控えめなノックの音がして扉が外側から開けられた。
こんなことは何日ぶりだろう、ぼんやりと部屋の主は返事もせずにそれを見ていた。
「…邪魔するぞ。…なんだ、その顔は。自慢の髭が下がってるぞ」
現れたハゲ頭が呆れた声を出す。
「土産だ。あの鳥も食えるだろう」
「おお…お前、パン焼くの上手いよなァ」
「…気色悪い。お前がおれを褒めるとは…そこまで落ちぶれたか、シュラ」
上向きに尖っていた髭が枯れた草のように下を向き、気の抜け切ったシュラは座ったまま土産の紙袋を受け取って中身を見た。焼きたての美味しそうなパンの匂いを吸い込んでふやけたようにだらしのない笑顔になる。
久しぶりの人との会話で悪態のつき方も忘れてしまったようだ。
「謹慎が相当きついのか」
「あァ、お前もやってみろ。一週間もすれば新たな境地も見えるだろうよ」
神・エネルとの熱愛宣言から一週間でスピード破局。その後神の島≠ナはシュラの評判は恐ろしく悪く、こうして自主的に謹慎しているしか生きる術が無かった。迂闊にうろつけば神を慕う者から襲撃を受けることが多々ある。
謹慎生活を始めて一ヶ月。部屋は辛うじて片付けてあったが身なりはどうでも良くなり、人の言語を忘れてしまいそうだと思い始めていたところだった。
「―で、何の用だ。おれを殺しにでも来たのか、オーム」
エネル信者の最たる者が目の前に座った男、オームだった。他の神官もシュラに対して冷たかったが、彼は特に酷かった。ある日は部屋から一歩出たところに白茨が仕掛けてあった。別のある日は部屋ごとすっぽりと白茨のドーム型の檻に入れられていた。
粘着質のハゲのやりそうなことだったが、暇を持て余していたシュラにとっては少し楽しめるイベントではあった。フザと白茨デスマッチごっこをしたのはいつだったかと、ぼんやり思いを巡らす。
「貴様を殺してはならないと神から命令が出ていなければとっくに殺している」
「…神が…」
シュラは喜んでいるような、驚いたような微妙な顔をする。
「今日は…その…訊きたいことがあってきた」
「なんだ、さっさと話せ」
気の短いシュラと陰気なオームは普通の会話さえ喧嘩腰なことが多い。
「その…貝≠フことなんだが」
「貝=H何ダイアルだ?」
「これだ…」
「…!!」
オームが取り出したのはあの忌々しい電気貝≠セった。忘れもしないあの黄色い悪魔のような貝≠ェ再び目の前にある。シュラの緩んだ顔が一気に引き締まり髭がピンと伸びた。
「貴様、これをどこで…!?」
「生憎、お前が使っていた物ではない。神兵たちが探していたのとはかけ離れた森だ」
そう言えば神・エネルの詭弁でこの貝≠ヘ自慰貝≠ニ呼ばれていたのだと思い出した。
「それで…これは中身は空なのだが…………その…どうやって使うんだ」
間。
「…ブッ」
思い切り吹き出して爆笑するシュラを見てオームのハゲ頭が真っ赤になった。
「わ、笑うな!貴様が使っていたというから聞いたんだろうが!こんな小さな穴に何をどうしろと言うんだ!?貴様のはこれに納まるのかッ!」
指二本が入るかどうかの貝£齦狽フ穴を見せながら茹蛸のように真っ赤なオームが叫ぶ。その必死さが更なる爆笑を誘いシュラは久しぶりに心の底から笑った。涙が出るほど笑った。咽て咳が止まらなくなるまで笑い続けた。
「全く…神官ともあろう者がそんな煩悩まみれでどうする」
シュラは時々肩を震わせながらも笑いを抑えつつそう言った。
「愛用していた貴様に言われる筋合いは無い」
「だから、そりゃァおれが使っていたわけでもないし自慰貝≠ナもない。ちょっと貸してみろ」
あんな貝≠ヘ無い方がいい。壊してしまうのが得策だ。そう考えて手を出すとオームは貝≠羽の後ろへ隠す。
「これはおれが拾った。おれの物だ」
「…餓鬼みたいなこと言うな…情けない」
「自慰貝≠ナないなら何だと言うんだ」
「…それは……」
シュラは神の社で過ごした日々を思い出した。そもそも電気貝≠フ所為であそこに立て篭もる羽目になったのだ。雷を吸い尽くすこの貝≠フ存在を、いやその存在を誰かに知られることを神はひどく恐れていた。
シュラ自身は他の神官にそれを教えても何ら害はないように思う。能力を奪う貝≠使って神に害為すような者が神官の中に居るのならとっくに殺している。だが、神はどう思うだろうかと考えると言葉を繋げられない。
「…!何だと…!?この貝≠フ所為で神とラブラブイチャイチャ同棲生活を…!?」
オームは恐ろしい形相でシュラを睨んだ。明らかな殺気を感じる。
「中途半端に心綱≠使うな!愚か者め!…ぐっ!!!」
喚いたシュラにオームが踊りかかって床に押し倒した。鉄雲の剣を抜いて首に押し付ける。
「貴様、これでエネル様に何をした…!」
「それは言えん」
刃をじりじりと押し付けながらオームはもう一度低い声を出す。
「…殺されたいか」
「殺されても言えん」
仰向けに倒れたままシュラは心綱&浮カに頭の中はオームの悪口でいっぱいにしておいた。「何かしたいのは貴様だろハゲ」「硬いもん押し付けられてもおれは微塵も嬉しくない」「まったくいい迷惑だ、このホモ野郎」など。
サングラスの奥から険しい表情でしばらくシュラを睨み続け、
「…。命よりその秘密が大事か…」
一言尋ねる。
「…そうだ」
シュラが同じく一言で答えた。
するとオームは無言でシュラの上から退いた。
「…悪かった」
剣を鞘に納めてぼそりと謝罪した。
「…」
「つまり、神・エネルのために明かせないのだろう」
神官が命をかけるということはそういう意味だ。神の為に生き神の為に死ぬ。彼らが神官である限りそれは何があっても変わらない。
「分かればいい。こっちこそ心にも無い暴言を思い巡らした。許したまえよ」
シュラが起き上がってニヤリと笑うとオームも唇の端を上げて少し笑った。
『心にも無いにしてはすらすらとよく出る悪口だ』
『お前を思うあまりついだ、つい』
心綱≠ナ嫌味の応酬をしているとまた部屋の扉が鳴った。
「やれやれ…やけに客の多い日だ。勝手に入れ」
声をかけても反応の無い扉。ゴツンと一度だけ鈍い音がした。ノックの主に思い当たって二人は辟易したようにため息をついた。
シュラが渋々扉を開けてやるとうっかり扉を開けずに入ろうとして頭をぶつけ、額にコブを作ってその場にうずくまっているゲダツを見つけた。
「…貴様も何か用か」
面倒くさそうにシュラが尋ねるとハッと我に帰り姿勢を正して言う。
「神・エネルがお呼びだ。神官全員、鉄の試練に集合しろと」
「鉄の?」
「神と神官だけのゴクリの話だそうだ」
「…極秘だな」
シュラの隣にまで出てきていたオームがサングラスを押し上げながら訂正した。
「鉄の試練の犬の背の上に集合だ」
「ホーリーの…?」
「…それもうっかりじゃないのか」
うっかり伝言ゲームに毎度付き合わされるのには慣れていた。神がわざわざゲダツを伝令のように使うのはうっかりのお陰で要らぬ苦労をさせられたら面白いというだけの理由だ。ゲダツはゲダツでパシリを特別任務のように思っているので始末が悪い。
「オーム、お前は持っているも物を持ってくるようにと神が言っていた」
「…」
「神は何でもお見通しだなァ?」
意地悪く笑うシュラに言われるまでもなく。オームはここで繰り広げた騒ぎと自分の考えたことを思い返して泣き出した。
「神よりコイツを頼るなど…おれはどうかしていた…!」
「嘆くところはそこじゃないだろ。神がどれほど寛大でもオカズにするつもりでのこのこ出向いたら裁きは免れまい」
冷ややかにツッコミながら三人は鉄の試練へ向かった。
もちろん途中何度か暴力に訴える喧嘩をしながら。
next