるのもナンセンスなのかもしれないが・・・。

 チチェンイツァからさらに東へ向かい、ユカタン半島の先にあるカリブ海の大リゾート地、カンクンへ。さすがに世界有数のビーチリゾートだけあって大きなホテルが建ち並び、オレたちとは違うタイプの旅行者が多く見かけられる。
 オレとシンペイくんが泊っていた日本人宿の「カサ吉田」は、そんなビーチのツーリストエリアから3km離れた、本来の街の中心地にあった。学生が夏休みのこの時期、日本人宿はどこもゲストが多い。サンクリの宿では満室で泊まれないということすらあったが、カンクンの宿に客は少なかった。バックパッカーは物価の高いカンクンを敬遠しているのかもしれない。
 だがカンクンはその物価に似合うような所だった。最高に海がきれいなのだ! 海の中はさすがにエジプトのダハブの方がきれいなようだが、外から見る分にはカンクンの海がこれまでのところトップだろう! 特にイスラムヘーレスという島へ行く途中の海は、コバルトブルーというのかエメラルドグリーンというのか、とにかく入浴剤を入れたような色に輝いていた。これにはさすがに感動した。
 人間の造った遺跡なども良いが、やはり自然にはかなわない!!

   
パレンケの遺跡 / 海ーーーーー!!!



88.ベリーズって何?     2004 8/10(ベリーズ、グァテマラ)

 カンクンからキューバへ行くというシンペイくんと別れ、オレは1人グァテマラへ向かう。ここからグァテマラへは2つのルートが考えられる。1つはこのまま南下して、ベリーズという小さな国を経由していくルート。そしてもうひとつはパレンケまで来た道を戻り、そこからグァテマラへ入国するルート。
 ベリーズを通過して行く方が近道だし、その分1つ多くの国を見ることができる。しかしベリーズのビザ25USドルと出国税18.75USドルを払わなければならない。ただ通るだけで45USドル(約5200円)というのには少し納得がいかなかった。かといってパレンケまで同じ道を戻るのもおもしろくない。しかたがなくベリーズを通って行くことにしたのだが、そうなると今度は「ただ通るだけではもったいない」ということになる。オレはベリーズのサンイグナシオという小さな町へ行くことにした。ベリーズではキーカーカーというビーチリゾートが有名なのだが、1人で海に行くのは気がひけてしまったのだ。

 ベリーズ。オレはメキシコへ来るまでこの国の名前すら知らなかった。そしてこちらに来てからガイドブックなどを読んでみても、いまいちイメージが沸いてこない。とにかく謎な国だ。
 そして実際に行ってみても、なんともつかみどころのない国だった。森林が多く、どの町もこぢんまりとしている。高い建物などは皆無でいかにも田舎といった感じなのだが、家々はきれいで立派な造りのものが多い。アジアのように汚くて活気のある市場の横には、ヨーロッパ調の町並み。とんでもない田舎の町のようでも、少し町を歩けば物はなんでもそろう。中国人と黒人が他の中米各国よりも多く、公用語もスペイン語ではなく英語。首都はベリーズ最大の町ベリーズシティではなく、まったくなーんもない野原がひろがるベルモパンという町。そしてこのわけの分からない小国は、物価が異常に高い。
 とにかく理解不能な国だった。

 サンイグナシオは自然の多い静かな田舎町だった。1泊だけしてグァテマラへ行くつもりだったが、もう1泊この何もない小さな町でのんびりしようと思い、オレはここで2泊してからグァテマラのフローレスへ向かうことにした。

 サンイグナシオの宿で知り合ったオランダ人の女の娘2人と国境へ。3人で国境を越えた。
 ベリーズ側のイミグレで多額の出国税を支払い、グァテマラへ入国。そしてグァテマラ側のイミグレでも「入国税を払え」と言われるオレたち。やはり噂のとおりだ・・・。中米の各国では入国税やら出国税やらとルールがまちまちでルールの変更なども頻繁にあるため、それを把握していない旅行者もいる。そんな旅行者から金をタカるために、払う必要のない金を請求してくることがあるのだ。
 日本人はその類の情報には敏感でオレも最新の情報をちゃんと調べてあるのだが、グァテマラに入国税は存在しない。オランダ人の2人にもそれを説明したのだが、彼女たちは金を払ってしまった・・・。当然オレは払わなかったが、何事もなく入国。
 そしてさらに、彼女たちは国境からフローレスへ向かうバスにもボラれていた・・・。その時にもオレが「高い」と言っていたにもかかわらずだ。ここでもオレは彼女たちの半額近くでバスに乗った。
 金を払ってしまう旅行者がいるから、金を請求する職員や運転手がいるのだ。これこそまさに「騙した人が悪いのではなく、騙される人が悪い」というヤツではないか。オレたちは自分を守るために騙されてはいけないし、それは他の旅行者を守るということにもつながるのだ。そのあたりの自覚が足りない彼女たちのような旅行者もいるが、オレ的にはそれではいけないと思う。
 そんなことはさておき、オレを信用しなかった彼女たちには腹が立った・・・。

 ベリーズからフローレスへ向かう道は、ジャングルの中を通っていった。メキシコでも思ったことなのだが、中米には多くの自然があり、今までの地域とは異なる種類の樹木や鳥などを見ることができる。このためバスに乗っていても風景に飽きることはなかった。
 フローレスに着いてオランダ人の2人と別れる。フローレスは湖のある静かな町で、近くのマヤ遺跡「ティカル」観光の基点にもなっている。1人で町を散策したが、グァテマラにはメキシコやベリーズ以上にアジアに近いものを感じた。そんな雰囲気も湖のある町の風景も気に入った。
 翌日にはティカル遺跡へ行ったのだが、カゼぎみだったこともありその日の朝は寝坊をしてしまった。本当ならば朝一のバスに乗りたかったのだが、バスに乗ったのは2時半。これが大失敗だったのだ。
 今、この地域は雨季で、ほぼ毎日夕方からスコールが来る。遺跡に着いた時もやはり激しい雨になってしまった。本当なら、遺跡は明日にでも出直すことにしてこのまま帰りたかったが、バスが遺跡の駐車場へ入る時に入場料をとられてしまった。金を払ったのに遺跡を見ないで帰るわけにもいかず、雨のジャングルへ突入することになった。
 ビーサンの足はドロドロ、体はビショビショ。それでも遺跡を目指して歩く。
 しばらく進むと森が開け、ピラミッド状の神殿遺跡が現れた。その上部目指して急な階段を登る。ただでさえこの激しく急な階段を登るのは一苦労なのだが、石の階段は雨で良く滑る。なんとか手すりにしがみつきながら頂上へ。スコールに霞むジャングルと、そこから頭だけを出しているいくつもの神殿遺跡、真っ暗な空、そして時折見える稲光。雨は歓迎できなかったが、雷のおかげで神秘的な遺跡を見ることができた。
 結果的には遺跡の全体を見ることもできずにただカゼをひどくしてしまっただけだったが・・・。

 この後はマツモトさんのいるアンティグアへ行って、オレも少しだけスペイン語の学校に通おうと思っている。

   
サンイグナシオの風景 / ベリーズにはなーんにもない



89.Vamos a estudiar     2004 8/22(グァテマラ)

 フローレスから丸1日かかってアンティグアに到着した。アンティグアは火山の麓にある古都で、植民地時代に造られたコロニアル風の歴史地区は世界遺産に登録されている。中米随一の観光地であるとともに、スペイン語学校が多く授業料が安いことでも有名で、日本人も含め多くの外国人がスペイン語を学んでいる町だ。マツモトさんもこの町の学校に通っているし、メキシコで知り合った人の多くもここへ来る予定になっている。オレも学校へ行くつもりでここへ来た。

 早速マツモトさんに会いに学校へ行ってみた。彼や他の日本人から学校やホームステイ先の話を聞き、オレもマツモトさんと同じ学校へ通うことにした。ここは生徒のほとんどが日本人だ。2日後メキシコシティで知り合ったタツヤさんとケイスケくん、その2日後にはシンペイくんと再会し、みんなも同じ学校で勉強することになった。ホームステイ先にもオレ、マツモトさん、ケイスケくん、そして同じ学校のマルさんと4人の日本人が住むことになり、アンティグアでの生活がスタートした。

 学校は先生と生徒のマンツーマンで授業が行われる。授業は午前中のみで1日4時間だ。始めの2日間ほどは楽しく勉強できたが、動詞の活用ばかりを繰り返す授業はつまらなくなってしまった。それにほとんど英語のできない先生とはコミュニケーションがとれない・・・。つまりスペイン語でスペイン語を学ぶのだが、それは中級以上の授業でのみ生きてくるのではないか? まったくスペイン語が分からないオレにスペイン語で教えたって・・・。
「こんなんで意味あんのかよ!?」
 しかし問題は自分にあった。それならばオレ自身である程度勉強すれば良かったのだ。しかしこれだけ多くの日本人が集まっているため、午後や終末はほとんど勉強をしなかった。そのためなかなかスペイン語はうまくならない。当然1週間の予定だった学校は2週間に延長することになった。
 ただ、実際のところスペイン語はもうどうでも良かったのだ。それよりもここでの毎日が楽しかったことの方が大きい。飲みに行ったり、ジムへ行ったり、家で話をしたり、日本食を食べたり・・・。所詮オレは旅行者なのだ。楽しいのが一番だ。ここでの生活は勉強を言い訳にした、ただの沈没なのかもしれない・・・。いずれにしても旅は一時休止だ。

   
なんと噴火の瞬間を激写! / アンティグアのメルカド(市場)



90.アディオス!アミーゴス!!     2004 8/31(グァテマラ)

 午前中4時間学校へ通い、ホームステイ先で昼食を食べた後昼寝をして、みんなとたあいもない話をし、夕食を食べ、飲みに行く。同じ生活を繰り返していると時間が経つのは早いもので、あっという間に2週間は過ぎてしまった。肝心なスペイン語はまるで上達していない。が、このアンティグアでの2週間は本当に楽しかったし、あまり見所の多くない中米の旅において良いアクセントになったように思う。

 ここにいる間に、みんなで何回か町の外へも出かけた。まずは火山だ。アンティグアから車で1時間強の所にあるパカヤという活火山へマグマを見に登った。曇り空の山道を歩くこと2時間、山頂が近づくにつれ濃い霧に覆われ真っ白の世界になってしまった。木々がなくなり細かく砕けた火山岩の急な坂をさらに登り山頂へ。やはり視界は良くない。
 ところが山の天気は変わりやすいもので、30分ほど天候の回復を待つと雲ひとつない青空がひろがったのだ。しかし火口からは大量の噴煙がたちのぼり真っ白。結局マグマを見ることはできなかった。先週登った人たちは見れたと言っていたのだが・・・。運が悪かった。

 その次の週末には世界一美しいといわれているアティトラン湖へ行った。しかしこの日もあいにくの曇り空。この天気では湖もそれほど美しいものには見えなかった。湖畔のパナハッチェルという町に宿をとったが、ここや湖の反対側にあるサンティアゴにはインディヘナの民芸品を売る店が多く並び、カラフルな民族衣装の女性たちが生活している。
 インディヘナのルーツはベーリング海を渡ってこの大陸にやって来たアジア人だそうだが、そんなDNAに魅かれる部分もあるのだろうか? オレはアジアの少数民族に似ている彼女たちが好きだ。
 しかし中米において、先住民である彼女らは差別を受けているようだった。アジアの少数民族、中東のベドウィン、ヨーロッパのジプシー・・・。今まで多くの国で散々見てきたことだが、「またここでもか」という感じだった。
 このパナハッチェル周辺ではインディヘナが多数を占めているためにそれは感じられなかったが、アンティグアやメキシコ各地ではそんな場面も多く目にした。そして・・・、残念ながらその差別は先住民たちだけに向けられるものではない。オレたち東アジア人に対しても差別はひどく、「チーノ、チーノ」とからかわれたりもする・・・。「チーノ」とは「中国人」という意味だが、東洋人は全般に差別を受けている。
「どうしてこんな文化が根付いてしまったのだろうか?・・・」
 と悲しくなったが、聞くところによると原因はまさしく「チーノ」が意味するところの、「中国人」らしい・・・。中国人は世界中のどこにでも住んでいるのだが、「商売のためなら平気で人をダマす」という民族性が嫌われたというのだ。やはりこの理由も世界共通・・・。
「ったく! ここでも中国人かよ!」

 オレはこの後中米をコスタリカまで陸路で南下し、そこからペルーのリマへ飛ぶつもりだった。しかし「中米はおもしろくない」と北上してきた人たちから聞いたことや、エアチケットが思ったより安かったこと、そしてホームステイ中ずっと同じ部屋だったケイスケくんに誘われたこともあり、2人でグァテマラからコロンビアへ飛ぶことにした。中米はショートカットし、その分を南米にまわす。オレたちの買ったチケットは途中コスタリカに寄ることができるため、コスタリカにだけは行くことができる。中米はもうそれで充分だ。

 ついにアンティグアを出る日が近づいてきた。ここのみんなと別れるのはつらいがこれが旅だ。特にマツモトさんとは3ヶ月近くも一緒にいたため感慨も深かった。彼は海外で働くという目標を持っているので、それが実現したらいつかそこへ遊びに行こうと思う。
 他のみんなの大半とは南米でまた会えるだろう。やはり「旅は出会い」だ!

   
ホームパーティー!! / アティトラン湖にて



91.コスタリカ     2004 9/6(コスタリカ)

 グァテマラの首都グァテマラシティからコスタリカの首都サンホセまで1時間半の短いフライトだった。サンホセに着いたオレとケイスケくんはそのままプンタレナスという町へ向かった。本当はモンテベルデという自然保護区まで行きたいのだが、そこへ行くバスには間に合わなかった。かといってサンホセにはあまり興味がなかったため、少しでも前に進もうとモンテベルデに近い町まで行くことにしたのだ。
 プンタレナスはビーチのある町だが、ここのビーチはきれいではなく、町もおもしろいものではなかった。印象に残ったのは中国人が多いことくらいだ。宿の多くは中国人の経営だし、中華レストランも目立つ。毎度のことながら彼らには感心する。世界中のどの国にもいるのだから。そしてその世界中のどの国でも嫌われている。嫌われても嫌われても強く生きている中国人。この旅の最後に辿り着く中国で、本当の彼らの姿を見るのが楽しみだ。

 翌日バスで山を上りモンテベルデへ行った。ここは自然保護区に指定されている公園で、多くの野鳥や野生動物を観察できる。他にもジャングルの木々にケーブルを張り、そこをロープに吊られて移動する「キャノピー」と呼ばれるターザンロープのようなものや、吊り橋を歩きながら樹木の高い所の鳥を観察する「スカイウォーク」などのアクティビティがあり、旅行者も多い所だ。
 オレたちは公園とキャノピーへ行くことにした。雨期の山間部ということで雨が多く、ここへ着いた日も大雨に降られたが、公園へ行ったこの日は運良く晴れてくれた。
 キャノピーはスピード感といい周りの風景といい、かなり楽しかった。半日では少し物足りないくらいだった。そして午後は自然保護区へ行く。ところが動物はおろか野鳥に数羽出くわしたのみで、何の姿も見えない・・・。鳥の鳴き声がジャングルに響いても、それを見つけることはできないのだ。
 野生の動物を見ることがコスタリカ観光のメインだっただけに残念だった。

 やはりオレたちはそれに満足できず、もう1つ自然保護区の公園へ行くことにした。マヌエルアントニオという所で、サンホセからみるとモンテベルデとは反対方向にある。オレたちは丸1日かけてコスタリカを縦断した。
 モンテベルデが山のジャングルなのに対し、マヌエルアントニオは海岸沿いにひろがるジャングルだ。ここでも同じく自然保護区の公園以外にも各種アクティビティが充実していて、川でのラフティングが人気だ。ケイスケくんはやりたいと言っていたのだが、あまり金を使いたくないオレは
「高いからやめようよ」
 と言ってやめてしまった。彼には悪いことをしたが、50USドル(約5500円)は貧乏旅行者にはキツくないかい?
 ということでビーチもある自然保護区の公園へ行く。園内に入ったとたんイグアナに出くわした。「これは期待できる!」と思ったが、その他に見ることができたのは高い木の上でまったく動かないナマケモノ1匹だけだった。
 園内のビーチもきれいではなく、入場料7USドル(約800円)はかなり高い! という結果に終わってしまった。

 マヌエルアントニオに2泊し、オレたちはサンホセへ戻る。ここは治安の悪い中米の中でも特に治安の悪い町のひとつなのだが、治安の悪い地域とそうでない地域がはっきりしているという情報だった。その治安の悪い地域はバスターミナル周辺なので、バスでここへ来たオレたちは必然とそこへ足を踏み入れることになってしまった。確かに治安が悪そうな雰囲気が漂っている・・・。目的の宿へは歩いても時間はかからないのだが、ここは危険を避けるためにもタクシーだ。
 宿に着くと、そのフロントにはでかでかと張り紙が・・・。
「死にたくなければここから北へは行かないこと!」

 サンホセに着いたこの日は、ちょうどサッカーのワールドカップ北中米予選の試合があった。街頭の巨大なモニターで観戦し、大勢が盛り上がっていた。やはり中南米のサッカーは熱い! オレもサッカーが大好きだし、ケイスケくんは高校時代にインターハイで全国を経験、さらには埼玉県選抜にも選ばれたほどのサッカー小僧だ。オレたちもそこで一緒になって盛り上がったが、今後の期待も膨らんだ。これから行く南米はこんなもんじゃないはずだ! 南米に行ったらスタジアムに行こう!!

 明日、ここサンホセからコロンビアのボゴタへ飛ぶのだ。いよいよ南米! 今まで多くの人が最高だと言っていた南米!!

   
ジャングルでアスレチック / 見れた動物はイグアナとナマケモノだけ



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