長い土下座タイムの後。
再びフザは二人を乗せて飛んだ。
今度は前と後ろにではなく、シュラがエネルを抱えてエネルはシュラの首にしがみつくようにしている。
「…」
この場合せめて嫌味でも小言でも言ってもらった方がシュラにとっては良かったのだか。神・エネルは黙って何か考えている。
水に浸かったのと似たような感覚であまり力が入らないそうだ。抱えていないと落ちそうになるのでやむを得ずこの体勢になったのだか、沈黙されると無言で詰られているような気がしてくる。
こんな間抜けな格好を強いられるのも全ては自分の失態が招いたのだ。
「…シュラ」
「はい」
「お前に口答えする権利が無いのはわかるな」
「はい」
「神の社に向かう」
「は」
フザに乗ってそう会話したきり、エネルは黙って何か考え事をするようにあらぬ方向を見据えて眉間に皺を寄せている。
神が雷になれないとはどういうことか。この沈黙の間にシュラも考えた。
エネルにとって、またそれに仕える自分を含めた者にとって、これ以上は無い窮地だ。
神・エネルは今、不死身ではない。絶対的な力もない。
悪魔の実の能力に依存しきらない彼は体術にも長けている。だがそれはあくまで人間としての話だ。神としての絶対的な力には到底及ばない。
彼を殺そうと考えるものにとってはこの上ない好機と言えるだろう。
シャンディアにもスカイピアの住人にもこのことは知られてはならない。
敵に好機を与えたのかと思うと自分に腹が立った。
電気貝≠ェ見つかるまでは命に代えても自分が神を守らなくてはと決意する。
「ああ、そうだ。忘れていた」
「?」
「雛を。連れて行こう」
「戻るのですか」
「そうだ。しばらく出られないからな」
「…?」
言っている意味が分からなかったが、言われるとおりに引き返して先刻エネルが落ちた辺りで旋回する。
「フザ、降りられそうか」
クカカカと大人しい鳴き声で答える。
枝に降りたフザから降りエネルを抱きかかえたまま器用に枝を渡って巣を見つけた。
「エネル様…」
「なんだ?」
「両手が塞がっているのですが」
シュラは両腕でしっかりとエネルを抱きかかえている。
「…」
空いているのはエネルの手だけだ。
「…生き物は好きではない」
「巣ごと持ってはいかがですか。それに…今なら突かれてもエネル様が痛いだけですから」
「…」
「…諦めますか」
恨みがましそうにシュラを睨んでからエネルはおずおずと手を伸ばし、巣を自分の腹の上まで持ってきた。相変わらず何が起こっているのかも知らず雛が高い声で鳴いている。
「…」
「可愛いですね」
シュラは珍しく微笑んでいた。
「…まあな」
多少面白くないという表情を残しつつエネルも同意する。
「エネル様がです」
「…調子に乗るなよ…」
「イダダダダ、も、申し訳ありません」
つい本音を口走り、低い声で唸られた。ぐいぐいとピンと尖った髭を引っ張られる。普段のエネルならこんなものではすまなかっただろう。シュラは雷がなくて本当に良かったと不謹慎なことを考えた。
フザの背に戻り改めて神の社を目指す。
「シュラ。今より私がよいと言うまで、私が訊いた時にだけにっこりと笑って『はい、エネル様』とだけ答えろ」
「…『はい、エネル様』」
「神・エネルでもよい」
「『はい、神・エネル』」
シュラは早速命令に従っていた。
「…にっこりと、と言っただろう」
「…『はい、エネル様』…」
「にやりとにっこりの違いが分からんようだな」
怒りの求道を追及するシュラには無理な話だった。だが、先にも言われたように今のシュラには口答えをする権利などない。
普段使わない表情筋にありったけの力を込めて笑顔を作る。
「ヤハハハ!怖いぞ!」
「…」
不機嫌な顔に戻るとシュラは何か言いたそうな顔をするが、言われたとおり自分からは何も言わない。
「そうだ、いいぞ。その調子だ。だが、笑顔は怖いからやめておけ。見た者の寿命が縮む」
「…『はい、神・エネル』」
不服そうなシュラを楽し気に見ながらエネルはフザを直接神の社に降ろせと命じた。
朝日が昇ってからまだ一時間という神の社としては異例の時間帯。神官たちは三十秒で来なければ即神の裁き≠セと無茶な呼び出しをくらい、身支度も調わないうちに神の社にやってきた。
「ゲダツ、さすがにそれはマズイだろう。神の御前だぞ」
ズボンを換え忘れて水色縦縞のパジャマのズボンでやってきたゲダツを、帯の結び方が滅茶苦茶なオームが嗜める。
「お前たち、うっかりしすぎだ」
そう言って跳ねるサトリはどうやったのか服の飾り輪が縦ではなく横に並んでいた。
だがもうそんなことを気にする時間はなかった。口喧嘩をしながらも足は全速力で社へ走っている。
「…シュラのヤツは裁きを受ける気か?」
「ほっほほう♪ノロマめ、だらしないな。どうせあの鳥と七並べでもやって夜更かししたんだ」
別に待ってやる義理も無いと三人は神の社へ入った。
「ヤハハ!三十秒でよく来たな!」
「…!!!!!!」
とんでもない物が目に入り三人は絶句する。
神はいつもと同じ笑い声で、いつもと同じのんびりした口調で彼らを迎えた。
いつもと違うのはその神をシュラがお姫様だっこで抱えていることだった。
「シュラ…!!!」
「貴様、そこで何を…!」
シュラが神の座にすわり、その膝の上に神が横向きに座ってシュラの首に腕を回している。
「そう慌てるな。今から説明する」
「しかし…!」
「いいから座れ、オーム」
エネルに言われて険しい顔のまま三人はシュラとエネルの前に腰を下ろした。エネルは新しい遊びを発見したような楽しそうな笑顔、シュラは少し俯き加減で表情はよく見えないがあまり機嫌が良さそうな雰囲気ではなかった。
「では…神官も揃ったことだし…そろそろ発表しようか」
神の傍らに立っている侍女たちや、神兵長ヤマは待ってましたとエネルを見た。
「見て分かるように…私とシュラは晴れてラブラブvになった。なあ、シュラ」
「はい、神・エネル」
「…ッ!!!!!!!」
社中がドラゴンボールもびっくりの「!」マークのオンパレードだ。
「昨夜は長年の思いが通じた所為もあって、少し張り切りすぎたな。こうしていないと痛くて座れぬのだ」
痛いってどこがですか。そんな勇者としか言いようのない質問をゲダツがうっかり口走りそうだったが下唇を噛んでいたので心綱≠ナ聞こえた者も聞かなかったことにする。
「そんな…そんな、ご冗談でしょう…!」
何故か悲痛な叫びをオームがあげる。
「冗談でこんな恥ずかしい話が出来るか。身も心も愛し合っているのだ、なあ?」
「はい、エネル様」
「ラブラブだよなあv」
「はい、エネル様」
エネルが幸せそうに微笑んでシュラの顔を見上げるたびにシュラは何とも言えない表情になり、同じ返事ばかりをする。それが照れているように見えて二人の関係が本物だと誤解させた。
オームは泣き出し顔を背けた。
サトリは現実逃避なのか急に踊り出した。
ゲダツは会話に取り残され後でサトリあたりに説明させようと考えている。
ヤマは何か言おうとして口をパクパクさせている。
侍女たちは青くなった者もいたが何故か赤くなって内心喜んでいるように見える者もいる。
「とにかく、そういう訳だ。私とシュラはしばらくイチャイチャする。よって今よりこの神の社を我らの愛の巣とする」
「…は?」
「即刻この社から全員出て行くのだ。しばらく…そうだな、一週間か二週間か…そんなところか?」
「はい、神・エネル」
「その間、ここに入っていいのは私とシュラだけだ。ああ、そうだ、フザも居た方がいいか?」
「はい、神・エネル」
「フザだけは特別に許すが他のものは一切入ってはならぬ。もちろん公務も島の警備もしない。お前たちで何とかしておけ」
命令を出すのにシュラの同意を求める神。
ああ、本当に本当なのか。悪い冗談であって欲しいという希望が見えなくなっていく。
社に居た者たちは心の中で両親に手紙を書いた。
我らが敬愛する唯一神、全能なる神・エネルは、本日を以って本物のホモになりました。
オーム以外にも泣き出すものが続発した。
「そうだ、心綱≠ナの覗きも禁じておこう。…さすがに恥かしいな」
「はい、エネル様」
「まあ、そんな野暮をして覗いたところで我らの睦言で火傷を負うだけだが」
神はいつになく幸せそうに笑って話しを続ける。
シュラは相変わらず少し俯いていたが段々額や耳が赤くなっていくのが他の神官からはよく見えた。怒りで赤くなっているなどとこの状況で誰が考えるだろう。どう見ても二人の仲を見せ付けるように話すエネルの言葉に照れて赤面しているように見えた。
「分かったらさっさと出て行け。私は早く二人きりになりたいのだ」
ぎゅーっとシュラの首に抱きつくエネルを見て社に居たものは青くなったり、赤くなったり、むせび泣いたりしながらその場から逃げるように去っていく。
「ヤマ、出て行く前にちょっと来い」
「…は」
去りかけたヤマは青い顔で振り返えると手招きする神の近くへ寄った。
「神兵には島の警護のほかにしてもらいたいことがある」
「なんでしょうか」
これ以上の悲劇は待っていないようにと祈りながらヤマは訊いた。エネルは片手を口元に添えて内緒話のように小声で話す。
「自慰貝≠探してほしいのだ」
「オナ…!?そのような貝≠ェ…!?」
「私も知らなかったのだが、シュラが私を想って長年使っていたのだ。昨夜、こいつがもう要らんと調子に乗って森に放り投げたが、私は私を想って吐き出されたものを捨て置く訳には行かぬような気がする。…いや、どれほどの想いが詰まっているのか…知りたいのだ…」
少し恥かしそうに顔を赤らめるエネルを見て、ヤマは一度目を見開き、その後何かを悟ったように穏やかに微笑んだ。
何故そんな物が欲しいのかホモの考えることは分からない…いや、神のお考えは崇高で理解し難い。
だが、もう何でもいい。エネル様がこんなに幸せならいいじゃないか。ホモでもゲイでも恋する乙女でも何だっていい…。そうだろう、ヤマ。神の幸福は我らの幸福。素晴らしいことじゃないか。
心の中で変な境地に達していた。
「出来るだけ早く見つけてくれ。もし他の誰かの手にそれが渡れば私は嫉妬で狂ってしまうかも知れん」
こんな可愛らしいことを言うようになって…恋は人だけでなく神も変えるのだなとヤマは微笑ましく感じる。
神が幸せだというのなら相手が男だろうが宇宙人だろうがシュラだろうが、そんなことは些細なことだ。そうやってヤマは自分の心を徹底的に欺いている。
「分かりました。神兵総出で探しましょう。必ずエネル様の元にお届けします」
イイ笑顔でシュラを見るとさっきより更に赤くなっている。
それはそうだ。いくら小声でも抱きついた相手が話したのだ。今の会話も聞こえていただろう。
ヤマは男として彼を憐れに思う。こんな話を聞かされるのはこれ以上ない羞恥プレイだ。
「このくらいの大きさで色は黄色、形が…」
自慰貝≠フ形状とおおよその場所をエネルから聞き定時連絡の時間を決めるとヤマはその場を最後に去る。一度だけ振り返って幸せそうなエネルの笑顔を確認した。
顔を上げないシュラにヤマは娘を嫁に出す父親のような、複雑な思いを込めて視線を送る。
エネル様を幸せにするのだぞ…!
「…よし、全員出たな。もういいぞ、シュラ」
エネルはシュラの首から腕を離して自らの足で立った。少しふらつくが歩けないほどでもないな、と確認している。雷が無い状態に体が慣れてきたのかも知れない。
「…話してもよいのですね…?」
「ああ、ご苦労だった」
皆に見せていた幸せそうな笑顔ではなくニヤニヤと楽しそうに笑っている。
「それでは…」
シュラは神の座からゆっくりと立ち上がり、ずっと下を向き続けていた顔を上げた。
涙目になるほど真っ赤な顔をして、
「自慰貝≠ニは何事ですかーッ!!!!!!」
まずそれを叫んだ。本当はもっともっとツッコミたいことはいくらでもあったが、あまりにも多すぎた。
「そこからきたか…ああ言っておけば誰も見つけたとき殻頂を押したりしないだろう。見つかっても中身をどこかに放電されては困るからな」
「でしたら、せめてご自分のに…」
「私の精液なら皆欲しがるじゃあないか。おれのは金色をしていると専らの噂だぞ」
「あの噂は本当なのですか…!?」
「そんなものが出てたまるか…試してみるか」
「結構です」
なんだ、ただの噂か…と何故かシュラは少し安心したような、がっかりしたような気分になった。
気を取り直して次々に問いただす。
「なんでラブラブなんですか!?なんでお姫様だっこ!?なぜホモで、愛の巣で、二人きりになるのですかっ!?」
「ヤハハ、ポンポンとよく怒るヤツだなあ。お姫様だっこには意味があるのだ。ここに降り立ってからあの格好だったからな。誰も我の太鼓が無いのに気付かなかったぞ。神官たちも心綱≠乱していて本当のことを見抜けなかっただろう」
「…そりゃァ…そうでしょうが…」
その上、神官が揃うまでの間に抱きかかえられたエネルがシュラのゴーグルと帽子を外してあげる、というサービスシーンもあった。側に居た侍女でさえ、その行為が気になって太鼓のことは気付かなかったようだ。
「太鼓は雷ではないはず。何故無くなったのですか」
「私も知らん。だが…太鼓は服とは違って雷を出すのに深く関係したものだ。これは推測だが…長年雷の体で生きてきた所為で私≠ニ雷≠ヘ分かち難いほど癒着しているのだろう。だから雷に関連が深い物は一緒に奪われた。物だけでなく他にも持っていかれたからこのように体が言うことをきかぬ…のではないだろうか」
エネルに説明されるとシュラは納得する。この非常時によくそんなに物を考えられるものだと少し感心した。
「ラブラブも考え抜いて最も良いと思ったからだ。他に社に二人で立て篭もるいい理由が思いつくか?」
「…だからと言ってホモにならなくとも…」
シュラがブツブツ言うのを面白がって聞きながら神は自分の在るべき場所、神の座に座る。もちろん尻が痛くて座ることが出来無いということはない。
「そもそも、何故皆に事情を説明しないのですか。貴方は今…!」
「だから単純馬鹿だというのだ、お前は」
ごろりと寝転びながら間延びした発音でそう言った。
「今の私なら侍女であっても寝首を掻くことが出来るのだぞ。こんな状態を知る者は少なければ少ない方がいいのだ」
「…神官でさえ…信用に足りぬと…?」
シュラは怒るのをやめていつも四人でそうする時のように神の御前に座っていた。
「信用はしているさ。自分を裏切る者を神官にしておくほど寛大ではない。お前たちは私を裏切りはしないだろう…私が雷の力を持っている限りはな」
「…」
「お前は単純だから考えてもいないようだが…他の三人もそうだとは限らん。違うか」
シュラは腕を組み、口をへの字に結んで少し考え込んだ。
確かに今の自分なら神を殺すことも捕らえることも出来るだろう。雷を全て奪われただけでなく上手く力が入らない状態なのだから。
だが、出来ることと、それをしたいと思うことは大きく違う。
あいつらの弁護をするのは甚だ心外だが、放っておくことも出来なかった。
「…アンタが用心深いのは分かるが…それは神官だけでなく、貴方自身に対する侮辱です。エネル様」
「…何?」
「我々は貴方が雷だから仕えている訳ではない。殺されるのを恐れて従っているのでもない」
先刻までより落ち着いているものの、深い怒りを孕んだ口調でシュラは語る。
「…」
「貴方が貴方だからお仕えしているのです、エネル様。たとえ雷でなくても、神でなくても。我らの気持ちは変わりません。そうやって我らを疑うのは勝手ですが、それによってご自身の評価まで貶めるのはお止めください」
普段は自信過剰なくせに、自分の人を惹き付ける力は過小評価する。人格的存在として魅せられる所がなければこんなにも多くの部下が従うことが無いと。人を疑う知性を持ちながら、この点だけ理解しないのは何故なのか。シュラは不思議に思う。
「我らが心からお慕いしている方を侮辱するのは止めていただきたい…もっとご自分のことを信頼してください」
そして出来ることなら貴方に仕える者のことも。そう心の中で付け足すのがエネルには聞こえた筈だ。
「…そうか。雷でなくとも、神でなくとも、か」
「はい」
背筋を伸ばして答える様子を見てエネルは笑いを堪えるような微妙な表情になっていた。
シュラには神の声≠ヘ聞こえないがそのにやけ顔から凡そ見当はついた。自分が貝≠無くした所為で今の状況があるというのに。お慕い申し上げる神に説教たれるのはどうなのだ。自分でも変な話だと己にツッコンでおく。
神はシュラの心の動きまで悟ったのか満足そうに笑って言う。
「では、これから電気貝≠ェ見つかるまで、お前はお慕い申し上げる私にとことん尽くしてくれ」
「…」
「お前が雷の無い私に愛想を尽かさなければ、今の話、考えてみよう」
「…………はい」
微妙に話をすり返られて釈然としないまま、シュラは返事をした。