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雑記帳「風土病は何処へ」 自宅からバス停がある広い通りまで、歩いて5分ほどである。それだけの距離の間に乳がん手術体験者が私を含めて7人いたことがあった。 最近、いつもとおる道路が工事中のため、久しぶりに別の道をとおった。過去を思い出すため通りたくない道路だ。 自宅を出てすぐに、「ここにあった美容院の人もそうだったな。手術を受けた側の腕をいつも曲げていたっけ」と思い出した。いつの間にか店を閉め、どこかへ越していった。 しばらく行くと、スーパーマーケットがあった建物がある。そこの奥さんも手術を受けたと聞いていた。いつも悩みをかかえている風だった。このお店も今は閉鎖している。 そこの前をとおって、広い通りをわたるとガソリンスタンドがあった。そこの奥さんも手術を受け、のちに亡くなってる。本物だったのだろう。脳へ転移した時、ご主人から様子をきいたことがある。このスタンドも今はない。スタンドの後方にも乳がん手術を受けた人がいるときいている。 広い通り沿いに少し歩くと別のガソリンスタンドがある。そこの奥さんも乳がん手術体験者だ。 そのスタンドの向かい側にコンビニがある。そこの奥さんも乳がん手術体験者だ。このコンビニの先にかつての清水市立病院(現静岡市立清水病院)がある。 まさしく乳がんは清水の風土病だった。ところが会設立後、誰かが乳がん手術を受けたという話は1件も入ってきていない。風土病の蔓延をくい止めたことはあきらかだろう。 被害者が声を上げることなく、乳がんが風土病として蔓延し続けていたら…と考えると空恐ろしくなる。風土病はなんだったのだろう。どこへいったのだろう。素朴な疑問だ。 あきらかなのは後遺症に苦しむ被害者の存在だ。 2008年4月6日 竹下勇子 *参考資料:清水市立病院の手術件数(平成12年度版、平成4・11年度版)
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