呼ばれた人だけ行ける場所
《TRAVEL11》
インド 2013/12/29-2014/1/5
272.呼ばれていた
バックパッカーなら誰でも一度は耳にしたことがあるだろういくつかの『旅の格言』。例えば、
「旅は出会いだ」
「旅は人生であり、人生は旅である」
「トラブルのない旅ほどつまらないものはない」
「迷ったら行け」
「旅で一番怖いものは狂犬病」
「アフリカへ行ったことがない奴は旅人ヅラをするな」
などなど・・・。
そんな中に、インドへ行ったことがある旅人なら必ず聞いたことがあるだろう、こんな言葉がある。
「インドへは、インドに呼ばれた人間しか来ることができない」
「オレはインドに呼ばれていたのだろうか?」
「ではなぜ呼ばれたのだろう?」
長い旅の中で、オレは何度かインドを訪れている。その度に、このように自問自答し、そして自分なりの『答え』を導き出していた。
呼ばれた理由の『答え』。
そして呼ばれた理由に対して、インドが見せてくれた『答え』。
その『答え』は旅の中で大きな転機となり、また大きなきっかけにもなった。
そのインドに、またしても行く機会がやってきたのだ!
自分の中では恒例になりつつある、年末年始の海外リーマンパッカー旅行。オレの会社は毎年6連休しかとれないのだが、今年はカレンダーのタイミングが良く、8連休。これはめったにないラッキーなのだ。オレは入社してしばらくした時点で、10年くらい先の予定までをすべてチェックし、かなり前から
「この年はインドへ行くぞ!」
と決めていた。つまり、もう何年も前からインドに呼ばれていたのだ。
さて、今回のオレはどんな理由でインドに呼ばれたのだろうか・・・?
273.変化
日本からインドへ行くと、直行便の場合はほとんどの便が深夜着になってしまう。そんなスケジュールも手伝ってか、初めてインドへ行った旅行者が、右も左も分からないまま空港から乗ったタクシーに騙される。悪徳旅行会社へ連れて行かれ、高額なツアーを契約させられるが、そのツアーの内容はどう考えても金額に見合わないもの。
という有名な話があるが、これが本当の話なのだ。実際に騙されてしまった人にも何人も出会ったことがある。
これは楽しみだ・・・!
旅が長くなると 『怖いもの見たさ』 という感情が異常に強くなってくる。そして同時に危険に対する感覚は鈍感になる。そして、危険地帯に足を踏み入れ・・・。ということになってしまいがちだ。
オレはまさにその典型で、旅の中では特に何事もなく済んで良かったが、とにかく危険に首を突っ込みたくなるのだ。(いや、何事もなかったわけではないけど・・・。)
今回も、深夜に到着するデリーで、そんな輩とのバトルを楽しみにしていた。
しかし・・・。空港を出ても誰一人話しかけてこない・・・。しかたがなくこちらから話しかけると、意外にもまともな答えが返ってきた。
「18番からバスがでているよ。」
「インド人がまともになってしまった。あのインド人がおとなしくなってしまった。」
何人かの旅仲間に聞いた話だったが、それも本当のようだ。
まさか! オレの大好きなインド。オレの大好きなクレイジーなインド・・・。
国の発展とともに、クレイジーじゃなくなってしまったのか!?
教えてもらった18番からバスに乗り、ニューデリー駅で降りる。駅の西口には 『メインバザール』 と呼ばれる安宿街があり、オレもそこへ向かうのだが、バスを降りたのは東口。駅に架かる陸橋を越えて行かなくてはならない。。
駅の構内へ入ると、深夜だというのに人が多いことに驚かされる。オレはそんな人たちを目にして、誰でも良いから話しかけたいという衝動にかられた。道が解らないふりをして話しかける。当然それは、バトルのゴングを期待してのことだったのだが・・・。
オレが話しかけた、恰幅が良く人相の悪い男は、オレを陸橋の階段まで案内してくれた。
オレは人を見る目がなく、親切なインド人に声をかけてしまったのだ。
そして駅を越え反対側、悪の巣窟メインバザールへ足を踏み入れる。
深夜のメインバザールを歩くオレ。やはり誰も話しかけてこなかった。
デリーで一番危ない地域を、一番危ない時間帯にうろつく。なのにこの安心感はなんだ? この、治安良さげな感じはなんだ?
普通に考えれば、普通の感覚であれば、これで良いのかもしれない。が、インド大好きなバックパッカーにとっては、これではイカンのだよ!!
宿を決め、部屋に入るとそのまま爆睡・・・。とはいかなかった。
寒くて眠れない!! この時期のデリーはオレの住む静岡と同じくらいの気温で、それでいて基本暑い国のインドには暖房がない。ベッドのマットレスの裏から冷たさが伝わってくるのだ。2枚ある毛布を掛けてもどうしようもなく、カイロを使い、寝袋に入った。
やっとのことでうとうとしかけたのだが、今度は新たな客が入ってきて話声で起きてしまった。時刻は3時。日本の時間で朝の7時半。かんべんしてくれ・・・。と思いながらようやく眠りについたのだが・・・。朝の5時にもなると部屋の外が騒がしくなりだした。後で聞いたのだが、高校生の団体客が泊まっていて、アーグラーへタージマハルを観に行くために早起きしていたからだ。
結局ほとんど眠れずに朝になってしまった。眠くて意識も朦朧としていたのだが、朝もやのメインバザールを歩いた。
そこはインド。まさにインドだった。怪しさ満点のメインバザールに、これまた怪しげなインド人。・・・・・・が、しかし、怪しいのは見た目だけで、やはりほとんど声をかけられない。たまに声をかけられても、適当に相手をするとそれで終わり。昔のしつこさはなかった・・・。
オレが最後にインドへ来たのは2008年の4月。もう5年半前のことだ。特にインドは世界でも急激に発展したいくつかの国のひとつ。発展とともに失われるもの。それはどの国でも必ずあるのだが、さすがのインドも発展して変わってしまったのだろうか? (いやいや実際これは、良くなったということなんだけど・・・。)
これがメインバザール
274.ビシュヌの聖地へ
今回の旅でメインと考えていたのはマトゥラー、そしてブリンダ―ヴァンという2つの町だ。
マトゥラーはデリーからバスや列車で2時間と、比較的近場にあるビシュヌ神の聖地。
ビシュヌ神はヒンドゥー教の3大神のひとつで、この宇宙を創った創造の神とされている。宇宙を維持する神のブラフマー、宇宙を破壊する破壊神のシヴァとともに、ヒンドゥーの最高神とされている。シヴァが宇宙を破壊し、ビシュヌが再び新しい宇宙を創造する。これがヒンドゥー教の宇宙観だ。
インドでバックパッカーに一番人気の街、バラナシはシヴァ神の聖地で、マトゥラーはミニバラナシとも呼ばれている。
長旅の中で2008年にデリーへ来た時にもマトゥラーへ行くつもりだったのだが、ある事情で行けなかった場所。つまり辿り着くまで6年かかった場所とも言える。
ブリンダ―ヴァンはマトゥラーから車で30分という、言わば隣町。同じくビシュヌ神の聖地で、どちらの街にもガンジス河の支流であるヤムナー川が流れている。
また、ビシュヌ神の聖地と言っても信仰が厚いのはクリシュナ神で、マトゥラーはクリシュナ生誕の地ともされている。
意味が解らないかもしれないので解説するが、ビシュヌ神はいろいろな姿に変えて人間界や天界に登場する。その化身のひとつがクリシュナなのだ。
ちなみにヒンドゥー教では仏教の開祖ブッダもビシュヌの化身とされている。ある意味、仏教はヒンドゥー教の一派と解釈できるのだ。
マトゥラーへ向かうために、ニューデリー駅へ行った。
インドの鉄道はチケットを買うのが一苦労だ。外国人窓口で予約用紙を書き込むのだが、まず列車の時間や列車名を調べないことには用紙すら書くに書けない。まず案内所へ行き、対応の悪いインド人とケンカをしながら情報を聞き出さなくてはならない。やっとの思いで用紙を記入すると、次は長時間の順番待ち・・・。ようやく自分の番になったかと思うと、かなりの確率で満席のためキャンセル待ちとなる。まだ続きがあるが、とにかく面倒なのだ!
しかし、それは外国人旅行者が通常利用する高いクラスの席の話。2等のチケットはカウンターに並べばその場で買うことができる。ただし車内は過酷な状態なのだが・・・。
オレはその過酷な2等列車を選んだ。大した距離ではないし、面倒さと、時間の浪費が理由だ。
駅でチケットカウンターに並ぶと、ついに! やっと一人目が登場した!
「ここでは外国人はチケットを買えない、外国人窓口へ行かなければダメなのだが、外国人窓口は今年から駅の外に移動になった。オレが連れて行ってやる。」
出た出た! こう言ってわけのわからん旅行代理店で高いチケットを売りつけるのだ。しかし、オレは知っていた。ここでチケットを買えることも、外国人窓口が2階に今でも存在することも。オレはにっこり笑い、
「良い情報をありがとう。」
と言い列に並んだ。
やっとインドらしくなってきた!
予想していたとおりの過酷な2等列車は、予定より1時間30分遅れてマトゥラーへ到着した。駅を出るとオートと呼ばれる3輪タクシーの運転手5、6人に囲まれる。みんな口々に120ルピーだの100ルピーだのと騒ぎ立てているが、地図によると駅から町の中心までは約4km。これは高い。
「50ルピーじゃなきゃ乗らないよ。」
誰一人それに応えないが、90や80までは値が下がった。オレは50だと言い張りその場を離れ、他のオートが溜まっている方へ歩き出した。すると一人が追いかけてきて言う。
「オーケー60。」
立ち去るふり作戦成功! ここで手を打ち、彼のオートで中心街へ向かった。
が、道路はひどい渋滞。原因は道路工事だったのだが、交通を誘導する人がいるわけでもなく、工事現場周辺であっちからもこっちからも車が来てどうしようもない状況になっている・・・。そこを抜けるのだけで30分、トータル1時間もかかってしまった。
マトゥラーはヒンドゥー教の聖地に多い街の造りをしていて、川に沿って寺院が立ち並び、その寺院と寺院の間にガートと呼ばれる沐浴場が続いている。風景もバラナシとなんとなく似た感じだ。
オレはガートの近くの宿に決め、部屋で一服していると雨が降り出した。しかも時間とともに雨は強くなり、雷まで鳴り出した。いつの間にかドシャ降りだ! これでは外へ出られない。しかし部屋は停電で真っ暗。オレは宿のバルコニーで携帯をいじっていたが、じっとしていると寒い! しかたがなく真っ暗な部屋で布団にくるまった。
雨が小降りになったタイミングに外へ出た。が、雨が降り出して1時間も経っていないというのに道が冠水している。
雨期のインドでは良くある光景だということは知っている。道の汚さでは世界最高レベルのインドで道が冠水すると、ありとあらゆるものが流れてくる。病原菌もうじゃうじゃいる。これ見よがしにリキシャの運転手がボリまくる。という話を良く聞いていた。
しかし、オレは雨期にインドへ来たことがなく、この状況も初体験。初めて 「ウワサのアレ」 を見て少しだけ嬉しくなった。が、こんな雨が嬉しいわけがない。
この日は宿で夕食を食べ、そのまま寝てしまった。そう言えば昨日は寝れなかったんだっけ。そのことをこの時まですっかり忘れていたオレは、やはりインドに興奮していたのかもしれない。
どことなくバラナシに似ているマトゥラー / 大雨であっという間に冠水
275.12月31日に
翌日は朝からブリンダ―ヴァンへ向かうことにした。
まだ開いていない店も多い商店街を抜け、バスの通っているメインストリートまで歩く。大きな交差点へ出ると、丘の上に大きな寺院が見えてきた。ここがクリシュナ生誕の地とされている場所らしい。後で時間があれば行くとして、ブリンダ―ヴァンへ向かう乗合オート乗り場を探す。
見つけるのに少し苦労したが、オートに乗って少し待つとすぐに出発。未だに朝もやの残る農村地帯を北へ向かい、30分も走るとブリンダ―ヴァンだ。
「おい日本人、ブリンダ―ヴァンの町の中心か? イスコン寺院か? どっちに行くんだ?」
ブリンダ―ヴァンはガイドブックにも載っていないようなマイナー町で、オレは何の情報も持っていなかった。とにかく街中に無数の寺院があるビシュヌの聖地。ここのホーリー(3月に行われるヒンドゥー教の祭り)は特に盛大らしい。これがオレの知識のすべてだった。
どっちへ行くんだ? と聞かれるくらいだから、そのイスコン寺院とやらがここでは有名なのだろう。そう考えたオレはイスコン寺院への分岐でオートを降り、リキシャで寺院へ向かった。
寺院はキレイで新しい印象だった。そのせいか威厳というか、崇高さを感じられなかった。さらにこの寺院では多くの欧米人たちがヒンドゥーの修業をしていたことで、オレの目にはさらにニセモノっぽく見えてしまった・・・。
彼らがヒンドゥーにはまった理由でも聞いてみたかったが、修業の邪魔はできない。しばらくしてこの寺院を出て、街の中心、寺院が密集している地域へ向かった。
この町で一番大きな寺院、一番歴史のある寺院、ガートにある寺院、理由は良くわからなかったが女性だけが集まる寺院など、いくつもの寺院を見てまわったが、オレは何か物足りなさを感じていた・・・。
おそらくその最大の理由は、「インド人たちがあまり声をかけてこないから。」 なのだろう。たぶん・・・。
ブリンダ―ヴァンがそれほど有名な観光地ではないからだろうか? 最初にデリーでも感じたように、インドが発展したからなのだろうか? あるいはこれがビシュヌ派なのだろうか?
とにかくここブリンダ―ヴァンでオレは、文字通り気温のせいもあり、熱くなれなかった・・・。
午後にはマトゥラーへ戻り、昨日は雨で歩けなかった街を観光。
しかし・・・、ブリンダ―ヴァン同様、気分が冴えない・・・。何か物足りない・・・。と、考えながら歩いていると、牛のフンを踏んでしまった・・・。ツイてない・・・。
と思った次の瞬間、オレはこう思った。
「ツイていないと思ったらそこで負けだ。ウンがついて運がついたと思うことにしよう。」
なんの慰めにもならないし、あまりにくだらない発想だったが、なぜかオレは本気でそう思ってしまうくらい気分が落ち込んでいた。何年も前から計画していたインド旅行。前々から行きたかったマトゥラーもブリンダ―ヴァンもつまらない・・・。そりゃテンションが落ちて当然だ。
しかし、このくだらなすぎる思考の瞬間から何かが変わった! どういう訳か、街の人々がオレに声をかけてくるようになった。オレがカメラを持っているのを見て、撮ってくれ撮ってくれと人が寄ってくるようになったのだ。楽しくなって笑顔でいると、それが連鎖してまた次の人が声をかけてくる。
やっぱスマイルだ! 商店街を歩いていると、100mほどの短い通りを抜けるまでのすべての店から声をかけられるほどだった。
「オレの写真を撮ってくれ。」
「このアドレスにメールしてくれ。」
「オヤジを呼んでくるからちょっと待ってくれ。」
「弟も一緒にもう一枚!」
まるで商店街の撮影大会。やはりウンがついたのだ。
その日の夜は、ヤムナー川からプージャーを見るためにボートをチャーター。プージャーとは毎日行われているヒンドゥー教の儀式で、細かいことは良く知らないが、僧侶が音楽とともに火を振り回し、人々は祈りのために川に火のついたロウソクを流す。仏教の灯篭流しのようなものだ。
10年前に見たバラナシのプージャーは、観光客を呼ぶためのショーのようにも感じてしまったが、最大の聖地であり、最大の観光地であるバラナシなのでしかたがない。
そんなこともあり、観光客も少ないマトゥラーではより宗教色の強いプージャーを期待していたのだが・・・、やはりどこも同じようなものだった・・・。
などと思いながら眺めていると、街中の電気が消えた。停電だ。当然プージャーの行われている寺院の電気も消えた。
僧侶が演奏する楽器の音楽以外、何の音もしない街。僧侶が踊りながら振り回す炎に照らされて暗闇に浮かび上がる寺院。水面に映るもうひとつの寺院。人々が流したロウソクの炎。
停電のおかげで、急に幻想的なプージャーに様変わりしたのだ。それはまさに、オレが見たかったもの。
葉っぱで作られた小さな器に、花と共に飾られたロウソクの炎はゆっくりと流れていった。この時間も同じようにゆっくりと流れている。小舟の揺れがなんとも心地よい。
気が付くと、空には星が出ている。空気の悪いインドの都市部ではあまり見ることのできない星だが、雨で空気が洗われ、停電で街の明かりがない今だけ姿を見せたのだ。
今日は12月31日。最後に良い体験ができ、1年の締めくくりに心も洗われた気分になれたオレでした。
ブリンダ―ヴァンのイスコン寺院にあるクリシュナ像 / マトゥラーのプージャー
276.ムガル帝国の古都へ
さて、どうしようか?
オレは悩むことになった。
マトゥラー、ブリンダ―ヴァンが予定していたほど時間を必要とする街ではなかったため、2日も時間が余ってしまったのだ!
日本を出る前、時間があればオルチャという宮殿遺跡のある町へ行きたいと思っていた。が、遠すぎる。列車かバスで10時間以上かかる距離なのだ。事前に予定を立ててチケットを手配しておけば行けない場所ではなかったが、今からの急な予定変更で行けるものではない。
他に行けそうな街となると、タージマハルのあるアーグラーか、ラジャスターンの玄関口ジャイプルくらいしか思いつかない。
つまり、アーグラーか? ジャイプルか? それともデリーへ戻るか? この3択になってしまった・・・。アーグラーへも、ジャイプルへも行ったことがある。もう一度行くとしたら・・・。
おのずと答えはアーグラーということになる。10年前アーグラーへ来た時、行かなかった場所が2つあるからだ。
アーグラーと言えばタージマハルだが・・・、なんとオレはそのタージマハルへ入っていない!
このことを人に話すと、
「えー! なんで? もったいない。」
と思われることが多いが、貧乏旅行をしていたかつてのオレは、入場料の高すぎる観光地へは行かなかった。
特にタージマハルのように、外から眺めることができる観光地の場合、それだけで満足できる場所も多い。さらに言うと、中へ入った結果、 「これなら別に、金払って中へ入らなくても良かった。」 という結果になることも多かったのは事実なのだ。
しかし今のオレは金を使えるリーマンパッカー。
「どうしてもタージマハルは見とけ!」
タビガミ様がそう言っているのでしょうな。
もう1ヶ所はアーグラーからバスで1時間くらいの所にある、ファティープルシークリーという場所。
『かりそめの都』 と呼ばれている、放棄されたムガル帝国時代のモスクと宮殿の遺跡だ。
ということでアーグラーへ向かうことにしたオレは、宿をチェックアウトするとオートリキシャを拾って、
「アーグラー行きのバスが出るバスターミナルまで。」
と告げた。
「20ルピー。」
安っ! 新年早々ラッキーだった。しかも、バススタンドへ行く途中の道で、ちょうどアーグラー行きのバスを見つけたオートのドライバーがバスを止めてくれた。待ち時間なしでバスに乗ることができたのだ。
さらにバスの車掌が、
「タージマハルへ行くのなら終点のバスターミナルまで行かないで、途中で降りた方が近い。」
と教えてくれ、一番良い場所でおろしてくれた。
その交差点からタージマハルまで乗せてもらったオートの運転手もなかなか感じの良い人だったし、昨日の牛のフン以来、本当にツキが回ってきた! オレはそう感じずにはいられなかった。
10年前にも一度来ている宿へチェックイン。と言っても、10年前は屋上のレストランを利用しただけで、泊まってはいない。
今回もこのレストランが目当てでこの宿を選んだのだが、屋上のレストランからはタージマハルが見えるのだ。早速屋上へ行き、チャイを飲みながらタージマハルを眺めた。変わらない風景に懐かしさがこみ上げてくる。
1時間ほど写真を撮りながら街をぶらついた後、他にもいくつかある屋上からタージマハルが見えるレストランで昼食。
それではそろそろ行ってみますか! とタージマハルのゲートまで行ってみたものの、そこで目にしたのは信じられないほどの長い列・・・。なんじゃこりゃー!!
10年前にはここまで人が多くなかった。しかし、考えてみると当然のことだった。元旦のこの日は、インドも休み。それに、以前に比べると生活が豊かになったインドでは中間層が出現し、国内旅行も容易になっている。それがこの結果なのだ。
しかし! インド人の75倍の入場料を払わなければならない外国人は、別のゲートから待ち時間なしで入ることができる。チケット売り場も、入り口のゲートも別だし、内部も別ルートなので混雑なしで観光できるのだ。これくらいしてもらわなきゃね。なんせ75倍だからね・・・。
ところが・・・、この時点のオレは・・・、あろうことか、そのことを知らなかった・・・。この長い列に並ばないといけないと思っていたのだ! 某有名ガイドブックにも書いてないし・・・。
近くの商店のインド人に、
「今日は混んでるね。毎日こんな感じなの?」
と尋ねると、
「夕方なら人が少ないから、今入らないで後で来た方が良い。」
と教えられた。
この時点で外国人は優先されることを知らなかったことが、この後の悲劇を生むことになろうとは・・・・・・。
屋上レストランからのタージマハル
277.1月1日に
さすがにこの列に並んでいては、中へ入るまでにヘタをすれば3時間くらいかかるかもしれない。言われたとおり、夕方に戻ってくるとして、それまでの間はタージマハル周辺の旧市街を歩くことにした。
タージマハルからそれほど離れていないのだが、観光客の姿はほとんど見かけない。オレはこのような街が好きなのだ。
このような地域へ行くと、地元の人に同化して完全に溶け込む。あるいはその逆で、行く先行く先で人に囲まれる。このどちらかになることが多いのだが、どちらも楽しいものだ。
ここアーグラーの旧市街では、オレはマトゥラー同様。子どもたちの 『写真とってー!』 攻撃を受けることになった。もっとも、それが楽しくてここへ行ったのだけど・・・。
そんなことをしているうちに、なにやら騒がしい一団が近づいてきた。祭りのパレードだ!
この旧市街の細い路地を、しかも普段でも人で溢れている路地をこのパレードが進むのは無謀すぎるが、とにかくパレードがやってきたのだ! 音楽隊の後に続いて、像の姿をしたヒンドゥーの神様、ガネーシャの神輿が現れた。
思ったとおりの大混乱で、パレードは遅々として進まないが、昨日からやはりラッキーだ! まさか、祭りに出くわすとは!
と、この時はラッキーだと思っていたのだが、もうすでにこの時点でオレの身にラッキーではない出来事が起こっていた・・・。
それに気付いたのはこの約1時間後のことだ。
ほとんど進まないパレードにも飽きたオレは、混乱を避けるように路地を抜け、その先々でやはり子どもたちと戯れていた。そして一度宿へ戻って少し休憩した後、そろそろタージマハルへ行ってみようかと部屋を出た。階段を降りながらオレはやっと気付いたのだ。
「ズボンのポケットに入れてあったiphoneがすられている・・・。」
オレの勘違いかもしれないと思い、部屋へ戻ってみたがやはり無い。最後に触ったのはいつだろう? と思い出してみると、自分のバカな行動が思い返されてくる・・・。
祭りのパレードの動画を撮るために、祭りの人混みの中でiphoneを出してしまい、そこで目をつけられたのだ。それをズボンの後ろのポケットへ入れ、その後も夢中で今度はカメラで写真や動画を撮り続けていた。
やってしまった!
インドをナメていた!
うわーっ! なんてこった!! 最悪だーーーーーーーー!!!
と・・・・・・、オレは思わなかった・・・。というのが事実。
この時のオレは、なんとも不思議な感情になっていたのだ。
盗まれたことに気付いて、最初に思ったことは、
「やっぱりね。インドにiphoneはないよね。」
「こんなもの持ってるヤツが悪い。」
「やっとこれで自由になれた。」
そんな感じだったのだ。
iphoneは便利だった。旅に持っていくとここまで役に立つのか! というほど海外では便利だった。海外にいて、無料で日本の友人と会話ができてしまう。音楽も聞けるし、メモもできる。当然写真も動画も・・・。
まさに、便利さを求める現代人に必須のアイテムだろう。つまり、インドとはまったく違う世界の代物なのだ・・・。
そんなものを使っている人間がインドに来てはいけない・・・。
という具合で、金額的にはオレの旅史上最大の損失を出してしまったにもかかわらず、良くも悪くも、なんのショックもなかったのだ。
むしろ、オレが悪かったと反省したくらい・・・。
こんな感情になれたのは、ここがインドだから・・・・・・、かな???
とはいったものの・・・。1月1日からiphoneを盗まれるとは・・・、今年は幸先悪すぎですな・・・・・・。
アーグラー旧市街にて / タージマハル
278.かりそめの都へ
翌日は朝からファティープルシークリーへ向かった。
バスは順調に走り、1時間ほどで到着。着いたのはバスターミナルとは名ばかりの、ただの広場。そこから、歴史地区へと徒歩で向かう。
その間には商店街があるのだが、バスで一緒だったほとんどの旅行者は道の両側に連なる商店には一切目もくれず、一直線に歴史地区へと歩いて行った。オレはというと・・・。正直興味があるのは遺跡よりも商店街。この商店街をまずは歩いてみることにした。
外国人旅行者はあまりこの辺りをうろついたりしないらしく、カメラを持っていたオレはまたしても 『撮って撮って攻撃』 に遭っていた。アーグラー同様これが目的でもあったのだが、カメラを持っているだけでここまで反応が違うとは・・・。
長い間旅をしていた時のオレは当然カメラは持っていたものの、安くて、文字通りコンパクトなコンパクトデジカメを持っていた。当時はそれほど写真には興味がなく、写真を撮る枚数も多い方ではなかった。それが今では、旅仲間の何人かの友人に影響されたオレは一眼レフを購入し、「荷物の半分以上はカメラ機材」 という旅のスタイルになっている。かつてのオレが、最高に撮りまくった1日の写真枚数を、今では半日で撮ってしまう。これでいいのか? と考えることがあったりもするが、今はこれでいいのだ。
とにかく商店街の写真を撮ってまわった後、モスクと宮殿のある歴史地区へと歩いた。
大きなゲートをくぐると最初はモスク。広い広場の中央に誰かの墓? だと言うものが建っている。そう言っているのはしつこく付きまとっている自称無料ガイド。当然最後には何かしらを請求してくるのは間違いがなく、オレは相手にしていなかったが勝手に説明しながら後を着いてくる。
案の定、最後にお土産を買ってくれと言ってきたのでヒマ潰しに少し冷かしてから宮殿地区へ。
こちらもモスク地区以上にガイドやら土産物屋やら何やらが付きまとってくる・・・。中には何が目的か分からない輩も多く、オレはそのうちのひとり、10歳くらいの少年を連れて行くことにした。
良くあるパターンなのだが、誰かひとりを連れていれば、他の誰かは声をかけてこないのだ。商売の邪魔をしないよう、暗黙の協定のようなものがあるのだろう。
結局少年は 「あれ頂戴、これ頂戴」 と言ってきたが、社会の厳しさを教えてやったオレだった・・・。
そろそろ帰ろうかと、アーグラーへ戻るバスに乗った。
しかし、少し走ると渋滞に巻き込まれてしまい、バスはまったく動かなくなった。その横を何台かの車が対向車線を逆走して走っていく・・・。日本ではまずありえないが、インドや中国などでは逆走など朝飯前なのだ。
しかし・・・、その結果がどうなるのか・・・。オレは何回も経験していた。その度に 「本当にバカだなこいつら。車に乗るなんて100年早い!!」 と思うことになるのだが・・・。
今回ばかりは、 「100年どころか1000年だな・・・。」 と言う結論に至った。
こちら側から多くの車が反対車線を逆走していったが、向こう側からも多くの車が反対車線、つまり、オレの乗るバスが進む車線を逆走してくる。それは交差点で睨み合いの状況となり、さらには右からも左からも正規の車線を走る車、反対車線を逆走する車がその交差点に向かって進んでいる・・・。言葉ではなかなかうまく説明できないが、とにかくすべての車が交差点の中央へ向いているのだ。
当然、すべての車が身動きできなくなり、渋滞が4方向へ伸びている・・・。あちらこちらでクラクションが鳴り響き、運転手は車から降りてケンカが始まっている。
クラクションもケンカも、何の解決手段にもならないのだが、それ以上の解決策が考えつかないのだろう・・・。
そのうち世話焼きな人が現れ、ようやく事態は解消へ向かった・・・。警察官のように交差点で誘導を始めたのだ。
その結果、行きの5倍の時間がかかったが、オレはなんとかアーグラーへと帰還できたのだった。
アーグラーの宿へ戻ると、宿の1階に入っている旅行代理店で働いている若いインド人に言われた。
「おい、ヒロ。お前結局明日はどうするんだ? どうやってデリーへ帰るんだ?」
しまった!!・・・・・・。
この彼には何度も言われていたのだった・・・。
「この時期はツーリストが多いから早めにチケットを買えよ。」
すでに明日の朝の特急列車でデリーへ戻るなんてのは無理なんでしょうな・・・。とチケットの手配を忘れていたオレは、一応聞いてはみたものの、予想どおりの満席。
いろいろと探してはもらったのだが、午後発のツーリストバスしかチケットがとれなかった。
しかし、この1時発のバスが実際に発車したのは4時過ぎ・・・。これなら安いローカルバスでも同じだった・・・。
何が理由だったのかは最後まで謎だったが、とにかくバスは発車しなかった。1時間くらい車内で待たされたところで、シビレを切らした乗客たちがバス会社へ怒鳴り込む。ようやく走り出したかと思ったら街を一周して元の場所へ戻ってきた・・・。
「バスを替える。」
というバス会社のスタッフの言葉にキレる寸前の乗客たち・・・。
文句を言いながらバスを乗り換え、さらに1時間以上も待たされる・・・。
ついにキレ出す乗客たち・・・。
ようやく走り出したバス。
ガソリンスタンドで給油。
そして、また元の場所へ戻る。
・・・・・・!! 完全に乗客たちはキレた!!!
バス会社へ再度詰め寄り、社長を引きずり出したのだ! 大勢で取り囲み、今にも袋叩きにしそうな状況! 当然のようにオレもその輪に加わっていたが、集団心理の恐ろしさを感じた・・・。この時のオレは、誰かがこの社長に手を出せばそれに続いてしまっていただろう。そんな心理状態だったのだ。おそらくその場の大多数がそうだったのではないだろうか・・・。
バス会社の社長は身の危険を感じたのか、その後すぐにバスを発車させた。
途中で休憩をはさみ、デリーへ到着したのは夜の9時過ぎ。そこからリキシャと地下鉄を乗り継ぎ、メインバザールへ戻ったのは11時近くだった・・・。
丸々1日を無駄にしてしまった気分・・・。
ファティープルシークリーの商店街にて / モスク入り口の巨大な門
279.旅の最終日に
メインバザールでは、ホテルパヤールという日本人には有名な安宿に泊まっていた。
6年前にあの事件が起こってしまった、この宿・・・。
「悪い思い出」 ではあるが、「思い出」 であることには変わりなく、その 「思い出の場所」 をもう一度訪れたかった。それに、当時のことを知っている宿の従業員やオーナーとも話をしたかった。
しかし、オーナーは変わったのか? ただ不在だったのか? とにかく会うことはできず、事件にかかわった従業員も、すでに働いていないようだった・・・。
オレはあの時のことを考えながらベッドに横になっていた。窓越しにメインバザールを通る車のクラクションがうるさいが、ちょうどあの時も同じ音だったことを思い出す・・・。
翌朝、オレはまず行かなければならない場所があった。それは警察署。盗まれたiphoneのポリスレポートを作成してもらためで、そのレポートは帰国後に旅行保険の保険金申請に必要なものだ。
宿の従業員に警察署の場所を教えてもらい、朝食も食べずにそこへ向かった。
警官に経緯を説明すると、どこかへ連絡を取ってくれ、
「担当の者が来るから9時15分まで待て。」
とのことだった。インド人が15分単位の時間指定をしたことにも驚いたが、時間どおりにその担当者が現れたことにもオレは驚いてしまった。もしかしたらインドの警察は、「まとも」 なのかもしれない。
確かにオレの思ったとおりだった。最悪1日が無駄になるかと思っていた書類の申請から受け取りまでも、2時間ほどで済ませることができたのだ。
一度宿に戻ってから、オレはチベット人の難民キャンプ、マジュヌカティラと呼ばれる地域へ行ってみることにした。
メインバザールをニューデリー駅まで歩き、地下鉄に乗って最寄駅まで。そこからリキシャで20分ほど。いかにもチベット風というような風景が、狭い路地に見ることができた。マニ車、タルチョ、タンカ、チベット料理店、チベット音楽のCD屋、土産物屋・・・。
本場のチベットとの大きな違いは、ダライラマの写真がここかしこに掲げられていることだ。ある意味、こちらが正しいチベットの風景とも言える。
と、ダライラマの写真までは良かったが、ここはゴミゴミしていて空気も悪く、チベタンたちもイマイチ人懐こくなく、マジュヌカティラ自体もそれほど広くはない。期待していたほど面白い場所ではなかったので、昼食を食べて他へ行くことにした。
外装も内装もキレイで客も入っていた店を選び、テーブルに着く。ちょうど目の前にダライラマ。
オレはカレーが大好きで、以前インドでは1ヶ月以上カレーを食べ続けても飽きなかったのだが、最近のオレは日本で胃も心も軟弱になってしまい、1週間でカレーに飽きてしまった。ちょうど良いタイミングでチベット料理を食べることになったが、チベット料理と言えば食べるものは決まっている。トゥクパとモモだ。
チベット風ラーメンのトゥクパ、チベット風ギョウザのモモ。どちらもネパールやチベットでは定番の料理。
味はイマイチでがっかり・・・。こんなことならカレーの方がまだ良かった・・・。
次に行ったのはアクシャルダム寺院。世界最大のヒンドゥー寺院だ。
が・・・、寺院はカメラの持ち込み禁止。入り口で荷物チェクまであり、カメラはロッカーに預けることになる。ロッカーと言ってもコインロッカーではなく、係員に渡すというもの。混雑しているこの場所で、それは怖い・・・。iphoneに続きカメラも、なんてことになったらそれこそ最悪。
結局ゲートの外から写真を撮り、そのままメインバザールへ帰ってしまった。
宿の部屋へ戻って少し休んでいると、どうも腹の具合が悪くなってきた。
と感じた10分後には、完全に食中毒の症状が出始めたのだ!
熱が出て、寝袋と布団を両方使っても寒くてブルブルと震えてしまう・・・。下痢と嘔吐を繰り返し、しまいにはトイレから出られなくなってしまった・・・。手足が痺れ、目が回る・・・。
なんてこったー! 最後の最後で何?! これ!!!
カレーに飽きて食べたチベット料理にあたるって!!!
すべてを出し切ると、ようやく落ち着いてベッドで横になることができた。が、ぐっすりと眠る訳にはいかない。飛行機の時間が迫っているのだ! 寝たら起きられないかも・・・。そう考えると眠るに眠れない。
この状況で空港へ向かわなければならないとは・・・。
しばらく横になり、少しだけ良くなったところで空港へ向かうことにした。まだ時間にはかなり早いが、今行かなければまた悪くなったら動けそうもない・・・。
なんとか地下鉄に乗るまでは体調をキープできたが、乗ってしばらくすると汗がダラダラ出てきて止まらなくなった。服を脱ぎ、Tシャツになるがそれでも暑いのだ。
5分後、やっと落ち着いてきたと思ったとたんに今度は寒くて震えが止まらない! 元の服装に戻り、ホッカイロを使用。それでもガタガタぶるぶる・・・。
そのまた5分後、案の定汗が・・・。
こりゃ、完全に自律神経をやられてしまったな・・・。
なんとか空港に到着したが、意識も朦朧として、ふらふらだ。
「早く空港へ入りたい。早く入ってベンチで休みたい。いや、休まなきゃもうヤバい。」
と入り口のゲートを通ろうとすると・・・、
「チケットを見せろ。」
「・・・・・・!!!!」
まさか入り口でチケットが必要とは! こんな空港は今まで経験がない。インドでここまで厳しいチェックが必要なのだろうか?
とにかくオレは中へ入れないのだ。
なぜなら、オレはチケットを目に見える形では持っていない・・・。オレは日本でチケットをプリントアウトして来なかったのだ。携帯の画面に表示すればそれで事足りるからだ。
しかし、携帯は盗まれていた。その時点でオレは、チケットがヤバいな、ということは解っていた。
アーグラーでもデリーでも、チケットをプリントアウトしようとネットカフェへ行っていた。が、eチケットのメールが送られて来ているホットメールは、セキュリティーの関係で見ることができないようになっていた。日本のパソコンへパスワードが送られ、そのパスワードが必要なシステムに変更されていたのだ。
そう言えばここ何年間か、海外からホットメールを見たことがなかったが・・・、マイクロソフトも余計なことしやがった!
わざわざ日本まで電話して親にメールを見てもらい、パスワードを教えてもらわなければならない。それは面倒だったので、
「まあ、なんとかなるでしょ。」
と、いつもの調子で考えていた。
「チケットは携帯の中にある。でも携帯は盗まれた。だからノープロブレムだ。」
警備員に説明したがダメ・・・。
「一番奥の入り口から入るとeチケットをプリントアウトできるカウンターがあるから、そこへ行きチケットを出して来い。」
なんだ。焦って損した。
そのカウンターへ行くと、「1枚50ルピー」 と書いてある。1枚約90円って! 10年前の物価ではあるが、オレは30ルピーの宿に泊まったこともある。それを考えるといくらなんでも高すぎでしょ! 足元見やがって!!
が・・・、どうやってプリントアウトするの? と少しイヤな予感がしたが・・・、やはりその予感が的中。ホットメールから自分でプリントアウトするのだ! つまり、メールが開けないのでプリントできないっ!!
この状況をすべて説明し、どうしたら良いか警備員に尋ねるが、
「ダメだ。中へは入れない。」
の答えしか返ってこない。
わかった。じゃあ次の作戦だ。
「オレの携帯を盗んだのはインド人だ。お前らそれで外国人が困っているのに助けないのか? それがインドなのか? それがインド人なのか? それに日本では紙のチケットなんかもう10年前から使っていないぞ。インドはIT大国なんて呼ばれているけど、未だに紙のチケットを使うなんておかしいだろ。」
逆ギレされるのを覚悟で、インド人のプライドに訴えかける作戦だ。オレの英語力の限界までを引き出して攻め立てた。が・・・、
「あっちへ行け!」
やっぱキレられた・・・。
でもオレはその場を動かない。今度は仕事の邪魔をして、粘りまくる作戦。
の、途中で他の作戦を思いついた。日本語が聞こえたからだ。
日本人旅行者にANAのカウンターからスタッフを呼んでもらおう作戦! 偶然近くにいた家族連れに声をかける・・・。が、怪しまれて相手にしてくれない・・・。なんと、日本人が一番残念なリアクションとはね・・・。
さてどうしよう。なかなか他の日本人が見当たらないし、時間は進んでいくし、オレの体もいい加減限界に近づいてきて、頭も回らず・・・。
そんなオレを見ていたのだろう。ひとりの警備員が声をかけてくれた。オレが事情を説明すると、彼はゲートの警備員に何やら言い、リストを取り出した。乗客リストだ! 当然オレの名前もある。
最初からそれ出せよ!!
中へ入ることができてほっとしたのだろうか? トラブルの対処にいっぱいいっぱいで、体調の悪さを忘れていたオレの脳は、それを思い出してしまった・・・。
空港で、飛行機の機内で、またしても嘔吐・・・。寒くて震え、暑くて発汗の繰り返し・・・。
深夜発、成田に早朝着の便だったが、一睡もできず・・・。何も口にできず・・・。8時間が長すぎる・・・・・・。
なんとか成田に着いた。
ようやく体調も落ち着いた。
結局今回のインドって・・・。何で呼ばれたの???
マジュヌカティラのチベタン寺院 / パヤールの屋上より
280.ロスタイムの失点
インドではiphoneが手元になくなって、「自由になれた」 と思っていたぐらいだったのだが、ここ日本はその自由を与えてくれはしない。しかたがなくiphoneを買い直した。
契約プランが変わってしまい、2年間の間、月々980円高くなってしまった。当然本体代金の68000円も支払ったが、それは旅行保険でいくらかが返ってくるはずだ。結局約1000円×24ヶ月で24000円の損失か・・・。
と思っていたが、とんでもない勘違いだった!
オレは保険金を請求するといっても、出発前に旅行保険に加入したわけではない。クレジットカードに付帯している旅行保険を使うつもりだったのだ。しかし、よくよく調べてみると・・・。
3枚持っているカードのうちの2枚は旅行保険に盗難保険が含まれていなかった! そしてもう1枚は、盗難保険は付いていたが、旅行代金の支払いにそのカードを使用しないとならない条件だった。
つまり・・・、保険は使えなかったのだ・・・・・・。
マジか・・・。
ようやくショックを感じ始めた・・・・・・。
インドだからショックはなかったじゃねーよ! 保険金で戻ってくるからだろ!
何が自由になれただよ!! アホか! オレは・・・。
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