鈴木繁男の目
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鈴木繁男は生前、地元(磐田市)のタウン誌「ぱんぷきん」に無方人の筆名で、身近に見られる工芸についての所感を5年間ほど続けてきました。短いコラムながら、推敲された言葉によって一遍一遍工芸論として、その素晴らしい慧眼知らされます。 このたび旧ぱんぷきん編集長の村田さんのご好意により、遠州民芸協会に記事の転載をさせていただけることになりました。約50編ありますので、掲載をお楽しみ頂ければと思います。 |
葛布のこと 日本には古くから天然の繊維を用いて、とても美しい織物を作った歴史があります。 絹や木綿はもとより麻や藤布、沖縄の芭蕉布など、その中で葛の勅皮で織った「葛布」があります。 日本の非常に古い書物にも、もう名前がでてまいります。江戸時代には遠州「掛川」がその産地として有名でした。 「蹴鞠」裳束として使われたり、江戸時代に入ると「裃」や「袴」に用いられたり、また一般庶民の日常の用として夏のかたびらや婦人の帯などにも使われました。夏座布団にはとても好適で、襖地として最高です。戦前までは壁紙として海外に輸出されたものでした。 5、6月初夏に野性の葛からつるを採集し、外皮と木質部を発酵させて勅皮をとり、「緒」として清冽な川水でさらし、緒を針で細く裂き、この糸をつむいだ上「つぐり」という巻緒にして準備します。「針裂葛布」といって、葛糸が細い程珍重されました。 縦糸に絹か木綿を機にかけ、横手だけ葛糸で織り上げます。 何といっても葛布の特色は、この天然の繊維がもっているおだやかな光でありましょう。かくされた気品ある布として、心ある日本人に貴ばれたものでした。 惜しいかな今は産業としては恵まれませんが、「茶境」にある布として、いつまでも人の心に惜愛をさそうものでしょう。遠州の人はこのことを忘れてはなりません。 1984年4月掲載 |
イギリスの種 古くから伝わる英国の焼物にスリップウエアーといって、手法の名前が焼物そのものになってしまった一群の雑器があります。 濃い黒褐色の地に、白い泥で流描(ながしがき)をして黄色の上グスリをかけた焼物ですが、主にオオブン用のなべだとか、水注ぎようの物が作られました。 なんといってもこの焼物のよさは、その流描の模様にあるのでしょう。 デコレーションケーキを作って、その上にクリームのしぼり描をして飾りますが、ちょうどあれと同じように泥で器物の上に独特の模様をつけると考えればよいのです。平行線や波紋や動物や年号などを流し描きして、生活を楽しんだものでしょう。 日本にも同じやりかたが江戸時代から発達していました。兵庫県の丹波という窯場ではあたり前のように行われていました。 面白いのは、英国人にとってはあまりにもあたり前で、何のことでもないので、ごく一部の人達以外にはその素晴しさに気が付きませんでしたが、それを強く見つけ出したのは日本人でした。今では代表的な英国の焼物として世界の人々の認めるところとなりました。 先日、磐田の匂坂美恵子さんも同じあこがれをもって英国のセントアイビスという窯場を訪ねました。その見てきた一つの答えがこのビール呑みとして現れました。日本の風土に育つか否かは別として素直にご紹介します。 1986年1月掲載 |
えびす様と大黒様 この一対の神様は、昔から私達に幸せを授けて下さる福の神として信仰されてきました。 神話の中で、大黒様は出雲大社に祭られている大國主で、白兎を助けてくれた神様だと教わってきましたが、えびす様は誰なのか聞いたことがありません。 只大黒様は農業の神様で、えびす様は漁業の神様だ位は知っていますが。 神様のことをあまり知り過ぎるとバチが当たります。神話の中にいてくれた方が有難いのです。出来れば象徴の中にいてくれた方が尚さら有難いのです。佛教ではその教えを圓相と云って○に、キリスト教では十字に象徴として表しています。 えびす様と大黒様が如何に福の神であっても、お金をもうけてニタリと笑っているなまなましい像がありますが、あんないやなものは神様ではありません。 そこにゆくと写真の二つの木彫りの像は、とても表徴的です。 これは日本海側の北国の一体で作られたものらしく、長い間神棚に祭られていたせいか眞黒です。が、出来たては木の香りの匂う、まっさらなもので、えびす様にはちゃんとつり竿をさしたあとがあります。年末から年始にかけて沢山作られたもので、単純な表現の中に庶民の素朴な信仰が現れています。 木喰佛や円空佛の木彫像の祖に当るか、孫に当るか、とにかくその類系の美を感じさせるものです。 1987年12月掲載 |
バスケット 先日中国の旅行から帰った友人からもらったものですが、中々美しいので、掲載してもらうことにしました。この頃は中国から輸入される雑貨で心引かれるものがあります。これもその一つかもしれません。 「物入れ」というものは身近において便利なもので、さしずめ消しゴムの端だとか、チビた鉛筆だとか、紐の残りだとか、ケチの代表みたいなものだけでなく、宝石箱のようなものに縁のない人間でも、自分だけの心のかようものを入れておくのは楽しいものです。 昔から世界中で色々な気易い物入れが作られました。材料は木や竹、植物の蔓や繊維など、金属や石など様々で、技術も又様々です。装飾にも特色があって、それがその民族の文化のバロメーターとさえ言われています。 けれども贅沢なもの必ずしも上等なものでなく、気取らない、あたり前のものの方が、かえって親しみがあって、本当のことを語っています。自然の材料を素直に活かして作ったものには、たくまない深い美しさが出てまいります。竹細工や藤細工のよいものを見るとしみじみとその事を感じます。 このバスケットは、「とおもろこし」の実の内皮を紐状のものに巻きつけて、竹の皮で編んであるだけですが、色が美しく、竹の皮の編み方が模様になっていて、ちょうどアメリカインディアンのバスケットの美しさと同じものがあいます。 1984年11月掲載 |
野球のボール 珍しいとゆうことは誰でも心引かれますが、美しいとゆうこととは少し違います。程度の問題ですが、よいものはいつまでたっても飽きがこない。 Tシャツにわけのわからない印を刷りこんで、町を歩いている娘さんに、ある西洋人が、「あなたはこの印のわけがわかりますか」と聞かれて返事ができなくて困ったとゆう話がありますが、私はこの話を聞いて、とんだ気のきかぬ西洋人めがと思います。日本人は今一生懸命西洋人のまねをして、西洋人を勉強しているんだと思えばいゝので気にかけることはないのですが、度が過ぎて、外国の植民地の人のようになってしまっては困ります。 日本には昔から長い間かゝって積み上げてきた、日本人としての物にたいする感じかたとゆうものがあります。近頃ではそれを忘れてしまった人もいますが、日本人がいゝなと感じた所には何かがあります。日本人はそれを見つけるのがとてもうまいのです。決して古い物だけがよいのではありません。日本に新しい時代がきて、一と昔前ですと、とうてい見られなかった物が、沢山できてまいりました。 一番身近で、誰でも親しみがあるものゝ一つの例として硬式野球のボールを見てみましょう。「用の美」の原則がよくわかります。この縫い目から微妙な投球が出るのでしょう。美しいものです。 1986年10月掲載 |
東西のカラカラ こゝに出した二つのカラカラは、十字形をしたのが、日本の然かも遠州の小笠郡平田村でつい三十年ほど前まで作り続けられたもので、三つ枝に分かれた枝の先に花がついているのが北欧のものです。両方ともあかちゃんをあやす時のおもちゃで、振るとカラカラと音がするのも同じです。 親の愛情の表現は東西共通なんだとしみじみと思います。 遠州の方は竹を十字に組んで、それに麦藁を赤と緑、黄と黒に染めて、秩序よく編みつけています。先の方に稲の穂先のしべが筆のようにつけてあり、かざすとカラカラと鳴って、麦藁の光沢が濃い色に輝いて、大人でもその美しさに眼を引かれます。 とても優れたデザインで、この種のものの中では、世界中の人々から賛美を受けるに違いありません。 一方いま一つのものは、ストックホルムのお土産屋のどの店にでもあるものですが、心に止まって求めてきたものです。 何の草か解りませんが、草の表皮で編んでいます。にぎやかに彩られていて、三つに分かれた枝の先の花の編み方が面白く、素朴なものですが、とても親しみを覚えます。 私達は花や虫を見て美しく感ずると共に、自然の造型の素晴らしさに驚くのですが、人が心をこめて作った物にも美の法則が流れていることを知らされます。 1986年9月掲載 |
吹きガラスの鉢 暑い季節になると、食卓の上で使うガラスの食器の出番が多くなります。 去年買ったコップがいつのまにかこわれて端数になり、買替の時がきても、適当なのが見つからず困ることがあります。こわれ易く、はかない存在の性質のためか、人は他の器にない、気持ちを持つものです。 ガラスの器といっても、ピンからキリまでありますが、近頃では機械製品で見事に行きついたデザインのものが出来ていて、しかも低廉で、使い易いのは有難いことです。使うために忠実に作ったものほどよいのは常識で、あまり趣味的デザインの過剰なのは困ります。写真のものは、先日買ったばかりのもので、漁業に使うガラスの浮球を作る工場の新製品ですが、今時ほとんど手仕事で出来ているのは珍しいことです。 花形のギザギザに無造作に茶色の色ガラスが巻きつけられていて、やわらかな印象を受けます。 この鉢にサラダを盛ってもよく、冷やゝっこか、おそうめんでもよく、使い方が又楽しみです。 夏に使うガラスの器は私達にさゝやかなロマンスを興えてくれます。人は「ユリ」の花にソロモンの募集を見ると云いますが、ガラスの器の洗浄光の中にもそれを見る一瞬とゆうものがあります。又、楽しからずやです。 1987年8月掲載 |
アフリカの人形 世界各国どこに行っても人形があって、それぞれのお国ぶりを見ることができます。 これはアフリカの人形ですが、その抽象化の進んだ造形で世界中の人々から注目を浴びているものです。 写実的でまるで生きているような人形は生々しくて、どうも好きになれません。ところがこれは「しゃもじ」に目鼻とゆう感じで、愛らしく、造形化が深く、プリミティブな生命感があります。 アフリカの造型物は全てこの原始的人間性から溢れ出るもので、現代でも未だ強く、色濃く活きているそうです。 ピカソなどは早くこのことを深く認めて、すでにそれを失ってしまった現代の造型界に復活を試みた人だろうと思います。 私達も東洋の元の心を失いたくないものです。この人形を棚に飾って私は喜んでいますが、これを作って子に興えた親はどんな人だったろうかと想像します。 今は、この人形はアフリカの子供でなく、日本の親を感動させていますが、そこにはグローバルで人種を越えた何物かがあるに違いないのです。 これを遠くからもってきてくれた人の心もふくめて、その引きつけられるものは何かと考える時、「愛」が純粋な造型でなされているからだと見ないわけにいきません。これを「神様」の心だと云い、「佛教」の心だと云い、とりもなおさず「美」と云うのだろうと私は思います。 1987年7月掲載 |
韓国の工芸 身近な友達をさそって、韓国の工芸の見学を試みました。 大阪から釜山について、慶州に二泊、バスで温陽や水原の民俗村を見て、ソウルに二泊の日程でした。 韓国の工芸と云っても、歴史的な作物から現在の産物まで、朝鮮半島で人々が作ったもの全てが工芸品なのであって、なまなかな解説など無用のことです。一人々々が自分の目でしっかり見てくるより他にありません。山を見て川を見て、花を見て鳥を見て、人々の暮らしぶりに接してくる。そしてこの国の風土と歴史が産み出した、あらゆる造型に注目してくるのは楽しみです。 その上で、新旧にかかわらず、その片鱗でもよいから、本物を買い物でも出来たら、この上ない喜びです。 一行の中で「お茶」を勉強している人が多く、買物になかなか活発な反能が出ました。 ご存知のように、「お茶」は使う物のよさをはなれては成り立ちません。韓国の焼物を初めとして昔からの縁の深いものがあります。それは何故かと想い返してみるのも大切です。 写真に出したものは、韓国の子供の食器でした。金属で出来ていますが、形がとてもやわらかで静かな感じです。その他衣食住に使う工芸品の中にも同じ造型の性質が出ているのに心打たれます。 又、訪ねたい想いがしきりにしています。 1986年6月掲載 |
久能のうちわ 静岡の久能の東照宮の宝物殿に見事な団扇が二本あります。家康が使ったものだと伝えられています。 今からざっと四十年も前のことですが、宝物拝観にいって、鎧や兜やその他歴史的な遺品が数々ある中にこの団扇を見付けて、なぜか私は大変驚いてしまったのです。その形の美しさ、作りの見事さ、正にうちわの王様といってよいものです。私は見ているあいだに模写してみたいと思い立ちました。 苦心は執念に近いものでしたが、遂に細工の構造の秘密を見付けた時は嬉しいものでした。約七十数本ぐらい世の物好の手に渡っている筈です。戦後の苦しい時代のことで、私の手元には一本も残っていませんし、過ぎし日の強い記憶だけとなっていました。 ところが偶然にもある人が大事に持っていて下さって、お願いして一本をゆずり受けてまいりました。 宝物殿にある物はとても品格が高く、比較は出来ません。物好きが美しい物を見て、ふるい立ったまでのことですが、文化の伝承とは、こんな所にもあるものです。 恐らくこの団扇は南中国の竹細工の工人の手で作られたものでしょう。一本のうちわからも歴史の伝統の重みを感じます。 史上に出る権力者は文化の利用者かも知れませんが、このうちわを作った工人は人間として明らかな創造を行っています。 1985年5月掲載 |
北国の編物 今でも秋田県や青森県の山村に行けば生活の用具としてなくてはならないものに、「ばんどり」とか「けら」というものがあります。 人は重い物を背にになう場合、背中が痛まぬように色々工夫をこらしてまいりました。 近頃登山をする山男達は軽金属の「しょいこ」を使いますが、雪深い国の真の山男達はそんなシャレタ物は使わないのです。 身近にある樹木の皮だとか、丈夫な草やつる類や海藻などを選んで、様々な労働の為の用具を作り出しました。「ばんどり」は主に男性に、女性には「けら」を、特に「けら」には「だけげら」といって飾りをつけた見事なものがあります。 東北美人がこのだてげらを着て野らで働く姿は、世界中の労働者のファッションとして他にないものだと思われます。 愛する女性の為に山男は想いを編むわざを凝らし、親は子にかつてわかい日の思い出のこもった着物まで裂いて、色どりとして編みこんでいます。ここに出した「ばんどり」は子供のもので、写真が白黒ですから色がわかりませんが、美しい色の組合せでできています。 祖父が孫娘の為に編んだものかもしれません。U字型の所が襟のように前に出て、広い所が背中に当って、紐がついていて、しっかり体に結びつけます。 東北を旅して、こんな風俗に出くわすと、今私達をとりまく生活文化はどうなっているだろうと、胸をつかれる思いがします。 1985年4月掲載 |
韓国の仮面 韓国にはこの国独特の「面」が沢山あります。各地に伝統的な仮面劇が残されていて、とても種類が多いのに驚きます。一つの劇に必ず十五・六種の仮面が使われるのですから、全部数えたら二百八十個にもなるそうです。 特別な「面」を除いてほとんどの「面」は年々作りかえられるもので、祭がすむと全て面は焼き捨てられるのが約束だそうです。作りかえられ作りかえられして、各時代のその時の庶民の面貌が表現され続けるのは面白いことです。 「面」の作りは、古くは木彫ですが、紙張で呉粉仕上げだったり、パガチと云う乾瓢の実を乾かしたものが切りぬかれて使われることが多く、中には藁だとか植物の繊維などで編んだものなどもあります。又、彩色に至っては五彩金銀などその多彩に目を奪われます。 出てくる人物にいたっては、その時代の社会のあらゆる階層、老若男女、想像上の生物や、神や魔が善としても邪としても仮面にその姿を仮りて表現されます。劇中大げさな身ぶりと風刺に富んだセリフが即興的ではありますが、その時代の庶民生活の現実から遊離していない出来事として、巧に上演されるのが特色です。 私達は韓国語のセリフを聞き分けるのは、容易なことではありませんが、例えばパントマイムとしてこの劇を見るとしても、それこそ韓国民俗劇の純粋な造型美が見られるとゆうことです。 ここに紹介した韓国面はどの劇にもよく出てくる「ヨンカム」とゆう仮面です。 1987年4月掲載 |
佐藤富美さんの型絵染 型絵染とは、着物などに染る型染の手法で、和紙にて染て、版画などと同じように染絵として独立したものです。日本の染物の手法は色々な方法がありますが模様や柄を染るのに、型紙を切りぬいて糊置きして染める方法と、もう一つ筒描染とが盛んに使われました。 佐藤さんの染絵はその型染の手法で、着物にする必要もないので、題材がとても自由がききます。 思い切った発送を立てて、驚くほど活発な型紙をほっています。 「仏様の物語り」だとか、「利休百種」だとか、最近は和歌を主題にして連作をしています。 一連の作品を見ますと、型紙を切りぬく上で色々な約束事がありますが、あまり細かなことにこだわらないらしく、大胆に一気にほってゆく所に佐藤さん特有の味が出ています。それが生得のものでしょう。 丁寧に丁寧にと云うことは仕事の上の大切な心構えですが、丁寧にこだわり過ぎると、作物の生命感はどこかに消えてしまうものです。何時でも生得丸出しの所にいるということが大切だと思います。 今はそういう作者がなかなか少ないのです。 遠州でめずらしい人の一人だと云ってよいでしょう。ただし「工芸の道易々と見えて易からず」ということを忘れないで下さい。「磐田戸田書店」で個展があります。皆で見てあげて下さい。 1985年3月掲載 |
沖縄の皿 世界中の何処に行っても、その地方独自の風土を反映した工芸品があるものです。 第二次大戦でたいへんな被害を受けたのは沖縄でした。沖縄は日本列島の南の小さな島ですが、この小さな島が世界中で類のない生活文化を持っていたことが、段々あきらかになってまいりました。文学、演劇、など、工芸に於けるその生活文化には、南海、中国、朝鮮半島の文化を混えた影響を受け、大和文化の基調を強く伝えるものがあります。 私達は、「万葉集」という古歌を伝えていますが沖縄も、「おもろ草紙」という歌集を伝えているのはあまりにも有名です。 現在でも沖縄の地方語の中に、大和の万葉の古語を聞くのはめずらしいことではありません。 そのような沖縄の土着文化は、こんどの第二次大戦で一気に消滅してしまったかに見えるのは実につらいことです。 沖縄には沖縄の王朝文化と云うものがありますが、その反面の庶民文化を見ると、沖縄の人々の感性が最もよく現れたものに織物や染物があります。写真に出した一枚の皿は那覇の町近くの「壺屋」で焼かれた最も庶民的な皿です。南海の陽のにほう風土の大らかな暮らしぶりがしのばれるものです。 一見粗末なこの一枚の皿は、場所や時間をこえて、真実な美しさを感じさせます。*この皿は昭和十四年頃のもの。 1988年2月掲載 |
素焼のホロホロ鳥 これは東南アジアの古い歴史をもつ国「タイ」で現在も作られている子供のおもちゃですが、日本のハニワと同じ低い温度で焼かれた素焼のままで、まだ煙のあとが残っています。 丸っこい胴に首がちこんとついていて、眼玉なんかつけていません。胴の中に土玉が入れてあって、振るとコロコロと素朴な音がします。 ホロホロ鳥の羽根の模様を竹のくしか何かでリズミカルな点で打っています。 目で見たホロホロ鳥とは全く別なものでありながら、ほんとうのホロホロ鳥のいのちといったようなものが出ています。 じっと見ていると、タイの子供の身近にいる小動物への親しみが伝わってくるようです。その他色々な子供に身近な動物達が作られていますが、皆単純でありながらこのホロホロ鳥と同じ性質を持っています。 私達の生活環境は、目まぐるしく変化して、不安な時を過さねばなりませんが、なぜかこの一個のホロホロ鳥の土焼を、掌に乗せて、じっと見ていると、ホッとします。 これはタイの子供の遊び道具ですが、日本人の大人が見ても心を打つのはなぜでしょう。 それは、人間の共通にもつ基盤の上に立った造型だからでしょう。 へたな近代彫刻などの及びもつかない深い所から出てくる表現だからだと思います。 いつまで見ていても見あきないのです。 1985年2月掲載 |
アフリカの絞り布 これは今飢餓に苦しんでいるアフリカ人の染めた絞り布です。糸は手引きの木綿の糸です。せまい布巾(約15p程度)の布を十一巾に縫い合わせて縦4m、巾1m40pの拡い布に出来ています。色は深い天然藍で白ぬきの原始的な幾何絞が絞染の手法で染められています。 ほんとうにダイナミックで絞様で、進んでいると自負している私達の目を覚醒させるだけの力をもっています。 絞り染の手法は古く日本にもありますが、その発生は印度にあるのではないかと言われています。近頃驚いてよい印度の布が次々と紹介されつつあります。 そのような布を見てしみじみと思うことは、私達日本人の衣服文化はどうなろうかと、強い敗北感を感ぜざるを得ません。あまりにも豊富な衣料の氾濫は、かえって衣料の本質を失なわしめているように思われてなりません。この布を作ったアフリカは今飢餓に苦しんでいます。それと同じように日本は生活文化に於ける飢餓に苦しんでいるとみるのも間違いでないと信じます。 「それならどうしたらよいのだ」ときかれたら、理想は別として、それに答え得る人はいないはずです。わずかに大きな自然の意志によるとしか言いようがない筈ですが、このアフリカの布に感心し、今受けつつあるアフリカの人々の苦しみに思いをかけるのも大きな自然の意志でありましょう。 1985年1月掲載 |
川瀬孝之君の焼物 川瀬さんは、浜松の古い筆屋さんの人で、何んとなく、それらしいこまやかな神経の持主です。 焼物を作りたくてしかたがなく、仕事の合間をおしんで続けています。 今は昔とちがって、焼物をやく設備は楽になって、焼物を手掛ける人々の多いことに驚かされるわけですが、もともとこの仕事は、片手間などで出来ると考える方がどうかしているのかもしれません。 「道楽」と決めつけてやっている人の方が、考え深いのかもしれません。 しかし、「道楽」という字の意味を考えてみますと、道をきわめた楽しさのことで、世間でいう道楽とはわけが違います。 もともと焼物の仕事は、見たって、考えたって、どうにもならないものです。ただ暮らしに使えるものを作ってゆくので、「美」を表現する手段ではないのです。おのずと美に近づくのが大切でしょう。 川瀬君が鉢につけた鉄絵には、なかなかのものがあります。それがしっかり自分の手のうちにはいるには、道は遠いのでしょうが、ひとすじにやってほしいものです。 若い人でひねった抹茶々碗は作りますが、普段使うごはん茶碗を焼こうとする人はいません。彼は一生懸命作っています。面白いことです。 |
龍門司の茶碗 九州の鹿児島県に龍門司とゆう窯場があります。これは其の地方でよく使われた「そばがき碗」ですが、長い歴史があって今でも作っています。 そば粉に湯をそそいで、よくねり上げて薬味を入れたタレをつけて食べるのはそば好きの通人のすることですが、一と昔前は地方へ行けば何処でもやったもので、この位庶民的な食べものはないと思われます。 そしてこの「そばがき碗」には各々地方性に違いがあって特色があるものです。山陰の「ぼてぼて茶碗」九州苗代川の「ちよか」、北国では漆塗のお椀がその役目を果たしました。普通の飯茶わんより倍くらい大きな寸法で、ちょうど抹茶々碗の大きさです。 思えば、お茶をやる人々があこがれる有名な「井戸」とゆう茶碗がありますが、この茶碗ももとをただせば朝鮮の雑用の食器でした。それが今では日本のお茶の国宝のように大事にされています。不思議なことですが日本人の中の目利きがよくその美しさを見届けたのは偉いことです。 この龍門司のそばがき碗にも、それ相等のよさとゆうものがあります。黒い土に白い土の化粧掛けがしてあって、緑と?釉が流してあります。釉の流れに自然のあやがあって、何よりも誰が作ったなぞとゆう、うるさいところがなく、平凡で廉価なので親しみがあります。混ぜご飯など食べる時好的です。 1986年12月掲載 |
コール天の染模様 コール天とゆう織物は、もともとヨーロッパから伝わった布地ですが、大正時代に育った人にとっては、濃い藍色で染めた足袋がとても懐かしく、記憶に残っています。 遠州をはじめ愛知県にかけて生産が盛んで磐田郡福田のコール天は有名です。 主に普段着や、労働着などに用いられ、見るからに丈夫さと気安さのある織物ですが、欧米ではゴルフなどする時のニッカボッカなどに使われ、また乗馬服などにも作られ、使い方によってはなかなかのダンディさを見せる布地です。用途の上では今はジーンズがコール天に代わったようにも思われますが、コール天にはそれなりの特色があります。 たいがい無地ですが、今度山内染色研究所で出来た紋染のコール天は、よく生地に合った紋様で、これは遠州で出来た一つの創作をいってよいものでしょう。 近頃アフリカやインドの布地の紋様が一つ驚きをもって見返されてまいりました。 きわめて単純な紋様ですが、今までに日本にない柄です。薄っぺらなモダーンでない所があります。 写真は子ども用のクッションですが、何となく愛くるしく、紋様染のコール天の使い道を示しています。 ここ遠州で新しいコール天が開拓されることを期待してご紹介します。 1984年12月掲載 |
田中信之君の蓋壺 浜松の「なべや」という金物店のご主人ですが、森山焼の窯元で基礎技術を勉強して、今では磐田原の大藤に小規模ながら、小さな薪窯をかまえて、年に数回ですが焼物への想いを果たしています。 人には色々のタイプがありますが、この人は観念的な情熱にはのらない人で、リクツがあってもそれを表に出さない人でしょう。 作るものに、かたいところや、見当違いはあっても、尺度の大きな所があります。小手先でやる仕事はこの人に合わないかもしれません。 このお正月に初窯を見せてもらいましたが、その中にこんな蓋壺が焼けて出て来ました。 これはこの人の作風がよく出ています。 よく話すことですが、沖縄の「おもろ」や「万葉集」の古歌は決して文学者の詠んだ歌ではありません。それなのに今でも私達の心を強く打つのはどういうことでしょう。焼物のよさも同じことです。そのことを考えると、素人だとか玄人だとかいうのは意味を失ってしまいます。 人は一人のこらず天才なのです。然しそのことを知ってもだめ、知らなくてもだめ、只やるだけ、何かを求めて只やるだけです。新年早々この蓋壺に会えたのも一期一会というものです。ご紹介します。 |
絹子さんの紙塑人形 この頃はよく郷土人形といって、人形作りが盛んですが、ほんとうは趣味ぐらいで出来るものではありません。 だれでも知っているコケシ人形も、今ではやたらと風がわりな思い付きの変形が多くて、ほんとうのコケシ人形はどこかにいってしまいました。もとは信仰の対象だったのでした。ひと形は「形」つまり、人代(ひとしろ)を作る意味があって、棒きれに目鼻をつけただけで人形はなりたつものです。人間そのもの、生々しさを出した物は、人形本来の性質から遠いものでしょう。 俗な色気と、思わせぶりな媚さえ感じさせるのは困ります。 伊藤絹子さんの人形は、又少し違うものを感じます。難しく考える必要はないのですが、彫塑という基本に従いながら、人の形をそっくりうつすというような生なところがなく、充分単純化されています。紙塑(しそ)人形と呼んで、和紙の繊維に煉り込まれている粘土で像をつくり、幾重にも和紙を張り重ね、終りに色紙をちぎって張って装飾したもので、とてもやわらかな味が出ています。 見ていると、彼女が母親として、我が子をじっと見守っている純なまなざしが、人にも伝わってまいります。又、塑像としても優れたものです。 1983年9月掲載 |
アフリカの絞布 近頃貿易の円高で、以前だったら海外の現地に行かぬかぎり、とうてい手に入れることのできなかった物が、輸入されていて、驚くことがあります。 贅沢品や高価な物は別として、よく選ぶと私達の生活の中で使って楽しめるものや、役に立つものがあります。 ここに写した絞染めの布は、アフリカの現地人が染めた濃い藍色の荒い木綿の布ですが、染め方が自由でおおらかな感じがあります。「絞」の染方はもともと印度あたりで発達したもので、アフリカのものはそれが西に伝わったらしいのです。日本でも昔から絞染が沢山染められていて、世界の染物の中で類のない美しさを示したものでした。 特別上等のものは別として、私達庶民の暮らしの中にもつい最近まで絞染めは盛んに使われたものでしたが、絞染めが手仕事の為か、だんだん見かけなくなってまいりました。 絞染めの染めとしての特徴は、何といってもにじむとゆうよさにあります。そして模様に意外性があって、花にもしぼり咲きがあるように、にじむとゆうことに自然の意志を見る喜びがあります。アフリカの人々もきっと同じ喜びをもったのでしょう。この布の模様を見ますと一種の野性があって、ダイナミックな感じを受けます。染料も天然の藍です。 自然と一体になって生活している人々だけがもつ力強さがあって、この布に引きつけられます。 |
型染のうちわ 「うちわ」と「ゆかた」は日本人の暮しの中から産まれた、夏の代表的情緒をもつものの一つです。 昔から自由な活達な庶民の好みの柄が表現されてきました。 どんなに生活のしかたが変わっても、「ゆかた」と「うちわ」の感覚はお米のご飯の味と同じように体が覚えているもので、なくなるものではないでしょう。 日本では特に着物に柄を染めるのに、「型染」という手法が非常に発達しました。 渋を引いた、丈夫な日本紙(型紙)に模様を切りぬいて、これを布に置いて、糊をつけると、切りぬかれた所に糊がおりて、乾かすと防染の役目をする。色を染めて、水洗をして糊を落とすと、くっきりと染地に白い模様が現れる。簡単に話せばこの通りです。 この染め方を「型染」といって、日本の染の伝統の一つになっています。 最近亡くなられましたが、芹沢_介という人は、この型染という手法で優れた作品を、沢山世に残しました。それらの作品は、今静岡の芹沢_介美術館に行けば見られます。 写真に出した「うちわ」の模様はその人の染めたものですが、豊でのびのびした美しいものです。 「うちわ」のような作物にもその人の表現の力の全体が出ていることに驚くものです。 この秋には当地でも、芹沢_介さんの作品のほんの一部をご紹介したく準備しています。 ご覧いただけたら幸いです。 |
九州の焼物 昔から九州の焼物は、朝鮮半島や中国や、外海の焼物の影響を受けて、唐津だとか伊万里とか、日本の代表的な焼物の作られた所です。歴史のことは別として今日九州を廻ってみると、如何に歴史の伝統というものが目に見えない所に働いているかがわかります。 人間の住む所、山あり林あり、川あり海ありで、人の営みはこの自然を疎外にしては生きられないものでしょう。本来人間こそ自然の生体そのものです。自然こそ伝統の原点といってよいものでしょう。人間が自然の営みそのものになって作り出されたものを見ると私達はとても嬉しくなるものです。 九州ではよい焼物が沢山出来た所ですが、今は混乱した物がやたらと目に付きます。それもいたしかたないとして、先日浜松の「陶六花」という工芸品店で、二つのとても感心した焼物を買いました。一つは小鹿田(大分県)という窯の「飛び鉋」の茶碗、一つは龍門司(鹿児島県)の釉流しの茶碗でした。どちらも黒い土に白い土を化粧掛けしてあって、一方は飛び鉋の手法で、こまかいリズミカルな点をつけています。一つは茶色と緑の釉が流してあります。二つとも作為をもちながら作為からぬけ出していて美しいものです。 こんなものこそ「陶芸」なんていかめしく云わなくても、芸術の極限をついているものだと感心します。見ているより使ってみると尚嬉しいものです。 |
英国のヤカン これはステンレスで作られた紅茶ポットです。ご存知のように錆びない金属として新しく時代に登場したものですが、工作するのになかなかの制約があるものです。 ヨーロッパを廻ってみて、この金属がどんな造型をうけているかを見るのは、興味のあることです。 北欧いわずどこでもモダンデザインの流行ですが、どうもうわついていて、よいものがありません。 ロンドンのデパートの地下で、当たり前の日用品を売っている所があります。 そこでこのポットを見付けました。新しい金属の製品ですが、よく英国の伝統が出ています。 ラベルには「一生使えます」と印刷されていました。無責任な使いすては許さないという、手堅い気質がよく出ています。 日本でも昔はそうでした。丈夫で長持ちするものを選んだ智恵がありましたが、時代がそうさせるのか、人の心がそれを失ったのか、むつかしいところですが、思い返してみるのもむだではありません。 夏など紅茶をこれに入れて、冷やして飲むのは楽しみです。 ずいぶん乱暴に使うのですがビクともしません。はってあったラベルの通り、一生使えるでしょう。 |
凧の話 そろそろ西風が強く吹き出してくると、いつしか凧のことを思い出します。 「凧好き」はなかなか多いもので、凧揚げには秋から冬がいいとか、春がいいとかいう人があって、どのみち季節風が頼りですが、ここにも春秋の論議があって面白いものです。 今時、人工衛星をあげるのとは訳が違いますが、細い一本の糸の先に、微妙な工夫を凝らした凧を引いて、心と体を熱中させて揚げる。然かも色や形や音を大空にただよわせて楽しむ、見事な遊びです。 「凧好き」の中には、自分で凧の全てを作って、揚げ方まで工夫してやる名人級の人もいますが、又別な「凧好き」もいるものです。 それは、凧の形であるとか、描かれている文様とかに強い興味を持つ人達です。そういう人々の中には、たいへんな蒐集家がいるもので、日本の凧は言うにおよばず、世界各国の凧を集めています。それは各々の民族が凧にどんな表現をしているかを調べるのでしょう。 そんな点で、遠州の凧を見わたしてみると、やはり横須賀の凧に特色があって、中でも「とんがり」や「巴」が目につきます。 かつて、ぱんぷきん第7号に、「遠州の里の凧職人」として載った凧作りの面々の健在を祈ると共に、今の少年達にも、凧揚げの楽しさを永く伝えてやってほしいものです。 凧は人間の失ってはならない、元の心の喜びを教えてくれます。 |
鉄の栓抜き ワインなどのコルクの栓抜きと云えば、さすがに本場フランスのものが一番よろしいと評判されていますが、筆者などはあいにく下戸でたまに栓を開けようとすれば、ろくな栓抜きしかないので、せっかくのコルクをボロボロにしてしまうのが落ちです。 今ではメカニカルな栓抜きで瓶の内側に空気を送り込んで、その厭力でコルクがきわめて自然にポンとあくように工夫されたものが出来ています。 それはひと先おいて、写真に出したものは、鉄製の栓抜きです。(英国製か)これを一目見るなり私は強い親近感に打たれました。手の平にのせただけで何とよい形をしているんだろうと、しげしげ見てあきませんでした。 鉄味がとてもよく、よく見ると鍛造で、携帯用に、あぶなくないようにラセンの部分を内側に折曲げるようになっていて、使う時にはそれを反対側に折り廻して使うように出来ています。 こんなちいさな暮しの中の道具にも道具としての命があります。それは作った人の心がこもっているからでしょう。 今私達の暮しの廻りには「物」があふれています。ですが心のこもったものを捜すのはたいへんです。日本はとても豊かな国になったと云われていますが、それがピカピカの新品文化などと云われぬように心したいものです。この栓抜きは染色家、山内武志氏の愛蔵品で、このコーナーの為に写してもらいました。 |
染付の飯茶碗 日本人が暮らしの中で使う器で、ご飯茶碗ぐらいなくてはならない、身近なものはないでしょう。朝昼夕とご飯を戴く以上お世話になるものです。 あまりにも当たり前なので、これが日本人の生活文化を見る上に重要なものだと考える人は、なかなかいません。 お米を食べる上で、昔は器として木の葉を使ったり、木器を使ったり、粗陶を使いましたが、今から二百年ほど前から白い磁器がその主流となりました。明治・大正頃までは手作りでよいものが出来ましたが、今は全部機械作りになってしまいました。そのことがいいか、わるいかを別にして、すっかり個性を失ってしまった淋しいお茶碗しかないという状態で、これでよいものでしょうかと、思い上がったことは言えませんが、どこかあまり気取らない、楽しいお茶碗はないかしらんと、探してみたくなります。探すということは大事なことで、それはほかならない自分の気持ちを探すことにもなります。ぜいたくを言ったらきりがありませんが、まあまあこれで我慢しなくてはと、そういうものを探すのは楽しいことです。 四国に砥部という磁器を作っている所がありますが、写真のお茶碗はそこで出来ているものです。少し厚ぼったく重いのですが、藍の色が落ちついていて、模様が単純で、丈夫に出来ていて、健やかな感じがあります。 |
別府の果物籠 九州の別府は、大変竹細工の盛んな所ですが、多くは観光土産になってしまって、実用的な竹細工は少なくなってしまいました。 別府から離れて少し農村に入りますとまだまだ実用品を作っている所があって見事なものがあります。 特に農村や漁村で使う魚籠にはよい形のものがあって、日本の竹細工の原点を見る思いがします。 竹細工はなんといっても、台湾や東南アジアのものが優れていて、風土や歴史を感じます。お隣の韓国でも竹による文化の独特のものがあります。 日本で実用品をのぞいて、早くから風流の対象物になってしまったせいか、飾りものが多く、残念ながらしっかりした発達がありません。 その代わり農村で使う「ざる」や籠など、プラスチックの籠では代わりがたい用途が沢山あって、今も盛んな生産が続けられています。只どこでもそうですが、技術の伝承が少なくなるのは残念です。 写真の果物籠は別府で買ったものですが、新しい工芸の意識をもって作られたもので、装飾的な所がありますが、作りがしっかりしていて丈夫にできています。薄っぺらないや味の少ないものです。 旅行に出た先で買い物をするのは楽しいものですが、使っていつまでもあきのこないものを選びたいものです。 |