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<8> 『 神輿渡御 』について 

 志太平野最古の社とたたえられる延喜式内飽波神社は、御創建は仁徳天皇6年(西暦318年)旧藤枝一円の鎮護の神としてお祭祀りされて以来1682年の古い歴史を誇る神社でございます。

  日頃氏神様(飽波神社)へ、氏子皆様の大勢の方々がご参拝なされておりますが、御例祭の時は、特に御祭神が町内へ御巡幸致され、氏子の安泰と町内の繁栄、地域内の生活の実情をつぶさに御照覧せされ、また、御都合で神社へ御参拝に来れない方々に、間近にて御参拝いただけますようとのことで、往時より大祭年以外の年、神輿渡御神事が斎行されてまいりました。

  本年も『本神輿・社宝』を輿丁(よちょう)と舞姫(まいひめ)により御所車にて、神輿による渡御神事として執り行われます。
  厳粛のうちにも活気溢れる神輿渡御は地域の振興に大きく寄与するとともに、賑やかな郷土の祭りを呼び戻すことになると信じます。郷土藤枝の長い歴史の中に育まれ培われ、祖先以来受け継がれてきた掛け替えのない民族伝統文化である「祭り」を後々まで長く受け継ぎ、伝え継ぎたいものと思います。

  尚、神輿渡御に関係する皆様方には深いご理解をいただき、諸神事がつつがなく斎行されますようご協力のほどよろしくお願い致します。

<本文 : 飽波神社社務所発行>

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 ☆平成14年度 飽波神社例祭

神輿渡御 昨年は21世紀初めの「大祭」とあってそれなりの盛り上がりを見せたお祭りでしたが、本年は例祭。 それも大祭の翌年とあって、何処となく静かなお祭りでしたねぇ〜(^^;

 10/4、5、6の三日間、4日は前夜祭、5日土曜日には露店も出て各地区の青年衆が担ぎ神輿を繰り出し、旧街道を左車〜栄まで練り歩き、飽波神社前ではそれなりに盛り上がり、祭り気分を高め演出していました。


浦安の舞 6日の日曜日はメインイベントの「神輿渡御」。 朝、8:40に神社を出発した行列は本年は「西廻り」の順路。 『 岡出山小坂木町千歳長楽寺五十海市部左車下伝馬白子飽波神社 』の順に旧藤枝を渡御。
 途中、昼食前の「栄区」と、16:00過ぎの「左車」の御旅所で「浦安の舞」を奉納。 出発して最初の御旅所の木町区「月見里(やまなし)神社」で大ハプニング発生!!(◎o◎)


神輿が倒れて「バキッ・・」 なんと、休憩に入った神輿を載せた御所車が後方に転倒!!!(>_<) ものすごい物音に皆が驚き、神輿の飾りも吹っ飛び、後方に立てかけてあった「高張提灯」の竿も見事に折れてしまう始末!!(T_T) でもどうにか神輿は無事、引き続き渡行を続けることが出来ました。

  毎度のことですが、「武者」に扮するチビッコ軍団(幼稚園年長OR小学一年生)達は朝の内こそ、鎧兜に刀を差して、槍を手にする出で立ちに満悦そうに行列するのですが、昼食も終えて、道中も半ばに差し掛かる頃には疲労の色は濃く、兜を脱ぎ、槍は付き添いのお母さんの手に、やがては完走むなしく途中リタイアといった絵が見て取れます。。 まぁ、丸々一日、歩いての行列、無理も無いですがネ。。。
若?武者
 さて、来年は順路を逆にした「東廻り」の渡御です。 そして再来年にはまたまた大祭がやって来るわけです。 3年という周期は長過ぎも無く、短か過ぎも無く程よい感じですが、3年に一度となるとやはり人生で巡ってくる機会も少なく、そして時の過ぎる速さをも実感するのですなぁ〜 かく言う私も次回の大祭には「中老」と呼べる年齢に達する訳で、なんだか複雑な感じです。。。

 神社の方は露店の数こそ昔(20年ほど前)に比べてかなり少ないものの、それなりに人出もあり、祭りと呼べる雰囲気はありました。。。 でも、昔を知る我々にしてみれば「さびしいなぁ・・・」という感は否めません。飽波神社と出店
 昔は夜打ちの花火も上がり、見世物小屋や射的、輪投げなどの遊戯的露店も多く出店して、祭りの夜はごった返していましたが、現在ではすれ違う人ともぶつかるような混雑はほとんど無く、「寂しい」という印象が一番に出てしまうお祭りになっています。。。
 世の中、「娯楽」に満たされ、「祭り」に集う人々が少ないのと、高齢化・小子化社会の影響が色濃く出ているのでしょう。


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