VOL. 20 
 1年戦争
 第3話 【検分】

 第2話から少し時間が戻って受傷後、精密検査を行うために聖隷三方原病院を訪れてると携帯電話に自身が加入している保険会社である『損保日本:仮名』の代理店から加害者の氏名と連絡先を教えて欲しいとの連絡が入った。そういえばこちらの連絡先は事故直後に加害者に伝えたものの、相手の連絡先は聞いていなかった。(というか、事故直後はそんな余裕が無かったし・・・)彼が自宅に謝罪に来た時も特に聞かなかったな。病院の救急センターに問い合わせるものの、患者の守秘義務との理由で教えてもらえず。事故処理を担当した警察に聞けば教えてもらえるとの事だったので、家族に細江警察署まで聞きに行ってもらい自分は診察を続けます。家族が警察から聞いてきた加害者の名前は『引手倉君:仮名』。自宅に戻ってから彼の連絡先と事故状況を保険代理店に伝えます。自宅に戻ると『引手倉君』が加入する損害保険会社である『石原軍団損保・浜松支店』の担当から電話連絡があり、今後の交渉と事後手続きは同社が前面に立って行うとの事です。続いて警察から実況検分を行うので立会いの要請がありました。警察が指定した立会い日は午後から入院予定である事を説明して午前中での対応をお願いしました。当日は『引手倉君』も立会って双方の見解を聞き事実関係と過失の所在を明らかにしていくという事です。
 入院当日の午前中、家族に送ってもらって事故現場に早めに到着し、待つこと20分。『引手倉君』の到着に続き細江警察署の交通課署員が到着します。先ずは『引手倉君』の実況検分から。彼の主張は「自分は事故現場のかなり手前からハザードランプを点灯させて後続車に注意喚起をして、Y字路のスペースを利用してUターンを開始したが、Uターンの最中にいきなりバイクがぶつかってきました。ぶつかるまで後続のバイクには気付きませんでした。車の右側リヤフェンダーやリヤバンパーにタイヤがぶつかった痕跡があるのでバイクが勝手に転倒して車両後部に衝突した後、滑りながら運転席側にぶつかってきたんじゃないですか?」と主張。この見解には怒りを通り越して笑いが込み上げてきました。明らかに誰かに入れ知恵された事がミエミエです。それに事故時の救急車内で救急隊員に「バイクは谷側へ降りる支道に曲ろうとしたんじゃないですか?」と言っていたコメントと食い違っています。「あれあれ?君は事故当日は後方を走行していた私の存在を認識していたんじゃないの?」と突っ込みを入れたくなる衝動に駆られましたが、この時点では黙っておきました。
 しかし警察もプロです。状況から『引手倉君』が嘘の証言をして責任逃れをしようとしている事を一発で見抜きます。「いいかね?君の車の運転席ドアにはバイクがドアに対して真っ直ぐにぶつかった凹みがあるんだ。ドアの凹みは転倒したバイクがつけられる痕跡ではない。それに車両後方のタイヤ痕や傷は君がバイクを引きずってできたものだ!あまりいい加減な事を言うもんじゃない!」と一括。ご意見、ごもっともです。
 続いて私の実況見分。「衝突現場手前の緩やかな左カーブ付近から引手倉君の車両がハザードを点灯させたので、何かあったのかと思ってこちらも減速しました。その後、彼は左路肩に寄って減速したので私は彼の車両を追い越す為に、見通しの良い直線部分(事故現場)で対向車が来ない事を確認して追い越しの意思表示の為のウインカーを点滅させて対向車線の最右側から追い越しを開始しました。しかし彼はハザードを点灯させたまま、一旦停止で後方確認する事も無く急にUターンを開始して私の進路を塞ぐ形で横切りました。目前に急に横向きの車両が現れた為、急ブレーキを掛けましたが空走距離の間に彼の車両の運転席側ドアに真っ直ぐに衝突し、車両の屋根を飛び越して反対側に落下しました。衝突後、彼は車両を停止すること無くUターンを続け反対車線のかなり走行したところで停止しました。」と私。衝突時の速度とブレーキ開始ポイント及び衝突ポイントを聞かれたので、「一旦、減速してからの再加速中だったので、40〜50km/h位だったと思います。ブレーキ開始ポイントは衝突現場手前の10mも無い位だったと思います。」と私。警察による検分の結果、ほぼ私の主張通りの状況で事故が発生した事が証明され私の主張の正当性が認められました。
 その後、2人とも細江警察署に移動して調書を取られます。私は交通課の事務机で、『引手倉君』は取調室での対応でした。交通課署員の話では、「今回は災難でしたネ。実況検分の結果、あなたの主張には矛盾点が無くほぼ主張通りの状況だったと思われます。しかし被害に遭われてお気の毒ですが、道交法上は双方に過失がある事になる為、調書を取らせてもらいます。」との事。「引手倉君は3ヶ月前にも、三ケ日オレンジロードで事故を起こしたばかりで、懲りていない様だね。あなたは民事上、彼を告訴する事が出来ますがどうしますか?」と言うので「えっ!?彼は3ヶ月前にもあそこで事故を起こしていたんですか?まぁ、彼が反省してくれて賠償に誠意を持って望んでくれるのであれば告訴しません」と私。しかしこの温情が後に裏目に出るとはこの時は知る由もなかったのである。30分程で調書作成が終了。その足で入院の為に聖隷三方原病院に向かったのでした。『引手倉君』の調書作成は3時間程かけて行われた事を後に本人から聞きました。勿論、大半は警察署員による説教だったらしいですが。
 次回、いよいよ泥沼の戦いが始まります・・・。  


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