尾瀬の歴史

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【燧ヶ岳の噴火前】

燧ヶ岳の噴火前

  新生代のころ、火山活動で流れ出た溶岩流によって、檜枝岐川の上流に「上尾瀬湖」、 下流に「尾瀬湖」ができた。これは、今の尾瀬ガ原より東へずれた位置にあった。

【燧ヶ岳の噴火後】

燧ヶ岳の噴火後

 それが、檜枝岐川を切るようにして燧ヶ岳が噴火する。これによって、両尾瀬湖は一 つとなり「新尾瀬湖」となる。さらに、南東側の窪みに「尾瀬沼」が出現した。

【燧ヶ岳の噴火後】

尾瀬ヶ原の出現

  やがて、周囲の山から入ってくる土砂によって湖はどんどん浅くなった。そして、この湖を原にしてしまったものはミズゴケである。ミズゴケは、気温が低いために腐敗しないで、年間に1ミリずつ重なって泥炭層になり、原にしたのである。  泥炭層が5メートルの厚さだということから、尾瀬では5000年くらい前から湿原化が始まったことが分かる。また、湿原の酸性土壌に生育できない森林は、土砂が流れ込む所のみに生育し拠水林となりっている。それが原の中を何条かの林として横切っている。  尾瀬沼の方もだんだんと水が流れ出して小さくはなったが、周囲から流入する川があまりないために、陸化の速度は遅くまだ水が残っている。それでも、沼の周りには湿原が広がりつつあるし、一番深い所でも10メートルとはないので、やがて何千年か後には、第2尾瀬ヶ原が出現するであろう。


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