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雑記帳「あれから20年」 右胸に手で触れる小豆大のしこりを気にして清水病院の小坂医師を初めて受診したのが1991年12月26日。翌27日は生検。28日に癌告知。あれから20年経ちました。 小坂医師は27日の朝、生検のために私のしこりを採る手術をした後、手術着を着替えて、迅速標本を持って、清水病院からタクシーで静岡駅へ行き、静岡駅から新幹線で浜松駅へ行き、浜松駅からタクシーで浜松医科大の喜納教授(世界的権威の病理医)のところへアポなしで突然行って、迅速標本を診断してもらい「癌」と診断されたから「癌」だったと裁判になってから主張しました。 裁判所はその主張を「筋が通っている」と認定。私のDNAと一致しなかった癌標本を私のものだと認定したことももちろん腑に落ちず、初診から20年経って、乳癌手術も裁判も、「あれらは何だったんだろう」という気持です。 生活の変化はあっても20年間変わらないのは後遺症のきつさです。かつては、朝起きたら元通りの身体になっているのでは…と、夢と現実を行き来していたこともありましたが、期待は消えました。 手術後に投与された抗癌剤で劇症的に発症した直腸炎は、その後、毎年、季節の変わり目に出現し、3年前には直腸炎型潰瘍性大腸炎と診断されました。今秋は治療で処方されていた坐薬で今までに経験したことがないひどい状態になりました。薬で発症し、薬でひどくなったことから、薬で症状を改善しようという考えをやめました。これも私の人生、60年生きてきたんだから直腸の炎症がひどくなっても、あとはおまけの人生だと思ったら、とても気が楽になりました。 薬をやめて私が選んだのは鍼治療でした。まだ始めたばかりですが、炎症に負けない腸になるように鍼治療を気長に続けていこうと思っています。 きつい後遺症に苦しんでいるために20年前のことを忘れることはできません。清水病院については「あのようなこと(乳癌風土病説と下手な手術)がどうしてまかり通っていたんだろう」、裁判所の判断については「あれは何だったんだろう」という思いにいつも駆られるのです。 2011年12月22日 竹下勇子
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