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「会設立10年」           
会設立10年

 3月27日に近藤誠先生(慶應病院放射線科医)と米本和広さん(ルポライター)をお招きし、会設立10年を記念しての食事会を静岡市清水区で開きました。事故一覧に掲載しているAさん、Cさん夫妻、Eさん夫妻、Fさん、Hさん、Pさんと、静岡病院被害者のNさんが出席し、近況報告を交わしました。

 開会のあいさつでは会設立までの苦労話が出ましたが、会を立ち上げたことによって、何かあればいつでも被害者たちが行動を起こすことができること、仲間がいることで精神的な支えがとても大きいことが異口同音に出、お互いにとても心強いきずなを感じることができました。

 病院職員からは、「会ができて、がん患者が来なくなった」という何とも興味深いコメントと、「何かあったら会を紹介することができる。相談できる」と、これまた心強いコメントが寄せられ、会の存在意義を再認識させられました。

 近藤先生は竹下裁判に触れ、足利事件同様、両事件は、DNAが一致していないのに、裁判で一致していることにさせられてしまった点で共通していると話されました。提訴した段階(1996年)で、市側がDNA鑑定に詳しい高芝弁護士に代理人を依頼したことがすべてを物語っている。小坂医師が依頼したとは考え難いというご意見を話されました。

 高芝弁護士は、「ヒトゲノム解析研究に関する共通指針(案)検討委員会」19名のうち弁護士としてただ一人、「戦没者遺骨のDNA鑑定連絡会議メンバー」7人のうち弁護士としてただ一人選任されています。

 市側は、裁判を起こされれば、DNA鑑定が争点となることを見込んで鉄壁の守りを準備したと解釈できます。

 会を立ち上げる前は清水全体が異様な雰囲気になるくらい乳がん検診がお祭り騒ぎのように叫ばれ、そこらじゅう乳がん患者だらけだったのが、最近では乳がんはどこへ行ってしまったのかというくらい、「乳がん」という言葉さえ耳にすることはなくなりました。会を立ち上げて一番の成果は小坂医師を追放できたことだと思っています。もし、立ち上げていなければ清水じゅうの女性が切られていたと思います。

 しかし、市側勝訴で竹下裁判が終わり、市側が小坂医師の問題をうやむやで終わらせているため、私の中にも近藤先生と同じ疑問が残っています。そこに事件を解明する鍵が隠されていると思うからです。

 食事会に出席した人たちは、同じように病院で苦しみ、弁護士との関係で苦しみ、裁判で苦しい思いをしてきた人たちばかりです。今は後遺症をかかえていたり、介護生活をしていたりですが、長い年月、集いを重ねてきたことで、お互いに何でも話し合え理解しあえるいい仲間です。

 同じ病院の被害者たちが一堂に会するということはすごいことだなと集うたびにいつも思いますが、10年の節目に、また、あらためて思いました。

 近藤先生は「医療問題関係ではいろんな市民団体の会と関わってきたが、この会のように被害者が中心になっている会は方向性がぶれなくていい」とおっしゃって下さいました。

 これからも被害者の存在を原動力に活動を継続していこうと思います。


                           2010年4月8日      竹下勇子

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