いきなりの突風に襲われて神官たちは前のめりに倒れそうになった。青白い光が時々空や森めがけて駆け抜ける。轟音が耳を塞いでしまい互いに口をきくことさえ出来なくなった。
「…!」
振り向きなどしなくても後ろで大変なことが起こっているのはよく分かった。吹き飛ばされた頭蓋骨が時々体をかすめて飛んでいく。青白く強い光が後ろから照らす。自分たちの影が風で波打つ草の上にゆらゆらと不規則に揺れていた。
「なんて力だ…!」
恐らくすぐ後ろに恐怖そのものが形を成して立っているのだろう。命令でなくとも恐ろしくて振り返ることなど出来ない。
「…貝≠」
低く、雷雲が唸ったような声が頭上から聞こえた。まるで神の声だ。あの方は本当に神なのだ。恐怖のあまり分かりきっていたことを再確認してしまった。
「貝≠投げよ、オーム。案ずるな、どこに飛んでも私は受け止められるだろう」
「はい…!」
この暴風の中果たしてこれが後ろに飛ぶのだろうかと多少の不安を抱きながらも、言われた通りそれを高く後ろへと放り投げた。
やはり上手く後ろへは飛ばずほぼ垂直に上がった貝≠巨大な手が掴む。いや、掬い上げる仕草で巨大な掌に乗せたのだ。
「い、今…!手が見えた…!」
膝を折って両手を前についていたサトリが悲鳴のように叫ぶ。見てしまったことを後悔して頭を地につけて両手で覆った。
「おおおおおおれたちは…とんでもない方に仕えてるんじゃ…!」
「そんなことは分かっていただろう!」
「神官が情けない姿を晒すな!」
サトリを叱咤するシュラとオームもガチガチと歯の根が鳴り、膝も震えている。
ゲダツは恐ろしい形相で固まったまま仁王立ちしている。
ホーリーは伏せたまま、まるで人間のような仕草で頭を前足で覆っていた。
「いくぞ」
また天から雷鳴が轟くような声がして、ゲダツ以外は思わず地面に伏せた。
そして次の瞬間、全ての現象がおさまった。
「…?」
風も雷鳴も止み、森から鳥の鳴き声が聞こえるほど辺りは静まり返った。
「…ど、どうなったんだ?」
草原に祈るような姿で倒れていたサトリが最初に顔を上げた。
「ほっほう…これは…!」
鉄の試練はすっかり様子が変わっていた。中央から広範囲にわたって草原が消え大地が剥き出しになっている。
「なんだお前たち、人のことを言ったくせに情けないな」
自分と同じように伏せていった二人を馬鹿にしてから未だ動かないゲダツに近寄り顔を見上げる。
「…」
「あれで立ったままで居られるとは…」
「うっかりのくせに…なかなかの根性だな」
「いや、こいつ気を失ってるな」
サトリが一蹴りするとゲダツは腕組みした格好のままばたりと後ろに倒れた。
それに驚いたのかハッと目を覚まして起き上がった。
「まったく情けない…」
「貴様、人のことが言えるのか」
目糞が鼻糞を笑う状態で喧嘩が始まりそうになったとき。
「それで…エネル様は?」
気を失った所為で恐ろしい思いをあまりしなかったのか、一番平常心だったゲダツが言った。
「そうだ、エネル様!」
「どちらに…!?」
見渡す限り、丸裸にされた地面。どこにも神・エネルの姿が無い。
「あそこに倒れて…?」
あの凄まじい衝撃波の中心だったと見える何も無いところに見覚えのある色があった。神が身につけていた衣の色だ。
我先にとそこへ走る。だがそこには神・エネルの姿はない。
「服だけか…」
「まさか跡形もなく…」
「貝≠捜せ、早く出して差し上げなくては…!」
オームが服を手に取ると、
「!?」
「なんだ?子供か?」
布に埋もれるようにして髪の長い子供が寝ていた。長い金色の髪が顔と体を殆ど隠しているがどうやら衣服を身につけていないらしい。明らかに子供だと分かる細く白い腕や足だけが髪の毛から出ていた。
「どうしてこんなところに餓鬼が」
「小さいな。女の子か?」
サトリがおもむろに子供を抱き上げた。脇を持って目の高さまで持ち上げると長い髪の毛は腰の辺りまである。だが子供が男の子だと証明するものを隠すには少し足りない長さだった。
「ほう、なんだ、男か」
「お前、女だったらどうする気だったんだ…!」
真っ赤になってゲダツが怒る。
「? 別に幼女の趣味はないぞ?でも男よりは女の方が少しは嬉しいな」
子供を下ろして神の衣服の上に寝かせた。畏れ多いとは思いつつも他に適当なものが無いので浅葱色の腰布をかけてやった。
「そういう話ではなく…!そんなにいきなり抱き上げてもし女だったら…!」
「何を興奮してるんだ。愚か者め。男だろうと女だろうとこんな餓鬼ではどうということもないだろ。もっと修行を積め」
そう考えたのは実はサトリだけでシュラもオームも内心とても焦ったのだった。全てはこの島に女が極端に少ない所為だと心の中で責任転嫁をしていた。
「十歳くらいか」
「だろうな」
「綺麗な子供だな」
やけに慣れた手つきでサトリは子供の髪を払って顔を出す。白い肌に整った顔立ちで先に確認していなければ女の子と思っただろう。
「サトリ、お前歳の離れた弟妹でも居たのか」
「コトリとホトリとおれは三つ子だ。上の長男は一人っ子、次は双子、おれ達が三つ子で下に四つ子、五つ子と続いた。子育ては親より兄弟がするものだったな」
「どんな大家族だ!1、2、3、4、5…足して…あー…」
「15人兄弟…!」
「貴様…その体型は母親譲りか」
「ほっほう♪よく知ってるな」
あまりしない家族の話をしながらサトリは子供の髪を触るのを突然止めた。
「お、おい。これを見ろ…!」
金色の髪を掬って見せた。いや、正しくは髪に隠れていた長い耳朶だ。
「な、なんだか…見覚えが…!」
「まさかこの子供…!?」
「…!!!千と千尋の神の隠し子!!!?」
「アホか!何をうっかり口走ってんだ、お前は!落ち着けェ!」
自分も動揺しまくっているサトリは勢いよくゲダツに衝撃≠喰らわせる。
「いや、お、おちつけ…これは…」
シュラは青ざめた顔で座りこみ、サトリの手から子供の耳たぶを受け取ると軽く引いた。
子供の首が引かれて少し傾く。
「本物だな…」
オームも子供の傍らに腰を下ろして反対の耳たぶを探した。髪の毛の中から見つけ出すと意味もなくこちらも引っ張ってみた。ピアス穴のない白くて細長い耳たぶは質の良い島雲のように滑らかな手触りで、長い髪に隠れているが子供と確かに繋がっている。
「ゲダツの言うようにこれが隠し子だったらどんなにいいか…世継も決定で万々歳だなァ」
シュラは耳から手を放し、頭痛がして自分の頭に手を添える。あの貝≠ヘ何が何でも全て破壊し尽くしてしまうべき物だったのだ。
「ではまさか…?!」
「そのまさかだ。おそらくその子供は貝≠ノ悪魔の実を食べてからの年齢ごと吸われた…」
起き上がってきたゲダツに、シュラが受け止めたく無い真実を言葉にしようとしたとき、
「…ぅ」
オームとサトリが片方づつ耳朶を掴んで左右からぎゅーっと引き合ったので、子供の顔が歪み小さく呻いた。
「何やっとるんだ、貴様らは!」
「ああ、いや…その…気が動転した」
「ほう!普段触る機会もないし…触ってみたいじゃないか。モッチモチだぞ〜」
「畏れ多いにも程がある!その子供…いやそのお方はエネル様なのだぞ!」
二人にシュラが怒りも顕わに叫ぶ。
その大声にびくりと小さな体が反応し、子供がぱちりと目を開け、
「はい、エネルはここに…」
返事をした。
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