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『あなたの癌は、がんもどき』(近藤誠著・梧桐書院)(以下、『がんもどき本』と表記)1刷と、2刷以降とで違う記述について


 私の裁判のポイントは、裁判になってから病院側が提出してきた私のものだとする癌の標本以外に癌の所見が無かったため、標本が本当に私のものだったのかどうか、標本のDNA鑑定結果の評価にかかっていました。

 鑑定結果は、私は日本人に特徴的な塩基配列と一致していたのに対して、標本は一致していませんでした。つまり、病院が提出した癌の標本は私のものではなかった。そこで、別人の標本だから、私は癌ではなかったと主張してきました。それなのに、『がんもどき本』1刷で、裁判での主張があっさりと覆されてしまいました。

 昨年12月に発刊を紹介し、推薦図書として掲載してきた本ですが、私の裁判に関わる重要な箇所で、1刷と2刷以降とで近藤先生が表現を替えている箇所があります。


1刷40ページ1行目から2行目
<しかも標本中のDNA配列は、日本人に特徴的な配列(数タイプある)のうちの一つと一致していたのです>

2・3・4刷40ページ1行目から2行目
<しかも標本中のDNA配列は、に特徴的な配列(数タイプある)のうちの一つと一致していたのです>


 1刷は、明らかに事実と異なり、12年間の裁判は水泡に帰してしまいます。
 私のDNAは日本人に特徴的な配列と一致していた、標本中のDNAは私のDNAのみならず、日本人に特徴的な配列とも一致していなかった。だから、別人の標本だ―――というのが裁判の一番重要な主張でした。

 ですから、
<標本中のDNA配列は、日本人に特徴的な配列と一致していなかった
と、書くべきでした。

 2刷以降は、「日本人」を「人」と書き替えたことによって、標本も私も「人」に含まれるため、とても曖昧な表現になり、別人の標本だと言い切れなくなります。また、「別人の標本だ」と裁判で主張してきたことを前提にすると、標本が人に特徴的な配列と一致していたとなれば、論理的には私は人に特徴的な配列と一致していなかったということになり、私は人ではないことになってしまいます。

 1刷しか知らなかった私は、近藤先生と出版社に訂正を求めてきました。その過程の中で、「日本人」を「人」に替えて2刷が出ていたことを私が知ったのは、今年(2011年)7月でした。しかも、1刷から1ヵ月半後に2刷が出、4刷まで出ていることを知ったのは今年9月でした。

 出版社から10月11日付郵便で、訂正の申し出に応えられないとの回答がきましたので、問題の箇所は2刷以降のまま(「日本人」を「人」)となりました。
 1刷のままであれば、「事実と違う、間違いだ」と主張し、訂正を求め続けることができたのですが、2刷以降、もう何も言えなくなってしまいました。

 以下、近藤先生と出版社に訂正を求めてきた経緯を記します。


近藤先生へ訂正願い
1回目:出版前、近藤先生に頼まれて原稿をチェックしました。そこで問題の箇所に訂正を入れました。(2010年6月28日)

2回目:手紙で訂正願い(2010年12月3日)
出版された本が訂正されていないことを知り、出版直後に重版の際の訂正を手紙で申し入れました。しかし、近藤先生から訂正するには説明に数ページ必要だから訂正できないと言われてあきらめていましたが、事実と違う記述に重い気持ちをずっと引きずっていました。

3回目:手紙で訂正願い(2011年8月13日)
7月、近藤先生の患者さんである渡辺容子さんが私の裁判に関心をもち、彼女のブログに『がんもどき本』の私の裁判に関する部分を転載し、問題の箇所に「注」を入れて掲載しました。その後、彼女が外来受診の際に、近藤先生に原稿チェックを訂正しないで本にした理由を尋ねました。

 その際の近藤先生の回答を渡辺さんからメールで知らされました。 
(1)2刷を出した時に、「日本人」を「人」に替えた。その時に、竹下さんには電話して、了承してもらったはずである。
(2) もともと原稿でみてもらった時は何も言われずに、本になってから言われた。
 
 近藤先生の回答に驚きました。(1)(2)とも「いいえ」だからです。
 2刷が出ていたことも、「日本人」を「人」に替えたことも、この時に初めて知ったことなので、電話での了承はなかった話だし、本になってから言ったのではなく、原稿チェック時にチェックを入れていたので、以上のことを手紙に書いて、あらためて訂正をお願いしました。

4回目:手紙で訂正・削除・説明願い(2011年8月19日)
3回目の訂正願いの手紙をお読みになって、近藤先生から電話をいただきました。
私のDNAが日本人に特徴的な配列だったのは当たり前だから書かなかった。あれでいいんだ、ロジックだと言われました。
 それで、あらためて事実に沿った訂正のお願い、訂正できなければ私に関する記述すべての削除のお願い、このままでいいのであれば、私にわかるような説明を文書でとお願いし、1週間以内にお返事が届かなければ出版社へ削除願いを出しますと手紙で伝えました。

出版社へ削除願い(2011年9月1日)
 近藤先生からのお返事を1週間待ちましたが、お返事をいただくことができなかったため、今までのいきさつをまとめ、問題箇所を含めて3行の削除願いの手紙を出版社へ配達証明郵便で出しました。

出版社から手紙で回答(2011年10月11日)
 回答本文のみ抜粋し引用します。
 <本書の担当編集者に、他社へ移り在籍していませんが、この件で近藤先生に問い合わせたところ「間違いは書いていない」との先生のご返事を承った由。弊社としては、本文の訂正はあくまでも著作者の承諾を得てのことであり、今般のお申し出にはお応えできません。何卒悪しからずご理解下さい。>


まとめ
 以上が、『がんもどき本』1刷に書かれた事実と違う箇所について近藤先生と出版社に訂正を求めてきた経緯です。

 近藤先生は、私には訂正できないとおっしゃりながら、私に連絡することなく1ヵ月半後に出た2刷で「日本人」を「人」に替えていたのです。
 表現を替えたことによって、近藤先生は間違いの指摘から逃れることができ、私は間違いだと言い切れなくなりましたが、裁判の主張とは明らかに異なっています。
 今は、とても重苦しい気分でいます。

 『がんもどき本』には私だけが実名で書かれています。繰り返しになりますが、問題の箇所を私の裁判の主張に沿って書くならば、
<標本中のDNA配列は、日本人に特徴的な配列と一致していませんでした
です。

 1刷を訂正するにしても、数行を要するようなことではなく、「日本人」を「人」に替えることでもなく、事実に即して<一致していた>を<一致していなかった>と替えるだけで済むことです。
 たったこれだけのことなのに、どうして近藤先生が事実に即した訂正に応じられなかったのか不思議でなりません。

 事実を知っていただきたいために、『がんもどき本』1刷の私の裁判に関する事実と違う記述箇所について訂正を求めてきた経緯を掲載することにしました。

 今回のできごとはとても残念なことでしたが、このことで、近藤先生の業績を否定するものでは決してありませんし、長年の裁判へのご協力に対する感謝の気持が変わるものでもありません。事実と違う一文の訂正についての対応のみを問題にしています。
 一つの問題からすべても問題のように受け止められることのないよう願っています。



                               
                               2011年10月28日 竹下勇子



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