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. | 新しい椎茸栽培法の開拓 石 渡 秀 雄 |
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足立文太郎 軟部人類学 の創始者 板垣勘四郎 山葵の栽培 開拓の祖 石渡秀雄 新しい椎茸 栽培法開拓 鈴木 満 画 家 安藤藤右衛門 観光道路、 浄連の滝降下道 を開く 福井清兵衛 世話好き清兵 さんの土木工事 山田信治 山村活性化 ![]() |
石渡秀雄翁は、天保14年(1843)8月29日上狩野村(天城湯ヶ島町)門野原に生まれました。 彼は、明治5年、父藤右衛門の後を継ぎ戸長となり、伊豆国4郡の郡会議員に当選するとともに、郡内6か村の戸長となりましたが、明治22年退職しました。 その後、郷土の産業振興に力を注ぎ、特に椎茸の栽培法を研究し、新しい榾(ほだ)木の配列方法や木干しの製造方法を発明するとともに乾燥法、貯蔵法等を研究改良し、良質の椎茸を産出し、この地方の特産物「椎茸」の基を築きました。 |
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彼は、これを自分だけのものとはせず、みんなに知識を教えるため、明治30年には、椎茸栽培伝習所を開設しました。この伝習所には、全国各地から大勢の実習生が集まり教えを受けました。また、県内をはじめ全国各地から招かれ、労を惜しまず気軽に出かけて教えました。遠く台湾からも招聘(へい)され、出かけています。 著書に「椎茸のつくり方」がありますが、栽培農家等の教本として広く読まれ、優良椎茸づくりに貢献しました。 大正4年、田方郡椎茸同業組合の初代組合長となり、その振興に手腕を発揮しました。彼の椎茸生産物は、国内の博覧会、共進会等はもとより、遠く海外にまで出品されました。 |
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明治32年(1900)パリ博覧会、明治42年北米太平洋博覧会へ、また、大正4年桑港万国博覧会等へ出品し、数多くの賞牌を受け、伊豆椎茸の名を各国に知らしめるとともに椎茸の輸出、販路の拡大に尽力し、日本「椎茸」の地位を確立し、大正5年(1916)12月病により、74歳の生涯を閉じました。 | ![]() |
石渡秀雄 | 1843年(天保14) 1872年(明治 5) 1889年(明治22) 1897年(明治30) 1900年(明治33) 1909年(明治42) 1915年(大正 4) 1916年(大正 5) |
上狩野肘門野原に生まれる 上狩野村戸長、伊豆国四郡の郡会議員となり郡内六か村の戸長となる 退職し堆茸の栽培法の研究をする 椎茸栽培伝習所を開設、全国から実習生が集まる パリ万国博覧会へ出品 北米太平洋博覧会へ出品 田方郡稚茸同業組合長となる 桑港万国博覧会へ出品 74歳で没す |