やっぱり世界が気になるオレ
日本
244.革命と地震 2011 2/25
中東情勢がまた混乱しだした。チュニジアに始まりエジプト、バーレーン、リビア。その他イエメンやヨルダンでも動きがありそうな気配。チュニジア、エジプトは革命が成功し、新政権樹立へ向けて動き出したようではあるが、これからがまた大変だろう。イスラム原理主義の政党が台頭してきたりと、次なる火種は少なからず残る。ここまで静観してきたアメリカやイスラエルがそのうち出てくるような気もする。いや、すでに彼らが裏で操っているのかもしれない・・・。
今回の革命の連鎖に活躍されたとされているのが Twitter や Facebook など。ネット社会となった今日、情報の共有化が大きな武器となった訳だが、このような事態を何年も前から恐れて厳しく情報統制している国。中国や北朝鮮。革命の波はそこまで辿り着くのだろうか?
そう言えば1989年にも東欧各国で革命が相次ぎ、天安門事件も起きている。この時にもTVという情報メディアが大きな役割を果たした。この時と似ていると思うのはオレだけではないはずだ。
ところで、この中東情勢。日本での報道があまりにも少なすぎるようにオレは感じている。まるで世界の果てで起こっている他人事のような扱いだ。逆にニュージーランドの地震のことは日本人も多く被害にあってしまったこともあって、過剰とも言えるところまで取材している。ある意味しょうがないとは思えるが、本当にこれが正しい報道の在り方なのだろうか?
それにしても・・・、自国民を空爆って・・・、カダフィひでぇな・・・。
245.出張のついでに 2011 3/6
またしても海外出張です! 海外と言っても1回を除いてはすべて中国なのだが、その中国へ今回も行ってきた。5日間でシンセンと上海。
仕事のことは書きたくないが、今回は仕事以外にも目的が2つあった。
まずひとつは、ここ最近の中東の革命の連鎖が中国や北朝鮮にも影響し始めているようだが、その状況を見たかった。
@中国のメディアが中東情勢を報道しているのか?
A中国でもデモが警戒されているが、どんな状況なのか?
Bネットはどこまで情報統制されているのだろうか?
CNHKやCNNなどの海外版は通常通り映っているのだろうか?
そんなところが知りたかった。
オレの見たもの、聞いたことをまとめると、こんな感じだった。
@それほど長い時間TVを観ることはできなかったが、オレが観た限りでは全く報道されていなかった。
A中国勤務の日本人に聞いた話では、シンセンの街では警官が多かったそうだ。
B同じく聞いた話だが、日本語のサイトであれば中東情勢も中国のデモ警戒も情報は入るそうだ。
CCNNなどはほとんどの時間を中東の報道で占めていた。北朝鮮に大量のビラを入れたバルーンを韓国が飛ばしている場面も報道していたし、日本以上に情報が入る。意外にも観ることは可能な状態。ただ、英語の放送だし、ケーブルTVなのか? 衛星放送なのか? オレの泊まった上海のホテルでは映ったが、一般の人が観る機会は少ないだろう。しかし、NHKの中東報道はカットされたなどという話も聞いた。
まぁ、今後中国がやりそうなことは決まっている。国民の関心を逸らすように、反日デモを扇動すること! きっと何かをきっかけに、あるいはでっちあげてプロパガンダに利用するだろう。と、思ったが、今はそれすら逆効果になるとも考えられる。反日デモが民主化デモに発展する可能性もあるし、もはや政府のプロパガンダすらその真意を見抜ける人が多いはずだ。共産党はその選択に悩んでいるんじゃないかな?
もうひとつの目的。それはタツヤさんに会うことだった。タツヤさんとはメキシコで知り合い、その後別れたり再会したりを繰り返しながらではあったが、ボリビアまでの3ヶ月間を共に過ごした旅仲間だ。
彼はその後上海に語学留学し、その当時にも未だ旅の途中だったオレは上海でも一度会っていた。今回はそれ以来、約6年ぶりの再会だ。
現在タツヤさんは上海で旅行会社を経営する社長さんだ。経営はうまくいっているらしく、ネットや雑誌でもとりあげられているほどだ。つまり成功者。
旅では多くの日本人バックパッカーと知り合ったが、大きく分けると2つのタイプに分けられるように感じる。ズバリ! デキる奴とダメな奴! オレのような普通の奴はほとんどいない。・・・・・・もしかしたらオレは後者かもしれないが・・・。
とにかくデキる奴はやはり旅を終えてからも成功していたりする。タツヤさんもそんな一人。いやその筆頭だ。
オレ、オレの会社の中国勤務の人、タツヤさん、タツヤさんの会社の人、この4人で夕飯を食べた。タツヤさんはやっぱ凄い! 話をしていてそう思ったが、どこか遠い世界の人のような感じがして少し寂しかったというのが本音・・・。だが、今でも旅をしたいと言っていたり、実際海外へ遊びに行っていたりといった話を聞けたのはほっとした。
タツヤさんに刺激を受けてオレもガンバろうかな! 仕事嫌いなオレもほんのちょっとだけそんな気になれた。
246.・・・・・・。 2011 3/13
・・・・・・。
・・・・・・・・・。
・・・・・・・・・・・・。
うまい言葉が思い浮かばなかった。これがまさに絶句ってやつなのだろうな・・・。
おとといの地震で被害を受けた方々に心よりお見舞い申し上げます。なんて言ったところで、なんにもならないんだろうな。
今はまだ混乱しているけど、これからいろいろなところで影響が出てくるはず。それにどう対応できるか? 今、そしてこれから、オレに、オレタチに何ができるのか? きっとみんなができることがあるはずだ。
247.カダフィと同罪 2011 3/26
最近なぜか、このホームページのアクセス数が急増した。と言っても、もともとほとんど誰も見てくれないようなホームページなので大したことはないのだけれど・・・。で、その理由を探ってみた。どうやら震災後に、「地震」「予知夢」「津波」あたりの検索数が増えてヒットしていたようだ。それだけこのホームページには前から地震のことが書いてあったことに改めて気付いた。
今回の地震に関しても、書きたいことは山ほどある。声を大にして言いたいことが山ほどある。怒りを感じていることも、憤りを感じていることもたくさんある。が、いろいろと考えてここでは書かないことにした。が、最後にひとことだけ書かせてもらう。
反面、良いこともいくつかあった。
まず、タイ。現在、世界各国からの義援金が寄せられていると報道されているが、バンコクのスラムからも義援金が集まったというニュースだ。これを聞いた瞬間に涙が出そうになった。タイの、スラムの人々。オレが旅をするきっかけになったあの貧しい人々。彼らが義援金を・・・。これはいつか、オレタチで絶対にお礼をしなければならない!
そして、多くの人が被災地へ入りボランティア活動をしているのも良いニュースだろう。それはオレの身近な知り合いにも!
オレの友人が2人、現在ボランティア活動をしている。そして、つい先日はトモヒロくんも東北へ向かった。やっぱみんなさすがだ! 彼はその道中、静岡に寄ってくれたので会って話をした。そして決めた。よしっ! オレもゴールデンウィークに東北へ行くぞ!!
話は変わるが、今回の地震の裏でTVの報道もほとんどされなくなってしまったが、リビア情勢が新たな局面を迎えた。相変わらず、自国民を空爆し続けているカダフィ。それに対してNATO軍が攻撃を開始した。
これについてひとつ疑問がある。今回の作戦の最初の攻撃は、フランス軍の攻撃機による空爆だった。オレは軍事評論家でもないので詳しいことは良く分らないが、知っている限りの知識から考えると、巡航ミサイルで最初の攻撃を仕掛けるのがセオリーではないのか? 今回はなぜ?
軍事介入を最初に呼びかけたフランスがその責任をとったのか? いや違う。リビアの石油をめぐる、NATO内での裏の争いがあったのではないか? フランスは原発大国なので福島の事故が影響し、エネルギー転換を進めるためにも石油がより重要になっているのではないか?
と、オレは勝手に予想しているが、実際はどうなのだろう? ただ単にリビアの防空力が貧弱なだけだったりして・・・。
それにしてもカダフィがヨーロッパへ報復なんて最悪の事態にはならないだろうな・・・・・・。
では話を地震に戻して、冒頭に書いたオレが今一番言いたいひとこと。一人や二人ではない、身近な人間も含めて様々な数多くの”一部”の人に対してこのように言いたい。
「お前らがやってることは、カダフィがやってることと同じじゃねーか! カダフィと同罪の殺人者だ!!」
248.次はアサド 2011 4/3
前の日記と同じく、TVでは地震の影に隠れてしまっている世界のできごとについて書きたい。
知らない間にシリアがやばいことになってますな・・・。攻撃ヘリが民衆を攻撃って・・・。いくらデモ鎮圧のためとは言え、やりすぎでしょ。リビアではカダフィ政権側が再度攻勢に出たという情報もあるし、「よーし、オレたちもやっちゃうぞ!」みたいになっちゃったのかな? やはり情報社会の現代では、このような心理的な連鎖が起こりやすいのかもしれない。いままでは民衆側にその連鎖が起こっていたが、考えてみれば逆も当然ありえるわけだから。
アフリカのコートジボアールでも大統領選挙の結果が原因となって内乱状態になっている。いや、「前からなっていた」と言った方が正しいのかもしれない。と言うのも、最近首都で戦闘が起こったというニュースを見るまで、まったくこのことを知らなかったからだ。どうやら去年の年末から混乱していたようだが・・・。やはり日本のメディアからすれば遠い異国のできごとなのだろうか・・・。
こちらでも大統領側が民衆を虐殺との情報も出ている。カダフィ、アサド、バグボ。独裁者になると、力こそが正義! ってことになってしまうのか・・・。が、しかし、それを100%否定できない現実もある。例えばイラク。クルド人、アラブ人のシーア派、スンニ派。それらを強権政治で押さえつけていたフセイン。フセインがいなくなった今、そこに国連軍まで絡んでの混乱状態になってしまっている。ある意味では独裁体勢がうまくバランスをとっていたとも言えるのだ。今後の中東各国が同じ状況にならないと良いのだが・・・。
と、世界でもいろいろと起こっているが、やはり今は一番大変なのは日本だろう。現地入りしているトモヒロくんの話だと、やはり被災地の状況は想像を絶するようだ。そして報道と現実とのズレ・・・。やはり自分の目で見るしかないな。
249.ゼロでないチカラ 2011 5/8
「この辺りから少しずつ被害の様子が見え始めるよ。」
助手席のトモヒロくんが言った。今はもう電車が走らない線路を右に見ながら国道を進むと、瓦礫や流木、大小さまざまなゴミが散乱している様子が目に入ってくる。ナビを見るとまだ海までは5km以上も離れていた・・・。
しだいに崩れた家や、倒壊はしていないものの一階部分がメチャクチャになっている家が目立つようになった。小さな川に架かる橋の欄干には瓦礫が山のようにひっかっている。その先のT字路を右折し、坂を下っていくと市街地だ。正確には「市街地であった場所」・・・。
オレは車を運転しながら言葉を失っていた。目の前にあったのは、すべてが破壊され、流された、瓦礫の荒野。残っているのは総合病院、ホームセンター、ホテル、などの鉄筋コンクリートの建物が10棟ほど。本当にそれだけしか残っていないのだ。それらの建物も4階部分まで窓ガラスが割れている。電柱、信号機、道路標識、看板の類はガソリンスタンドの看板だけが唯一、それも太い鉄製の柱が折れ曲がった状態で残っているのみ。
道路もアスファルトごと流された箇所が目立ち、未だに海水が残っている部分もある。橋は流され、主要道路だった国道45号線は機能していない。道路の瓦礫は復興の第一段階として取り除かれていたが、所々でかつては家の壁だったであろうと想像されるような木片が釘付きで転がっていて、タイヤをパンクさせないかとヒヤヒヤする。
車道の瓦礫はかたずけられているが、住宅地であった部分はいまだに瓦礫が散乱している。ところどころに瓦礫や壊れた車が積まれた山があるが、すべてをかたずけるのは気が遠くなるような作業だろう。
オレとトモヒロくんは、岩手県の陸前高田市に来ている。ゴールデンウィークに震災のボランティアをさせてもらおうと、東北を訪れたのだ。トモヒロくんは2回目のボランティアだったが、オレが行くと言うので再度行くことになった。
市街を一周してから、広田半島へ向かった。陸前高田市街から少し離れた、もうひとつの市街地があった場所だ。
ここでオレは再び信じられないような光景を目にした。半島の付け根部分の平坦な市街地部分が100%壊滅していた・・・。地震の直後に半島の集落が孤立してしまったというニュースを思い出し、
「ここがそうなの。」
とトモヒロくんに言ったきり言葉が出なかった。細くなった半島付け根の両側から津波が襲い、すべてを奪った。
オレたちはここで初めて車を停め、外を歩いた。不思議な空間だった。鳥の声と風の音以外に音がない。潮の匂いと、オイルの臭いと、腐敗臭がまざった空気。テレビやネットでは伝えることのできない生の空間は、今まで見てきたそれらの映像や写真とは全く次元の違うものだった。
壊滅状態の市街地から5kmほど川を遡っていくとボランティアセンターがある。登録を済ませ、河川敷の駐車場にテントを張った。思ったほど人がいなかったが、ほとんどの人たちは唯一営業している旅館かキャンプ場、隣町のボランティア基地で寝泊まりしているようだった。食事はやはり隣町まで行かなくてはならない。とはいえ隣町がまったく通常通りに見えることが異様に感じる。津波の来た場所と来なかった場所。そのラインひとつでまったく違った世界。つまり地震そのものの被害はそれほど大きくなかったわけだ。それが顕著に見られたのは隣町の大船渡だった。この街は川の流れる谷に市街地があるような地形のため、たった1本隣の道でもかなりの高低差が生まれている。そのため、スーパー、コンビニ、ファミレスが通常通り営業しているたった1本港よりの道路は、その両側の民家が全壊。そんな状況になってしまった。ファミレスの窓から壊滅した町を眺めながら食事。あり得ない世界だった。
オレたちはトモヒロくんの前回の経験をふまえ、目的地をここ陸前高田市に選んだ。この非常事態に1番も2番もないのだが、それでもやはり状況が悪く、人が行かない町へ行きたかった。宿泊、食事、交通などの状況が悪い場所と言えば陸前高田市と南三陸町だという情報だった。それにゴールデンウィークには多くの人がボランティアで訪れることが予想されていたため、各メディアではボランティアの自粛を訴えていた。実際、ボランティアが1番多く入っていた石巻をはじめ、多くの自治体ではゴールデンウィーク中は新規のボランティアを受け付けないという状況だったのだ。オレたちは事前に電話でボランティアに参加できることを確認し、陸前高田市を選ばせてもらった。
そして実際ここへ来てみると、トモヒロくんの話のとおり状況の悪い自治体ではボランティアも不足しているのが本当の現状だったのだ。ボランティアが余っている。ボランティア難民という言葉まで生まれた。しかし、すべての町がそのような状況ではないのだ。メディアはそのへんを正確に伝えてほしいし、ボランティアをする側も正確な情報、生の情報を得るべきなのだ。まずオレはそのように感じた。
翌日から瓦礫の撤去作業に参加した。ボランティアセンターに寄せられた個人宅からの要望に答え、センターからボランティアを派遣するという形だ。つまり自治体が指揮するのではなく、あくまで個人の依頼に答えるという形。割り当てられるお宅によって当然、被害状況も作業内容も異なった。また、そのようなお宅は全壊していない場合がほとんどで、壊滅状態の市街地での作業は自衛隊を中心としたプロの仕事だった。それに、そのような地区では震災から2ヶ月が経とうとしているこの時期でさえ遺体捜索作業で、瓦礫の撤去はその後だという。これは時間がかかる。
オレたちは結局3日間で2件の作業をさせてもらったが、1件目は海から7kmもの距離があり、2件目は海からは近いものの10m以上の高台にあった。にも関わらず、どちらの家も1階部分のほとんどが浸水していた。自然のチカラは凄まじい。
オレは旅をしている時にスマトラの地震を経験している。その後各地の被災地も見たが、今回はそのどこにも増して被害が大きい。それでも犠牲者の数はスマトラ沖地震の十分の一なのだから、毎回のことながら先進国と途上国の差を感じる。
作業は10人前後のチームで依頼主の家へ行き、1日あるいは2日間以上で行われる。ほとんどが手作業。
被害を受けた家が何件あるのか? ボランティアが入れない、壊滅している地域にはさらに多くの瓦礫がある。当然ここ陸前高田だけでなくもっともっと広い範囲の町がこのような状態。そのように考えると本当に気が遠くなった。その中でオレのチカラなんかは限りなくゼロに近い・・・。一緒に作業をした仲間も同じことを言っていた。他の多くの人もそう感じたに違いない。しかし、そう感じるとともに、こうも感じたはずだ。
「みんなのチカラを合わせればそのチカラはゼロではない!」
テレビやネット、新聞、雑誌さまざまなメディアを通じて、震災以降さんざん聞いてきた文句。しかし、こうして実際に現場を体験すると、本当にこの言葉に尽きるのだ。チカラを合わせ、少しずつ、ほんの少しずつでも前に進むしかない。そう考えると、「限りなくゼロに近いチカラ」はゼロとは全く違う。ゼロとはとてつもなく大きな差がある。そんな意味のあるもののように感じられた。
チームでの作業を終えた後には連帯感が生まれた。同じ目的で同じ空間にいると、まったくの他人なのに仲間意識が当然芽生える。ボランティアは旅と似ているかもしれない。そう言えば旅の中でも良くある風景だが、別れ際に共に作業をした仲間で記念撮影をしている場面も何度か見たし、オレたちもみんなで写真を撮った。
「あ、こういうことだったのか。」
何週間か前から被災地の写真を撮ったり、中には記念撮影をするモラルのない人たちを非難する報道があった。でもこういうことだったのだ。これなら意味が違う。きっとこれを誤解して報道した。いや、たぶん誤解ではなくネタとして事実を曲げて報道されてしまったのだ。これもまた実際に現場を見なければ分らないことだった。それに、被災地の写真を撮ることにしてもモラルがないとは思わない。写真で伝えていくことも重要なのだ。テレビの映像やネット、出版物の写真がいくらでもあるかもしれないが、自分や知人が撮った写真にはそれ以上のチカラがある。オレは旅からそれを教えてもらい、そしてトモヒロくんからも教えてもらった。
しかし、なぜか今回のオレは写真を撮る気にはならなかった。カメラは持って行ったが、手に取る気にもなれなかった。ナゼだったのだろう? それでもと思い1枚だけ撮ってはみたが、やはりそれ以降も気が乗らなかった。正直今は少し後悔している・・・。
朝のボランティアセンターは毎日行列 / 1枚だけ撮った街の写真
250.もうひとつの支援 2011 5/8
ボランティア作業を終えた翌日、海岸沿いを南下しながら帰路につくことにした。ボランティアをさせてもらった陸前高田市以外の町も見てみたかったからだ。隣町の気仙沼もそれなりに酷かったが、その南の南三陸町は陸前高田と同じくらいに被害が大きいように見てとれた。海岸沿いにある小さな集落のいくつかは、文字通り全滅してしまっていたほどだ。
さらに南下して松島町へ。日本三景として有名なあの松島だ。ここからがオレたちの「もうひとつの支援」。震災後観光客が激減してしまった観光地へ行き、少しでも観光業の助けになる! というわけでここ松島、そして日光へ寄って帰ることになった。
松島町は津波の被害が少なかった。街を見ても、これまで通ってきた他の町の風景とは別世界だった。海岸通りの道路沿いの商店ですら営業に問題がない程度の被害で済んでいた。なんでも松島の島々が波を消してくれたそうだが、ここまで差があるとは本当に驚きだった。
駐車場に車を停め、海岸沿いに延びる街を歩いた。考えてみるとこれだけ旅をしていても、国内の観光地はほとんど行ったことがないオレ。この街の雰囲気が海外の観光地とそれほど違わないことに、なぜか不思議な感覚になった。食堂、土産物屋、ツアーの呼び込み・・・、まぎれもなく日本もアジアだ。
ただ、雰囲気は海外と似たものを感じたが、風景は違った。なんとも残念な日本三景ではないか・・・。日本はスケールが小さい・・・。もしも芭蕉が世界を旅した後にこの地を訪れていたならば、「松島や あぁ松島や 松島や」と、まったく同じ句をまったく違う意味で詠ったかもしれない。日本語はおもしろい。
ふたたび海岸線を南下し、南相馬市まで下った。岩手や宮城北部のようなリアス式ではなくなめらかな海岸線と平坦な地形が続くこの地域では、津波がかなりの内陸まで押し寄せていた。オレたちが走る高速道路が防波堤になったということだったが、実際右側と左側の風景には歴然たる差があった。一応高速より内陸側でも被害があったので別世界とまで表現すると大袈裟すぎるが、それに近いものは感じられた。
この海岸線、地形、高速道路。静岡に似ている。オレの家は東名高速の盛り土のすぐ南側・・・。オレが子どものころから東海地震が来る、来る、と言われ続けているが、いつの日かオレの町もこのようになってしまうのだろうか・・・。
翌日は内陸へ入って東北道に乗り、日光へ向かった。こちらは松島と違って東照宮にそれなりに満足。しかし、仏教の寺と神道の神社が同じ場所にあるという、いかにも宗教心の薄い日本らしいものだと感じた。400年も昔からこうだったんだ。日本人って。今がこんなんなのも納得できる。
津波被害の少なかった松島 / 観光客激減の日光東照宮
251.いつか必ず行きたい国 2011 5/8
時間は少し前後するが、陸前高田の河川敷でテントを張って寝袋にくるまっている時の話だ。こんなニュースが飛び込んできた。
「米軍特殊部隊により、ビンラディン殺害」
9.11から10年近くが経とうとしているこのタイミングでのできごと。「やっとか」という感じもするが、「やっと終わった」と言える状況とは程遠い現実。まだまだ終わりは見えない・・・。イラクにしてもそうだが、いつになったら平和がやってくるのだろう?
イラクはともかく、アフガニスタンはかつてバックパッカーに人気の国だった。当時の話を聞いたり読んだり見たりすると、やはりオレ的にも何が何でも行きたい場所なのだ。オレがアフガニスタン周辺を旅していた当時、戦争が終わったばかりで危険とは言え、パキスタンからアフガニスタンを通過してイランへ向かう旅行者は結構いたものだ。
「そんな危ないところなんで行くんだよ?」
と、思っていたオレは「危険」と判断してパキスタン南部からイランへ抜けた。ところが、実はこの地域の方がよっぽど危険な地域だったことを後で知ってゾっとしたのだった。
あの時に行っていれば・・・。
いつか必ず行きたい国に、一日でも早く平和がおとずれますように・・・。
パキスタン中部の町にて
252.次は富士山?? 2011 6/11
先月アイスランドでまた噴火があり、今度はチリで噴火・・・。そしてこの頃テレビやネットでささやかれている富士山噴火! なんでも過去のデータ上、マグニチュード9以上の地震が起こった場合、数年以内に100%の確率で震源近くの火山が噴火しているというから恐ろしい・・・。それとさらに連動して東海地震・・・。静岡人のオレにとっては最悪のシナリオ。
予言や噂は信じられないが、過去のデータは信じてしまうよね・・・。しばらく登るのやめときます・・・。
253.マイペンライ精神は世界を救う 2011 10/28
今年は水害の当たり年のようだ・・・。パキスタン、日本、フィリピン、タイ、カンボジア、ベトナム。
タイでは雨期になると毎年のように洪水が起こるが、バンコクまで水が来たのは驚きだ。今回は政府と住民の間でいろいろといざこざもあったようだが、オレ的にこの洪水について考えることが2つ。
まずひとつは、またしても報道についてだ。チャオプラヤ川中流域の決壊が今回のバンコク浸水の原因なわけだが、メコン川も大規模に氾濫してしまった。カンボジアやベトナムに被害が出ている。しかし、日本での報道はタイとは比較にならない程度のものしかない。タイの日系企業の工場が被災していたから。そう言ってしまえばそれまでだが、日本に関係なきゃどうでも良いのかい? とオレは疑問を持ってしまう・・・。
そしてもうひとつ。本当に毎回のことだが、タイの人たちはこの洪水もマイペンライで乗り切ろうとしている。本当に頭が下がります。
一応解説するが、タイにはマイペンライ精神なるものがある。彼らは、まーいっか、考えてもしょうがない、どうにかなるさ、などという意味の、マイペンライという言葉を人生の核としているのだ。
この洪水も「水が来たからしょうがないじゃん」という感じで逆に楽しんでやろう的な考えの人が多いように感じる。この考え方で世界中の紛争もなくならないかな?? マイペンライで世界を救おう!!
ところで! カダフィが殺害されましたね。彼らしい最期だったように感じます・・・。
254.続いてこの人 2011 12/23
今年は本当にいろいろな出来事があったが、最後にきて北朝鮮の最高指導者の死というまた大きなニュース。
これだけ近いのに、これだけ謎な北朝鮮という国。正直 「謎」 というキーワード以外にこの国に関して興味がないが、これで良い方向へ向かうのだろうか? まったくそんな気がしないが、逆に何事もないと良いな・・・。
ビンラディン、カダフィに続きキムジョンイルが死んだ。つぎはカストロあたりかな・・・???
日本における報道では、バンコクの洪水はなんとなくフェードアウトしてしまった感があるが、オレはこれに便乗してあることを企んでいる。ツアーや航空券のキャンセルが相次いでいるそうだが・・・、ズバリ! おこぼれチケットが安く手に入らないかな〜!?
手に入れば飛んで行ってバンコクの復興に全身全霊を捧げますよ!!
255.平和でない 2012 8/25
前回の日記から半年以上が経っている・・・。それだけ最近は平和だったと言えるのだろうか? ただサボっていただけか?・・・。
しかし、ここのところ平和でない事件が起こっている。
この夏休みは、休み中から出張だった。毎度のように中国・・・。いつもは香港から近いシンセンという町へ行くのだが、今回は上海に近い寧波という町への出張。町の中心に位置するビジネスホテルに宿泊していた。
このホテルでは食堂でビュッフェスタイルの朝食を用意している。オレもここにいる間はそこで食事をとっていた。その食堂には大きなテレビが置かれていた。が、宿泊者(ほとんど中国人)は朝食に夢中でテレビを見ている人などほとんどいなかった。
ところが、ある日の朝は全く違った! みんなして食い入るようにテレビを見ているのだ! その内容は・・・、「香港の活動家が尖閣諸島に上陸」というものだった。やはりここには関心が高いのね・・・。日本人とバレないように無言で食事を済ませて部屋へ戻った。
帰国後、やはり日中関係は急速に悪化! 毎度のことだと思っている人もいるかもしれないが、今回は本気のような気がする・・・。2005年の上海で大規模なデモがあった時にも、偶然オレは上海に居合わせたのだが、今回はその時に似た雰囲気を感じた。
それにしてもテレビのこの盛り上げ方はさすが中国・・・。
もうひとつ、平和でない出来事。
1ヶ月くらい前の話になるが、世界遺産会議が今年も開催され、新たな世界遺産が生まれた。あまり知られていないかもしれないが、世界遺産は毎年夏に会議が開かれ、そこで毎年20件前後増え続けているのだ。そのためオレが行った場所でも、行った後に世界遺産に登録された、という場所は少なくない。
世界遺産には3つのカテゴリーがあり、文化遺産、自然遺産、複合遺産に分かれている。さらに、その遺産が消滅の危機にある場合は危機遺産というプラスアルファが加わることになる。
今年の会議で新たに登録された中で、オレが注目したいのはその危機遺産だ。
アフリカのマリという国にある「トンブクトゥ」という都市遺跡が危機遺産に登録された。何が危機なのか? 実はこの遺跡。アルカイダ系のイスラム過激派が軍事占拠してしまい、一部は破壊されてしまったそうな・・・。ネットで検索しても映像や写真が出てこないのでどの程度の話なのか見当もつかないが、こんな話を聞くとあの出来事を思い出す。
「アフガニスタンの仏教遺跡バーミヤンがタリバンによって破壊された。」
というあの出来事。その後タリバンは世界的に有名になる・・・。今回のこの事件も何かの序章にならないと良いのだが・・・。
そして最後に、今、世界で最も平和ではない国。シリア。最近ではジャーナリストを標的にしているそうで、各国のカメラマンが犠牲になっている。そして日本人もついに・・・。しかも最後の映像が公開されているから余計にショックがある・・・。
いろいろと考えさせられてしまう出来事だったが、これについてオレが何かを書くのも違うようにも思う。じゃあ何? ご冥福をお祈りします? それもどうかね・・・・・・。
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