弧鳥 4

 目を覚ましたシュラは背中にしがみつく神・エネルに驚いて喚いた。その声に起こされたエネルは大層機嫌が悪く、朝餉が運ばれてきてもまだムスっとしていた。
「勝手に神のベッドに入ったお前が悪い」
 そう言われて謝り倒したが寝惚けていたらしくシュラには記憶が無かった。覚えが無いというのは始末が悪く、どれだけの粗相をしたのか気が気ではない。
「…嫌がる私に無理矢理あんなことをしておいて…覚えていないとは何事だ」
「あ、アンナコト…!?」
「あんな屈辱的なことをされたのは初めてだ」
「…!!!」
 慌てるシュラを見て膝を叩いて笑う神・エネル。ようやく担がれたのだとシュラも気付いた。
「ヤハハ、これで本当に愛の巣になったな」
「気色悪いことを言わんで下さい」
 まだ三日目だというのにシュラは主夫っぷりがすっかり板についてきた。お母さんぶりと言う方が正しいかもしれない。エネルと雛の世話をよくしながら家事もこなしている。
 お世話されるのに慣れている神は手伝うという概念がないらしく社のどこかでごろごろするばかりだった。
 他にすることが無いのか雛の餌の時間になるとそれを必ず見に来た。
「エネル様もやってみますか」
 何げなく尋ねると拗ねたような顔をして顔を背ける。
「生き物は嫌いだと言ったはずだ」
「その割によく見に来ますなァ」
 シュラは悪気も無く図星をさす。
「折角、雷から開放されたのです。今を逃したら二度とこんなことは出来ません」
「…懐かれでもして…元に戻ってから私に近寄ったら死ぬのだぞ」
「一度だけならそこまで懐きません」
 本当は触りたくてうずうずしているのはシュラの目にも明らか。神は仕方なくを装って雛に手を出す。
 巣の中で鳴いている茶色い雛は三日前に見たときよりもずいぶん体がしっかりとしたように見えた。
 大きな手が不慣れな手つきで小さな鳥に触れる。
「ヤハハ、可愛いなあ…」
 本音を呟いてしまったことを本人は気付かないらしい。シュラはツッコムのを止めておいた。
 シュラがやっていたのを真似てスポイトで餌をくちばしに入れてやる。
「これで私はお兄ちゃんに昇格だろう」
「はいはい。ママとしてはどっちも元気で育てば本望です」
 シュラは雛と戯れる神・エネルを見て、このままごとの様な生活も悪くは無いと思えた。



 夜になるとまた部屋に泊まれと言われる。
 シュラとしては昨夜の失態から、出来れば別の場所がいいと思ったが命令されたら聞かない訳にもいかない。
「どうせ寝惚けて入ってくるのだから最初からここで寝ろ」
「そんな畏れ多い…」
「私が良いと言っているのだ」
「ハァ」
 いくら神でも筋肉質の同性と一つの寝台に寝るとなるとなんだかなァとシュラは思ったが言わないでおいた。
 一人で寝るのが嫌だというのは多分心細いからなのだろう。
 今まで怪我を追うことのない体で生きてきたのが、急に雷を奪われてしまったのだ。今日も電気貝≠ヘ見つからなかった。もしこのまま元に戻らなかったら。そんな不安がいつもついて回るのかも知れない。
「では手でも繋ぎますか」
「…」
 シュラは冗談のつもりだったがエネルが黙り込むので焦る。
「いや…流石にそれは…」
「真面目に考えないで下さい。冗談です、冗談!」
「そうか…寝惚けて神を襲うなよ」
「エネル様こそ、これ以上妙な命令をしないでください」
 シュラは昨夜と同じように背中を向けて寝た。太鼓の無い状態を存分に満喫しているエネルはベッドの真ん中で上を向いて寝ている。
「ヤハハ、そうだな。共に寝てくれなどと…確かに妙な命令だ…。次は抱いてくれと言うかも知れんな」
「止めてください。おれの好みは背が小さくて童顔で巨乳の女です」
「お前…ずいぶんピンポイントな好みだな…。巨乳はあってるだろう」
「そんな硬い乳は認めません」
「我侭だな…また暇で仕方なくなったら言おう」
「暇つぶしに男とそんなことをするほど若くも無いでしょう、お互いに」
「何を老け込んでるんだ、まだまだだぞ」
「元気でいいですね…神は…」
 呆れたように言うと眠気が襲ってきた。歳の所為にするのは嫌だがこんなときはやはり十代の頃とは違うのだと少しだけ自分にがっかりする。

 すこしの沈黙。
「シュラ」
「はい」
 囁くような小さな声で呼ぶとそれに合わせたのか小さく答える。
「逃げ出しても良いのだぞ…」
「アンタがおれを襲うんですか」
「その話ではない。今のこの社からだ。私を置いて逃げることはいくらでも出来よう」
 シュラは返事をしなかった。心綱≠ナ怒っていることだけは分かったがシュラが腹を立てているのは毎度のことだ。
「もう三日だ。まさかこんなに時間がかかるとは思わなかった。神兵総出で探しても見つからないとは…もう貝≠ヘ壊れていて雷はどこかへ逃げてしまった可能性もある」
 神兵が本当に総出で探しているのは心綱≠ナ確認済みだ。なんで自分たちがシュラの恥かしい液体が入った貝≠ネんかを探さなくてはいけないんだとぼやく声≠ェ聞こえる。
「このまま悪魔の実の能力が戻らなければ…お前はどうする」
 神でなくとも。
 その話をしたときは元に戻ることが前提だったはずだ。貝≠ェ見つからなかったらなどと、深刻に考えてはいなかった。
 もしかしたらあの貝≠ヘ見つからないかもしれない。
 そういう前提で考えたら答えも変わってくるのだろうとエネルは思う。
「どうするも何も…エネル様の仰るように致しますが」
 シュラは当たり前のことのように言った。
「本当に神ではなくても私に従うのか」
「はい」
 軽く返事が返ってきてエネルは拍子抜けした。そんなに盲信するほど、自分の中に何を見出したのだろう。
「ただ…もしこのまま、一生雷にならないのでしたら」
 眠そうな声が付け加える台詞にエネルは少し身構えた。
「お兄ちゃんに雛の世話くらいはやってもらいましょうか…二児の母親役は少し疲れる…」
 呆気に取られてエネルはしばらく何も言えなかった。
 やがてシュラの寝息が聞こえた。
「…参ったな…」
 小さく呟いたエネルはくすくす声を殺しながら笑っていた。
 そんな人生もいいかも知れん。そう思った自分が可笑しくてたまらなかった。
 昼間餌をやった雛を思い出す。
 小さな魂はとても脆く見えるのに、本能的に生に貪欲で力強い。
 それに比べて体と態度ばかり大きな自分は。



 シュラは物音で目を覚ます。あまり寝た気がしない。
 まだ暗い。目が開いてしまった理由が分からず、すぐにまた眠ろうとした。
 …どこからか鼻をすするような音が聞こえる。
「…?」
 背中の方からだ。暗くて何も見えないがすぐ側に気配があった。
「眠れないのですか…?」
「…」
 目を覚ました理由が分かった。隣で寝ている神が声を殺して泣いているのだ。
 そんな、オームじゃあるまいし。
 眠気が吹き飛んでシュラは体を起こした。他の者が相手なら鬱陶しいと怒ってこの場を去れば済む話なのだが。そういう訳にも行かずひたすらオロオロする。
 何を尋ねても返事が返ってこない。だが泣いているのは確かだ。
「…その…おれは馬鹿なので…言ってくれなければ分からんのですが…」
「私を…置いてフザとあの鳥をつれていけばいい……。世話が大変なのだろう…?あの雛鳥などよりずっと手のかかる駄目な子だ…」
 涙声で何を言い出すかと思えばそんなことだった。
 そう言えば眠る前にそんな話をしていたような気もする。
 泣きながらそんなことを言われるのは「置いて行かないで」と縋られているのと同じだ。
 確か置いてはいかないと返事をしたはずだが。
 どう考えを巡らしたのか、同じことを言いながら今度は泣いている。
「…」
 暗闇の中、シュラは困り果てた顔をして。手探りで神を探すと、子供にするようによしよしと頭を撫でた。
「エネル様…まだ、三日です。焦らずともそのうち見つかります」
 貝≠無くした張本人がこんなことを言うのは変ですが、とシュラは笑った。
「…置いてなど行きません。ここに居ますから…安心してお休み下さい」
 返事はなかったが呼吸が安定していくのが分かった。
 ずっと頭を撫でながらシュラは考える。
 心細いのは分からんでもない。常にあった強大な力を失うのはさぞ不安なことだろう。
 不死の体も今は無い。この社は多分この空で最も安全な場所だが、常に多くの人間に傅かれているのが日常だった神にとっては、一人だけの家来では心許ないのかも知れない。
 それにしても。あの神がたった三日でここまで心を病むだろうか。
 そういえば今日はイタズラを仕掛ける元気もなかったようだ。
 外に出たいと駄々をこねたりもしない。
 これでは社の籠に閉篭もる雛だ。翼も心も折れて戸が開いていても外に出ようとしない雛鳥だ。
「…」
 下手な詩人のようなことを考える自分に恥かしくなって、空いている手で顔を押さえた。
 柔らかい髪を撫で続け、以前話した太鼓が消えた理由を思い出す。太鼓以外にも何かを奪われたとエネルは言っていた。だから力が入らないのだと。
 多分貝≠ノ奪われたのは心の中の大事なパーツだったに違いないとシュラは思う。自尊心というのか威厳というのか…よく分からないが神としてのエネルを支える心は雷と深く関連していた所為で一緒に無くなってしまったのだ。
「……」
 急に、子供のように甘える神が不憫に思えた。
 寝息が聞こえてくるまでシュラはずっとエネルの頭を撫でていた。


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20040531 前サイトにて公開
20090322 加筆修正して本サイトにて公開