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<1> 藤枝宿の町名 |
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旧東海道の藤枝宿の西端。 瀬戸川の勝草橋から元清水橋交番までの街道沿いの地区。現在は藤枝1,2丁目である。 平成15年度に新しい「勝草橋」が完成するのに伴い、現在用地買収も殆ど終わり、道路拡幅のために街道筋は取り壊し&新築ラッシュである。 また古き面影がひとつ消えてなくなる。。。
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旧東海道の西側の栄のお隣。街道から北へ伸びる瀬戸谷街道沿いに広がる地区。 世帯数では現在2番目。古くから人口密度は高めの地区である。瀬戸谷街道は現在茶町の街区表示。 名前の通りお茶の問屋さんが軒を連ねている。 木町の名前からも、かつては材木屋も結構たくさんあったのだ。 現在の表示は茶町1〜4丁目。 |
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木町の北側。 瀬戸川の金吹橋までの地区。清水さんや現在施工中の運動公園もこの地区に含まれる。 現在の街区表示は音羽町。 清水山が「音羽山・清水寺」(京都も静岡も同じ)という真言宗のお寺なのでこの町名が付いたらしい。 10〜20年程前は見渡す限りの田園地帯で、人家は殆ど無かった。 音羽町の区画整理が終わり、一転して住宅街にその姿を変えた。 したがって、比較的外から藤枝に移り住んだ人が多いのも特徴。住宅街の中にアパートなどもたくさんある。
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栄の南側から上伝馬の南側一帯の地区。 現在は藤枝1・4丁目の表示。 昭和30〜40年代戦後復興から高度成長時代に「新地」(しんち)と呼ばれていた華街のあった地区。 赤線廃止までは遊郭があり、昔は賑やかな所だったらしい。 今でも何処となく古びた旅館風の建物が残っていたか? とにかく少し前まで(私たちが幼少の頃)はなんとなくそんな風情が感じられた地区なのだ。 また別に述べるが、藤枝地区住民が氏子である、志太平野最古の社「飽波神社」(あくなみさん)が祭られているのもこの地区。 |
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街道筋、長楽寺の東隣一帯の地区。 街道筋だけの狭いエリアなので、世帯数も下から数えた方が早い。。。 昔からの商人の町である。 現在も「ユニー藤枝白子店」を中心に商店街を構成している。 その昔ここにアーケードが設置された時には、すごく都会的に感じた覚えがある。 藤枝の天狗祭りを商店街が中心になって盛り上げている。 ここも御多分にもれず、郊外型大型店の進出による影響や不景気のせいか、昔ほどの賑わいはなく、生活密着型の小規模な店が建ち並ぶ。 かつては上伝馬と並んで、藤枝の二大商店街として繁栄していたのだが・・・ この白子のすぐ南側の国道1号線までの間に「郡」(こおり)という地区がある。 場所柄藤枝宿に近いため、本来は西益津地区ではあるが、夏祭りやその他の付き合いで藤枝地区と西益津地区の中間的な地区となっている。現在は本町2丁目である。 先住民族が大多数を占める。 |
街道筋、白子の東側一帯。 スーパー富士屋までの地区。 白子と連続しているが、アーケードに気をつけて歩いていくと、途中で看板やタイプが変わるのが解ると思う。 白子の商店街名は「藤枝名店街」下伝馬の方は「本町商店街」としっかり別れているのである。 世帯数はやはり少ない。 先ほど述べた二つの伝馬。 何故東京に近いほうが「下」なのか?? 歴史は古く、京都が国の都の頃から藤枝は栄えていて、京都に近い方が「上」なのである。 伝馬を意識してなのかしないでなのか解らないが、奉行所の出先機関・番所(交番)が、上伝馬と、下伝馬に現在も置かれているのは単に偶然か?? 現在は本町3丁目。 この旧東海道と交差して、大手(昔、田中城の大手門があったためこの様にいわれる)から葉梨街道が北へ伸びる。 かつてこの交差点は藤枝最大のバスターミナルで、交差点そのものがバスのロータリー兼ターミナルになっていた。 付近には自転車預かりなども営業していて、すごく賑やかな交通の要所であった。 もちろん静岡鉄道の営業所もあって、手荷物預かり・定期券販売・その他売店などなど・・・藤枝で一番大きな映画館も存在した。 そういえば上伝馬にも、千歳にも昔は映画館があったが、今ではその面影はまったくない。 |
白子、下伝馬の北側一帯。北側は千歳とも隣接している。 前述の葉梨街道筋もこの地区。 広範囲に渡っているため、同地区でも3つの地区(本市部・横町・前原)に細分化されている。 藤枝小学校を境に千歳と入り組んでいる部分もあり、東側は下伝馬や、後述の左車とも入り組んでいる。世帯数もビッグ3に入る大所帯。 "ジュビロ磐田・ゴン中山"の出身校、高校サッカーで有名な藤枝東高等学校もこの地区にある。 藤枝の夏祭りで昔から子供たちが楽しみに参加している「お天王さん」(八坂神社)が祭られている地区である。 古くからの住民が殆どなのは新たに開発された住宅地がなく、昔から世帯数が比較的多い地区であるためであろうか?現在は天王町1〜3丁目。 |
難読漢字No.1であろう! 市部地区の北側、葉梨村との境までの広大な地区。 音羽町と同様に昔は殆ど見渡す限り田んぼだった所が、近年住宅地に変わり著しい世帯数の増加があり、現状は1番か2番か?? 名前の通り昔はその殆どが手を付けられないような沼地→50の海。 口の悪い人は「いかるみ」ではなく「ぬかるみ」と呼んでいた程。。。 今ではすっかり様変わり、閑静な住宅街に変貌している。 地区内に第1から第3まで比較的大きな公園が3つもあるのは、この地区くらいであろう。 地区内に「原木神社」がある。 現在は五十海1〜5丁目、天王町1丁目である。 現在の五十海2,3丁目はチョット前まですべて田んぼ。。。移住者が多く住む。 |
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最後にご紹介するのは藤枝地区でも異色の地区とでもいおうか? もともとこの地区に人は住んでおらず、昭和40年代に造成されたまったくの新しい新興住宅街なのだが、位置的に藤枝地区に入るため"藤枝で一番新しい地区"となったのである。 世帯数は多いが、開発が済んで落ち着いたのか、子育ても終わった人たちが多く、子供は外へ出て行ってしまう。 昭和49年に開校した藤岡小学校は、当時各学年3クラス/50名弱の人数が、現在では各学年1クラスがやっとと大きく子供の数が減少している。 いうまでも無く住民の大半は移住者である。 でも今では立派な藤枝の1地区になっている。 |
以上、15地区の簡単なご紹介ではあるが、藤枝宿を知って頂くには最低限の知識だということで・・・。 |