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 「小坂医師は何処へ」

 読者から問い合わせがあったので、「小坂医師は何処へ」と題し、経緯を書くことにする。

 小坂医師は1978年に清水市立病院(現静岡市立清水病院)へ着任した当時から、なぜか「乳がんの名医」と言われていた。その後、外科医長、外科科長、副院長と出世していったが、この間、乳がん手術件数は増え続け、病院の赤字は劇的に減少していった。これが、病院職員の間で「乳がんは清水の風土病」と言われるようになった源であったと思う。

 しかし、小坂医師は副院長として権勢をふるっていた最中の1999年にマスコミに取り上げられたこともあって、当時の宮城島市長が直々に調査した結果、検査づけの実態が把握され、事実上馘首されたと議員からきいている。

 病院職員の噂話から、4月からの就職内定先の病院を知り確認の電話を入れた。千葉県船橋市にあるセコメディック病院である。その後、こちらからの情報だけでなく独自調査の結果、内定取消しとなったときいている。外科部長として着任直前だった。

 その後についてはネット検索で、室戸中央病院(高知県)、河北リハビリテーション病院(東京都)、伊豆韮山温泉病院(静岡県)と、清水病院で20年以上「乳がんの名医」として君臨していた小坂医師が、乳がん手術とは無縁と思われるリハビリを専門とする病院に勤務し、2年半の間に高知県室戸市→東京都杉並区→静岡県伊豆の国市と勤務地を転々としていたことを知って驚いた。

 八王子北部病院(東京都)には3年前から院長として雇用されていた。しかし、今年(2008年)2月に退職したと知り合いから情報が入った。職員とのトラブルが背景になっていたらしい。そのあとのことはわからない。

 院長として勤務していた伊豆韮山温泉病院と八王子北部病院の職員からは、このホームページをみて相談(乳がん手術とは関係ない内容)が寄せられたことがあった。

 清水病院は2000年に小坂医師がいなくなったことで“過去と決別“したと思い込んでいると思うが、乳がんが風土病だったことを病院も患者も決して風化させるべきではないと思う。

 風土病の発生源も消滅源も解明されずミステリーのままでいいのだろうか。
 外科病棟が乳がん手術患者であふれていたことは悪い夢で終わっていいのだろうか。

 過去と決別ではなく、過去を総括してきちんと反省しない限り、医療被害はなくならない。小坂医師がいなくなってからも、直腸がん手術で失血死(2001年2月)など、当会が把握しているだけでも6件もの医療被害がおきている。
                                   2008年5月16日 竹下勇子


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