DNA鑑定のこと――裁判所が科学を否定できるのか 2012年6月15日
民事におけるDNA鑑定
標本のDNA鑑定結果が捻じ曲げられた私の地裁判決(2004年)が出て以来、裁判所が科学を否定していいのかという疑問をずっと引きずっているところに、足利事件、東電OL殺害事件と最新のDNA鑑定によって判決が見直される刑事裁判が続きました。
私の裁判(民事)では、病院が裁判所に提出した標本だけに癌の所見があったことから、標本が私のものか疑いがもたれ、裁判所がDNA鑑定を認めました(1999年)。
初めてでわからないDNA鑑定
DNA鑑定を認めた裁判長は、裁判所としてDNA鑑定は初めてだと言い、鑑定結果が出た時(2000年)には、「裁判所も初めてでわからないからみんなでお勉強しましょう」と言って、静岡地裁に専門家を招いて、合議の3人の裁判官はじめ、原告被告双方の弁護士や協力医を含め聴講希望者20名ほどが出席してDNA鑑定について講義を受けました(2001年)。
その講義を受ける前に、私は弁護士たちとDNA鑑定を実施した東京医科歯科大学へ出向き、鑑定人から直接説明を受けたことがあります。その時、鑑定人の第一声が、「1ヵ所違えば他人です」でした。
DNA鑑定結果はミトコンドリアDNAで270塩基のうち3ヵ所で一致していなかったのですが、解析作業中に1ヵ所目の違いが出た時、日本の公立病院でこんなことがあるのかと鑑定人は大変驚いたこと、さらに2ヵ所、3ヵ所と違いが出たため信じられず、他の研究者にも解析を依頼し、何度も繰り返して同じ結果になったため、標本が私のものだと断定できず、肯定、否定、いずれの結論も得られず、検査不十分だったという鑑定結果になったことを話して下さいました。
私が鑑定を依頼した本人だと伝えた時、鑑定人は座っていた椅子から飛び上がって驚いたのを見て、ことの重大さを実感しました。
その後、一致しなかった3ヵ所の塩基部分が日本人に特徴的な箇所だということがわかったので、日本人のDNA配列に詳しい専門家に講師をお願いして、静岡地裁での講義が実現しました。
素人判決
ところが、「お勉強した」裁判長は講義を受けた直後に異動となり、2か月後の裁判期日には後任の裁判長に替わっていました。この裁判長が、「標本が原告のものではないからといって、原告が癌ではない証明にならない」と言い、判決を出しました。
<組織標本は原告由来のものと考えられ、これが原告由来のものでないということは到底できない。>(地裁判決文より)。
DNA鑑定に携わった科学者が標本は私のものだと断定できないと結論付けているのに、裁判所は私のものだと、しかも念押しまでしているのです。DNA鑑定をやった意味がありません。裁判所の判断は、癌による変異の可能性を支持しているので、今後、癌を発症した人がいる家系は、ミトコンドリアDNAで祖先をたどることができなくなることを示唆しています。
裁判所が科学を否定できるのか?
近藤誠Drはご著書『あなたの癌はがんもどき』(梧桐書院)の中(40頁)で私の裁判にふれ、<東京医科歯科大学の法医学教室が実施したDNAの鑑定文をそのまま受け容れられないとすれば、何をもとに判決文を書くことができるのか。この裁判結果は民事訴訟の限界を示しているように思われます。>と綴っています。
試料の確保の困難さ
私の裁判では地裁と高裁とで2回のDNA鑑定を経験しましたが、試料となる標本を裁判所が預かってくれないため、高裁での鑑定の時は、地裁の時と同じ試料かどうかの確認作業から始めなければなりませんでした。ですから、刑事裁判で最新の技術でDNA鑑定が行われる報道がされると、試料となる証拠が残っていることにうらやましさを禁じえません。
裁判所推薦の鑑定機関
高裁でのDNA鑑定は、裁判所推薦の鑑定機関で行いました。誰もが信用します。ところがあとから、病院側とつながっていることや鑑定能力に問題があることなどが判明しましたが後の祭りでした。
DNA鑑定を裁判で生かすために
私の裁判ではDNA鑑定が重要な意味をもっていました。裁判所が初めてなのに認めたことを考えれば、法医学の専門家が出した鑑定結果を否定できないはずです。
東電OL殺害再審決定について報道された記事の中で、「最高裁はばかじゃないかと思った」と押田茂実日大名誉教授(法医学)の言葉が載っています。私の裁判でも高裁が結審した後でしたが、押田教授(当時)が意見書(要約【注】参照)を提出して下さっています。裁判所が推薦した鑑定機関でのDNA鑑定結果について、「社会的に通用しない鑑定」だと。しかし、裁判所は専門家の意見を無視しました。
裁判所が科学を否定することは法の番人の傲慢以外の何ものでもないと思います。専門家に鑑定を依頼したのですから、謙虚に結果を尊重すべきだと思います。
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【注】
押田意見書要約
TSLの鑑定結果は押田教授の研究室ではやらないやり方のため、法医学的批判に耐えがたい点があると指摘し、問題点を具体的に述べている。
押田教授が鑑定した「保土ヶ谷事件」でTSLは7年前のパラフィン包埋ブロックからの核DNAの解析ができなかったことから、陳旧試料からのDNA型鑑定を行う十分な技術と経験をもたず、今回のような13年前のパラフィンブロックからの核DNAを解析する鑑定は経験したことは少ないか、初めてだったのではないか、鑑定の手法に問題がある。
核DNA型鑑定をする場合、検査者の精度の客観性を担保するための重要な条件を満たす手続きがあるが、TSLはその手続きなしで鑑定している。それゆえ、鑑定として受け入れることはできないし、国際的にも通用しない。
解析結果にはテクニカルエラーの可能性があり、解析の精度が疑われることから、通常施工しているDNA型解析では、やり直しとなる。
ミトコンドリアDNAの解析ができず鑑定が不可能だったというが、国際的ガイドラインによれば、陳旧試料でもミトコンドリアDNAの方が核DNAよりも検出しやすく、核DNAの方が難しいということから、TSL鑑定結果は不自然である。
陳旧試料のDNA型鑑定は教科書通りにいかず難しい問題を抱えている。「保土ヶ谷事件」では、大きな心臓などの臓器があっても困難だったことから、それよりも5年も古く試料が小さければさらに困難が予想されることから、陳旧試料によるDNA型鑑定を施行する場合、相当高度な技術と予備実験を含めた鑑定の豊富な知識と経験を有する鑑定人があたるべきである。
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竹下勇子(2012年6月15日)
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