欧州!猛ダッシュ!
〈モロッコ&ヨーロッパ編〉


モロッコ(45ヶ国目) 2008/2/18-3/1
スペイン(46ヶ国目) 3/1-6
イタリア(47ヶ国目) 3/6-11
バチカン(48ヶ国目) 3/7
フランス(49ヶ国目) 3/11-13
モナコ(50ヶ国目) 3/11
スペイン 3/13-18
イギリス領ジブラルタル(51ヶ国目) 3/18
モロッコ 3/18-20






200.後遺症     2008 2/19 (モロッコ)

 オレは知っている。自分が精神的に弱い人間だと・・・。しかし、オレは自分が思っていた以上に軟弱だった・・・。

 デリーでの事件はやはりショッキングだった。Aくんの行動、Aくんを守ってあげられなかった自分たち、その後の大使館からの電話。精神的にショックを受けたオレの脳は極限状態に近かったのかもしれない。
 そして、人間の精神と体がちゃんとリンクしていることをイヤな形で思い知らされる。
 デリーの空港に着いたころから体調が悪くなり、飛行機に乗るとそれは悪化、ついには機内のトイレで嘔吐してしまった。それからのオレは、ほとんどの時間を眠っていた。UAEのアブダビへ向かう間、アブダビで乗換えの飛行機を待つ間、そしてモロッコへ向かう間。
 ふとオレは目を覚ました。寝ぼけていたのか? 時差ボケか? それともオレの脳が限界を越えていたのか? とにかくオレは今どこへ向かっているのか分からなくなった。わけが分からなくなりパニック状態に陥ったオレ。全身から脂汗が噴き出した。
「アブダビってもう着いたっけな?」
「乗換えした記憶もあいまいだな・・・」
「んっ? 飛行機間違えて乗っちゃったのか??」
「ところでデリーでの出来事は夢じゃないよな・・・」

 もう最悪だった・・・。

 デリーでいろいろと下調べしようと思っていたモロッコ。しかしそんな時間をとれなかったオレは、何も分からないままモロッコに到着してしまった。
 空港から列車に乗り、カサブランカ市内へ。空は黒い雲で覆われ、小雨が降る天気。依然として頭はぼーっとしてしまっているし、天気のせいで気分もさえない。
 カサブランカの駅に到着したが、泊まろうとしていたユースホステルまでの道が分からない。市バスに乗ろうと思って人に話しかけるが、頭がどうかしてしまっているオレはそんなことが面倒になってしまった。そして交渉もせずにタクシーに乗ってしまう。当然ボラれる。そして自分が悪いのに頭に来る。ドライバーとケンカ。
「このままじゃまずい・・・、とにかく宿で寝よう」
 ところが、そうはいかなかった。ここのユースは部屋を使える時間帯が限られていたのだ。夕方から朝までの間しか部屋に入ることができない。オレはチェクインを済まして荷物を置くと、部屋から追い出されてしまった。

 しかたがないので街をぶらつく。が、この日街で接した人間の多くには好感を持つことができなかった。
 タクシーでムカツキ、宿でムカツキ、街でムカツク。あっという間にモロッコの人間をキライになってしまった・・・。そしてこの空・・・。
 残念ながらこの国の第一印象は最悪・・・。だが、これはデリーの事件の後遺症なのだと考えることにした。これからはモロッコを好きになるように努力しなければならない。こちらから好きにならなくては、絶対に向こうからも好かれないのだ。

 それにしても・・・、曇り空の冬のカサブランカ・・・哀愁漂いまくりです・・・。


海岸沿いにあるハッサンU世モスク



201.聖地の骸     2008 2/23 (モロッコ)

 とにかく移動することにした。早く旅モードに戻らなくては・・・。
 カサブランカには1泊だけしてマラケシュへ。ここはバックパッカーの聖地として有名な町で、モロッコNo.1の観光地だ。オレがモロッコに行きたかったのは、このマラケシュへ行きたかったからと言ってもいいほど期待大の場所。ここは最後にとっておくつもりだったが、このまずい気分を晴らすために最初に行くことにした。

 カサブランカの街を離れたバスは南へ走る。草原、畑、緑の丘が続く風景に驚くオレ。想像していたのは砂漠や荒地だったが、そうではなかったからだ。緑にあふれる穀倉地帯がひろがっている。
 4時間も走ると、明らかにマラケシュに着いたと分かるような街並みが目に飛び込んできた。真新しいホテルやオシャレなカフェ、レストランが建ち並ぶキレイな街だ。道路や街路樹も良く整備され、建物はすべて茶色に統一されている。旧市街の中心、ジャフナ広場は大道芸人や屋台で賑わい、巨大な迷路のような市場の土産物屋には日本でも人気のモロッコ雑貨が溢れている。ツーリスト向けの店がほとんどなので困ることもないだろうし、歩いていて楽しいだろう。が、オレはそれが気に入らなかった・・・。
「ディズニーランドかよ」
 これではいかにも造り物の街に見えてしまう。つまりニセモノに見えてしまうのだ。まさにディズニーランド。土産物屋のテーマパークだ。かつてバックパッカーの聖地と呼ばれたマラケシュはなかった。近代化した真新しい観光地の、造り物の、ニセモノのマラケシュしかなかった。当然この町の人々は旅行者擦れしていて、彼らと接していると気分が悪くなるようなことが多い。
 オレは世界中の観光地がこのようになってしまうのだろうと考えると、悲しい気分になる。実際このようになってしまった街もいくつも見てきた。時代の流れ? 近代化の波? バックパッカー目線の勝手な言い分?
 とにかく、ここには10年前に来たかった。今のマラケシュは、聖地の骸でしかない・・・。

 ところで、モロッコの宿にはシャワーがない宿が多い。一般家庭においてもそれは同様のようで、モロッコの人たちは「ハマム」と呼ばれるサウナへ通っている。当然、旅行者のオレも行くことになった。
 ハマムはアラビア文化圏では良くあるものなので、今までにも何度か経験していたが・・・、やっぱい〜ね〜! 風呂屋は。
 オレがハマムへ行くと、決まって誰かが「あーしろ、こーしろ」とハマムでの過ごし方を教えてくれ、そのうち他の誰かが桶をとってきてくれたり水を汲んできてくれたり、なぜかみんな親切にしてくれる。街ではウマが合わないモロッコ人だったが、裸と裸の付き合いとなると話は別だったのだ。街で話す人となると、売り手と旅行者という立場が先にたってしまうのだろう。そこで話が上手くいかなくなりお互いイヤな思いをする。結局は金がからんでしまうからなのか・・・。そう考えるとやはり悲しい。やはり今のマラケシュは行き過ぎてしまった・・・。

 マラケシュには3,4日いるつもりだったが、そんなこの町に失望してしまったオレは2泊だけして次の町へ。次はエッサウィラという所だ。この町は海辺に街が造られていて、旧市街は城壁に囲まれている。青い海に青い空、白い家々に白いカモメという美しい街なのだが・・・。残念ながらオレのいる間はただの一度も太陽は姿を見せず、黒い海に灰色の空、灰色の家々に黒いカモメ、こんな風景になってしまった・・・。荒れ狂う冬の日本海、目を閉じると聞こえてくるのは演歌。そんなイメージだ。
 それでもこの町ではいくつかの良い出会いもあり、モロッコ人嫌いも少しだけ解消された気がした。

 オレはこの後フェズという町へ行きたいのだが・・・。なんとルートをミスしてしまった! 逆回りだったのだ! カサブランカ→エッサウィラ→マラケシュ→フェズと回ればうまく移動できたのだが、カサブランカ→マラケシュ→エッサウィラと来てしまったために、一度カサブランカかマラケシュに戻らなくてはならない。
 ナゼこうなったのかというと・・・、当然オレの下調べが足りなかったからで・・・、つまりは・・・。そうだ! デリーでの事件のせいなのだ!! そう考えると本当に申し訳ないが、オレはA君に怒りをおぼえてしまった。
 が、それが思わぬ方向に作用した。この怒りがオレには良い方向に働いたのだ!
 未だに完全には事件のショックから立ち直れていなかったオレは、ふとした瞬間にあの事件のことを思い出してしまうことがあった。その度にテンションが落ちる日々が続いていたのだが、それが怒りやムカツキに変換されるようになったのだ。怒りやムカツキの方が、事件のショックよりもはるかに精神的負担が小さい。このおかげであの事件のショックは消えつつある。
 モロッコやモロッコ人を好きになれないのも事件の後遺症かもしれないと考えていたが、この調子でモロッコも好きになれれば言うことないのだが・・・。

   
マラケシュはバックパッカーの聖地だった / 日本海っぽい曇り空のエッサウィラ



202.やっと出会った     2008 2/28 (モロッコ)

 ルート設定に失敗したオレはしかたがなくカサブランカへ戻り、その翌日フェズへ移動した。この町もマラケシュ、エッサウィラ同様に旧市街が世界遺産になっている。この3つの町はそれぞれ砂漠、海岸、穀倉地帯とロケーションこそは異なるものの、街の感じは似たようなものだった。モロッコお決まりのパターン。迷路のような旧市街が土産物のテーマパーク化した町。正直飽きてしまう・・・。そして相変わらずの天気の悪さと、人の悪さ・・・。特に人間はこのフェズが一番タチが悪かった。オレは泊まっていた宿のスタッフと2日連続でトラブルを起こし、モロッコ人嫌いもかなり深刻なところまできてしまった。
 もういい! この国にいる間は向こうから話しかけられても一切無視することにした! それで得るものが少なくなったとしても、話をして失うものの方がはるかに多い!
 モロッコの人たちを好きになるように努力をしていたが、キライになる一方・・・。本当に残念だ・・・。

 テンションが下がってしまったフェズの次はシャウエン。この町はモロッコ北部にあり、さらに北へ行くと大西洋。ジブラルタル海峡だ。そこを渡ればヨーロッパ。つまりシャウエンまで行けばもうスペインは間近だ。
 バスは北へ走る。この国へ来て最初にも驚いたが、モロッコはイメージとは違い緑豊かな国だ。移動時の風景も農地や山、牧草地など、緑が絶えない。
 今回のフェズからシャウエンの間の区間は、そんなモロッコでもベストの風景ではないかと思える風景だった。いくつもの緑の丘を越え、山を越える。峠にさしかかる度に眼下に自然豊かな風景がひろがった。中でも気に入ったのは見渡す限りの草原に湖があり、その湖面に岩山が映り込んだ風景。いくら端の端とは言え、アフリカ大陸にこのような素晴らしい景色があるとは思いもしなかった。
 途中バスはいくつかの小さな山の村に立ち寄った。小さなレンガ造りの家が森の中に点在している。どこかメルヘンチックな風景。これを見てもヨーロパに近づいたことが実感できた。
 そしてバスは目的地のシャウエンへ。オレはその街並みが目に入った時、モロッコに来て初めての感動を味わった。
 バスが峠を登った瞬間だった、隣の山の斜面に白い家々が建ち並ぶ風景が飛び込んできた。シャウエンの全景だ。緑の山に青い空、そこに白い家が実にキレイ。
 バスターミナルから街へ歩く間も風景は良かった。坂を上り街へ入ると、白一色に見えた街は白と水色に統一されていたことに気付く。外から見ても中から見てもキレイで、カワイイ感じの町だ。散歩をしていると本当に気持ちが良い。
 モロッコでやっと良い場所に出会えた! そんな気分だった。天気も良くなったしサイコーだ!! フェズでこの国を大嫌いになりかけたとたんにこれだ。オレの気分もシャウエンの天気と同じようにやっと晴れたのだ。タビガミ様も粋なことをしてくれる・・・。もしもこの後に行くヨーロッパが気に入らなければ、もう一度ここへ戻ってこようとすら思えるような町だった。

 それにしても天気が良いというのは町の印象をガラリと変えてしまうものだ。もしかしたらこれまでの町も、晴れていたら全く違うことを感じたかもしれない。天気が良い季節に日程を合わせられれば言うことないが、今回はそれができなかった。天気が悪いのは始めから承知していた。しかし、それでもやっぱ残念だ・・・。

 2泊してさらに北上、次はティトゥアンという町。ここもシャウエンと似た造りの町で、山の南斜面に白い家が建ち並んでいる。シャウエンの家が白と水色なのに対して、ティトゥアンの街は白一色。真っ白なまぶしい街だ。ヨーロッパ建築にも影響されたデザインの白い家々は、青空に良く映えた。そういえばシャウエン以来ずっと天気が良い。きっとスペインに近づいてきたからだろう。スペインは「太陽の国」と呼ばれるほど晴れの日が多いのだ。
 ティトゥアンは世界遺産に登録されているが、それは新市街の白い家々ではなく、やはり他のモロッコの世界遺産同様に迷路のような旧市街の市場だ。ひとまわりしてみたが、やはりもう飽きてしまったどの街の旧市街とも同じ。オレは白い新市街の方に魅力を感じた。そしてそれを最も感じる場所へ行く。町の外だ。オレは町の外に出て、白い山となった町の全景を眺めた。

 次はいよいよスペイン。ヨーロッパだ! 移動や宿、生活の快適さは保障されるだろうが、サイフが心配だ。それに宿の高いヨーロッパでは、宿代を浮かすために夜行移動の連続にならざるを得ない。体力も必要なのだ。ヨーロッパはバックパッカーにはつらい地域だとは承知しているが、それ以上に楽しみな気持ちが強い。よっしゃー気合い入れて行こう!

   
モロッコの建物はオシャレ / 水色と白がキレイなシャウエン



203.またヤツらのせいで・・・     2008 2/29 (モロッコ)

 モロッコの北端、つまりアフリカ大陸の北の端に、ほんの少しだけスペイン領がある。アフリカにあるスペイン。それがどんな所かを見てみたくて、オレはそのスペイン領のセウタへ行くつもりだった。モロッコのテトゥアンから陸続きの国境を越えてスペインのセウタへ、そこからフェリーでジブラルタル海峡をスペイン本土へ渡るのだ。

 テトゥアンから乗合タクシーにぎゅうぎゅう詰めにされて1時間。セウタとの国境へ到着した。今日も晴れていて海がキレイだ。遠くに見えるセウタの街も、テトゥアン同様に白くまぶしい。この気持ちの良い天気、ヨーロッパへの期待、それに陸路で国境を越えるのが久々だったことでテンションも上がった。
 ところが・・・。なんとオレは、モロッコのイミグレで出国を拒否されてしまった! 「空路でモロッコへ入ったから空路で出国しろ」という理由だ。そんな決まりがあるわけねーだろっ!! 当然ゴネる。粘る。しつこく食い下がる。が・・・ダメだった。これ以上粘ってもそのうちケンカになって逆効果だ。そう判断したオレは一時退却。しかし諦めたわけではなかった。公衆電話から大使館へ電話を試みる。が、ツーともブーとも音がしない・・・。近くの人に掛けてもらったが、どうやら電話が壊れているらしい・・・。近くを探してみてもどの公衆電話も線が切られている。なんで? もしかして、オレのような旅行者に電話をさせないように意図的に壊している? もしそうだとしたら最悪にタチが悪い・・・。
 まーいっか。こうなりゃハッタリ作戦だ!
 オレはもう一度出国ゲートへ戻り、さっきと同じ窓口へ。
「今大使館へ電話をしてきたから、オレを通さないと大問題になるぞ!」
 係の男はオレのパスポートを持ってスペイン側までオレを連れて行った。よっしゃー! オレをナメるなよ!! と一瞬思ったが、今度はスペイン側でチェックをするらしい。パスポートに赤外線やブラックライトをあててパスポートを検査する。そして・・・、スペインの職員が言った。
「これは偽造だ」

 モロッコ人もムカツクが、スペイン人もムカツク! なんでこれが偽造なんだよっ!! パスポートの本物か偽物かも見分けられないのかよ? 案外スペインもたいしたことない国なのかもしれない・・・。 とにかくオレはムカついたが、怒りの矛先が違うことは始めから分かっていた。出国を拒否された理由も、偽造だと疑われた理由も、始めから理解していた。本当に悪いのは、モロッコの職員でもスペインの職員でも、ましてオレでもない。悪いのは・・・毎度のことなのでもうあきれるのを通りこしているが、こうなった原因をつくった本当に怒るべき相手は中国人だ!! ヤツらが日本人や韓国人のパスポートを盗み、それを偽造して世界中の先進国で不法入国、不法労働、不法滞在、犯罪を繰り返す。このためオレたち日本人や韓国人は疑われて厳しくチェックされるのだ! まったくいい迷惑だ! だから中国人は世界中で嫌われ、同じような顔のオレたちまで被害を受ける! モロッコでも中国人差別はひどく、オレのモロッコ人嫌いの理由のひとつでもあるのだ。

 とにかくオレはテトゥアンまで戻り、大使館へ電話を入れた。大使館の人が国境へ連絡を入れてくれることになったので、明日もう一度チャレンジだ。しかし同じ国境では怪しすぎるし、同じ場所へまた戻るのもおもしろくない。オレはモロッコとスペインのもうひとつの国境、タンジェへ向かうことにした。タンジェの港からスペイン行のフェリーが出ている。
 さて、どうなることやら・・・。

   
真っ白な街が気持ち良いティトゥアン / ここで追い返されたオレ・・・



204.ユーロイン     2008 3/1 (モロッコ、スペイン)

 タンジェは旅行者に評判の良くない町だ。タチの悪い客引きや物売りにしつこくつきまとわれるからなのだが、オレはそれを感じなかった。いや、正確にはモロッコではどこでもこうなので、特別タンジェがヒドイというわけではないのだ。たぶんスペインから入った旅行者がモロッコで最初の町となるここでそれを感じるのだろう。

 翌朝フェリーターミナルへ。スペイン入国再チャレンジだ。が・・・、大使館の人が連絡をしてくれてあったにもかかわらず、またしてもイミグレで止められ「ポリスステーションへ行け」と言われてしまった。ポリスステーションで本当に日本人かを確認するための日本語テストを受ける。30分もかかってしまったため、時間はギリギリだ。
 ようやくイミグレを抜けられ、走ってフェリー乗り場へ。ところが今度はフェリーのチケットチェックで止められてしまった。
「ポリスステーションへ行け」
「もう行って来てOKもらったよ」
「ダメだ。ポリスステーションへ行け」
「ふざけんな! イミグレ通って来たんだからノープロブレムなんだよ!!」
「ダメだ」
 結局オレは再びイミグレまで戻ってポリスステーションまで行くハメになってしまった。すると・・・、
「何だ? 何しに戻ってきた? 行け行け」
「・・・・・・・・・」
 まったく連携がとれていねーじゃねーかっ!!モロッコ人はまったく仕事ができない・・・。

 そんなこともあったがやっとモロッコを出国できた。これだけ苦労したわりにはフェリーはたったの30分でジブラルタル海峡を渡りきり、スペインのタリファへ到着。しかも入国審査は過去最高にイイカゲン! 何も見ずにスタンプを押すだけ、荷物検査もなし。つまりスペインはすべてモロッコにまかせっきりというわけだ。それでチェックが厳しかったのか・・・。

 未だにヨーロッパの情報ゼロのオレは人に道を聞きながらバス停へ。3年前に中南米で覚えたスペイン語も、まだ道を聞くくらいならなんとかなる。これは本当に助かった。なぜならオレが次に行く予定のセビージャ行きのバスは、バスターミナルからではなく街のバス停から出ていたからだ。しかも繁華街の中心からは距離があるうえに、実に分かりにくい場所にある。スペイン語が分からなければ辿り着くのは至難の業だった。
 難なくそこを見つけられたオレだったが、ツイていないことにバスは2時間後。しかたがなく近くのサンドイッチ屋に入り時間をつぶす。何はともあれ、まずはビールだ! モロッコ人はそれほど敬虔なムスリムではないくせに、アルコールはあまり飲まない。モロッコの前にいたインドでも高くてまずいビールはあまり飲まなかった。つまり久々のビール! スペインでは昼からビールを飲んでいる人は多く、値段も物価の割には安い。太陽の国の青空の下、気持ちよくビールを飲むことができた。これからもビールで空腹をまぎらわすことが多くなりそうだ。

 タリファからセビージャへ向かう途中の景色は良かった。モロッコ同様に緑鮮やかな丘が続き、天気も良いので白い家々がまぶしくキレイだった。バスが寄った何ヵ所かの小さな町では必ず教会が目に入り、そのどれもが美しかった。こんな小さな町にまでこれほど立派なものがあるのだと感心してしまう。
 2時間半でセビージャへ到着。この町はスペイン南部のアンダルシア地方最大の町で、アンダルシアはフラメンコと闘牛の本場だ。この地方がスペインで最もスペインらしいとも言える。
 バスターミナルでツーリストインフォメーションの場所を聞き、そこで地図をもらった。スペインではこの手でいけば、情報がなくても旅は簡単にできそうで安心した。安宿もすんなり見つかったし、とにかく日本人もやたらと多いので、金以外のことで困ることはなさそうだ。
 しかし! その唯一の問題が最大の問題ではあるのだが・・・。

   
ジブラルタル海峡をスペインへ渡る / セビージャのスペイン広場



205.シビれるアンダルシア     2008 3/5 (スペイン)

 セビージャは思っていたよりスゴイ町だった。モロッコからスペインへ入り、一番近くの大きな町。ただ単にそれだけの理由でここへ来たのだが、セビージャは立派な観光地だった。見どころも多いし、ひとつひとつをとって見てもどこもすばらしいものばかり。西洋建築のレベルの高さを感じさせられた。この分だとヨーロッパはどの町も手強そうだ。
 しかしガイドブックも情報もないオレには、その凄さは分かってもそれが何なのかが分からない・・・。やはり情報は必要だった。
 セビージャで一番感動したのは、教会でも広場でもなく、オッチャン! 路上でギターを弾いていたオッチャンだ。まさにアンダルシアといった感じの、力強さとせつなさが入り混じったギターの調べにオレはシビれた!! オッチャン、かっこ良すぎるぜ!

 オレはこの町から夜行バスでバルセロナまで行くつもりだった。街を歩いていて感じたように、やはり情報はあった方が良い。そのためにも日本人が多く、日本人宿も何軒かあるバルセロナへ先に行った方が好都合なのだ。
 ところがバスターミナルで値段を調べてみると、バルセロナまでのバスはとんでもなく高い・・・。物価の高いヨーロッパなのでしかたないとは思ったものの、それにしても高すぎる。きっと何か良い方法があるはずだ。とはいってもその良い方法に関する情報がない。オレが持っているのはインフォメーションでもらったセビージャの地図と、アンダルシア地方の地図のみなのだ。やはりバルセロナへ行こうか? それともとりあえず近くの大きな町まで移動しようか?
 迷ったあげく、オレはバルセロナまで行くのはもう少し待つことにした。情報がない今の状態で大金を払ってバスに乗るのは、後で後悔する可能性が高いからだ。
 そこでオレが決めた次の目的地はコルドバ。アンダルシア地方の地図を見て、近くの知っている観光地はそこしかなかったからだ。かつてイスラム王朝に支配されていた時代の建物が残っていると、TVで観た記憶がある。きっと旅行者も多いに違いない。それに距離もそれほど遠くないし、バスも高くはない。最悪これで失敗しても、その時は金を出してコルドバからバルセロナまで行けば良いだけのことだ。

 地図とバスの金額からして近いと思っていたコルドバも、移動に2時間かかった。スペイン全体の地図がないので未だにこの国の大きさもバルセロナまでの距離も分からないが、もしかしたらバスの金額相応に遠いのかもしれない・・・。などと考えながら到着したバスターミナルで地図を探していると、ラッキー! 日本人の女の娘を見つけた。ガイドブックを見せてもらおうと声をかける。
 この大学生のミナちゃんも今コルドバへ着いたところだったので、街まで一緒に行き、宿を探す。彼女のおかげで助かった。
 ところでガイドブックを見せてもらうと、やはりスペインは思っていた以上に大きな国でバルセロナまではかなりの距離がある。それにバスや電車よりも飛行機が安いことが分かった。やはり、オレの勘と判断は正しかったのだ。
 ユースにチェックインした後、2人で街を歩いた。
 コルドバは土曜日だったこともあって静かで落ち着いた雰囲気のキレイな街だった。ツーリストエリアは狭いので、その分やたらと日本人が多いように感じる。イスラム支配下に建てられたモスクが今現在も教会として使われていて、メスキータと呼ばれるこの教会が一番の見どころだ。ここはかなりの建築物で、特に良かったのがステンドグラス。そこから差し込む太陽の光が、七色に美しく内部を照らしていた風景は幻想的だった。ナゼか朝は入場無料ということで、タダで見学できたのもオレにはうれしい。

 ガイドブックを見せてもらったオレは、もう1ヶ所アンダルシア地方の町へ行きたくなった。有名なアルハンブラ宮殿があるグラナダだ。ミナちゃんもグラナダへ行く予定だったので、コルドバに1泊して2人でグラナダへ向かった。
 グラナダもコルドバ同様にイスラム王朝に支配されていた時代がある。アルハンブラ宮殿もその時代の建築物で、イスラム建築の最高峰といわれている。グラナダは、セビージャ、コルドバと並ぶアンダルシア地方の3大観光地のひとつだ。
 アルハンブラ宮殿はたしかに良かったが、入場料が高いことを考えると満足度はイマイチだった。それよりも良かったのはこの宮殿から見下ろす街並みと、宮殿の丘のとなりにある丘から見る宮殿の外観だった。曇っていたのが残念だ。
 この町でも日本人の姿が目立ったが、オレが泊っている宿にも日本人は多かった。モロッコではほとんど日本人と会わなかったので久々に楽しかった。その中の一人にイイジマくんがいた。彼とは半年前にウズベキスタンで会っている。これまでにも知合いに偶然再会したことは何回もあるが、中央アジアとヨーロッパで会うとは・・・、やはり世界は広いが旅人の世界は狭い。

   
コルドバのメスキータ / グラナダのアルハンブラ宮殿



206.すべての道はローマへ通ず     2008 3/6 (スペイン、イタリア)

 ヨーロッパでは飛行機が安い。なんとバスや電車よりも安いのだ。グラナダで多くの旅行者と話したが、やはり飛行機を利用している人は多かった。しかしネット販売のカード決算のみでの販売なので、オレは使えない。カードを持っていないのだ・・・。何とかならないものかと思い、グラナダにある日本人経営の旅行情報センターへ相談しに行った。そこではフラメンコのチケット手配や、レストラン、ホテルの紹介などをしてくれている。
「じゃあ1ヶ所紹介しましょう。ネットとほぼ同じ金額でチケットを扱っている店がありますから」
 早速その足で教えてもらった旅行会社へ行ってみる。
 チケットはすんなりと取れた。手数料は取られたがネット販売に近い金額で、やはりバスや電車よりは安い。目的地はイタリアの首都ローマ。
 当初の予定ではスペインからローマまで陸路を行き、うまくチケットが買えれば飛行機で、それが無理なら再び陸路でスペインまで戻るつもりだった。しかし考えてみると先にローマまで飛び、陸路で戻りながら観光した方が予定を立てやすい。3日後のフライトなので多少時間は余ってしまうが、グラナダは気に入っているし宿にも旅行者が多いのでヒマはしないだろう。ここでうまいことチケットをゲットでき、情報センターでガイドブックのコピーもとらせてもらった。よっしゃ! 完璧!

 翌日はグラナダを観光し、その翌日は近くのマラガという港町まで日帰りで行って来た。マラガはあまりおもしろくなく3時間ほどで帰ってきてしまったが、途中の景色は良かった。遠くに雪山が見え、あい変わらず緑の丘が多い。何ヵ所か小さな町を経由したが、どこの町も白い家々がキレイだった。これこそがアンダルシアの風景なのだろう。マラガではなく、あてもなく小さな町を訪れた方が楽しめたのかもしれない。

 その日、ナゼか眠れなかった。翌朝は早朝のフライトなので早起きしなければならなかったのだが、オレはそんな時に限って眠れなくなることが良くある。
 結局一睡もできないまま飛行機に乗ることになってしまった。早くローマで眠りたかったが、飛行機は2時間遅れ・・・。しかも安いフライトなので食事も出ない。前日の夜も節約のためにビールと菓子しか口にしていなかったため、睡魔と空腹のダブルパンチだ。

 フライト時間が短いため機内でもほとんど眠れずローマに到着。雨だ・・・。おまけに寒い・・・。
 この時期のヨーロッパは雨が多く気温も低いことは覚悟していたが、太陽の国、アンダルシア地方からここへ来るとやはりテンションは落ちてしまう。
 宿にチャックインし、とにかく食事をしようと外へ出た。雨は強くなっている・・・。カサを持っていないオレはしかたがなくカサを買うしかなかった。カサはモロッコでバスに置き忘れてしまっていたのだ。5ユーロ(約850円)は痛い。
 宿のまわりを歩いたが、安そうな店が見つからない。かといってこの眠気と空腹と闘うのはいい加減限界だった。高いとは知りつつもマックに入ってしまう。東欧やスペインでもマックの値段を調べたことがあったが、ヨーロッパのマックは日本よりもはるかに高いのだ。一番安いセットで6,2ユーロ(約1050円)!! この時点で帰るべきだった・・・。が、空腹もMAXだったのだ。そして貧乏旅行者がこんな店に入ったため、事件は起きてしまった・・・。
 6,2ユーロのセットを注文し、20,2ユーロを払った。お釣りは4ユーロ。席についてレシートを見て気が付いた。4ユーロ? オレは眠くて頭がぼーっとしていたのだ。すぐレジに戻りお釣りが足りないことを伝えたが、
「10,2ユーロしかもらっていない」
 と言い張る。すぐに店長らしき男が来てレジの金額をコンピューターで確認したが、金額は合っていると言う。レジの男が懐へ入れたことは確実だ。やられた! オレはイタリアで、先進国で気が抜けていた。仮にこれがモロッコだったら絶対にお釣りをもらった時点で確認した。
 それにしても10ユーロ(約1700円)はバックパッカーからすればとんでもなく痛い金額だ。いつものオレなら意地でも引き下がらない。警察を呼び、防犯カメラをチェックさせ、レジの金もすべて指紋をとらせる! この時のオレも当然キレようとしたが、それ以上に腹が減っている・・・。情けないがオレのプライドなんかマックのセットよりも小さいものなのだ・・・。自分のミスだと思うことにして席へ戻った。
「・・・・・・・・・」
 買ったばかりのカサがなくなっている・・・。

 イタリア人の第一印象は最悪です・・・。

   
フォロロマーノ / サンタマリアマッジョーレ教会



207.イタリアと世界一小さな国     2008 3/9 (イタリア、バチカン)

 買ったばかりの5ユーロのカサを盗まれ、マックで10ユーロをボラれる。計15ユーロの無駄な、キツ〜い出費。しょっぱなイヤな思いをしてしまったローマだったが、そんなことはこの町を歩いていてすぐに忘れてしまった。それほどローマという町はスゴかったのだ!!
 有名なコロッセオやトレビの泉、スペイン広場、真実の口、フォロロマーノ、バチカンなど見どころ満載! いつものオレだったら4日くらいかけてじっくり観光するのだが、ここは物価の高いヨーロッパ。長居はできない・・・。眠っていなかった体に無理をさせ、猛ダッシュで観光。しかも地下鉄代もケチってすべて徒歩! さらに夜まで夜景を見に行くという強硬スケジュールを敢行し、1日半で見て回った。やはりヨーロッパでは、金のない者は体力勝負だ。
「こんなふうに観光したのは本当に久しぶりだ。もう動けない。にしてもオレってスゴいことしたな」
 などと思っていたが、同じ宿だった学生クンたちはみんなそんな感じだった。若いって良いよね・・・。いや体力以前に、長く旅をしている人間と日本から来た人間との時間的感覚のズレなのかもしれない。

 ローマでオレが一番良かったと感じたのは、バチカンのサンピエトロ大聖堂だ。ローマの中にあるバチカン市国は世界で最も小さな国で、面積は東京ディズニーランドよりも小さいとか。そのバチカンにあるサンピエトロ大聖堂は、ローマ法王が住んでいてカトリックの総本山。ここが建てられた当時、ローマカトリックは強大な権力と財力を持っていて、大聖堂もその象徴のようなとんでもない建築物なのだ。しかもその時代は、日本でいうと江戸時代の初期だというから驚き! 西洋建築のレベルの高さとカトリックの力を見せつけられた。やはり信仰と金のパワーは恐ろしい・・・。

 ローマの次はフィレンツェ。久々に鉄道での移動だ。
 フィレンツェの第一印象、「黒人と日本人がやたら多い」。なぜかアフリカ系の人が多く、ローマよりも街が小さいために旅行者も密集しているのだろう、とにかく日本人だらけだった。オレの泊った宿にしても「日本人宿かよ!」と言いたくなるほど。この状況は楽しい反面、みんなで集まるとついつい贅沢をしてしまう傾向にある。今回はそれを避けるためにあまり人と話さないようにしていた。グラナダとローマで金を使いすぎたからだ。サイフの紐を締め直さなくてはこの先が不安だ。
 フィレンツェは確かに良かった。すばらしかった。芸術と学術の都と呼ばれるだけあって、美術館にあるような彫刻が街中にふつーに置かれているところあたりはスゴいと思う。が、どうもローマから来たオレはローマと比べて物足りなさを感じてしまう。それほどローマはスゴかったのだ。そんなことを感じてしまい、イマイチ煮え切らないまま街を歩いていた。ところが、最後にすばらしい風景に出会えたのだ。
 最後に登ったミケランジェロの丘。ここから見下ろすフィレンツェの街並みはすばらしかった! 茶色に統一された家々や教会の屋根がキレイだ。ひと際目立つサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂もカッコイイ。空が曇っているのが残念だったが、ここから見た風景がイタリアで最もイタリアらしい風景だと感じた。

 フィレンツェからやはり鉄道で北上し、次はヴェネツィアへ。ヴェニスの商人で知られる水の都だ。本土から離れた海の中の干潟を、レンガで埋め立てて造られた町。世界一美しい場所と呼ばれるくらいで、やはりキレイな街だった。しかし、やはり観光するのに天気は重要なのだと改めて感じさせられた。曇り空で薄暗く、そして寒いヴェネツィアは寂しいイメージになってしまった。同じ宿だった日本人に聞いた話では昨日まで雪が降っていたそうだ・・・。晴れていたらどんなにすばらしかったことか・・・。
 そんな気分のまま、細い路地と運河が複雑に入り組んだ街を歩いていた。裏通りは人影も少なく、やはり寂しい。今にもイタリアマフィアが闇取引をしている現場に出くわしそうな雰囲気だ。かといってレストランや土産物屋が建ち並ぶ華やかな場所は、逆にツーリスティックすぎておもしろくない・・・。
 今日の天気同様に晴れない気分のまま、オレは街を歩いていた。
 しかし、フィレンツェで最後にミケランジェロの丘に登ったように、ここヴェネツィアでも観光のメインを最後にとっておいていた。文字通りとっておきの場所。駅からこの街を歩くと、最後に辿り着く場所、サンマルコ広場。
 細い路地を抜け、そのとっておきのサンマルコ広場へ辿り着いた瞬間、これまで壁に囲まれていた視界が一気に開けた。同時にオレのテンションも急上昇! 四方を美しい建物に囲まれた広場の中央には塔が建っている。そしてすばらしい教会、市庁舎、おしゃれな店、レストラン。広場から続く広い通りを進むと、海のような運河に出る。そこをキレイな流線形をしたゴンドラが行きかい、その対岸にも立派な教会。
 イタリアで一番気に入った場所だった。

 ローマ、フィレンツェ、ヴェネツィア、どこも違った魅力を持った素晴らしい町で、どこも良かった。観光客の多さと物価の高さは困りものだが、それだけの価値は充分にあった。天気は悪かったが、満足できた。
 それにしても今はこれでもオフシーズンだということだ。シーズン中はさらに人は多くなり、金額も上がるらしい・・・。いったいどーなっちゃうの?

   
フィレンツェは芸術の街 / ヴェネツィアといえば運河



208.寄り道していこう     2008 3/10 (イタリア)

 ヴェネツィアから夜行列車に乗ってフランスへ向かう。目的地はニース。・・・の予定だったのだが、この列車がとにかく高い。調べてみると、いくつかの町で乗り継ぎながら移動した方が安いことが分かった。夜行列車は寝台車両なので高いのだろう。しかしその分時間と宿代は節約できるし体も楽だ。それに対して列車を乗継いで行った場合は、昼の移動なので景色を楽しむことができ、乗継の時間を使って町を見てまわることもできる。どちらにしてもメリットとデメリットがあるのだ。
 夜行寝台で直行か? 各駅停車で乗り継ぎか? しばらく考えたが、オレはもう少しイタリアを見たくなった。ここまで訪れた3つの街がどこもすばらしかったからだ。つまりヴェネツィア、ヴェローナ、ミラノ、ジェノバ、ニースと観光しながら列車を乗り継ぐことにした。

 まずはヴェローナ。ここは『ロミオとジュリエット』の舞台となった町で、物語の中で重要な役割を担っている「ジュリエットの家」、そのモデルとなった家がある。その他にはローマのものほど巨大ではないがコロッセオがあり、教会や城、広場など見どころもいくつかる。
 これまでの3都市とは違い小さな町で、見どころが多く旅行者が多い割にはツーリスティックすぎず、感じの良い街だった。特にオレが気に入ったのはエルベ広場。周囲を囲んでいる建物の塔がカッコイイし、露店が多く出ている広場はツーリスト向けだけでなく庶民の市場にもなっていて雰囲気が良い。
 この町も気に入ったオレだったが・・・、金で泣かされることになってしまった。

 ユーロの残金が残り少なくなっていたため街のATMで金を引き出そうとしたのだが、「このカードは使えません」とメッセージが出てしまう。最初は機械の故障だと思い他へ行ってみるが、そこでも同じメッセージ。カードが壊れてしまったのか? それでもあきらめずに何ヵ所かをまわると、ついに正しいメッセージが表示された。「残金が不足しています」。えっ!!? 海外で金を引き出すと、残金が表示されない場合が多い。そのためオレは自分の口座の残金を把握していなかったのだが、よくよく計算してみるとたしかに金は底をついていた・・・。インドを出る前に実家へお願いして20万円を入金してもらっていたが、モロッコとヨーロッパであっという間に消えてしまった・・・。よく考えれば航空券もいくつか買っているし、当然の結果なのだ。オレがうかつだった・・・。
 とにかくまた日本へ連絡して金を入れてもらうとして、しばらくはトラベラーズチェックを使う。この日、オレは駅にある両替所でチェックを換金したのだが・・・。何と手数料が17,9%+3,9ユーロ!! 今まで、どんなに高くても手数料は5%程度だった。その3倍以上!! それに+3,9ユーロって何だよ!? オレは170US$を両替したので、手数料は30.43US$+3,9ユーロ。計算すると約3800円!!! サギだ!
 ところが、オレは初めてヨーロッパでチェックを使った。ヨーロッパでチェックを使ったという旅行者の話も聞いたこともない。オレが持っていたガイドブックのコピーにもそれに関するページはない。近くにネットで調べられる環境もない。とにかくこれが本当に正しいのか確認ができないのだ。
 どう考えてもあり得ないとは思うが、ヨーロッパにはヨーロッパの常識がある。チェックを使うこと自体がバカだったのかもしれない。
 本来なら正しい情報を確認したうえで、おかしいのなら抗議した後警察へ行く。というのが正解だ。しかしオレには時間がなかった。もうミラノ行きの列車が来てしまう。すでにチケットは買ってしまっているのだ。この列車は全席指定なので次の列車に乗るということはできない。
 結局・・・、オレは列車に飛び乗ってしまった・・・。そして列車の中で冷静になって考えると、いくらなんでもマヌケすぎる自分に腹が立った。正しい情報を確認するまでもなく、こんな数字はあり得ないのだ!! 完全にサギじゃないか! 時間に迫られて冷静さを失っていたにしては・・・。アホかオレは・・・。いったいどれだけ旅してんだよっ!! 初心者か!
 それにしてもローマのマックといい今回の両替所といい、イタリアは意外とやってくれる。このことでイタリア人はますますキライになってしまった・・・。

 悪いことは続く。列車が止まったのだ。近くに乗っていた婦人の話では他の列車が遅れているので時間調整をしているという。イタリアでは時間どおりに列車が動いたためしがなかったが、今までは急ぐ旅ではなかったため気にもしなかった。しかし今回はもう一度ミラノで乗換えがあるのだ。これじゃ困るんだけど・・・。
 結局ミラノには1時間遅れで到着した。もともとミラノでの乗換えの待ち時間は1時間半。つまり観光できる時間は1時間程度だったのだが、これでミラノは見られなくなってしまった。一応外へ出て、有名な駅舎を外から眺めて駅前を一周。これでミラノは終わってしまった・・・。

 次はジェノバへ向かう。この町で1泊して明日はフランスだ。
 ジェノバは行くつもりがなかったのでガイドブックのコピーもとっていなかった。それほど観光地でもないし、到着したのも夜。少々不安ではあったが、その不安は的中してしまった・・・。今日はツイていない・・・。
 ジェノバは港町だ。今までどの国でもそうだったのだが、港町は何となくガラが悪い。この町もいかにも治安が悪そうな雰囲気が漂っていた。黒人が大勢道端にタムロしてビールを飲んでマリファナを吸っている。
 アンラッキーな1日にしては最後の最後で旅のカンが冴え、すぐに安宿が見つかってほっとした。おまけに宿の目の前にスーパーがあって街を出歩かなくてすむ。
 今回は良かったが、つくづく情報の大切さを感じた。

   
ジュリエットの家のモデルになった家 / 駅なのになんか凄いミラノ中央駅



209.フランスでも寄り道していこう     2008 3/12 (フランス、モナコ)

 ジェノバから列車でニースへ向かう。フランスへ入って来た。この区間の線路は海岸線を通っている。西へ向かって走っていくと、右手にはキレイに雪をまとったアルプスが、左手には青く輝くコートダジュールの海が見える。蛇行しながらいくつもの丘を越えるたび、そこに建つ美しい家々が目に入る。とにかく久々に晴れて景色は良かった。

 ニースで宿をとり、オレはすぐに今来た道を引き返す。列車で30分。モナコだ! バチカン市国に次ぐ世界で2番目に小さい国で、王妃のグレイスケリーとF1グランプリで有名な、超セレブな国。そのため普通の旅行者はニースから日帰りで観光することが多い。
 モナコで開催されるF1のモナコGPは、専用のサーキットで行われるはなく普段は一般道として使用されている道路を走る、市街地サーキットなのだ。歴史と格式ある、F1のシーズンの中でも特別なグランプリ。F1好きのオレにとっても、やはりここは特別な場所だった。
 駅を出ると第一コーナーのあたりに出てくるというのもちょうど良い。オレはそのままコースを1周してみることにした。市街地サーキットなだけに、F1開催時と通常の時とで表情が違っておもしろい。
「ここってこうなってるんだ〜」
「ここは普段駐車場なんだな〜」
 そして有名なコーナーを歩くたびに感動。F1マシンが2分弱で走るコースを、2時間かけてじっくりと歩いた。
 高級ブティックに高級ホテル、高級カジノ、豪華なクルーザーが並ぶヨットハーバー。どこを見てもセレブレティにあふれる街だが、やはり一番スゴいと思ったのは車だ。フェラーリが2台並んで路駐していたり、オレの知らないような高級車も見かけた。カジノの駐車場は圧巻で、世界のどのモーターショーでもこれだけ揃えるのは難しいだろうというほどなのだ。
 さすがモナコ。それしか言葉のない国だった。

 夕方ニースへ戻る。モナコ、ニース、カンヌ、マルセイユまで続く美しい海岸は、コートダジュールと呼ばれる高級ビーチリゾート。つまりニースもモナコほどではないがセレブなリゾートなのだ。ビーチ沿いの道路にはやはり高そうなレストランが並んでいた。
 しかし季節は春。今はオフシーズンで観光客よりも地元の人たちが多く、高級リゾートの庶民的な一面が見られておもしろかった。
 ビーチを歩いた後はバスターミナルへ、バスのチケットを買いに行った。ニースからスペインのバルセロナまでは、夜行バスが安くて便利だと聞いていたからだ。ところが値段は思っていたほど安くはないうえに、夜中の2時着の1便のみ。金額は許容範囲だったが、深夜着というのは避けたいところだ。
 オレはヴェネツィア、ニース間と同様に、ニース、バルセロナ間も列車を乗り継いで行くことにした。フランスもたったの1日で抜けてしまってはもったいないので、これでちょうど良かったのかもしれない。ニース、マルセイユ、アビニョン、バルセロナ。またしても寄り道の旅となった。

 まずはマルセイユへ。あい変わらず景色は良かったが、列車が遅れていた。イタリアもフランスもいい加減なものだ。ひょっとしたら列車が時間どおりに動くのは日本だけなのかもしれない。
 このため、マルセイユには1時間しかいられなくなってしまった。マルセイユといえばやはりコートダジュールの海岸なのだが、そこまで行く時間はない。駅の近くにあったいくつかの教会と、ロンシャン宮という宮殿だけを見てタイムアップ。残念・・・。

 さらに列車は遅れ、次のアビニョンに着いたのは日が沈みかけた頃。街を一周しただけで夜になってしまった。
 アビニョンには『アビニョンの橋』という童話で有名な橋が実在している。その橋のかかる川の東側が旧市街で、城壁に囲まれた町の中心には城が建っている。どこもキレイで、自然もあって静かな小さい町だ。気に入ったのだが時間がなくて残念だった・・・。

 この夜、宿で同室だった日本人に気になる話を聞いた。どうもフランスで鉄道のストがあるらしい。それで列車が遅れていたのだろうか? 彼はバルセロナから来たそうだが、ここまで11時間かかったと言った。オレの次の目的地はそのバルセロナ。列車はちゃんと動いてくれるのだろうか? 物価の高いフランスで足止めなんてゴメンだ!

   
モナコといえばF1、この先はミラボーコーナー / アビニョンの城



210.バルセロナ     2008 3/16 (スペイン)

 鉄道のストがあるという情報が気になるところだが、とにかく駅へ行ってみるしかない。アビニョンに1泊した翌朝、駅へ向かい駅員に話を聞く。確かにストはあったようだ。しかしすべての列車が止まってしまうわけではなく、何本かは運行しているということだった。女性駅員に調べてもらうとバルセロナまで行けるという答えが。ただし列車が止まっている区間もあり、代わりのバスが駅から駅へ走っているそうだ。めんどくさそうだけど行くしかないっしょ!
 結局バスに乗り換えたり、列車が遅れたり、キャンセルになったりで、昨日会った日本人と同じようにバルセロナまで11時間かかってしまった。1日が無駄に・・・。

 バルセロナには日本人宿はいくつもある。そのうちの1番安い宿に電話したが満室。もうひとつの安い宿へ行くしかないが、そこは「世界最悪の日本人宿」と悪評高い宿だ。その最悪ぐあいも見てみたい気もした。
 旅行者の情報が最も信頼できる情報であることは多いが、反面旅行者の評判ほどデタラメなものもないとも言える。今回もそうで、最悪と呼ぶにはほど遠いものだった。本来なら「良かった」となるはずなのだが、ナゼか裏切られた気分になってしまった。おかしなものだ。

 バルセロナといえばアントニオ・ガウディ、そしてサグラダファミリアだろう。サグラダファミリアはガウディのデザインした作品の最高傑作で、21世紀の現在に至っても未だ建築中という凄まじい建築物だ。それだけ彼のデザインを表現するのが困難だそうだ。
 街にはサグラダファミリアを筆頭に、グエル公園、カサ・バトリョ、カサ・ミラなどなどガウディの作品があふれている。言わずと知れた有名建築家でデザイナーだ。一応デザインの仕事をしているオレにとってもやはりガウディは特別な存在で、彼の作品を見たくてスペインへ、いやヨーロッパへ来たと言っても良いほどなのだ。
 ちなみにオレが尊敬する4大アーティストはこのガウディ、同じくスペインカタルーニャ地方出身の画家サルバトール・ダリ、スイス人で映画『エイリアン』のデザイナーであるH・R・ギーガ、チェコ出身の芸術家アルフォンス・ミュシャの4人だ。
 前回の旅の中ではチェコのプラハでミュシャ美術館へ行ったり、王宮にある教会でミュシャのデザインしたステンドグラスをみたりして感動したのだが、今回もガウディとダリの作品を楽しみにしていた。
 まずはカサ・バトリョとカサ・ミラを見ながらサグラダファミリアへ向かった。やはりスゴい! カッコ良い!! どこも独創的で、それでいて暴走してはいないデザイン。しかもサグラダファミリアは一応教会なのだ。宗教的な建築物をここまで遊んでデザインできるなんて普通ではない! やはりデザインには遊び心が大切なんだな・・・。世界遺産になるのも納得だ。ってゆーかまだ完成していないのに遺産? まっ凄いからいーか。
 ちなみに・・・、金のないオレはすべて中には入らず外からの観光だったが、それでもお腹いっぱいだ! 夜のライトアップも見たくて、宿からはかなり距離があるにもかかわらず徒歩で2往復してしまったほど。しかもその翌日にもグエル公園へ行った帰りにもう一度寄ってしまった。
 一方のダリだが、バルセロナから2時間ほど離れた町にダリ美術館がある。最初は行くつもりだったのだが、このヨーロッパの旅はとにかく時間がないことに加え金がない・・・。移動時間と移動費、入場料を考えてヤメてしまった。もったいなかったかな?

 バルセロナといえばもうひとつ忘れてはいけないのがサッカーのFCバルセロナ。サッカー好きのオレが海外のクラブチームで一番好きなチームだ。今現在で世界一のプレイヤーと呼び声高いロナウジーニョをはじめメッシ、アンリ、エトー、デコ、シャビ、プジョル・・・。とにかくスター軍団。見ていて楽しいパスサッカーを展開してくれる。
 と、まぁオレはバルサが好きなわけだが、バルサの試合でなくてもとにかくヨーロッパにいる間にサッカーの試合を観たかった。ネットでイタリア、フランス、スペインの各国リーグとヨーロッパのカップ戦の日程はすべてちゃんとチェックしていたのだが、ついにその機会には恵まれなかった。オレの予定がことごとく試合の予定とズレてしまったからだ。強引に移動して試合に予定を合わせることはできたが、今回はサッカーより旅を優先してしまった。
 ところが! こんな情報を入手した。「バルサのホームスタジアム、カンプノウへ行けば試合のない日は練習が見られる」
 よっしゃー! と一瞬喜んだが、ダメだ〜っ! 明日はアウェイで試合・・・。今日は試合前日なので移動だそうだ。最初からその情報を知っていれば昨日観に行ったのに・・・。昨日は他を観光してしまった・・・。大失敗!!
 それでもいいかとオレはカンプノウへ行ってみた。何の慰めにもならないがスタジアムだけでも見てみようと思ったのだ。
 ところが! その場へ行ってみるとスタジアムには人だかりができているではないか! すぐにオレはその状況を理解した。選手がアウェイへ移動するのを出待ちしているのだ。オレもそれに混じって地下駐車場の出口で待ち続ける。
 1時間くらい待つと、にわかに周囲がざわめきだした。そして1台の車が出てくると歓声があがる。が、オレの知らない選手。横ではしゃいでいた子どもたちに聞いたが、名前も知らない選手だった。ところで、バスじゃないの? 日本では選手はチームのバスで移動するのだが、こちらでは個人個人が車で移動するようだ。それからもう1時間待った。みんなは
「もうすぐエトーが来るぞ」
「ロナウジーニョがそろそろ出てくる」
 などと口々に言っていたが、いっこうに出てくる気配はない。結局他も観光したかったオレはそのままスタジアムをあとにした。

 それにしても、試合観たかったな〜・・・。

   
ガウディのデザインしたアパート「カサ・ミラ」 / サッカー小僧の憧れカンプノウ



11.やっと終わった     2008 3/18 (スペイン、イギリス領ジブラルタル)

 バルセロナの宿で知り合ったヨウスケくんとシンくんとオレの3人は、夜行バスに乗ってマドリッドへ移動した。
 ヨーロッパでは宿代をうかすために夜行移動ばかりになるだろうと思っていたが、意外にも夜行移動は今回が初めてだ。理由はオレに計画性がなかったため。夜行は列車にしてもバスにしても、時間や運行区間をしっかりと確認して上で計画的に使えば便利でお得なのだが、オレはそれができなかったのだ・・・。
 しかしそれで良かった面もある。宿でしっかりと眠って体を休めることができたので、体力的にハードなヨーロッパでのハイペースな旅になんとか対応できた。それでも今は疲れが溜まっている状態なので、夜行をもっと使っていたら今頃ダウンしていたかもしれない。やはりオレにはこんな旅よりもアジアのゆったりペースの旅が性に合っている。

 マドリッドに着いたのは日曜日。ちょうど週に一度のノミの市が開かれていた。店も人も多くてそれなりにおもしろかったが、ツーリスト向けのどこにでもあるような土産物が主に売られていたのは残念。それから街を歩いたが、マドリッドはどこもつまらない・・・。結局オレたちは疲れていたこともあって、公園で一休みすることにした。サイコーに気持ちの良い天気の日曜の昼下がり。マドリッドっ子たちも公園の芝生で寝っころがって気持ちよさそうにしている。
「これがヨーロッパの休日なんだ。なんか良いよな〜」
 などと言っているうちに草の匂いと太陽の匂いがまどろみを運んできた。旅にも休日は必要なのだ。

 翌日ヨウスケくんと2人でマドリッドの近くにあるトレドという町へ行って来た。前にインドで会った人が「トレドがヨーロッパで一番良かった」と言っていたので楽しみにしていた場所だ。しかし期待して行くといつものパターンではがっかりすることが多い。このトレドはどうだったかと言うと・・・。期待どおり! いや、期待以上! 町そのものも良かったが、町の外にある丘から見下ろす町の全景がすばらしかった! 蛇行しながら流れる川に囲まれた町がバッチリ見渡せる。昨日に引き続き天気も良いし、ポカポカ陽気の丘の上でこんなすばらしい風景を眺めていると1時間でも2時間でもその場にいられる。良い時間だった。

 トレドからマドリッドへ戻り、その足で夜行バスに乗り換えアルヘシラスへ向かう。いよいよヨーロッパの旅も終り。アルヘシラスからモロッコへ戻るのだ。
 翌朝アルヘシラスへ着いたオレは、モロッコへ渡る前にジブラルタルへ行ってくる。ジブラルタルには特に何があるわけでもないのだが、本当にくだらない理由で行くことにした。ジブラルタルはイベリア半島の南端にあるジブラルタル海峡に面した港町だ。軍事的な要衝であるこの港は大英帝国時代からイギリスの統治下にあり、現在でもイギリス領となっている。つまりオレは行った国の数をひとつ増やすため。ただそれだけの理由でここへ行くことにしたのだ。アルヘシラスからバスで30分と近いので、時間も金もそれほど無駄になるわけでもなかった。
 バスに乗ってジブラルタルを一周し、適当な所で降りて中心街らしい辺りを散策した。3時間ほどでアルヘシラスへ戻る。

 さて、ヨーロッパの旅もこれで終り。あとはモロッコへ帰るだけ。という時点でユーロの残金がなくなってしまった。フェリーのチケットを買うだけなのに両替をしなくてはならないハメになったのだ。銀行の口座にはまだ入金をしてもらっていなかったので、ATMは使えない。こうなるとやっかいだ。ヨーロッパでは思いのほか両替に苦労をしてきたからだ。
 予想どおり今回も苦戦してしまった。どの銀行でも両替はできず、5件目でようやく両替のできる銀行を見つけたのだが、オレの前で両替をしていた女性がボストンバッグ一杯の現金を両替していて1時間も待たされてしまった・・・。そんな大金を持ち歩くなんて何者なのだろう?
 この両替に限らず、ヨーロッパではオレの旅に関するノウハウが通用しない場面も多かった。旅のスタイルも違えば、旅に必要な物も違う。やはりヨーロッパには長旅の途中ではなく、日本から来た方が楽しめる。そんな地域だった。
 やっとヨーロッパの旅が終わる。これほど一つの地域を抜けるのにホっとしたことはなかった。それだけ金と体力がキツかった。間違いなく良い所ではあったが、バックパッカーにはツライ所だった。まぁ始めから分かっていて来たんだけどね・・・。

   
トレドに行ったら丘に登ろう / イギリス領のジブラルタル



212.車いすの黒人     2008 3/19 (スペイン、モロッコ)

 両替にてこずったオレはフェリーターミナルへ急いだ。
 ここアルヘシラスからフェリーでモロッコのタンジェへ行き、すぐにバスを拾ってメクネスまで今日のうちに行きたい。前にタンジェからスペインへ入る前に、オレはバスの時刻表も調べておいてあった。今フェリーに乗って1時間でタンジェへ到着すれば、ギリギリ間に合う時間だ。

 フェリー乗り場で時間を待っていると、フェリー会社の女性がオレに話しかけてきた。女性は黒人の大男を車いすに乗せて押している。
「あなたは次のフェリーでタンジェまで行きますか?」
「はいそうです」
「英語は話せますか?」
「ちょっとだけなら」
「よかった。この男性もタンジェへ行くんだけど、彼は足が悪いからあなた手伝ってあげてくれない?」
 車いすの男は足が悪く、子供のように小さなその両足を動かすことができない。しかし小さな足とはアンバランスなムキムキマッチョな巨体の上半身。無愛想でサングラスをかけた強面の黒人だ。
「なんでオレに頼むんだよ! これだけ客がいるのに他のヤツに頼めばいいじゃん?」
 正直に言うと、彼には悪いが最初はそう思ってしまった。それに、ヨーロッパでも黒人や東洋人に対する差別がないわけではない。一瞬オレはそのことが頭によぎってしまったのだ。「黒人なら東洋人におしつけよう」というように感じてしまい、腹が立ってしまった。
 しかしオレの考えすぎかもしれないし、そんなことを考えておきながらオレ自身が断ってしまったら筋が通らない。オレはこのミッチェルの車いすを押してジブラルタル海峡を渡ることになった。

 最初は無愛想だったミッチェルも、話しているうちに笑顔を見せてくれた。サングラスをはずすとカワイイ目をしているので印象も変わった。話をすると、実に良いヤツだったのだ。
 彼は中央アフリカ出身で、モロッコの大学を卒業後スペインで働いているそうだ。イースター(キリスト教の復活祭)で1週間の休みなので、モロッコへ大学時代の友人に会いに行くという。そういえば一昨日からその休みに入った。宿や移動の確保が大変になると聞いていたのだが、何事もなく済んで良かった。
 オレはミッチェルと一緒にいたおかげで出国審査、入国審査ともに最初に通してもらえたし、フェリーに乗るにも降りるにも一番に別の出口から乗り降りさせてもらえた。彼のおかげで混雑知らずで楽だった。
 ミッチェルはお礼ということでオレに昼食をおごってくれたが、なんか逆に悪いなと思ってしまった。オレはただ押しているだけなのだ。
「ところでヒロはタンジェの次はどこへいくんだ?」
「次はメクネスへ行くよ。ギリギリ3時のバスに間に合うはずだからね」
「そりゃ無理だ。このフェリーはタンジェまで3時間かかるぞ」
 チケット売り場には1時間と書いてあったし、チケットを買う時にもそのように言われていた。前にモロッコからスペインへ入った時にはタリファまでだったが30分で着いたのだ。アルヘシラスとタリファはバスで30分ほどしか離れていない。どうして3時間も? どうやらオレたちの乗ったフェリーは高速船ではなかったらしい・・・。オレはチケット売り場でダマされていたのだ・・・。そういえばチケット売り場の男はモロッコ人だったような気がする。
 これで今日はタンジェで1泊しなければならなくなった。

 前にも書いたがタンジェは客引きがうるさいことで評判の悪い町だ。前回はそれを感じなかったのだが、今回は違った。それはミッチェルを連れていたからで、タチの悪い客引きたちが体の悪いミッチェルをカモと判断したのだろう。オレは自分のこと以上に頭にきた! フツー逆だろ! 「弱いものからは奪おう」なんてのはサイアクだ!! 結局、オレは最後までモロッコ人を大キライなままだった・・・。
 苦労してミッチェルをバスに乗せ、オレたちは別れた。あんなモロッコ人たちと一緒じゃ先が不安だったが、彼は大学時代をこの国で過ごしているし、大丈夫だろう。たったの4時間ほどしか一緒にいなかったが、とても印象に残る出会いだった。

 翌朝メクネスへ移動した。この町は世界遺産になっている旧市街に、アフリカ一美しいと言われる大きな門がある。門はキレイでカッコ良かったが、その他はいつものどの町とも同じ・・・。もう完全にモロッコには飽きてしまった。それに物価はヨーロッパと比べれば格段に安いのに、オレには安いと感じられない。質がそれ以上に低いからだ。
 どうもオレはモロッコと相性が悪かった。決して悪い所でもおもしろくない所でもないのに、期待が大きすぎただけに裏切られた気分になってしまい、それが膨らんでいってしまった。つまり自滅なのだ。期待しすぎるとろくなことがない。オレにとってはその典型のような国だった。

 次はUAE、アラブ首長国連邦だ! 全く未知の国で久々にビビッている・・・。ヨーロッパにも情報なしで臨んだが、スペイン語も少しはできたし基礎知識もある程度はあった。しかしUAEはそれこそまったく情報はほとんどゼロ。この国もオイルマネーで物価が高いと聞いているので、それが一番の障害になりそうだ。旅を始めたばかりのころの、初々しいドキドキ感を久々に感じている。おもしろいことになりそうだ。

   
フェリーで知り合ったミッチェル / メクネスの壁にあったモザイクタイル



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