そして日本
日本 2007/5-
157.伝える 2007 5/13
ゴールデンウィークのタイから戻って1週間。仕事が忙しくて旅の余韻に浸るヒマもあったもんじゃない。帰りは毎日深夜。これだけ忙しく日常に追われていると、「旅をしないと死んじゃう病」も症状が和らぐ。ある意味ではこれで良いのかもしれない。
家へ帰って溜まっていた郵便物に目を通した。車の重量税の請求書すら開封していなかったからだ。届いていたセーブザチルドレンのニュースレターに読みいる。
こんな記事が目についた。
「スマトラ沖地震から2年」
「被災地は依然として困難な状況にある」
そういえばアリさんたちはどうしているだろう・・・? ベッドでそんなことを考えながら、眠りについた。
セーブザチルドレン。世界中の貧困国で、主に子供を対象としたボランティア活動をしている団体だ。
トモヒロくんとのカンボジア取材の旅で出会った、プノンペンに学校を建てているササキさんの活動に、オレは少なからず感銘を覚えていた。
「世界中を旅させてもらったオレにはその恩返しをする義務があるのではないか。オレも何かしたい、オレも何かしなければ」
そんなことを思ったオレは、日本で働きながらでも何かをできないかと考えていた。そんな時にネットでこの団体のことを知り、オレはサポートを始めたのだった。
オレにできることは少ないが、少しでも世界が良い方向へ向かえば幸せだ。
そしてこんなことも思った。オレがこのようにボランティアを支援するようになったのも、もともとは旅をしたからに他ならない。もっと多くの人に、海外支援のボランティアに目を向けてもらうためには、旅を知ってもらう、世界を知ってもらうのは良いことなのではないか? いきなりボランティアといわれても腰が重いだろうが、旅ならそうではないはずだ。旅からボランティアに発展する、つまり旅がその第1歩となるのなら、オレは1人でも多くの人に旅を伝えていこう。
それが、オレにできる最大の恩返しなのかもしれない。このホームページはその、大事なツールなのだ。もっと力いれなきゃな・・・。
158.旅は強し 2007 5/13
話がカンボジアの旅の後まで戻ったところで、もうひとつ書こうと思う。
カンボジアから帰り、普段の会社での生活に戻ってすぐのことだった。オレは会社の社長からこんなことを言われた。
「今度3泊4日の合宿でリーダー研修があるから、君たち行ってくれないかな」
詳しい内容は伝えられず、オレは同僚と2人でその正体不明の研修とやらに行くハメになった。
研修は、「自己啓発セミナー」と呼んでも間違えではないようなものだった。とにかく洗脳、洗脳だ。始めは恐ろしくなったが、会社で行かされたのでしかたがないと割り切り、逆に楽しんでやろうというつもりで臨んだ。
しかし、単純なオレは完全に洗脳されたのか、2日目以降はその世界観にどっぷりとハマってしまった・・・。その団体もカンボジアでボランティア活動をしていたり、訓えの内容がオレが旅で感じたもの似ているということもあったのだろう。
最初の印象とは違い、これを体験して良かったと思えるようなものだった。
ところがそんなプチ洗脳も、1週間もすればもとどおり。今回のこの研修はまだまともな内容で助かったが、危ない宗教団体だったらどう責任とってくれんだよ! 洗脳がこんな簡単なものだったとは・・・。我に返ったオレは、研修が始まった時のような恐ろしさを感じた。
そしてもう1つ感じたことがある。この研修での内容はオレが旅で感じたことと似た部分があったのだが、「たったの4日間で強制的に感じさせられたこと」と、旅を通じて「1年8ヶ月かけて自分で感じたこと」ではまったくその強さが違うということ。それを今回は身を持って実感した。
旅のすばらしさを、意外なところで感じたできごとだった。旅は洗脳よしも強し!!
159.呼ばれた人間 2007 8/1
「旅に出ることができるのは呼ばれた人間だけだ」
旅の世界ではよく聞く言葉だ。オレは呼ばれた人間だったのだろうか? 残念ながらオレは「呼ばれた」と感じることは旅をしていて少なかった。しかし・・・。
今現在のオレは、完全に呼ばれていると確信している。タビガミ様に「戻ってこいよ〜」と呼ばれているに違いない。そう思わざるを得ない大きな事件が起こったのだ!!
旅から帰ってきて2年が経った。今では完全に日本社会に復帰して働いていた。「旅をしないと死んじゃう病」にはかかっているものの、会社の長期休みに海外へ行くことでそれも解消している。今ではリーマンパッカーというわけだ。
「また長い旅に出よう」
そんな気はなくなり、今のオレにとって「旅は仕事の活力」と考えられるようにもなった。会社にも不満は多いものの、だからといって辞める気もない。私生活においても、一応ギリギリで順調だといえるような環境だった。
ところが・・・。
会社が経営難に陥り、自主退職者を募るという事態にまで発展してしまった。そして、ほとんどの社員は会社を辞めることに決めた。オレも迷う余地すらなかった。これだけ人がいなくなれば仕事どころではないし、なによりこの状態の会社では先が不安だ。転職をするにしても少しでも若いうちの方が良いだろう。
ってなわけで! また旅に出ることにした!!!
もう2度とすることはできないと思っていた長い旅の世界へ、再び戻る!! 今回会社がこうなったのも、オレがタビガミ様に呼ばれたからなんだ!
160.「8.16」 2007 8/16
会社を退社することになってから、辞める社員側と会社側で退職金についてモメ事が起こった。会社を退社してからもそれは解決せず、片付くまで1ヶ月近くがかかってしまったため、オレの出発も遅れてしまったのだ。
やっと日本を発てる状況になり、チケットを手配する。この時点で8月の第2週。出発するのは8月15日前後の予定になった。8月16日・・・。「8.16」・・・。オレとナグが「決断の日」と名付けたあの日・・・。その1年後に旅を始めたあの日・・・。
今回もその運命の日「8.16」を選ぶことはできた。しかし、オレはあえてそれをしなかった。
「今回の旅は前回の旅とは違うんだ」
オレは今回の旅はただ純粋に楽しみたいと考えている。人生に大きな影響を与えた前回の旅とは区別したかったのだ。
決して大事な「8.16」を忘れたわけではないし、過去を捨てたいだとか、呪縛から逃れたいということでもない。むしろ大切にしたいからこそ日をずらすことにしたのだ。
さらに気分を変えるため、いつものように成田からの出発ではなく、名古屋からの出発を選んだ。何もここまでこだわる必要はないのだが、どうもオレはひとつひとつのことに意味を持たせたいと考えてしまう。
8月18日。名古屋発、中国の西安行き。これが新しい旅のスタート。
ところで今回のオレの場合、会社の都合による退社ということで失業保険がもらえる。オレの場合3ヶ月間支給され、その期限は退社から1年以内。退社して約1ヶ月後に旅立つことになったので、つまり8ヶ月で帰ってきて申請すれば良いわけだ。1+8+3で12。これで自然と旅の期間も決まった。
これがなければまた長々と旅をしてしまったかもしれない。そう考えると助かった。
よっしゃー!! 旅だ!!!!
今回は前回行かなかった所を中心にまわる。まず中国へ行き、シルクロードを通って中央アジアへ。寒くなる前に中国へ戻り、チベット。そこから先はネパールへ抜けてインドへ行くか、東へ抜けて東南アジアへ行くか。とにかくチベット以降については旅をしながらルートを決める。アフリカにも行きたいし、ヨーロッパにも行きたい。ルートを考えているだけでもわくわくしてきた!
そして、旅の途中ではボランティアをする機会にも出合えれば良いなと思う。カンボジアへ行ってから考えていたことも、新たなステップへ進めるかもしれない。
やっぱなんだかんだいっても、旅だぜーーーーー!!
さー行こう!!
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