男声合唱の夕べ(5)(多田武彦作品③)
男声合唱の夕べ 目次 (1)愛唱歌より その1からその7 (2)多田武彦作品① その1、その2、その3 (3)多田武彦作品② その4、その5 (4)静大グリークラブの思い出、なまずの孫のこと (5)多田武彦作品③ その6、その7、その8 (6)多田武彦作品④ その9、その10、その11 |
多田武彦作品③ その6 吹雪の街を その7 雪明りの路 その8 中勘助の詩から |
伊藤 整 作詩 | |
Ⅰ 忍路 谷にそうて 僕たちは雪を蹴立てて 次ぎつぎにジャンピングストップした。 そして目の下に また暑い八月には 紺の海を小舟に帆を張って まっしぐらに 静かな 忍路の湾へのり入れた。 月夜にはよく足駄がけで歩いて通った。 忍路は蘭島から峠を越したところ 僕の村からも帆走出来るところ そこに頬のあはい まなざしの佳い人があって 浜風のなでしこのやうであったが |
Ⅱ また月夜 この月のひかりの中なら どこまでも知らずに歩いて行くだらう。 ああ私の手や長い草に 燐のやうに反射してゐるやはらかい光 私ひとりではないやうな あんまり美しいので 手にとって見てゐたいひかり こんな月のひかりの中で逢ったら 彼女はなんにも言はないで 私についてくるだろう。 二人が嘘をついてゐたことがよくわかるだらう。 |
Ⅲ 夏になれば 夏になれば みな浴衣で涼み 川すぢの祭には 華やかな灯がつく あそこの家にゐて なにか寂しいときも 夜ねいる蒲団の襟にも お使にあの坂路を下るときも あなた自らさへ 気づかずにつくる いつも鳩のやうに胸ふくらませて たまさか街で逢へば あの素直な美しさを 生涯失はないやうに。 私はそれのみのために 嫁ぐ日になっても 母となってまでもの あなたを 心から祝福しよう。 街では誰もありがちな事だが この世を私もしんじるために あなたの笑顔にだけは不幸がうつらないやうに。 |
Ⅳ 秋の恋びと 木の葉はおしなべて散ってしまった。 秋はいたる所に つめたい異人の瞳を覗かしてゐる。 瓜ざね顔の まつげの黒い もの言はぬ恋びとよ お前はかずかずの思ひを燃やして
毎日 だまって 私と人知れぬ目を交わす約束を忘れはしないが ああお前はその白い手を 秋はすっかり木の葉を落として 明日にも冬が海を鳴らしてやって来るだらうに お前はその思ひを |
Ⅴ 夜の霰 夜目にしろく糸のやうに降りつむ霰 屋根に跳ね木々に触れ さうして凍った道に目立って ああさあっと林に吹き入っては鳴り 障子にあかあかと燃え立って映る 炉ばたの大きい肩と藁仕事。 その藁を打つ音打つ音を消し 屋根を叩いて あゝ夜目に白く煙って。
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Ⅵ 吹雪の街を
歩いて来たよ吹雪の街を 言い出さねば それで忘れたのだと思ってゐるのか ゆかりも無かったといへば 今更泣いても見たいのか。 あゝ今宵吹雪が灯にみだれる街 女心のあやしさ いつかは妻となり母となるべき身だのに いづれ別れる若い日なのに さりげなく言ってみないか。 その美しい日に思ったことを そのまなざしで思ったことを あゝ譬へよもなく慕はしかった あゝ吹雪はまつ毛の涙となる。
私はいつまでも覚えてゐるのに
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その7 雪明りの路
伊藤 整 作詩 | |
Ⅰ 春を待つ ふんわりと雪の積った山かげから 冬空がきれいに晴れ渡っている うっすら寒く日が暖かい 日向ぼっこするまつ毛の先に ぽっと春の日の夢が咲く しみじみと日の暖かさは身にしむけれど ま白い雪の山越えて 春の来るのはまだ遠い |
Ⅱ 梅ちゃん 梅ちゃんの家が焼けた ぼくと遊んだ頃の 婆さんは死に 爺さんひとりいる藁家で 春の雪どけの晩 爺さんが酒を飲んで火をだした 火を吹いて吹いて あの藁家が崩れた 春になって草がまっ青にのびた頃にも 焼けあとには黒い掘立杭が立っていた ぼくが十八の春 梅ちゃんは小樽のげいしゃ あの藁家は燃えちまったよ |
Ⅲ 月夜を歩く 泣きやんだあとの様に 月が白い輪をもった夜更けて 私はひとり忍路(おしょろ)の街を通りぬける 切通しをのぼりきれば 海の見える さびれた家並みがある 海は湾の内に死んで 灰色の背をみせ 家々は寝しづまってゐる そとによ夜どほし立ってゐる桐の木の花が 甘く 鋭く匂ってゐる 私は いくつも いくつも 塩風で白くなった板戸の前をすぎて わるいことをするやうに 下駄の音をしのばせてそこを通りぬけた あゝ 何のための 遠い夜道だったらう いたどりの多い忍路から出る坂道で 誰も知るまいと 私は白い月を顔にあびて微笑んでみたのだ |
Ⅳ 白い障子 風がひと吹きすぎさると ざあっと 豆を撒いたやうに雨が屋根をたゝく すゝで赤くなった室(へや)には 障子が立てられ みんなは暖い夕食の箸をとる 秋が来たので 白い障子の立てられた中で |
Ⅴ 夜まはり 夜まはり夜まはり 毎晩月夜に歩きまはるので 爺さんの目は赤くただれてしまった からん からん 人はふかく寝込み 夜はたいへん更けて 悩ましい夢が巷にただよってゐる からん からん 家の角は白くけぶって 人の知らない月影がある 黒い装束に顔の大きな 爺さんの目は赤くたゞれてをった |
Ⅵ 雪夜 あゝ 雪のあらしだ 家々はその中に盲目になり 身を伏せて 埋もれてゐる この恐ろしい夜でも そっと窓の雪を叩いて外を覗いてごらん あの吹雪が 木々に唸って 狂って 一しきり去った後を 気づかれない様に覗いてごらん 雪明りだよ 案外に明るくて もう道なんか無くなってゐるが しづかな青い雪明りだよ |
その8 中勘助の詩から
中 勘助 作詩 | |
Ⅰ 絵日傘 とほりすがりのからかさ屋 軒につるした傘の 渋の匂が気に入って 子供の絵日傘かってきた みいちゃんよっちゃんいらっしゃい 絵日傘さして遊びましょう ぱっと開けば麻の葉に 黄色い雲や赤い雲 ところどころの櫛形は 源氏香といふもんよ さしてまわせば朝陰の 風も涼しいかざ車 横にまわせばくるくると 淀の川瀬の水車 おててつないで歌うとて うちのお庭で遊びましょ |
Ⅱ 椿 わしがとこから五ちょべえくれば 音に名だかい久兵衛さんの椿 まはり六尺背は二十二尺 枝もさかえりゃ葉もしげる しげる葉陰にさかりの花が 二百三百しん紅に咲いて 落ちたその実が目笊に五百 安いときでも一両二分にゃなるとさ |
Ⅲ 四十雀 白いほをしてたずねてきたは どこのこがらか四十雀か ちいくる びいくる ちいくる びい 松にうもれたこのわが宿に ぬしと住もれや千代までに ちいくる びいくる ちいくる びい まつの葉のよにこんこまやかに ふたりすもやれ千代までに ちいくる びいくる ちいくる びい |
Ⅳ ほほじろの声 ほほじろの声きけば 山里ぞなつかしき 遠き昔になりぬ ひとり湖のほとりにさすらひて この鳥の歌を聞きしとき ああひとりなりき ひとりなり ひとりにてあらまし とこしえにひとりなるこそよけれ 風ふきて松の花けぶるわが庵に 頬白の歌をききつつ いざやわれはまどろまん ひとりにて |
Ⅴ かもめ ゆりかもめ 鴎の脚はなぜ紅い あなかしこ ほそら姿がかはいとて 都乙女がくちつけた ゆりかもめ 鴎の脚はなぜ紅い あなかしこ 都乙女に逢ひにいて つい紅皿につまづいた |
Ⅵ ふり売り 鯖よしかね かん鯛安いよ 帰りくる 海べのそばぢ すれちがふ 賤(しず)の女が 肩なる籠に はねるいろくづ かははぎ かさご かん鯛 ぶだい いさぎよき 魚のかずかず 宿六が けふの海さち 山かげに姿はきえて 潮風に のこるよびごゑ さばよしかね かん鯛安いよ |
Ⅶ 追羽根 五月の病気このかた引き籠ってた姉もこの頃は 不自由ながら家の中の用が足せるやうになった で、いよいよ足ならしに外に出ることになり 第一日は筋向ふのお稲荷さんへお詣りと話が決まった 姉は附き添ひに○○さんをつれてでかけた すぐ戻るといったのが思ひのほか暇がかかるので どうかと気づかってるところへベルがなった 急いで玄関に出迎える ××さんがあけた格子から競技に勝った子供みたいに 得意にはひりながら、境内をまわってきた といふ 上出来だ 後につづいた○○さんが これをみやげにと 手にもった羽根を少しあげる やうにして私にみせた 露店で買ってきたのだ いち夜あければ初春の 夢を追羽子いたしましょ 羽子板もって紅つけて ひとりきなきなふたりきな ふるや振袖裾模様 帯は金襴たてやの字 黒のぽっくり鈴ちろり 見にもきなきなよってきな 丸いむくろじ白い羽根 蘂のすが絲青や赤 それ花のよに実のやうに ちょんとつかれて空高く あがるとすれどくるくると つちにひかれて舞ひおつる 乙女の夢の追羽子を 吹きてちらすな春の風 |