VOL. 20
● 1年戦争
第2話 【負傷】
事故当日の夜、加害者の青年と父親が自宅を訪ねてきた。「この度は大変、申し訳ありませんでした。壊れたバイクはさぞ高かったんでしょう?」と親父さん。「えぇ、まぁ、クラウン1台分位です。」と私。「うぐッ・・・。」と親父さん。「まぁ、保険会社に連絡してありますので賠償交渉はそちらで処理してもらいます。」とこちらの意向を説明し先方も反省して誠意ある対応をすると約束してくれたので、この後の交渉はスムーズに進展すると思ってその日はお引取り頂いた。しかし、この判断がこの後1年以上の長きに渡りモメる事になるとは知る由も無かったのである。この詳細ははまた後程。
事故後の翌、月曜日の朝一番に聖隷三方原病院の整形外科を訪れ、精密検査を実施。診断の結果は『左肘脱臼骨折:全治3ヶ月』との事。他に右肩にもヒビが入っているが、こちらは安静にしていれば自然治癒するので心配ないらしい。しかし左肘の怪我は自然治癒は望めず手術が必要との事で、そのまま入院の為の検査となった。検査の結果は良好(?)で入院に際して問題はなし。早速、水曜日に入院、木曜日に手術、経過良好であれば土曜日には退院の3泊4日の入院予定の運びとなった。水曜日の午後に病院を訪れ入院手続きをして整形外科の一般病棟へ。初めての入院で(勿論、手術も初めてです。)夕方に手術室脇の部屋に呼ばれ、手術に際しての諸注意を受けます。この際、「手術には万全を期しますが、場合によっては最悪の結果を招く恐れがあります。同意してもらえますか?」と聞かれ同意書にサインを求められます。「こんな脅しを受けて素直にサインできるか!」と思いましたが、拒否してもどうにもなるものでもなく、渋々と同意書にサインをします。また磐田消防署の救命救急の研修の為に隊員の立会いを要望され、断る理由も無いので(救急隊員にはお世話になったので・・・)承諾しました。
入院した日の夕食分から食事や水分を摂る事ができず点滴のみで24時間を過ごします。やや緊張した状態のまま眠りにつく・・・がっ!6人部屋の住人にいびきのヒドイ方が1名。とても眠れる状況ではなくウトウトしたまま朝を迎える事になりました。朝一番の検温と採血で問題発生!体温が38度と高く血中の何かの成分が正常の300倍とかでドクターストップ。昼過ぎに再度、採血した結果で手術を行うか決める事となりました。昼過ぎになっても微熱は収まらず採血の結果もNGで結局、夕方からの手術は中止。体調が回復して血中成分も正常になるまで更に入院する事となりました。ここで問題なのがNGになった血中成分。耳慣れない成分で良く覚えていないが、同病院に勤務している知人に聞いたところ、風邪を引くと値が高くなる成分で特に重大な問題ではないとの事。骨折の手術の為に入院したのに他の病気が判明したなんて事になったらシャレにならないところでした。予定より長い入院となる事で費用の事が頭を過ぎりましたが、治療費は全て加害者側に請求するつもりでしたので遠慮なく長期滞在する事になりました。こんな事なら個室にでもしておけば良かったヨ。まぁ、介助を必要とせず自分で動けるから保険会社に個室は認められなかったと思いますが・・・。
風邪による体調不良と骨折を患っていても普通に歩けるので日中はとても暇です。毎日、病院内を散歩していましたが10分もあれば終了してしまいます。また目が疲れるのでTVもあまり見ないようにしていました。ここで役に立ったのがラジオ。昼間はFM局、夜はAM局でプロ野球中継を聞きながら(勿論、ヘッドフォンはしますが)の毎日です。また日頃、仕事で心身ともに疲労が蓄積していたので寝溜めをします。流石に毎日は昼寝なんてできないだろうと思っていましたが、骨折の影響で体力が落ちているのか意外と毎日、寝ることが出来ました。
再手術の予定が決まらないまま1週間程が経過した頃、Force V4 owners club(FV4)やFLツーリングクラブのバイク仲間の面々がお見舞いに駆けつけてくれました。特にFV4東海地区のメンバーが見舞いに来てくれた時にはサプライズが。病室では狭いので談話室へ行こうと廊下を出ると前方から見慣れた顔が。「ん!?『おむすびさん』に似た人が両手いっぱいに何か持って来るなぁ」と思っていると「やぁ、大将さん。丁度良かった。お見舞いに来ましたヨ」と良く似た人ではなく、ご本人がわざわざ東京から駆けつけてくれました。「静岡にドライブに来たついでですよ」とトボけていましたがこんな嬉しい事はありません。FV4関係者ばかりが集まり談話室は突発のオフ会状態となりました。病院内ですから静かなオフ会でしたけどネ!2004年の年末以降、『おむすびさん』とは何かにつけて会う機会が多くありますが私から関東に出向いていった理由はこの感謝も兼ねての事なのです。
入院から1週間程が過ぎて病院内での生活が普通に感じてくるのと同時に回復が遅れて完治するのか不安になって来ました。担当医から手術方法について説明も受けていましたが、肘の内側を切り開いて神経や筋肉をよけて骨にタップを切りボルトを一番奥に埋め込む為、単純な手術ではあるが危険を伴うとの事です。また同じ頃、プライベートでもゴタゴタ続きで精神的に滅入っていたので余計にイライラが募りました。
入院から10日が過ぎてようやく手術ができる状態に体調が回復した為、翌週の火曜日に行われる運びになりました。再手術も夕方からの予定の為、前日の夕食から食事も水分も摂れません。入院中、2回、病室が変更となり(整形外科関係の病棟は入院患者が多いのです)今回は静かな部屋で安心して眠りにつけました。明けて手術日、昼前から家族や親族が駆けつけ(なんか余計に心配になってきたゾ!)手術室に呼ばれるのを待ちます。FMラジオを聴きながらリラックスし予定開始時間から1時間遅れで手術室に案内されます。
何と言っても初めての手術です。近眼で普段、眼鏡を掛けているので眼鏡を外すと初めて目にするものは全く認識できず思った程、緊張しませんでした。ステンレスで囲まれた部屋に通され手術台に横になると全身麻酔を掛けられ深い眠りにつきます。普通の骨折では局部麻酔で充分らしいのですが、神経が何本も通っている部分で長時間に渡る為の全身麻酔との事でした。手術後、麻酔が効いている中で呼び起こされ無事に終わった事を聞かされましたが朦朧としている意識では理解できずまた眠りにつきます。病室に戻って22時頃に左手の激痛と麻酔切れの影響による嘔吐感で目が覚めます。家族の話だと2時間の予定のところが、麻酔がなかなか効かず開始が遅れた事と腕の筋肉が普通の人より発達していて奥まで辿りつけなかった事が原因で4時間も掛かったとの事でした。その夜は患部の痛みと発熱、嘔吐感で眠る事が出来ず何度も看護婦さんに氷枕や濡れタオルの交換をしてもらいました。本当に白衣の天使に見えました。感謝です!
翌日も微熱が続いていた為、解熱剤をうってもらい安静な一日。翌日に患部の状態を見て良好であればその日の内に退院して良いとの事です。明けて翌日、ギブスと包帯で隠された傷口が初めて目に飛び込んできましたが、それはとても自分の身体とは思えない程、黒く変色してパンパンに腫れ上がっていました。また傷口も10cm以上のクランク状に切られ縫合糸が15針程、確認できました。傷口を見て意識が遠のきそうになりましたが、これから抜糸するまでは毎日、自宅で消毒しなければならないので根性を決めて患部を見つめます。でも気持ち悪い・・・。
1週間程、経過して腫れがひいてくると肘の外側に5mm程の飛び出したものを確認したので定期診察時に何かを尋ねると骨から飛び出したボルトの先端との事。帯に長し襷に短しのサイズしか無かったとの事で「短いと抜け落ちる恐れがあったので長いまま埋め込みました♪」と言われ「骨が完全にくっつくまで1年位はこのままでいて下さい。一生、腕に入れっぱなしでも問題ありませんヨ。」と言われ絶句。肘を机等に付くと飛び出したボルトが肉や皮に食い込むのでとても痛い・・・。クッション代わりにサポーター装着で誤魔化しましたが翌年の5月にボルトを抜くまでこの痛い状況は続いたのでした。
約2週間後、抜糸をして傷口の消毒は終了。その後は隔週ペースで診察に訪れギブスで固定されたままの生活が7月末まで続く事になります。鈴鹿8耐の直前にギブスが外されましたが2ヶ月間も肘を曲げた状態でギブス固定していたので、どんなに力を入れても全く肘が伸びません。正直、これには驚きました。担当医からは自宅近くでリハビリを行ってくれる病院に通院して下さいと言われましたが、聖隷三方原病院にもリハビリテーション科があるのに、そこには通わせてもらえないの?と思ったので尋ねてみると病院内のリハビリテーション科は肢体に不自由のある入院患者の方が退院するのに必要な状態に回復させる為のもので一般患者は対象外との事でした。たぶん他の総合病院も同じでしょう。ギブスが外された日から自宅近くの整形外科にリハビリテーション科があったのでそこに3回/週のペースで通院。この状態が2005年5月のボルト摘出手術を行った直後まで約1年間、続きました。リハビリは専門のスタッフにより主に肘を伸ばすストレッチ。時には腕に全体重を掛けて行われ懸命のリハビリの結果、完全に伸びきらないという障害は残りましたが日常生活には支障の無い状態には回復しました。勿論、ライダー復帰する事が最大の心の支えだったのでまだバイクに乗れる様になってホッとしています。
さて3週間もの間、有給休暇を活用して会社を休んでいましたが入院に際して、この期間の給与の損害を加害者(実際には加害者加入の保険会社)に請求する事が出来ます。また被害者が労働組合に加入している場合は、その組合が加入する労済等の団体生命・入院共済金を申請する事が出来ます。この他に私は生命保険会社の入院保険にも入っていたのでこの分も申請して以下の相当金額を受け取りました。
請求項目 | 請求・申請先 | 受け取り金額 |
休業損害 | 加害者加入の損害保険会社 | HONDA FTR 新車相当 |
労済 団体生命共済金 等 | 勤務先の労働組合 | HONDA Today 新車相当 |
生命保険 入院保険給付金 等 | 自己加入の生命保険会社 | HONDA APE50 新車相当 |
この他にも診察費用や治療費も立替分は全て加害者側に請求できますので、領収書等は処分せずに全て残しておきましょう。