氏 名 |
出身地 |
町 で の 活 躍 |
川端 康成 |
大阪 |
大正7〜昭和2年春湯本館に滞在。「伊豆の踊子」を執筆した。 |
横光 利一 |
東京 |
天城の猪狩が作品のテーマとなった「寝園」を昭和7年に発刊した。 |
若山 牧水 |
大阪 |
大正9以後吉奈、湯ヶ島、船原を多く訪れた。山桜33首は晩年の代表作。 |
北原 白秋 |
鎌倉 |
大正9〜11たびたび吉奈、湯ヶ島を訪れ、「渓流唱」37首を作った。 |
齋藤 茂吉 |
東京 |
昭和9年嵯峨沢温泉を訪れ、歌集「白桃」に14首を収めている。 |
梶井基次郎 |
埼玉 |
昭和2年、湯川屋に1年4カ月滞在。「闇の絵巻」「交尾」など名作を遺す。 |
三好 達治 |
東京 |
梶井・川端のゆかり。「測量船」に湯ヶ島の詩を多く遺す。 |
林 芙美子 |
新宿 |
昭和15年「魚介」は木太刀温泉が舞台。 |
尾崎 士郎 |
大田区 |
川端康成のゆかり。湯ヶ島の生活を題材にした作品が多い。 |
室生 犀星 |
東京 |
吉奈温泉・東府屋を数多く訪れた文人。 |
井上 靖 |
湯ヶ島 |
3歳から小6までを当町で過ごす。「しろばんば」など郷土の作品多い。 |
島崎 藤村 |
長野県 |
明治42年落合楼に宿泊。この思い出を「旅」に書き記している。 |
与謝野晶子 |
港区 |
昭和10年「流星の道」より天城2首。船原〜土肥方面を訪れている。 |
志賀 直哉 |
渋谷 |
吉奈温泉を愛した。「東府会」のリーダー |
木下杢太郎 |
伊東 |
明治44年8月落合楼に滞在。「浴泉歌」10編中7編は湯ヶ島で作る。 |
後藤 江村 |
町内 |
日本童話協会会員。小中学校長も歴任。「山峡少年記」など著書12巻。 |
穗積 忠 |
大仁 |
白秋門下。「叢」「猪狩の歌」43首を歌い上げる。 |
木下 順次 |
東京 |
昭和29年以後毎年白壁荘にて執筆。「子午線の祀り」もここで出来る。 |
古見 豆人 |
町内 |
「大富士」を主宰。俳句の他に「坂田金時」「江川太郎左衛門」なども。 |
田山 花袋 |
東京 |
明治42年湯ヶ島に島崎藤村と宿泊。思い出を「伊豆の旅」に書く。 |
武者小路実篤 |
東京 |
明治42年湯ヶ島温泉に宿泊。 |
柳田 国男 |
京都 |
明治43年湯ヶ島温泉に宿泊。50年前の伊豆日記を遺している。 |
宇野 千代 |
山口県 |
湯ヶ島時代は尾崎士郎と夫婦。この間の事情は人生劇場にもある。 |
萩原朔太郎 |
群馬県 |
川端康成のゆかり。昭和2年夏、湯ヶ島温泉に滞在。 |
与謝野 寛 |
東京 |
「白桜集」に晶子とともに、嵯峨沢温泉の歌を遺している。 |
島木 赤彦 |
長野県 |
大正11年弟子たちと船原峠越え。ここで得た40首が最後の歌集。 |
水原秋桜子 |
東京 |
浄連の滝を詠んだ俳人。湯ヶ島温泉に泊まって「玄魚」に収める。 |
五所平之助 |
三島 |
昭和8年最初に映画化された「伊豆の踊子」の監督。三本松に句碑。 |
松本 清張 |
福岡県 |
白壁荘をたびたび訪れている。「天城越え」は伊豆の踊子とちがった趣。 |
小田切 進 |
東京 |
昭和の森文学館を中央に紹介。30年代後半から当町にゆかりあり。 |
淀野 隆三 |
東京 |
梶井のゆかり。川端を「親切な人」と梶井が淀野に紹介する。 |
広津 和郎 |
藤沢市 |
吉奈温泉を愛した志賀直哉を囲む「東府会」のメンバー |
安部龍太郎 |
東京 |
日本経済新聞に当町の文学を紹介した、新進気鋭の作家。 |