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建築前の段取り
そして最後の日

6月14日の解体工事開始を目前にして、12日・13日は地元のお祭りがおこなわれました。
例年この日は嫁いでいった姉夫婦が子供達を連れて来て一緒にお祭りを見て、食事をし、泊まっていきいます。家の建て替えが決まって6月初めから解体工事の予定だったのですが、急遽日程を変更してもらってお祭りの次の日から解体に着手してもらうようにお願いしました。
かなり直前に日程変更をお願いしたため、工事関係者には多大なご迷惑をかけてしまったと思われますが、何の文句も言わずに私の申し出を受けてくださった営業宮山さん、段取りに頭を抱えたであろう監督のM城さんを初めとする皆さんにお詫びするとともに心より感謝いたします。
私も子供を連れて久しぶりに実家に宿泊しましたが、襖・障子・布団以外に何も無い部屋の中で、エアコンも撤去したために蒸し暑さに耐えながら寝床につきました。しかしながら、久しぶりの自動車騒音のやかましさと、蒸し暑さと、酒の影響でなかなか寝付くことが出来ませんでした。そんななかで、子供のころから過ごしたこの家の思い出が色々とよみがえってきます。
小学生のころ二階の部屋で友達とウルトラマシン(皆さん知ってます?一部の人にしか通じないだろうな〜)を使って野球の練習をしたりして、一階の店舗に振動を響かせ騒々しさのあまり怒られたこと。中学時代眠い目をこすりながら再開されたばかりのプロ野球ニュースを居間のテレビで見ながら巨人の試合結果に一喜一憂したこと。高校時代に受験のために通っていた塾のノルマのきつさにイライラしながら怒りながら勉強をしていたこと。高校時代、夏の甲子園県予選決勝前日に姉・母と夜遅くまで新聞を切って紙吹雪を準備したこと。(私はスタンドで友達に配りながら一緒に撒きました) ゴルフを始めた当時に居間のカーペットを使ってパットの練習にいそしんだこと。セレモニーホールを使わずに自宅でおこなった祖父母の通夜・密葬など、三十年余りの間におこったことが本当に昨日起きたことのように思い出されました。
あと数日もすると思い出の詰まった店舗兼住宅も形が無くなっていく事を想像すると、自分がやろうとしている新築工事は本当に必要なことなのだろうか、大金を消費させて我が家の金銭的体力を損なっているだけなのではないかと余計なことに思いを巡らせてしまいます。両親が精一杯働いてきたことの証でもあるこの店舗兼住宅を潰すことは、もう人生のゴールに辿り着いたんだよと幕引きを強制しているだけではないのか?住宅ローン返済は楽ではないけれども二人の収入を考慮すれば十分に問題ない範囲と思われますが、それは二人とも健康でこれからの二十数年間を過ごせるという前提にたった話です。私達夫婦と子供の健康、さらには近い将来に避けて通れない両親の病気、私達の勤める会社が倒産しないかなど想定以上のトラブルが万一発生する可能性を考え始めると非常にリスキーなことをしているのだと思えてなりません。家を建てたことのある先輩や叔父さんに話を聞いて、やはり皆100%大丈夫という確証はなくて、”清水の舞台から飛び降りるつもり”だったという言葉が返ってきたことを思い出しました。マリッジブルーならぬ新築ブルー・住宅ローンブルーとでもいうのでしょうか、誰しも通る道なのかもしれません。あー宝くじあたらないかなと思いながら、まんじりともせず最後の夜は明けていったのでした。