もう一度、両親を連れて行ってみた
TRAVEL16》


中国 2017/5/3-6






304.なぜか上海


 なぜか上海。だいぶ昔の話だが、井上陽水がそんな歌を唄っていた。
 なぜか上海。本当は台湾へ行きたかったのだが、なぜか上海へ行くことになった。

 台湾へ行きたいと言っていたのは、父親だったか? 母親だったか? とにかくタイ、カンボジアへ両親を連れて行った後に、今度は台湾だと言っていた。
 とにかくマイルは3人分の台湾往復分が貯まっている。しかも期限が切れそうなので、もう一度両親を海外へ連れて行ってやろう。ということになっていた。

 しかし、予約開始日に早速手配するも・・・、5分もしないで空席は消えてしまった。第二候補の香港も空席なし。前にも書いたことがあるが、マイルは貯めることより使うことの方が難しい。今回もうまく予約ができなかった。まだまだ研究の余地ありのようだ。

 という訳で、期限切れにならないように無理やり要らないものと交換するよりは、上海にでも行っておくか! ということなのです。
 台湾も上海も変わらないさ・・・。特に何もわからない両親にとってはね・・・。

 と思っていたのだが・・・、やはり上海とは言え、中国は中国だった・・・。
 台湾でも香港でもない。中国。バリバリの中華人民共和国だったのだ!



305.本当の成長

 羽田を発った飛行機は、離陸、機内食、着陸、といった具合で、あっと言う間に上海浦東空港に到着した。老いた両親を連れて行くにはちょうど良い距離感だ。
 リニアモーターカーと地下鉄を乗り継ぎ、人民広場近くのホテルにチェックイン。
 今回は比較的安いホテルをとってしまったので、当然のように部屋も安いなり。前回の旅ではふたりとも、オレが予想していた以上にいろいろなものに順応してくれていたので、少しくらい大丈夫だろうと思ってしまった。
 ランクを下げすぎたかもしれない・・・。両親を連れての場合は、ここが最低ライン・・・。そんなホテルだった。
 いや、その前に、上海の宿、高すぎです・・・。

 部屋で一服したら、早速散策。まずは上海一の繁華街、南京東路を東へ歩き、外灘まで。南京路の街ぶらと、外灘&浦東の風景を楽しんだ。
 上海の街の真ん中を黄浦江という川が流れていて、西が古い街、東が新しい街、と別れている。その西岸の川沿いは外灘(バンド)と呼ばれ、かつての租界時代の洋風建築が建っている。東側は浦東というエリアで、金融を中心とした近代的なオフィス街だ。

 珍しく青空に映える浦東のビル群が印象的だった。
 上海へは何回も来ていて、最初の旅で来た時には1週間も滞在したが、上海はいつもモヤがかかっている感じだった。気象条件によるものなのか大気汚染によるものなのかは定かではないが、とにかく上海の空は白いというのがオレの中のイメージだ。

 そんな青空の浦東の風景だが、今までとは高さが違った。高層ビルが増え、かつて上海で一番高かった東方明珠塔よりも高いビルが2基も建っているのだ。
 初めて上海を訪れた2005年当時のオレの目には、上海のビル群がニセモノに見えた。外ヅラだけの、ハリボテに見えたのだ。それがまさに中国という国そのものだと感じていた。
 そしてその時に感じたものは、「的を得ていたな」と10年来思っていたし、その後の(仕事上ではあるが)中国との付き合いで、それはゆるぎのないものだという確信に変わっていた。
 しかしだ! はたして今はどうなのだろうか? この浦東を見て、もしかしたら・・・、などと薄っすら感じたオレだった。

 何世紀たっても、絶対に中国は日本に追いつけない。
 オレの中のそんな常識が、今回の旅を通じて覆りつつあった。

 特にそれを感じたのはこのビル群と、『人』 だった。

 ホテルはイマイチではあったが、フロントの対応は良かった。これならばと思い、時間がないこともあってホテルで高速鉄道のチケットを手配してもらったのだが、その際も良い仕事をしてくれた。街を歩いていてもうるさい客引きなどはいなくなったし、中国人観光客のマナーも良くなっているようにも感じた。地下鉄や高速鉄道でもゴミを散らかす人や大声で会話する人は減り、街もキレイになった。どの店へ入っても店員の対応は昔とは比べ物にならないし、タクシーもしかりだ。

 やはり中国に関しては、人の変化こそが、本当の発展、本当の成長だと前々から思っていたが、ついにここまできたか! という印象だった。
 ここのところ仕事で中国へ行く機会がほとんどなくなったので、他の街がどうかは解らない。おそらく中国全土で見るとまだまだなのだろうが、少なくても上海は変化した。

 近年、「眠れる獅子が目覚める時が来た」 と言われているが、本当に今がその時なのかもしれない。

   
青空の浦東 / 南京東路



306.センスは相変わらず

 2日目、朝起きると天気予報どおりの雨だ。今回の旅は4日間の予定なのだが、メインとなる2日目、3日目の予報が良くない。今年はラオスと言い上海と言い、天気運が悪いなぁ・・・。
 こんな予報なので、スケジュールも雨の状況に応じて流動的に対応していかなければならない。最後に行って土産物を買おうと思っていた豫園へ、最初に行くことにした。豫園なら雨が降っていてもそれなりに楽しめる。

 豫園は外灘と並ぶ上海の有名観光地で、歴史ある中国庭園を中心に土産物屋が集まっている。その豫園商城で土産物をあさり、お決まりの南翔饅頭店で小龍包を食べ、一周したら雨も小降りになった。
 次はタクシーで田子坊へ向かった。こちらは新しく注目されつつあるエリアで、若いクリエーターたちが集まるオシャレなエリア。ここでも土産物を見て、昼食。
 一度、宿へ戻った後、今度は浦東へ行き、高層ビルの展望台へ登ることにした。

 地下鉄の駅を出て地上へ上がると、昨日対岸から見ていた高層ビル群の中に出た。いくつかのビルはあまりに高すぎて、上部が雲の中に入ってしまっている。どうせ展望台へ登るなら一番高い上海タワーへ行きたかったが、やはり雲の中。
 予定を変更して東方明珠塔へ行くことにした。かつては上海一の高さを誇っていた、上海のシンボルだ。

 エレベーターで展望台へ上がる。時刻は17:30。
 この日は天気が悪いので当然だが、空気の悪いこの街で、この展望台から夕日を見ることができる日があるのだろうか? そんなことを考えながら日が暮れるのを待った。
 昼間の上海の街を見下ろすのも良かったが、やはり何といっても上海は夜景だ。

 少し早く来すぎたか? 1時間も待ってようやく空が暗くなり、街に明かりが灯った。
 眼下にひろがるのは、当然のようにすばらしい夜景。と、言いたいところだが、正直少しやりすぎ。中国のライトアップはやりすぎなのだ! センスが悪いというよりも見栄の産物だ。
 これまでの中国の旅では、ライトアップで台無しにされている観光名所をいくつも見てきた。
 それらと比べれば上海はだいぶましな方ではあるが・・・。

 昨日、中国の人たちの中身が近代化してきたと感じたばかりだったが、センスはまだまだ追いついてこないのね・・・。

   
豫園商城 / 東方明朱塔より



307.杭州と言えば

 3日目、今日も天気は良くないようだ。
 今日は高速鉄道に乗って、日帰りで杭州という街へ行く。3泊4日でずっと上海では時間が余るので、1日はどこか近くの街へ行くことにしていた。
 朱家角、周荘、杭州、蘇州、あたりを候補に考えていた。上海周辺の地方には川や湖が多く、水郷と呼ばれる街が多く存在する。どこも古い街並みが残っていて、観光地になっているのだ。
 その中で、母親が行きたいと言う杭州を選んだ。オレは杭州へ行くのが3回目だが、両親の行きたい所へ連れていってやりたかった。

 杭州には世界遺産にもなっている西湖があり、かつてマルコポーロが楽園と称した街だ。
 上海の、まるで空港のように巨大な駅から高速鉄道で1時間。杭州へ到着した。地下鉄で西湖へ向かう。
 湖に出ると、その周囲を一周している遊歩道を少し歩いた。電動のカートに乗って湖を一周し、降りたい所で降りながら史跡や風景を楽しむ・・・。
 はずだった・・・。

 「何ここ? 湖?」
 杭州へ行きたいと言った母親がこんなことを言う。

 杭州と言えば西湖。それ以外の何ものでもない。杭州へ行きたい。すなわち西湖へ行きたい。当然のようにオレはそう思っていた。母親は西湖へ行きたいのだと。
 ところがだ、
 「湖で何するの?」
 「あのカートに乗って一周しながら寺とかいろいろ見るんだよ。」
 「えー、いいよ湖は。」

 杭州へ行きたい、西湖は興味ない、とは何事か??
 少し考えたところで、まさか! と、オレには思い当たることがあった。そしてガイドブックを見せて確認。案の定だった・・・。

 母親が行きたかったのは、湖の南にある河坊街という古い街並みが残るエリア。土産物屋が立ち並んでいる通りだ。西湖ではなく河坊街。つまり、観光ではなく買い物・・・。
 「買い物なんか上海でもできるじゃねーかー!!」
 オレも父親もそう思いながらも付き合うことにした。旅行の楽しみ方もいろいろです・・・。

 杭州観光、いや、買い物から上海に戻って、外灘の夜景を見に行った。
 新しい街の浦東のライトアップはセンスも品もないが、対岸の外灘はすばらしい。昨日は展望台から遠くに見ていたのでイマイチだったが、間近で見る洋風建築のライトアップはすばらしかった! と言ってもオレは過去に何度も見ているのだが、改めて感動!
 これを見せてあげることができて良かった。

   
杭州の河坊街 / 外灘の夜景



308.老い

 今回の旅は天気こそイマイチだったが、観光という観点からはなかなかの旅だったと思う。(母親にとっては買い物だったが・・・)
 しかし、旅の重要な要素、「食」 に両親、特に母親には喜んでもらうことができなかった。さらに、オレの判断ミスで二人を歩かせすぎてしまったのはまずかった。疲労が溜まったところに追い打ちをかけるように、街の騒音や空気、人混みなどにヤラれてしまった・・・。
 オレは慣れてしまってなんとも感じていなかったし、上海は 「かなりまとも」 とさえ思っていたが、慣れていない日本人にとってはやはりストレスが大きかったようだ・・・。
 前回の旅でなんとかなったので、今回も大丈夫という判断はまずかった。バンコクも上海もそう変わらないと思っていたが、やはり上海も中国だった。
 もっとケアしてあげれば良かった。

 もしも次があったら、教訓にします・・・。

 それにしても、前回旅に連れて行ってからの1年半で、二人ともだいぶ衰えてしまった・・・。そんなことがショックでもあった・・・。


二人ともおつかれさまでした



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