捕鳥 二羽目 1

 夜の社は大騒ぎ。
「ハネル様ーッ!」
「危ないです!下りてください!」
「すいません!気をつけますー!でも下りるのはイヤです!」
 ハネルは社の屋根の上。大きな神≠ニいう字の裏に隠れているのを発見された。
 神官三人が帰ってからしばらくは侍女達にあらゆる布を当てられて。こちらがいい、あちらがいい、いえこれとこれの組み合わせが。などと服を作るのに強制的に協力させられて。あまり興味がないのかかなりうんざりした様子ではあったが大人しく着せ替え人形の役に徹していたのだが。
「キレイな髪ですけど…ちょっと長すぎますね」
「ええ、結ってみるとか…もう少し短くしてはいかがでしょうか」
「お似合いだと思いますよ」
 侍女の誰かがそんなことを言ったら突然抵抗を始めて逃げ出したのだった。神・エネルとのかくれんぼなら彼女達の得意とするところ。ハネルは見つかっては逃げ出してとうとう今は屋根の上だ。
「申し訳ありません。ハネル様。もう髪を結わいたり致しませんから」
 おろおろして心配そうに見上げる侍女の中から申し訳なさそうな声が聞こえた。
「神官サトリ。お世話はお前たちの仕事では?」
「ほっほう〜♪子供はあのくらい元気がいいぞ」
 ヤマが思い切り睨んできたがサトリはくるくる回ってその視線を跳ね飛ばしていた。
「それにしても…もうそろそろ子供は寝てもよい時間では」
「そうだな。たぶん本人もそろそろ後悔してるだろう」
「…ふん。覚えがあるような言い草ですな」
「神兵長も分らぬことじゃないだろう?」
 ヤマはムスっとした顔を少し緩めて懐かしむような目で遠くを見た。ちょっとしたことだったはずが自分の言動の所為で騒ぎが大きくなりすぎ引っ込みがつかなくなるという経験は人並みにあるようだった。そしてサトリと目を合わせると二人は何となく頷きあった。
 それを合図にサトリは重力を無視するかのようにぴょんぴょん跳ねてあっという間に屋根に上っていった。ヤマは腐っても神官だなと冷たい視線でそれを眺めている。
 ハネルが居るよりも更に高いところで飛び跳ねて独特の奇声を発すると社の者たちは驚いたようにそちらへ注目した。
「ほっほう〜♪お前たちちょっとはしゃぎすぎだぞ」
 屋根の上で跳ねてるアンタに言われたくない。侍女たちの心がツッコミで一つになった。
「ハネル様のことはおれに任せてお前たちはお召し物でも作って差し上げろ。あ、その前にお腹が空いたな。お食事の用意が先だ」
 サトリが言うとヤマがずずいと皆の前に出てきた。
「神官サトリの言うとおり。エネル様が居ないからといって緩みすぎだ。エネル様のご親戚を持て成すのもよし。お召し物をこさえるもよし。悪いことではない。だが今夜はもうハネル様を開放して差し上げなさい」
 いいや、さっきまでアンタが一番緩みきってた。またもや侍女たちの心が一つになる。口には出さないが神兵長への冷ややかな視線の束が何より雄弁だった。
「ハネル様、ご無礼があったようで申し訳ありませんでした」
 ヤマが静かな声で呼びかけると神≠フ右側にちょこんと小さな顔が出てきた。
「こちらこそ…ご迷惑をかけて申し訳ありません」
 本当に申し訳なさそうにぺこりと頭を下げた。長い金髪が顔を隠してさらさらと屋根の上に流れる。
 どうやらあそこに登ってしまって後悔しているというのはサトリの言うとおりのようだ。大騒ぎになりすぎて下りたくても下りられない状況になってしまっただけだ。男の子ならこのくらい元気で構わないというのはヤマも同感。ただこの社の者たちが子供というものに長らく触れていなかったので対処を間違えただけだ。
「ハネル様、怖くて下りられなくなりましたか?」
 そうではないと知りつつもサトリは軽い調子で尋ねながらすぐ横に来て手を差し出した。
「あ…ハハ…そうなんです」
 おずおずとサトリの手にすがる。
「ほっほう〜♪なんだ、情けないな。ハネル様。硬直して下りられないのですね」
「あはは…すいません。お手数おかけします」
 ハネルの手は特に震えても硬直してもいなかった。だがこの嘘に侍女たちは納得したらしい。
「ほら、おれたちはゆっくり降りるから見物するな」
「解散だ。解散!」
 サトリとヤマに言われて他の者はあっという間に散ってどこかへ行ってしまった。
 ふぅ。と三人分のため息が重なる。
「すいません、サトリさん。私はご厄介になっている身なのに…」
「気にしない。気にしない。ささ、下へ行きましょう」
 サトリがハネルを抱えてまたぴょんぴょんと重力に逆らった跳ね方で降りて来た。下で待っていたヤマがハネルを見据えて静かに話す。
「ハネル様、どうぞお気を悪くされませんよう。あなたの来訪が嬉しくてつい過剰にお持て成ししたくなってしまったのです。ご無理を言わぬようよく言っておきますから」
「こちらこそ…せっかく歓迎していただいているのに我侭を言いました。心配までかけてしまい…申し訳ありません」
 子供はぺこぺこと謝っていた。小さな体がさらに小さく見える。厳しい家で躾けられたのだろうか。体罰に怯えるように何度も何度も謝り続け止めなければ土下座でも始めそうな勢いだった。
 小さな頭をよしよしとヤマが撫でる。
「誰も怒っていません。ここには貴方を叱る者などおりませんよ」
「あ…」
 ハネルは異常なほど繰り返していた謝罪をやっと止めた。スカイピアの人間は全体的に大人しく礼儀正しいが。それにしてもヤマは彼の子供らしさに欠ける振る舞いには何か理由があるのだと思わずにはいられない。エネル様の親族が遠いこの空で苦労をしていたと想像するだけで胸が詰まるようだった。
「食事の準備が整ったら部屋に運ばせましょう。それまでおくつろぎ下さい」
 ああ、まただ。ヤマがまたあの顔に。サトリはヤマのありえないくらいの暖かい表情を間近で見てしまい吹き出しそうになるのをぐっと堪えた。
「…ありがとうございます」
 サトリにはその表情は向けられず、事務的にどの部屋を使うようにと指示をしてヤマは去った。
「あの方は…?」
「神兵長ヤマです。我々とは仲が悪いが悪い人物というわけではない。何しろエネル様が社に居ることを許可した人間ですから」
「ええ、そうですね…私くらいのお子様がいらっしゃるのでしょうか」
「…さァ? 聞いたことはありませんが」
 あの歳なのだから居るとしたら子供と言ってももう成人くらいにはなるだろう。だがそれは生きていればの話。今は息子も娘も居ないことだけははっきり分かる。けれどハネルにそれは教えられない。
「お父様みたいでしたか?」
「いえ、なんとなく、です」
「いたとしてもきっと円錐型の子供でしょう」
「失礼ですよ」
 サトリがふざけるとハネルは言葉ではそう嗜めたがくすくす笑っていた。

 ヤマに指示された部屋は広々とした客間だった。おそらくハネルが屋根に登る騒ぎの前からこの部屋を準備するように言われた者がいたのだろう。サトリも同じ部屋にという意味なのかベッドが二つある。調度品は無駄に豪華でくつろぐ場所としては少々落ち着かない雰囲気だった。
 だがそれより何より目を引くのが壁にかかった「歓迎 ハネル様」「ようこそ神の社へ!」等の文字が書かれた布だった。いつの間に作ったのか紙で出来たふわふわした花や色紙の鎖などで飾り付けられていた。色は落ち着いているが柄の多い壁紙に動物の形に切り抜いた紙が貼られている。
 豪華なホテルの一室を幼稚園として使用するような妙な空間だった。ある意味シュールなはき違えた子供向け空間にハネルもサトリもしばらく声が出ない。
「…だ、大歓迎ですね…」
「ああ…それは間違いのでしょうが…あー…片付けましょうか」
「えと…あの…折角ですが垂れ幕は恥ずかしいので外してもいいでしょうか…」
「自由に使ってよいのですから。遠慮なく外しましょう」
 ハネルの登場で社は相当浮き足立っている。落ち着いて考えれば十三歳の男の子を迎えるのにこの飾りつけはないと誰でも分かるはずだ。本来なら侍女でも呼びつけて外させるところだが正常な判断が下せない連中をここへ入れることもないだろう。サトリは自ら垂れ幕を外した。
「ほう!ハネル様はいいですッ!座ったり寝転んだりご自由になさってください」
「いえ、でもお手伝いだけでも」
 働き者の子供はせっせとサトリを手伝って外した垂れ幕を丁寧にたたむ。
「折角ですから他はそのままで…」
 他の物も片付けてしまおうとすると控えめに止められた。ハネルは少し困ったような笑顔で飾り付けを眺めている。予期せぬ客に慌てて混乱した挙句のこととはいえ歓迎されていることが伝わって悪い気はしないということだろうか。それとも気遣いを台無しにするのは申し訳ないと気を遣っているのかも知れない。まだ数時間しか接していないが彼がそういう子供だというのはよく分っていた。
「ハネル様がこれでいいならいいですが…この分だと食事はお子様ランチかもしれないな」
「わぁ、それは嬉しいです!」
「ハネル様はお子様ランチが好きなのか?」
「はい。大好きです」
 本当に嬉しそうな笑顔と素直な返事。子供だ。子供がいる。サトリは意味なくハネルの頭を撫でていた。
「あ、でも晩ご飯だからお子様ディナーですね」
「ディナーでも旗が立ってるといいな」
「はいっ」
 元気な返事にサトリは何故か自分までつられて笑顔になりウキウキした気分になるのを感じた。元来じっとしているのは苦手な性分だ。自然と足が動いて部屋の中で飛び跳ねる。
「ハネル様。社の中を探検したくないですか?」
「え、してもいいんでしょうか…?」
「エネル様の部屋とか見てみたいな。ほっほう〜♪」
「それはとても興味あります…!でもいいんでしょうか。こんなに立派なお部屋を借りているのに勝手にうろうろしては…」
 本当はとても見てみたいと顔に書いてある。これは無理にでも探検に連れ出さなくてはとサトリは妙な使命感に燃えた。
「ハネル様なら何をしても大丈夫♪おれは怒られてでも見に行くぞ」
 実はサトリも社の中をあまり見て回ったことはない。神官とは神と人とを繋ぐ者。社で神に仕える者とは役割が違うのだ。故に神官は神の島の地表で暮らす。社で神と共に過ごすことは殆どない。呼ばれた時にのみこの上層を訪れることが許されるのだ。
「それではサトリさんが…」
「おれは社をうろうろしたいんだから怒られても仕方ない。でもハネル様が一緒ならきっと誰も怒りません」
「…私をダシにするんですね?」
「そうです。一緒に探検についてきてもらえますか?」
 それはハネルを誘い出す口実のようで。ほとんど本音と変わりなかった。サトリが一人で社の中を動き回れば侍女や神兵長が黙ってはいないだろう。社の中を見て回りたいというのも嘘ではない。
「ご一緒します」
 口実も本音も察したように笑顔で返事をして。二人はくすくす笑い合いながら神の社探検に繰り出した。



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20091120 本サイトにて公開