かつて秘境だった場所
TRAVEL15》


タイ、ラオス 2016/12/29-2017/1/4






298.今、世界で一番行きたい国


 2016年、世界で一番行きたい国ランキング1位のラオス。何度もテレビやネットでこの情報にふれた1年だった。その情報発信源はニューヨークタイムズらしい。そんなラオスの中でも、世界遺産の古都ルアンパバンが人気だとか。

 という話を旅仲間にすると、当然のように 「そうらしいね」 という答えが返ってきた。しかし、旅仲間以外の人に同じ話をすると、ほとんどの人はこう言う。
 「ラオスってどこ?」

 「タイの北だよ」
 とオレが返すと、やはりほとんどの人が言った。

 「タイってどこ?」

 ・・・・・・。でしょうな・・・。
 てな訳で・・・、普通の日本人は知らないけど、今年欧米人に人気No.1のラオスへ。

 ただし! 人気だから行くということではありません! オレが今年ラオスへ行くことは、もっと前から決めていたのです。タイムリーに人気の街へ行くことになってしまった。

 バンコク経由で空路、そのルアンパバンへ入り、山岳地帯を北上してノンキャウ、ムアンゴイというふたつの場所が目的地。ノンキャウは山の中の小さな町、ムアンゴイはさらに山の中の、ノンキャウよりもさらに小さな村だ。どちらもメコンの支流、ナムウー川沿いにある。
 とにかく、何もない田舎で何も考えずに過ごす時間がほしかった・・・。

 いや、別に・・・、そんなに病んでいる訳ではないのですよ・・・。



299.この国も

 何年か前、エアアジアのバンコクの拠点がスワンナプーム空港からドンムアン空港に移った。オレもここのところエアアジアを利用する機会が増え、必然とドンムアンへ行くことも多くなった。
 そして気付いたのだ。ドンムアンのイミグレでは異常に時間がかかることを。
 ここ数回、毎回のように長時間待たされて時間を無駄にしている。今回もエアアジアの利用だ。今回こそは。ということで、あえて座席指定の追加料金を支払って出口近くに席をとり、到着後は・・・走る! そこまでしなくても、と思ったが、他にも走っている人は多かった。ドンムアンの状況を知っている人たちだ。
 その甲斐もあって、すんなりとイミグレを通過。深夜到着だったので今回もホテルはアマリエアポートホテル。空港から線路に架かる橋を100m進み、エスカレーターを下ればフロント。バンコク到着から30分足らずでベッドにありついた。出だしは順調だ。

 翌日、ルアンパバンへ向かうフライトまでの間、半日時間があった。
 ついに亡くなってしまったプミポン国王の弔問のため、王宮へ行こうかと考えていたが、空港至近にホテルをとってしまったため、王宮までは往復3時間弱。王宮の状況も良く分からないし、おそらく時間はなさそう。
 いや、それ以前に・・・、街をぶらつく時間すらないじゃない!
 ということに気付いたのは深夜のアマリのベッドの中だった。

 リーマンパッカーになってからは、毎回スケジュールを立てて、時間を考えた行動がどうしても多くなっていた。時間がない旅なのでそれは仕方がないことだが、そんなスタイルはやはり好きではない。特に今回の旅は、ラオス北部の山岳地帯。スケジュールどおりの移動が困難な場所だ。予定なんか無意味!
 そんなことで、今回は大まかな予定だけしか考えていなかった。今回はこのスタイルでいこう。

 結局、空港と中心街の中間にあるチャトチャック公園で時間を潰し、再び空港へ戻った。

 バンコクからルアンパバンまでは1時間半のフライト。この便でもオレは、追加料金で座席指定をしていた。窓側の席をとりたかったからだ。
 バンコク以降はほとんどが荒地か山。当然、そんなルートを選んで飛んでいるのだろうが、たまに小さな村が現れるくらい。しかし、さすがはタイ。こんな田舎でもインフラはしっかりとしているように見えた。
 そのうちメコンを越えラオスへ入る。一変して赤土の未舗装の道となり、その本数も極端に減った。エアアジア機は、しばらくの間メコンに沿って北上していく。
 そしてオレはあるものを目にして驚いた。それはダムだ。メコン川には上流の中国にダムがあることは知っていた。まさかラオスにも! タイならまだしもラオスに!
 時代は変わったんだな。と思うと同時に、中国が上流にダムを建設して、下流であるラオスの漁師の生活が脅かされているという記事を読んだ記憶がよみがえった。その後・・・、自国でも造っちゃったんだね・・・。

 しばらくして機体が右へ旋回すると、ルアンパバンの街が眼下に見えてきた。
 オレの記憶にあるルアンパバンとは、街の規模がまるで違う・・・。上空からでも一瞬でそう分かるくらい、街は大きくなっていた。

 前回ルアンパバンへ来たのは2003年の年末なので、ちょうど13年前ということになる。街は大きくなり、建物は高くなり、新しく、キレイで・・・、中でも特に変化を感じたのは、オレが自転車でがんばって走っていた赤土の田舎道が、立派な舗装路に変わり、車がひっきりなしに走っている光景だった。おそるおそる自転車をひきずって渡った吊り橋もコンクリートのものに変わり、何もなかったその周辺にも民家や商店が立ち並んでいる。
 中心街へ入ると、さらに変化を感じられた。宿が増え、レストランが増え、旅行代理店が増え、コンビニが登場し・・・、何より外国人旅行者の数が極端に増加している。後に調べると、なんとその数は5倍になったという。

 東南アジアでこの10年、最も変化したのはミャンマーだと思っていたが、ラオスも相当なものだ。1年前に訪れたカンボジアもしかり。東南アジアの国々は今、大きく変化しているのだ。
 毎回毎回、旅をしてオレは思う。バックパッカー時代のオレは、本当に良いタイミングで旅ができたのだ。2000年代の10年間。それは多くの国において、すべてのバランスが最高に良かった時代だった。今は便利すぎて、楽すぎて、快適すぎる。

 あくまでバックパッカー目線での話ですけどね。


キレイになったルアンパバンの街並み



300.観光客もいろいろ

 ルアンパバンの街に到着したオレは、宿を探して歩いた。ルアンパバンは宿が供給過剰で、ハイシーズンであってもベッドに困ることはない。とは聞いていたが、しばらく歩いて難なく部屋を確保できた。噂どおりで助かった。
 おまけに、翌日のノンキャウまでのチケットまでも宿で簡単に手配できた。これはラッキー! 最悪、チケットを求めてバスターミナルまで行く羽目になり、無駄に時間を使うことになるところだった。安いか高いかは気にしないことにして、とにかくこれで時間はかなり節約できた。
 少し部屋で休んで、オレは夕日を見にメコン川へと歩いた。
「ラオスにはメコンと山と夕日しかない。あとは少数民族がいるだけ。」
 と言われているが、良い意味で当たっている。ラオスの夕日、いや、旅の中で見る夕日だからかもしれないが、メコンに落ちるラオスの夕日は格別だ。この風景は13年前と変わっていない。

 翌朝は早起きをして、托鉢を見るため街へ出た。托鉢とは、僧侶が街を歩きながら、人々からお布施である食料を頂いてまわる行為だ。オレンジの袈裟をまとった大勢の僧侶が、列をなして歩く姿が実に絵になる。

 まだ薄暗い早朝、オレは托鉢が大規模に行われているルアンパバンのメインストリートへ向かった。仏教寺院が多く建ちならび、ラオス随一の仏教都市であるこの街は、世界遺産にも登録されている。さすがに僧侶の数は多いが、それ以上に僧侶に施しをする人が多く、さらにその光景を目にしようと集まった外国人観光客が多い。
 外国人の内訳は、欧米人4:韓国人3:中国人1:日本人1:タイ人などその他1、といった感じに見てとれた。ここのところ世界中で増えている中国人は解るとして、とにかくなぜか、韓国人がやたらと多いのが目についた。ブームなのだろうか?
 オレが面白いと思ったのはここからだった。托鉢そのものにも興味があったし、風景として美しいと思うのは当然だが、それ以上に外国人観光客ウォッチングが面白かったのだ。
 欧米人の半数ほどと、韓国人のほとんどは托鉢に参加していた。中国人は当然のことではあるが、人の迷惑などお構いなしに僧侶の行く先を塞いでまでも写真を撮りまくり、さらにそのほとんどが自分入り。ナルシスト丸出しだ。とにかく邪魔でしょうがない! 欧米人の残り半分と日本人はそんな中国人を冷ややかな目で見ながら、うまくタイミングをはかって写真を撮っている。
 実はこの前の日の夜も、ナイトマーケットでオレは外国人観光客ウォッチングをしていた。商品を見ているふりをしながら、横で外国人観光客とラオス人の売り手とのやり取りを聞いていたのだ。
 欲しいものには金を出すが、それ以外の物には目もくれない欧米人。値切るだけ値切って、結局何も買わない韓国人。日本人は2種類にくっきりと分かれ、バックパッカーはただ見ているだけで最初から買う気すらなく、その他の人たちは値切りもしないで高い買い物をしていた。そして中国人はただ買い物もしないで騒いでいるだけ。英語もラオ語も話せないのだろう。

 ルアンパバンでは、そんなことが面白かった。
 旅人は辞めて、旅人評論家にでもなろうかな・・・。

 托鉢を見て、朝市を見てまわった後、朝食を食べて一度宿へ戻る。しばらくして宿に迎えが来た。ミニバンでバスターミナルへ向かい、そこから別のミニバンに乗り換えてノンキャウへ向かう。いよいよ今回の旅の本当の始まりです!

   
変わらないラオスの夕日 / 朝の托鉢風景



301.ムアンゴイと雨

 オレたちを乗せたミニバンは快調に北へと向かっていた。1時間も走らないうちに、川と並走する道へ出た。メコン川沿いを遡り、そしてそこから分かれる支流のナムウー川沿いを進む。
 分岐からしばらく走ると、なにやら巨大な看板が登場した。漢字で中国企業の名が記されている。ダムを建設しているのだ。
 ラオスという国は国力が弱く、特に北部は中国に支配されつつある。というのは2007年にラオスを旅した時から感じていた。今ではさらに・・・、という情報はやはり間違っていなかった。
 と、この時はその程度にしか思っていなかったが、まさかこのダムが今回のオレの旅にも影響を与えようとは・・・。

 ノンキャウまでは4時間と聞いていたが、実際には3時間で到着した。道が良くなったのだろうか? バスターミナルから船着き場まで歩き、今度はボートに乗ってナムウー川を遡る。ノンキャウも、今日の目的地であるムアンゴイも、ナムウー川沿いにあるのだ。
 ノンキャウは山の中の小さな町。ムアンゴイはさらに山の中の、さらに小さな村なのだ。ムアンゴイへは道路が通じていないためボートでしかアクセスできず、そのことが旅人に秘境感を感じさせる。当然、電気も水道も通じていない。ただ発電機で電気は使えるし、井戸があるので何の問題もないのだが・・・。

 そんなムアンゴイに行ってみたいと思ったのは2010年のことだった。今から6年前。

 やはり行きたい所には、行きたい時に行くべきだった・・・。こんな旅の教訓は心得ていたはずだったが、そうもいかないのが時間の限られたリーマンパッカーの悲しいところ・・・。
 2016年のムアンゴイには電気が通り、車が走っていた・・・。地図を良く見ると、かなり遠回りで、かなりの山道だと思われるが、道路は繋がっているようだ。
 かつてここは秘境だっただろう。しかし、今はただの観光地。そんな表現が最もしっくりくる。

 がっかりしたことは事実だが、それでもムアンゴイが良い所であることに変わりはない。赤土のメインストリート、そこから何本もナムウー川へと伸びる小道の先には決まってレストランや宿があり、川と山を眺めながらのんびりと過ごすことができる。
 オレが決めた宿も川に面していて、部屋のバルコニーにはハンモックが吊るしてある。最高のシチュエーションだ。東南アジアらしく、暑くて、天気が良ければ、のことだが・・・。
 オレがムアンゴイに到着した2016年大晦日の天気は曇り、ラオス北部は日本ほどではないが寒い。長い間旅をしていた時、オレはそのほとんどの時間を暑い場所で過ごした。だからと言うわけではないが、やはり暑い場所にいる方が旅をしている感覚が強くなる。
 しかしここは寒い・・・。寒い国の寒さならまだ納得できるが、暑い国の寒さ・・・。せっかくのムアンゴイが・・・。

 と思っているうちに雨が降り出した・・・。なんと雨とは!
 雨に遭って、オレは過去を振り返ってみた。そして計算してみた。
 オレは過去に、乾季の東南アジアに7ヶ月以上滞在している。その間、思い出せる限りではただの一度も雨は降っていない。というのが、オレの記憶だ。
 年末年始のラオスは乾季。当然雨は想定していなかった。雨具も持ってきていない。これまでの経験上、ありえないことなのだ。7ヶ月の実績があった。それなのにたった1週間の旅行で雨とは・・・。

 雨の年越し・・・。部屋で凍え、欧米人たちがパーティーで騒いでいる声と、大音量の音楽に一人イラ立つオレだった・・・。

 翌朝、つまり元旦の朝。強くなった雨がトタンの屋根を打つ音で目が覚めた。
「今日もかよ・・・。」
 外へ出られないので宿のレストランで朝食を食べ、部屋へ戻ってハンモックに揺られる。
 何もないムアンゴイで何もせずにのんびりとしたかった。たしかにそうではある。が、こんなのんびりの仕方はないでしょ・・・。雨と寒さがこれだけハンモックと相性が悪いとはね・・・。

 寒くなって部屋に入り、しばらくベッドで本を読んでいると、気付いた時には雨は上がっていた。空も明るくなりだしたので、もう止むのだろうと思い、足元はドロドロだったが隣の村まで歩いてみることにした。雨は降らないに賭ける!
 ムアンゴイの周辺にはいくつかの、ムアンゴイよりもさらに小さな、それこそ今でも秘境と言えるような村が点在している。オレはその中でも一番近いバンナ村という所へ向かう。徒歩で1時間ほどの道のりだ。

 ムアンゴイの村を出ると、まず目に入ったのは広い広場とその奥にそびえる桂林のような山。草の生えた広場では牛が放牧(?)されていて、その近くには学校もあったため、校庭の役目もしているのかもしれない。ラオスの正月はタイと同じく4月だが、さすがに元旦くらいは休みのようで、子供たちの姿を見ることはできなかった。
 アップダウンのある赤土のドロドロの道を15分ほど歩くと、チケットカウンターがあった。その横には洞窟があり、洞窟、この先の村々へ行くためには、外国人は入場料を払う。
 洞窟はたいしたことがなく、オレは村へと急ぐ。早速、雨が降り出したからだ。小雨のうちにたどり着きたい。

 さらに歩くこと30分。広々とした田園風景、遠景には絵になる稜線の山々。実にすばらしい風景だろう場所に出くわした。
 あくまで「だろう」だ。なぜなら、この時間帯には雨が激しくなってしまい、風景の良し悪しなど判断できるような状況ではなかったのだ。天気さえ良ければ、おそらく絶景だったに違いない。
 しかも、オレはズブ濡れ・・・。寒い・・・。戻るに戻れず、行くに行けず、かと言って雨宿りする場所もない・・・。気合で進むしかないのだ!

 さらに20分。雨とドロでぐちょぐちょになりながらバンナ村へたどり着いた。村で写真でも撮ってまわりたいところだが、この天気ではそれどころではない。いや、それ以前にこのままでは確実にカゼをひきそうだ。
 温かいスープヌードルを1杯いただいて、そのまますぐに戻ることにした。ムアンゴイから比較的近いため、外国人も訪れることがあるこの村。レストランが2件だけあったので本当に助かった。
 体を温めるためにランニングで戻り、すぐにシャワーを浴びる。お湯がまともに出ない安宿のシャワーでは体を芯から温めるのに時間がかかったが、なんとか生き返った・・・。

 ようやく落ち着いたところで、宿のレストランでコーヒーを飲みながら年賀状を書き、他の旅行者と少し会話をしていると、あっという間に日が暮れた。

 なんとも散々な、雨の2017年元旦でした・・・。

   
ムアンゴイのメインストリート / 晴れてりゃ桃源郷



302.ノンキャウと山

 昨日は雨で何もできず、早く寝てしまった分、早起きしたオレは、まだ薄暗いムアンゴイを歩いた。雨は止んでくれている。
 寺の鐘が鳴り、この村でも托鉢が始まった。見に行ってみたがルアンパバンとは違い僧侶は3人だけ。それでもこちらの方がリアルな感じがした。ルアンパバンのものはどこか観光向けという側面が感じられもしたからだ。それに、ここの僧侶は、托鉢の食料を受け取った後に、そのお返しにお経を唱えていたのも心に響いた。

 そのうち日が昇り、30分ほどはキレイな朝焼けを見ることができた。しかしそのうち、見る見る間にまた曇ってしまった・・・。雨が降らないことを祈るのみだ・・・。
 今日はムアンゴイからノンキャウへ戻る。ボートでの移動なので、雨に降られたらたいへんなことになりそうだ。

 雨のことは抜きにしても、今回の旅は移動に関してを懸念していた。交通の便の悪い山岳地帯のため、出発の待ち時間や移動時間が読めない部分が多かったからだ。ところがルアンパバンからノンキャウのミニバスも、ノンキャウからムアンゴイのボートも、意外とスケジュールどおりに運行してくれた。
 この日のムアンゴイからノンキャウまでのボートも同様で、時間キッカリにスタートし、予定時刻よりも早く到着。
 2日前にも一度経由してはいるが、この旅のもうひとつの目的地、ノンキャウに着いた。山の中の小さな町で、幹線道路沿いに東西に延びた町は、端から端まで歩いても30分。南北は5分。そこにナムウー川が流れ、立派な岩壁を持つ山々が囲んでいる。

 宿を決めてチェックイン。今回も川沿いの、バルコニーとハンモックがある宿。
 次に旅行代理店へ向かった。明日、ルアンパバンへ戻るボートについて聞くためだ。ルアンパバンからノンキャウへ来た時はミニバンで来たが、ボートで移動することもできるらしい。ただ、ノンキャウの船着き場では、ルアンパバン行きのボートの情報は得られなかったため、旅行代理店へ行くことにした。
 行ってみると、店員に話を聞くまでもなく、店先に案内がいろいろと掲示してある中にオレの知りたい情報も出ていた。
 正確な年までは忘れてしまったが、201○年以降、ダム建設のためルアンパバン行きのボートは廃止とのこと。

 オレは知っていた。来るときに中国が建設しているダムがあることを知っていた。
 ただそれが、「だからボートは通れなくなった」 ということに頭の中で繋がっていなかった。考えてみれば当たり前だが、こんなことに気付きもしなかった。
 インフラが整っていない地域、特に山岳地帯では川を行くボートは重要な移動手段となっているのだが、ダムはこんなところにも影響を与えていた。
 中国・・・。とにかくボートで帰ることは諦めるしかなくなった。

 昼食を食べた後、宿へいったん戻ってハンモックでくつろぐ。相変わらず曇ってはいるが、ナムウー川と岩壁と山の風景は見ていて飽きない。
 2時間程度休んでから、町の北にある小さな山へ登ることにした。山頂にはビューポイントとして、東屋が建っていて、外国人観光客にとって、ノンキャウでマストな場所なのだ。オレにいたっては登山も趣味としているので、当然そこへ向かう。
 登りは90分と看板に書いてあったが、45分で山頂へ。

 ムアンゴイでも、バンナ村でも、ノンキャウでも、やはり今回の旅はこの一言に尽きた。
「天気さえ良ければ・・・。」
 この山頂からの景色も、曇り空の下でさえもなかなかのものだった。いや、かなりの景色だった。晴れていれば、しかも夕日や朝日はサイコーだろう。数日前に、ここからの夕日の写真を欧米人の旅行者から見せてもらい、その絶景に期待を膨らませていたのだが・・・。

 ムアンゴイも、ノンキャウも、いつの日かまた来よう。絶対来たい。そんな場所だった。
 絶対にリベンジするぞー!!

   
ビューポイントからのノンキャウ / ノンキャウの岩山



303.第二のカオサン

 ノンキャウで1泊し、来た時と同じくミニバンでルアンパバンへ戻った。9:30出発の予定が9:30出発。そりゃそうでしょ、と旅を知らない人は思うかもしれないが、ラオス北部の山岳地帯で、しかも人数が集まり次第出発が原則のミニバンが、時刻どおりに出発したのだ。
 さらにラッキーは続き、ノンキャウを出るときは曇っていた空も、徐々に青の面積が広がっていき、ルアンパバンへ到着した時には完全な晴れ。
 やはり天候は街のイメージを、旅のイメージを一変させる。もしかしたら、今回の旅で一番テンションが上がった瞬間はルアンパバンの青空かもしれない・・・。
 運気上がるの遅すぎでしょ! なんせ、そんな気持ちが良いルアンパバンに滞在できるのはわずか2時間なのです・・・。
 バンコクへのフライト時間が迫っているのだ。街の中心あたり、メインストリート沿いにあるレストランで昼食をとり、その後通りを街の東端まで歩いて、それで終了。
 もうタイムアップ。トゥクトゥクを拾って空港へ向かった。

 バンコクの宿に着くのは夜の9時ころ。そう予想していた。
 しかし、1時間半の予定だったフライトはなぜか1時間。大混雑で長蛇の列を覚悟していたドンムアンのイミグレはスカスカ。バスの待ち時間や、地下鉄の乗換も完璧なタイミングで移動することができ、宿の部屋に入ったのは7時ジャスト。
 これも旅をしていると良くあることだが、気分が良い時には何をしても上手くいくものだ。
 これは人生も、仕事も一緒。
 旅でそんなサトリを開いてからは、常に良い気分でいるように心がけるようにはしているが、世の中そんなに甘くない・・・。結果、精神的に良い状態を保てずに、悪い出来事に遭遇することは多い。特に仕事で・・・。

 な話はさておき、今回の宿はカオサンでもスクンビットでもない。地下鉄のスティサン駅近く。
 この地域は知る人ぞ知る、第二のカオサンなのだ! と、オレは勝手に思った。ここへ宿をとったのは単なる偶然だが、ロケーションは大当たりだったのだ!
 夜にバンコクへ到着し、翌朝空港へ。というスケジュールのため、街中や、ましてはカオサンまで行くのは面倒だった。かと言ってまた空港近くのアマリでは周辺に何もなさすぎる。
 という具合で、空港からバス、地下鉄を乗り継いでも30分程度でたどり着ける場所の中からこのエリアを選んだ。地図を見て、周辺に安宿、中級ホテル、市場、レストラン、地下鉄駅、ショッピングセンターが集まっている地域を街のはずれに見つけたのだ。地図では判断できなかったが、さらにコンビニや、屋台まで多いのはうれしかった。
 我ながら素晴らしい! さすがバンコクっこ!! まさに旅の申し子!!!
 と、本気で絶賛したくなるようなエリア。おススメです!

 旅の最後の夕飯。ラオスよりメシの上手いバンコクで豪華にいきましょう! と言ってもオレは一人・・・。寂しさがこみ上げてきた・・・。ただでさえ寂しい秘境の村では感じない、人があふれる都会だからこそ感じる孤独・・・。本当の一人は寂しくないが、大勢の中で一人でいることは実に寂しい・・・。
 しかも、間違えて・・・、気付かずにイサーン料理の店へ入ってしまった・・・。イサーン料理とはタイ東北部の料理で・・・、ラオス料理とほぼ同じなのだ。せめて最後くらい美味しいタイ料理を食べたかった・・・。

 ところで、バンコクの人たちは未だに黒い服を着ていた。本当に黒い服を着ていた。
 10月にプミポン国王がお亡くなりになり、その際にタイ国民は1年間の喪に服し、1年間黒い服を着続けるという話になった。しかし、そこはタイのマイペンライで、すぐに止めてしなうのではないか? とも思ったし、プミポン国王の絶大な人気も知っていたので、本当にやるかもな。とも思っていた。実際は後者だったのだ!
 とは言ってもまだ2ヶ月。今後どうなのだろう?
 いや、2ヶ月でもすばらしいことだと思わない? 凄いよね! タイの人たち! プミちゃん!!

   
世界遺産ルアンパバン / 黒いバンコク



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