早朝。
神の島¥繼を大きな鳥が滑空している。
「たまには早起きもいいものだなあ」
鳥の背に乗る二人のうち後ろ側の者がのんびりと言う。風に舞う長い耳を邪魔そうに一度払った。
朝日が雲を照らし始め、薄紫だった空が数分のうちに光に染まる。その様子を何も妨げるもののない上空から眺めるのは実に気分が良かった。
「…全くです」
前に乗る者は朝日をゴーグルで跳ね返しながら不機嫌そうにボソリと答えた。
「なんだ、シュラ」
なんだァ、シュラァ。と気だるそうに延びた発音で名を呼ぶ。
「何か不服か?」
「いいえ、まさか。そのようなことはありませんとも。フザもさぞ嬉しいでしょうな。神・エネルにたたき起こされて光栄だ」
昨晩夕食後すぐに眠ってしまい珍しく早くに目が覚めた神・エネル。何の気まぐれか早朝の空の散歩がしたいと言い出しシュラを叩き起こしに来たのだ。普段から怒りっぽいシュラでなくとも不機嫌な声くらいは出すだろう。
「そう嫌味を言うな。見てみろ、まるで創世のようじゃあないか」
「…全くです」
「ノリが悪いなあ。そんなに寝不足か」
「昨夜はフザと遅くまでオセロを」
「…オセ………」
噛み殺しきれずに小さく欠伸をするシュラ。少し遅れてフザもクカァと遠慮したような欠伸をして小さく火を吐いた。それを見てエネルのほうが絶句する。
「女でも作ったらどうだ」
気の毒なものを見る目で見ながら変に真面目な声で言う。そして風に掻き消えそうな声に落として。
「…いや…それとも…おれがなってやろうか?」
シュラの背に寄って囁いた。
「…」
「なんだ、不服か?」
「ご自分の立場を考えて発言していただきたいものですな」
シュラは振り返らずに答える。寝不足のダルさは消えたがイラつきは最高潮の声になっていた。
「神を振るとは…まったくお前の理想の高さには畏れ入る。どういう女がよいのだ」
「…朝早くに空の散歩に連れて行けなどとは言わん女です」
「ヤハハ、そうか。フザ、どうやら私はお前に負けるらしい。ああ、本気の恋だったのに…ひどいじゃないか…お前に捨てられて私はこれからどうやって生きていけばよいのだ」
ふざけてエネルは大袈裟に落ち込んだような台詞を吐く。
「せっかくデートに誘ったというのにずっと不機嫌だし…やはり私のことを愛していないのだな」
「…どうすりゃいいんですか」
何ごっこなのか掴みきれない様子でシュラは渋々尋ねた。
「そうだな…傷ついた私は今から飛び降り自殺を図る。落ちる前に助けられたらお前の勝ちだ」
「はァ?」
「朝日も見たことだしな。帰るにしても普通に降りるより楽しいだろう」
「ちょ…ッ!!!!」
シュラの制止も聞かずにエネルはぴょんとフザの背から飛び降りた。
「ったく…!いくぞフザ!」
三丈鳥は体に似合わない小回りを利かせ、逆さまになって落ちていく神を追った。
「…む」
落下して森の木の枝に引っかかったエネル。起き上がろうともせずに妙な体勢のまま首だけ上げて辺りを見た。
「シュラめ…神を取りこぼすとは不届きな…。…。フザが万全ではなかったからか?」
そういえばシュラと同じくその鳥も寝不足にしたのだったと思い返し、言い咎めるのはやめておくかと考える。
それから何かの声に気がついて首を伸ばした。
右足が引っかかった細い枝に鳥の巣がある。中に小さな三羽の雛が口をあけて小さく鳴いていた。
「…」
ずっとこうしている訳にもいかずエネルはその枝から足をどけて器用に腕が引っかかっていた太目の枝に膝を抱えて座った。
しばらくピーピーと鳴く雛をじっと見つめる。巣はこの鳥の習性なのか黄色や橙色の物でごちゃごちゃと飾られていた。黄色い葉や木の実、人工的な布の切れ端まで入っている。
「…?」
何かを見つけて少し前にのめり込むような体勢で巣の中を覗きこんだ。
「…いいか?よく聞け、鳥類。私はお前たちに危害を与える訳ではない。大人しくしていろよ?」
ゆっくりと。そっと。右腕を巣に伸ばした。
雛たちは危険を察知した様子もなく、ひたすら餌を求めてピーピーと大口を開けているだけだ。
「そうだ…大人しくしていれば…」
話が通じているとも思えなかったがそのままエネルは巣に手を入れた。
しばらくして、フザから降りたシュラが森の中で神・エネルを見つける。
「こんなところに…」
地面に座り込んでいるエネルを見つけてシュラは安堵のため息を漏らす。雷の体なのだから怪我などするはずもないのだが、こうして無事を確認するとやはり気が抜けた。
「どうされたのです」
声をかけても振り返らない背中に近づく。
「…だからよせと言ったのだ…」
「何がですか」
シュラは太鼓ごしにエネルの前にあるものを覗き込んだ。
二羽の鳥の死骸だった。焼かれて黒くなっている。
「巣に手を出したら丁度親鳥が戻ったのだ。怒って我の腕を貫いた」
人間でも彼の体に攻撃をすればかなりのダメージを受ける。親鳥で人の赤子よりも小さいこの鳥なら一瞬で焼き鳥だっただろう。
振り返らない背中が辛そうだった。
「…」
よしよしと撫でるでも、抱きしめてやるでもなく。ただ出しかけた手を元へと戻す。
この人が神じゃなくただの人だったら。こんなときに何かしてやれることもあるだろうに。歯痒く思ってシュラは眉間の皺を深くする。
「なんでまた巣に手を出したりしたのです」
「…そうだ、シュラ。お前が巣の中の貝≠取って来い」
「貝=H」
「見たことのないものだった、巣はこの上だ」
「はァ」
シュラは身軽に大きな木に登り件の巣を見つけた。雛が一羽ピーピーと小さなくちばしを大きく開けて鳴いていた。ごちゃごちゃとガラクタが巣に入っている。
「ほら、退いてろ」
茶色い雛を片手で退けながら巣の中を覗くとまた眉間に皺が寄る。
「…そうか、これァ…神・エネルでも落ち込むか」
巣の中には雛が二羽死んでいた。親鳥と同じように丸コゲになって。
不本意に死なせた鳥に何を思うのだろう。人を笑って殺す神が。
もっとも自分も裁きで人を殺すのには何も感じないが、この小さな死骸には感傷めいたものを感じる。この雛を殺せと言われれば多少の躊躇はあるだろう。それと同じだろうか。どんなに長くお仕えしても神の御心は計り知れない。
「…」
複雑な思いで巣の中を探ると見たことのない貝≠見つけた。
黄色地に黒い模様が少しある。握った拳より少し大きいくらいの貝≠ヘ円柱のような形で殻頂だけがちょこんと飛び出ている。押してみたが特に何も起こらなかった。
飛び出た殻頂の反対側には穴が開いていた。中を指で探ってみたが何も触れない。持ち上げて覗いてみたが何が見えるわけでもなかった。
「何を溜めるんだ?」
「そうだ、それだ」
いつの間にかエネルが隣の枝に居た。
「変わった貝≠セろう」
「中は空のようです。何も出てきませんでした」
「…貸してみろ」
シュラは貝≠差し出した。エネルは受け取ってから、少し微笑んでシュラを見た。
「あの…雛だが」
「はい」
「お前、鳥のことは詳しいだろう」
「…まァ…エネル様よりは」
「親鳥を亡くした雛だ。このまま残してもいずれ死ぬだろう」
「…まさか、飼えと…?」
「若しくは今ここで処分してやるかだ」
「…」
ピーピーと鳴き続ける雛鳥は自分の運命が決まろうとしていることも知らずに餌を持って帰る親鳥を待っている。
「育てられるかどうか、分かりませんが」
詳しいといっても育てたことのない種類の鳥の扱いなど詳しく分かるはずもない。全くの素人よりは幾らかマシという程度だ。。
「世話をしてみましょう」
「そうか」
「エネル様がそうお望みのようですから」
一度驚いたような顔をして、その後ふっと笑った。
ちらりと巣のほうを見て、すぐにまたシュラに視線を戻す。
「珍しいな」
「?」
「お前が考えと真逆のことを言うのは」
エネルは心綱≠ナシュラの声≠聞いたようだ。確かにシュラは内心このまま殺してやる方がこの雛にとっては親切だと思っていた。
「また、人を単細胞のように」
「なんだ、違うみたいな言い方だな」
エネルは笑いながら黄色い貝≠調べた。殻頂を押しても何も起こらない。
「馬鹿呼ばわりは心外ですな。その馬鹿に鳥を押し付けておいて」
「馬鹿などとは言っていないじゃあないか…」
反対側の穴を覗いてみるが何も見えず、シュラがしたのと同じように指を入れてみた。
バリバリッ!と音を立てて貝≠ニエネルの指が反応した。青白い光が貝≠ニ指の間で飛び散る。
「ッ!」
「エネル様!」
シュラは慌ててエネルの手から貝≠烽ャ取った。
「な…!?」
エネルはバランスを崩して枝から落ちてしまった。
「エネル様ッ!」
飛び降りたシュラが背を丸めて倒れる神に駆け寄る。何故か背中の太鼓が無かった。折れたような痕さえない。
「…ッ」
呻き声を上げるエネルに困惑していた。自然系の悪魔の実の能力者は痛みを感じることさえないはずだ。フザの上から落ちてもなんともなかった神が痛みに体を震わせる姿はこの目で見ても信じがたい光景だった。悪ふざけではないのか、と一瞬日頃のエネルの行いがよく分かる可能性についても考えたが演技にしてはおとなし過ぎる。嘘ならばもっと大げさに痛がるはずだ。
「どうされました!?」
「…エ…レキ…ダイ…ルだ…」
「は?!」
「電気貝≠セ。…今思い出した。以前、そういう物があるとビルカの書物で目にしたことがある…電気を…雷を溜める貝≠セ」
「…エネル様……血が…」
シュラは助け起こそうとして背中に触れ、すぐに手を戻した。自分の手袋についた神の血を呆然と見ている。
雷に傷がつくことなどありはしない。初めて見る神の血液は触れてはいけないほど神聖なもののようで。
シュラは怯えていた。神の血に触れた者はその場で命を奪われる。根拠も無くそんな考えに囚われた。
「大した怪我ではない。かすり傷だ。久々のことでやけに痛むがな…。雷を全て電気貝≠ノ奪われたようだ…」
エネルはゆっくりと身を起こし地面に座ると、痛む体を擦りながらエネルも自分の手を見た。
雷を出そうとしても少しも出ない。
体も雷に変えることが出来ない。
ゴロゴロの実≠フ能力を全て失っていた。その上、体中にひどい倦怠感がある。海雲に浸かった時のそれに似た全身の脱力状態だ。
まだこの国に来る前、手元にあればいくらでも使い道があり、敵の手に渡れば脅威となるその貝≠フ存在を知った時。手に入れようと探して回った。だがすでにビルカにもその貝≠ヘ無かった。もう空から消えた種だと思っていた。
エネルからその話を聞いてシュラは神妙な顔をした。最強と謳われる能力にもそのような落とし穴があるのかと。
「ヤハハ…これでは…」
変化しない手のひらを見てエネルは笑う。
「我がカミナリ、という駄洒落が使えないな」
「…阿呆か!アンタは!」
シュラが過剰に反応するのでエネルはまた笑う。
「いいじゃあないか。殻頂を押せばすぐに戻る。面白いものを見つけたものだ」
「…!」
シュラは慌てて辺りをキョロキョロと見回した。そうしているうちにどんどん顔が青ざめていく。
「…どうした」
「いや…あの…」
立ち上がって見回すが、ない。
両手を見て確認する。やはり持っていない。
服のあちこちを叩いて何も入っていないことも確認した。
落ち着いて思い返せ、そう自分に命令を出す。
目映く光が散って。思わず貝≠奪った。
そこまでの記憶はある。
だが、神が落ちて…追いかけて飛び降り…血を見て…。
どの時点で貝≠手から離した?
「シュラ…」
神・エネルには心綱≠ネど使うまでもなくシュラの慌てぶりを見れば全てが分かるだろう。
「あァ…いや、その…!!!きっと木に引っかかっているのでしょう!探してまいります!お待ちください!!!」
エネルをその場に残し大慌てで木に登っていくシュラ。
そして、三十分ほど経った後。
シュラは地面に頭を擦り付けて土下座していた。