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聖書の学びと祈り


                  
            2011年3月11日2時46分

         
東北・関東地方を襲った地震、

          「3・11、東日本大震災」

            被災者に対するお見舞い、

このたびの地震にあわれた方々に心からお見舞い申しあげます。

被害にあわれた方々に慰めと、回復の力が与えられますように!

行方不明の方々が、一時も早く救出されますように!

お亡くなりになった方々の、ご冥福をお祈りします。

一日も早く皆さまの元気回復と 国を挙げての支援によって、

ご復興をお祈り申しあげます。

                               2011年3月12日

                               日本基督教団

                                   富士宮教会


       「       」

         「神の国の相続人となる」

58:6 わたしの選ぶ断食とはこれではないか。
       悪による束縛を断ち、
       虐(シイタ)げられた人の軛(クビキ)の結び目をほどいて解放し、
       軛をことごとく折ること。
58:7 更に、
       飢(ウ)えた人にあなたのパンを裂き与え/
       さまよう貧しい人を家に招き入れ/
       裸(ハダカ)の人に会えば衣を着せかけ/
       同胞(肉親の世話)に助けを惜しまないこと。
58:8 そうすれば、
       あなたの光は曙(アケボノ)のように射し出で/
       あなたの傷は速やかにいやされる。
       あなたの正義があなたを先導し/
       主の栄光があなたのしんがりを守る。
58:9 あなたが呼べば主は答え/
       あなたが叫べば/「わたしはここにいる」と言われる。
       あなたが軛を負わすこと、
       指(後ろ指)をさすこと/
       呪いの言葉をはくことを/あなたの中から取り去るなら、
58:10 飢えている人に心を配り/
       苦しめられている人の願いを満たすなら/
       あなたの光は、闇(ヤミ)の中に輝き出で/
       あなたを包む闇は、真昼のようになる。
58:11 主は常にあなたを導き/
       焼けつく地であなたの渇きをいやし/
       骨に力を与えてくださる。
       あなたは潤された園、水の涸れない泉となる。
58:12 人々はあなたの古い廃虚を築き直し/
       あなたは代々の礎(イシズエ)をすえ直す。
       人はあなたを「城壁の破れを直す者」と呼び/
       「道を直して、人を再び住まわせる者」と呼ぶ。

                 (イザヤ書58章より)





    「10月のかぜから」
        

  暑い夏もおわり、実りの秋、10月をむかえました。

 このホームページに目をとめてくださる方、神の祝福がありますように!

○ 冠婚葬祭の一環として、

結婚式のあんないをホームページに掲げています。

 若いおふたりの結婚式もいたします。

 また、すでに結婚されている方で、

ワケあって式を挙げることができなかったカップルの方に

 神様の前で、式を挙げていただきたいと願っています。

 詳しくはホームページの「
結婚式は教会で」をご覧ください。


       ○ ふしぎな花をいただきました。

 自然の花(球根)でありながら、

室内においてもヒヤシンスのようには水のいらない花です。

 「コルチカム」という花です。

 チューリップのように茶色の外皮をつけていますが、芽は白く、

花のところまで真っ白です。

 日光に当てると色づくそうです。

 今、牧師室の窓ぎわに紙を敷いて置いていますが、根はありません。

背たけが20センチぐらいです。

 花弁は4センチ程度で、つぼみです。

花弁の上端部がほんのりむらさきがかっています。

 花が終わったあと、土にもどすと来年も花をつけるそうです。

              神様の作品。



 
○ 当教会では火曜日(19時から)、と水曜日(10時半、13時半、19時)

           に、「聖書の学びと祈り会」
                             を開いています。 

 現在、旧約聖書の申命記を週に1章ずつ学んで、祈っています。

 申命記にはいろいろな掟があります。

 中には「ふさわしくない服装」という項目があります。

 今から3200年ぐらい前に書かれた書物ですから

生活様式も現在とちがうところがあるのも無理はありません。

 「 女は男の着物を身に着けてはならない。

男は女の着物を着てはならない。

 このようなことをする者をすべて、あなたの神、主はいとわれる」

とあります(申命記22章5節)。



 また、畑での作業についても掟があります。

 「 畑で穀物を刈り入れるとき、一束畑に忘れても、

取りに戻ってはならない。

 それは寄留者、孤児、寡婦のものとしなさい。

こうしてあなたの手の業すべてについて、

 あなたの神、主はあなたを祝福される。

 オリーブの実を打ち落とすときは、後で枝をくまなく捜してはならない。

 それは寄留者、孤児、寡婦のものとしなさい。

 ぶどうの取り入れをするときは、後で摘み尽くしてはならない。

 それは寄留者、孤児、寡婦のものとしなさい」とあります

(申命記24章19~21節)。

  弱者のために、少しは残しておきなさい、そうすれば、

       あなたに祝福が来ます。

と神様はすすめます。


       



「5月のかぜから」

◆約束の聖霊が与えられる

 キリスト教にはイエス様の十字架による「死」と墓の中からよみがえられた「復活」があります。
今月はこの復活につづき、「聖霊が降る」というできごとのことです。
キリスト教会の誕生でもあります。その意味では「聖霊が降る」というできごとは画期的なことです。

 復活されたイエス様は四十日にわたって彼らに現れ、神の国について話されました。
そして、あなたがたは間もなく聖霊による洗礼を授けられる、と告げられます。
彼らはそのことを信じて、婦人たちやイエスの母マリア、またイエスの兄弟たちと心を合わせて熱心に祈っていました。

すると、「突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえた」とあります。
その音は、「彼らが座っていた家中に響いた」のでした。
“激しい風が吹いて来るような音”といいますから、実際にその場面にいた者、
あるいはそのような体験をした人でなければ説明ができません。
その音が「彼らが座っていた家中に響いた」とありますから
“ある地域に雷が鳴り響くような状態ではなく”
一部に集中してしかもそこにいた人たちははっきりわかる感じでその音を聞いたのでしょう。
そのような音の後に、“炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった”、のでした。
使徒たちはじめそこにいた人たちは、この不思議な天からの“注ぎ”にびっくりしました。

 すると彼らは「聖霊に満たされ、“霊”が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした(2章4 節)」のです。

音楽等で気持ちが高揚し、長時間歌い続けたり、自分の得意な分野を自慢したり、
これらは一般的にいう“エクスタシー”(忘我状態)といわれています。
しかし、彼らは、ほかの国々の言葉で神様をほめたたえるようなことを話しだしたのです。
使徒たちのこの状態は“霊”が彼らの舌を動かし、
ほかの国々の言葉で話すようにしたのですからパウロのいう異言でしょう。

第1コリント12章10、11節 には、
ある人には種々の異言を語る力、ある人には異言を解釈する力が与えられています。
これらのことは、“霊”の働きであって、“霊”は望むままに、
それを一人一人に分け与えてくださるのです。
イエス様は「風は思いもままに吹く」(ヨハネ福音書3章8節)と言われましたが、
“霊”は望むままにそのときに臨んでくださいます。

彼らは“霊”の導きにしたがって「神の偉大な業」を語っていたのでした。
 この後弟子のペトロは“霊”の導きにしたがって「救いの道」を語りはじめます。
使徒言行録2章14節以下、
 すると、ペトロは十一人と共に立って、声を張り上げ、話し始めた。
「ユダヤの方々、またエルサレムに住むすべての人たち、知っていただきたいことがあります。
今は朝の九時ですから、この人たちは、あなたがたが考えているように、酒に酔っているのではありません。
そうではなく、これこそ預言者ヨエルを通して言われていたことなのです。
『神は言われる。終わりの時に、/わたしの霊をすべての人に注ぐ。
すると、あなたたちの息子と娘は預言し、/若者は幻を見、老人は夢を見る。
わたしの僕やはしためにも、/そのときには、わたしの霊を注ぐ。すると、彼らは預言する。
上では、天に不思議な業を、/下では、地に徴を示そう。血と火と立ちこめる煙が、それだ。

 この後に「ペトロは、このほかにもいろいろ話をして、力強く証しをし、
『邪悪なこの時代から救われなさい』と勧めていた。
ペトロの言葉を受け入れた人々は洗礼を受け、その日に三千人ほどが仲間に加わった」のでした。

キリスト教会のはじまりは、“霊”の働きからであります。
“霊”は信じる人に望むままに臨まれ、その人を用いられます。
聖霊に用いられるように、自分を整えたいものです。


               「4月のかぜから」

 ーイースター説教に思うー

 当教会では10時半から朝の礼拝がはじまります。4月4日はイースター礼拝でした。

♪主の復活 ハレルヤ  ほめうたえ ハレルヤ♪

♪墓も死も 憂いも   打ち破る 主イエスよ♪
        ・・・・・
♪主の復活 ハレルヤ  うたごえは ハレルヤ♪

賛美歌333番を皆さまといっしょに歌いました。 
 その後『イエスはよみがえられた』と題して神の言葉をとりつぎました。
聖書、マルコ福音書16章1~8節のみことばに基づいて「復活」のできごとについて約30分、語るには語りました。
 今日は4月9日(金)イースターから5日たって、説教の回顧にかられるのです。“イースター礼拝のメッセージが、
皆さまの心にどれだけ活力として留まっているであろうか”出席者の顔を思い浮かべながら反省させられました。
というのは以前説教が人々に活力を与え、奮い立つ行動を起こさせるものでなければ本来の姿とはいえない、
そのような本を読んだことが思い浮かんだからです。
わたしは聖地旅行もしていない、イエスの納められた墓も実際にみたことがない。
聖書における狭い人間であるならば「あの方はここにはおられない。復活なさったのです」という天使の声の
頭部分だけでも黙想のなかからいただいて、講壇に立つようにしたらいかがだろうに!
みことばの黙想が足りないことを、主との交わりが浅いことを、教えられました。
 
 ところで、4月4日はイースターエッグで楽しみました。
前日、教会で70個の玉子をゆでて、さましてから絵づけして、セロハンにつつみました(6人の奉仕者とともに)。
4日礼拝後、隣近所に玉子を配って、“今年もイースター祭りも終わった”と安堵のときを味わいました。
ところが次の日ある方から「イースターエッグ、半熟でしたね」と指摘され、一瞬血の気が引いた思いでした。
残っていた2個の玉子を割ってみるとまさに温泉玉子のような半熟でした。
おおいに反省しつつ、電話でおわびを申しあげました。イースターエッグを反省していると、
はじめに書きましたイースター礼拝の説教を再点検することを示されたのでした。
主は生きてはたらいておられることを今実感しております。



              「2月のかぜから」その3

ひとりの姉妹が教会員である娘さんのさそいで昨秋から教会に来るようになりました。熱心に来られるので、礼拝といっしょに週1回、入門講座の学びを勧めてみました。
 わたしたちの教会ではキリスト教に関心のある方は、入門講座を10回学びます。
10回目に、その姉妹に洗礼を受けて、(洗礼は「霊」の誕生ですから「第2の誕生日」と言っています)キリストとともに人生を歩みたいかどうかたずねてみました。
その方がそのようにしたいと言われますから、「信仰告白」を書いていただきました。
洗礼式のなかで、70歳に近い姉妹が“自分のこれまでの人生”と、“これから信仰をもってキリストとともに歩む希望の人生”を告白してくれました。
昼食会で兄弟姉妹から歓迎のメッセージをいただき、その日は喜びのうちに教会を後にされました。
洗礼後も週1回信仰の学びをしていますが、先日この方がお医者さんにかかると、以前高い血圧であったものが今日130前後にさがっていると話されました。
その後もたいへん喜んで教会に来ておられます。バスに乗って。
 キリストの救いにあずかって、病いもいやされたことを感謝します。