やっぱ旅だね
《TRAVEL6》
タイ、ラオス 2007/4/29-5/5
152.重病
実はオレ・・・、今・・・、重い病に苦しんでいるんです・・・。治療法のない不治の病に・・・。
病名は・・・、「旅をしないと死んじゃう病」・・・。
「ドラッグよりも、ニコチンよりも、アルコールよりも依存性が強いもの。それが旅だ」
旅をしていた人間なら1度は耳にする言葉だ。オレもそんな旅依存症、つまり「旅をしないと死んじゃう病」にかかってしまった。
症状を和らげる方法はただひとつ。旅に出ること。しかし・・・。再び日本へ帰るとさらに症状は悪化するという悪循環の病気だ。
長い旅を終えたオレは、日本で働いている。始めの1年間はおとなしくしていたものの、旅の虫がうずいて夏休みに香港、正月休みにカンボジアへ出かけた。そしてゴールデンウィーク。今回もタイへ行くチケットを取ってしまった。いくらなんでも長期休暇を3回連続で海外なんて・・・。
完全に病気だ。
でもこんなんもアリでしょ? タイ風に言えばマイペンライ(まっいーか)でしょ!!
よっしゃー行くぜタイランド!!
とは言ったものの・・・、とりあえずバンコクへは行くわけだが、その後の予定はまったくない。バンコクに1週間いるのもどうかと思うし、かといって近郊の観光地はすべて行ったことがある。いっそ遠くまで行ってしまおうか? でも時間もないし・・・。
てな具合で、何の予定もなくタイへ向かうオレだった。
「いい加減なもんだなオレも」と思っていたが、それは出発前日になって焦りに変わった。よくよく日程を考えてみると、出発が朝だったことに気付いたのだ! 朝一の新幹線に乗っても間に合わねーじゃねーかっ!! 慌ててその日の深夜特急に乗り込んだのだった・・・。
早朝の東京に着いたオレは、一番早く成田へ着くことができる京成線に乗るために上野を歩いた。早朝の上野。ゴミが散らかり、干物のニオイや生ゴミのニオイが漂う。昼の喧噪が想像できる「祭りのあと」のような風景。どこかカオサンの早朝に似ている。やっぱりここは・・・、アジアだ。
学生の頃、オレはよく上野で遊んだ。新宿や渋谷にもよく行ったが、なぜか上野に惹かれた。理由は「ここにアジアがあったから」。
そういえば上野には磯辺焼きやら上野焼きやらの屋台が出ていた。屋台といえばアジアだ。といっても当時の、旅も知らないオレがここにアジアを感じたわけではないのだが、ここの空気が肌に合ったのだろう。
オレは根っからのアジア好きなんだな・・・。
そんなことを考えながら空港へ向かう。
チェックインを済まし、空港内の本屋で立ち読みをして時間を潰す。ちょうど東南アジアを主に扱う雑誌が目につき、ページをめくるオレ。
「んっ?」
オレはあるページで手を止めた。
「ビザがいらなくなったラオスへ行こう」
そう書かれている。この時初めてラオスへノービザで入国できるようになったことを知ったオレ。
「どうせ何の予定もなかったのだ。これこそタビガミ様のお導き!」
オレは「これを見てしまったからにはラオスへ行かなくては」という思いにかられた。バンコクから12時間もかかるラオスへ・・・。
タビガミ様の仰せに従います。
153.カオサン
オレは今まで多くの国を訪れてきた。「一番良かった国は?」と聞かれることは多いが、気分によってインドあるいはタイと答える。それだけインドとタイはダントツで好きな2つの国。
今回そのタイへ2年と3ヶ月ぶりにやって来た。これだ! ここだ!! やっぱオレはここなのだ!!!
空港を一歩出た瞬間にそう実感した。このニオイ! この空気!!
真新しいスワンナプーム空港を出て、安宿街のカオサンへ向かう。夕方到着の便とあって、お決まりの大渋滞だ。2時間近くもかかってようやくカオサンへ。
「うーん。やっぱりね・・・」
オレはタイという国へ今回で11回目の入国になる。その大半の時間を過ごしたカオサン。ここは来る度にどこかが変わっていて、その度にツーリスティックになっていく街だ。今回ここへ来たオレも、「うーん。やっぱりね・・・」と思わざるを得ないような変化ぶりだった。オシャレなショッピングセンターに小奇麗なレストラン、カフェ、ホテル、クラブ・・・。
オレが旅を知る前の、ヒッピーやジャンキーに溢れるカオスの街だったカオサンの面影も今は少ない。タイ人の若い女の子たちにさえも「オシャレな街」として認知され始めたというから、かなりのイメチェンだ。
それは良くもあり悪くもあるのだが・・・。いったいどこまでいくのだろう・・・。
宿を決め、そんなカオサンを歩く。変化は激しいとはいえ、変わらない部分ももちろん多い。いつもの安食堂にいつもの屋台、そしていつものバックパッカーたち・・・。オレは彼らの姿を見ていて羨ましくなった。旅の中の彼らが・・・。オレも2年前まではこの中に身を置いていたのだ。今この瞬間のオレも旅をしているわけだが、今のオレの旅と彼らの旅、つまり今のオレの旅と以前のオレの旅は根本的にまったく違うものだ。
旅が日常か? 非日常か? 今のオレは後者で、以前のオレは前者。
オレは旅の日常の中にいる彼らを見て、改めて理解した。
「旅依存症の治療法は旅にでること、しかしそれは症状をさらに悪化させる結果となる」
まさに今のオレがそれなのだ。
154.ビエンチャン
朝、韓国語のうるさい会話で起こされる。隣の部屋に泊っていた2人組の韓国人の女の子が大声で会話していたからだ。早起きしたついでに街を歩いた。ブラスメンというチャオプラヤ川沿いの要塞跡へ向かい、ベンチで心地よい風に吹かれながらチャオプラヤを眺める。しばらくして腹が減り、タイでは定番の朝飯、米の麺のクイッティオを食べる。お気に入りの店がつぶれていたのが残念。
宿へ戻り荷物をまとめると、オレはファランポーン駅へとバスに乗った。この日の夜行列車のチケットを買いに行く。タビガミ様のお告げどおり、ラオスへ向かうのだ。
夜行列車は満席だった・・・。今から出る列車に乗ることもできるが、時間がもったいない。短期旅行の今回は、とにかく時間の節約のために夜行移動をしたいのだ。しかたがなく夜行バスに切り替えることにした。意外にもオレはタイでは寝台列車に乗ったことがなく、それも今回の楽しみのひとつだったのに・・・。
バスの時間まで街を歩き、久々のバンコクを楽しんだ。地下鉄も開通して便利になったし、コンビニも今まで以上に増えていた。ますます日本に近くなった印象だ。しかしそれはカオサンの変化同様に、良くもあり悪くもある。バンコクが東京に近づいているように、それこそ世界中が同じような町になってしまうかもしれない。そんなのつまらなすぎる。
そんなことを心配していたオレだったが、この翌日にはその憂いがさらに大きくなる風景を目にすることになった。
場所はラオス、首都のビエンチャン。
オレが前回ビエンチャンに来たのは3年半前のことだ。ビエンチャンは首都だというのに、ビルと呼べるような建物すら存在しないような、静かでのんびりとした、良い意味で近代化していない街だった。
3年半で劇的に変貌を遂げたというほどではないが、メコン河沿いには巨大なホテルがいくつか建設中で、市場は立派な建物のショッピングセンターに変わっていた。
街や国が発展していくのは良いことかもしれないが、オレの好きだったメコン河の風景や、庶民の市場が消えていくのは残念だ。旅行者目線の勝手な意見なのだろうか? ラオスの人々はどうとらえているのだろうか? 日本や多くの先進国が近代化と引き替えに失ってしまったものを、ラオスも失っていくのだろうか?
それに・・・、これらの建設に関わっているほとんどが中国資本だということも、個人的には気に入らない・・・。
とにかく、ラオスを信じよう。
155.バンビエン
タイ、ラオス国境から乗ったバスは、変わりゆくビエンチャンの中をバスターミナルへ向かった。オレはここでミニバスに乗り換えて、バンビエンという小さな町へ行く。3年半前はビザ取りのために時間がなくて、行きたかったのに行けなかった場所だ。中国の山水画に出てくるような形の山に囲まれた、川の流れる小さな町。旅行者には人気で、特に欧米人の長期滞在者が多い。
宿を探して歩いていると、ふいにシェイクが飲みたくなった。こんな時、短期旅行は便利だ。荷物は少なく小さなリュックひとつなので、宿をとる前にレストランへ入り早くも一休み。
喉も癒されたところで宿を決め、早速オレは川へ向かった。
自然の中を流れるこの川を、タイヤチューブでプカプカと浮かびながら川下り。というのが人気アクティビティなのだが、1人だったのでそんなこともできず、オレはただ川に足をつけて河原で寝転がっていた。ビール瓶を横に置き、山と空を眺めながら川で遊ぶ子供たちの声に耳を傾ける。オレが子供のころ、地元の静岡にもこんな光景があった。今でも無くなってしまったわけではないが、こんな場所は減ってしまっている。日本が失ってしまったもの・・・。オレの大好きなこんな場所・・・。それがここにはあった。
それにしても・・・、オレはビーチにいても山にいても、結局は同じことをしているんだな・・・。
アルコールもイイ感じで体にまわり、足も冷たくて気持ちが良い。オレはそのまま河原で眠ってしまい、しばらくして目を覚ますと風景は一変していた。空は真っ暗、風が出てきて、遠くでは雷が鳴っている。
「早く宿に帰らなきゃ」
5月の初め。この時期のインドシナ半島は、夏の終わりで雨季の始まり。毎日決まって夕方にスコールが来る。季節の移り変わりとともに雨の時間は遅くなっていき、スコールは夕方から夜、そして深夜から早朝へと変わっていく。朝スコールが来るようなると雨季が明けるというわけだ。
とにかくバンコクでもラオスでも、毎日夕方に雨が降った。昨日もバスターミナル直前でビショ濡れになってしまい、バスのエアコンで凍えることになってしまったのだ。
帰っても特にすることはないのだが、オレは宿へ戻ることにした。
宿に着くとすぐに、激しい雨が降りだした。雷も激しい。帰ってきて正解だった。
シャワーを浴び、音楽を聴きながら本を読んで時間をつぶす。長期滞在の旅行者が多いとあって各国の書籍をそろえた貸本屋があり、雨でこれが活躍した。
でも待てよ・・・、オレって・・・、本読めない人だった・・・。本を読んでいるとなぜかいつも眠くなってしまい・・・。
さっきまで川で寝ていたのに、また眠ってしまった・・・。
夜、目を覚まして夕食を食べに出る。雨は上がり、屋台が出ていた。レストランは欧米人たちで溢れている。よくあるパターンだが、こんな街に1人でいるとメシが寂しい。またしてもみんなが羨ましくなるオレだった。
そんな寂しい気分になってしまったオレだったが、それでもこう思える。
「やっぱ旅だね」
156.旅は急ぐな
翌朝、オレはビエンチャンへ移動した。バンビエンでもう1泊しても良かったが、ビエンチャンで行きたいところがあったのだ。それは前にラオスへ来た時に泊まった宿。この宿で働く女の娘たちと仲良くなり、ディスコテカへ行った思い出がある。
「彼女たちはオレのことを覚えてくれているだろうか?」
そんなことを考えながらその宿へ向かった。
以前と変わらない場所に、変わらない建物でその宿はあった。女の娘たちは・・・。オーナーの娘以外はもうここで働いていないらしい。しかもオーナーの娘もオレのことは覚えていなかった。
まっ、当たり前か・・・。オレは単に何千何万といる宿泊者の1人。覚えているわけはなかった・・・。
こんなことは前にも経験したことがある。東南アジアから長い旅を始めたオレは、地球を一周して再び東南アジアへ戻って来た。そして良い思い出のある宿や場所を何ヵ所か訪れたのだが、変わってしまっていたり、前のような良い時間を過ごすことができなかったりということがあったのだ。今回もやはりそうだった。
ビエンチャンに1泊し、夜行バスでバンコクへ戻る。実はバンコクにも仲良くなった姉妹のいる宿があったが、行くのをやめた。
良い思い出は思い出のままキレイに残しておいた方が良いのだろうか? もちろんすべてがそうだとは思わないが・・・。
オレは最後のバンコクをくたくたになるまで歩いた。最後に行ったタイマッサージで熟睡してしまうほど疲れていた。
「旅をして疲れちゃダメだな。そもそも今回は急ぎ過ぎだった」
そう思っていたのだが・・・、翌日の日本でそれを思い知ることになってしまった・・・。
今回の旅の日程はこうだ。出発前日、夜行列車で静岡から東京へ。バンコクへ着いて1泊。夜行バスでラオスへ。バンビエン、ビエンチャンでそれぞれ1泊。夜行バスでバンコクへ。そして帰りの飛行機でも機中泊。
つまり、出発前日から数えると7日間で3回しかベッドで寝ていない。しかも移動の連続。これはハード過ぎた。短い日程で欲張りすぎたのだ。
結局オレは成田に着くと急に体調が悪くなり、帰りの高速バスの休憩時間にサービスエリアのトイレで嘔吐してしまった。家へ帰るとそのまま寝込んだ・・・。
翌日まで仕事が休みだったのが幸いして1日でなんとか回復したが、今回は大失敗の旅だった。何が「タビガミ様のお告げ」だよ!
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