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竹下裁判

地裁判決

平成16年3月18日判決言渡 同日原本領収 裁判所書記官
平成8年(ワ)第102号損害賠償請求事件(平成15年12月4日口頭弁論終結)

判         決

  静岡市○ ○ ○
     原       告      竹  下  勇  子  
     同訴訟代理人弁護士      渡  邉  彰  悟  
     同              福  地  直  樹  
  静岡市○ ○ ○
     被       告      静  岡  市     
     同 代表者市長        小  嶋  善  吉  
  静岡市○ ○ ○
     被       告      小  坂  昭  夫  
     被告ら訴訟代理人弁護士    高  芝  利  仁

主          文

1 被告らは原告に対し、連帯して、250万円及びこれに対し被告静岡市は平成8年3月5日から、被告小坂昭夫は同月3日から、各支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
2 原告のその余の請求を棄却する。
3 訴訟費用はこれを100分し、その3を被告らの連帯負担とし、その余を原告の負担とする。
4 この判決は、原告勝訴部分に限り、仮に執行することができる。

事 実 及 び 理 由

第1 請求の趣旨
 1(1) (主位的請求金額)被告らは原告に対し、連帯して、1億1037万5278円及びこれに対する請求拡張申立書面送達の翌日である平成15年12月5日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
  (2) (予備的請求金額)被告らは原告に対し、連帯して、6197万5278円及びこれに対する訴状送達の翌日(被告静岡市について平成8年3月5日、被告小坂について同月3日)から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

 2 仮執行宣言

第2 事案の概要等
 1 当事者(争いがない)
  被告静岡市は、同市清水宮加三1231番地において静岡市立清水病院(以下「清水病院」という)を経営するものであり、被告小坂は同病院に勤務していた医師である。原告(昭和24年2月21日生)は、平成4年1月8日同病院において乳癌の手術(この手術を 「本件手術」 という)を受けた者である。

 2 事案の概要
  本件は、上記のとおり、清水病院で本件手術を受けた原告が、
  (1) 主位的には、自分は本当は乳癌ではなかったのに、被告小坂が乳癌であると偽って本件手術をしたもので、原告は故意による傷害を受けたと主張し、被告小坂及び同被告の勤務していた清水病院を開設している被告静岡市に対して、損害賠償を求め、
  (2) 予備的には、仮に原告が真実乳癌であったとしても、1)右乳房を含めた右胸部に不要な身体的侵襲を受けたこと、2)右上半身のしびれ等があること、3)抗癌剤の副作用等があること、 4)説明義務違反を主張し、これらは被告小坂の過失による不法行為であるとして、前記被告らに対して、損害賠償を求めている事案である。
  (3) 原告の請求する金額は、上記(1)の故意による不法行為については、逸失利益3037万5278円、慰謝料7000万円、弁護士費用1000万円の合計1億1037万5278円であり、上記(2)の過失による不法行為については、上記と同額の逸失利益のほか、慰謝料として合計2600万円(内訳は後記のとおり)、 弁護士費用として560万円の合計6197万5278円である。

第3 本件の経緯についての裁判所の認定
   以下の事実は、前記争いのない事実、乙1から乙3(いずれもカルテ。なお、カルテやその他の書証のうちの特定部分を示すときには、例えば、乙1の38頁を乙1p38などと略記する)、原告の供述及び陳述書(甲1、甲54、甲64、甲66。以下、供述と陳述書を併せて 「原告の供述等」 という)、被告小坂の供述(2回)及び陳述書(乙16、乙31。以下、供述と陳述書を併せて「被告小坂の供述等」 という)のほか、各事実認定末尾に記載した証拠によって認定した。

 1 平成3年12月26日まで
  (1) 被告小坂は、昭和43年10月に国家試験に合格して医師の資格を得、昭和51年には乳腺嚢胞等の研究などで博士号を得て、昭和53年1月から清水病院に勤務しており、平成3年、4年当時は同病院外科科長であった。
  (2) 原告は、昭和24年2月21日生まれで、夫とともに会社を経営しているが、平成3年8月実施の健康診断では乳房触診で異常なしとされていたものの(甲18) 、同年12月には、約1年前からあった右胸のしこりが小豆大から急に大豆大になったように感じ、知人のアドバイスもあって、清水病院の乳腺外来の同年最後の診察日である同月26日、同乳腺外来を受診した (甲1)。
  (3) 同月26日、原告の診察を担当した被告小坂は、まず原告を触診したが、右乳腺外上領域に約2センチ大のしこりを触れた。このしこりは硬く辺縁不整であったが、ディンプリングは明らかでなかった。被告小坂は、この触診から乳癌の疑いを持ったので、さらにマンモグラフィー(レントゲン検査)及び乳腺エコー(超音波検査)を行った。マンモグラフィーは左右の各2方向(頭→足方向、正中→側方向)の撮影を行ったが、右乳腺の正中→側方向写真で右乳腺外上に腫瘤陰影を認め、同時にスピキュラ様の所見(腫瘤辺縁から放射状に伸びる小突起(浸潤像)をいい、悪性のときに見られる所見の一つ)を認めたため乳癌を強く疑った(乙13の1から3、乙14の1、 2)。他方、エコーでは右乳腺外上の9×18×6ミリ大のローエコーエリア(低エコー領域のことで充実性のしこりを疑わせる)があり、この辺縁はやや不整であるが明瞭に見える部分もあり(乳癌の腫瘤は低エコー像上、辺縁が粗雑になる)、担当技師は、良性腫瘍(脂肪腫、繊維腺腫など)が疑われるが、定期的チェックをすべきであると考え、その旨を被告小坂に伝えた(乙1p38)。しかし、被告小坂は触診、マンモグラフィーの結果及び乳腺の専門医としての20年以上の経験から乳癌に対する疑いを強め、原告に対し、これら3種類の検査結果に基づき、しこりを取って顕微鏡的に調べた方がよいと説明し、翌日しこりを切除する生検をする旨を告げ、原告と原告の夫の承諾も得た(乙1p37)。
  (4) なお、この日、被告小坂は原告のプロゲステロンレセプター及びエストロゲンレセプター(いずれも女性ホルモン受容体)の検査を行っている(乙1p4、乙12)が、翌平成4年1月9日に受けた報告では、標準値が13であるエストロゲンレセプターの値が37と陽性であった(乙12、乙22)。
  (5) 上記のとおり被告小坂は、マンモグラフィーの結果(乙13の3、4、乙14の1)からスピキュラ様所見がみられると診断したが、同結果からスピキュラ様の所見を診て取ることができるかどうかについては、フィルムは乳腺が密で全体に白く写っており、スピキュラ様所見でさえも読みとることができないとする近藤誠医師の見解(甲35の1、2)や、病理組織像からは、浸潤癌の部分はごく小範囲であって、スピキュラを形成するとは思われず、この所見を得られるとは思えないとする並木恒夫鑑定人の意見(同鑑定書p8)があるので、被告小坂の診断について疑問を持たざるを得ない。しかしながら、他方で、上記超音波検査の結果から、担当技師は良性腫瘍を疑ったが、この腫瘍は境界不明瞭、内容やや不均一な病変で、年齢を考慮しても乳癌の疑いがあり、他の検査(触診、マンモグラフィー)も考慮にいれ、良性・悪性の診断を付けるため病理組織学的検査を行うことは妥当であるとの順天堂医院放射線科講師白石昭彦医師の見解もある(乙36)。このように見解が分かれる症状であったから、この時点で、被告小坂が生検をして確定診断を得ようと考えたことは、医師としての裁量の範囲内であるといわざるを得ない。
  (6) この点について、原告は、生検をする前に、より侵襲性の少ない検査方法である穿刺吸引細胞診を行うべきであると主張し、検査の順序として、穿刺吸引細胞診の結果によっても確定診断ができない場合に生検を行うとする書籍もある(甲15p18、甲23p151)が、甲23の発行年度は不明であり、また、同各書籍も穿刺吸引細胞診を行わず、いきなり生検を行うことは許されないと記載しているものではない(甲23は、生検について、穿刺吸引細胞診を行っても判定がつかないとき「など」に行う、としている)から、必ず同書籍の順序で検査を行わなければ医師の過失になるとまで認めることはできない。しかも、本件では、被告小坂は、原告のしこりの大きさが2センチ以下であって、このような大きさでは穿刺吸引細胞診の確度は80パーセント台に低下するので、より確実な生検を採用しようと考えたのであって、これが医師の裁量を逸脱しているとは考えられない。

 2 平成3年12月27日
  (1) 同月27日午前8時58分ころから、原告は被告小坂の執刀で、石垣介助者を得て、右胸のしこりを摘出する生検手術を受けた(乙1p41)。被告小坂は、摘出した組織を病理科に回し、迅速・永久標本の作製と検査を依頼した。
  (2) 清水病院における迅速・永久標本や組織のパラフィン包埋ブロック作製の方法は、おおむね次のとおりであった。すなわち、病理組織検体は、伝票とともに医務部病理科に送られる。病理科では、送付された検体と伝票を患者名、臓器等の確認の上受付けし、伝票に病理受付番号を記入し、控えに受付番号、患者名、検体採取日、臓器名を記入する。その後、迅速標本が必要な場合は、未固定の状態の検体の一部を凍結し、迅速標本作製機器によってスライド標本を作製して迅速標本が作製される。この迅速標本は、直ちに病理医師によって診断され、報告がされる。その後、迅速標本を作製した検体以外の検体と迅速標本作製の残りの検体とを共にホルマリン固定し、永久標本を作製する。この作製の際には、ホルマリン固定された検体を伝票と照合確認し、包埋カセットに受付番号を記入し、検体を入れて蓋をする(これがそのままパラフィン包埋ブロックになる)。そして、包埋カセットを自動包埋機で脱水、脱脂、パラフィン浸透し、包埋ブロック作製機によって包埋カセットを台木としてブロックを作製する。このようにして作製された包埋ブロックは薄切、染色してガラススライド標本(永久標本)が作製され、病理医の病理診断が行われる。診断が済んだスライド標本はスライド整理器に、包埋ブロックはブロック整理器に整理収納され、永久保存される。
  (3) 同月27日の乳腺腫瘍生検は原告一人であり、同日午前9時ころ、手術室から病理科検査室に検体が届いたので、清水病院の渡辺隆臨床検査技師は、上記と同じ手順で先ず迅速標本を作製し、その後永久標本を作製した(乙26、乙27)。そして、東海大学助手の稲田健一医師(清水病院に非常勤で勤務していた)は、前記のようにして作製された迅速標本を診察し、浸潤性乳管癌、乳頭腺管癌と診断とした(乙7はその仮報告書)。また、被告小坂は、前記のとおり、超音波検査では良性の腫瘍ではないかとの診断もあったことから、同日、この迅速標本(迅速標本は複数作製した)を浜松医科大学に持参し、同大学教授の喜納勇医師に診てもらったところ、同教授も稲田医師と同意見の癌であるとの診断であった。さらに、被告小坂は、原告の永久標本が翌平成4年1月6日に作製されるので、これも診断をお願いしたいと言い、喜納教授はこれを了承した。なお、被告小坂は浜松医科大学の非常勤講師を務めており、同大学の喜納教授とは知り合いで、日頃から喜納教授に意見を求めたり、講演を依頼したりしていた(乙30の1から3)。この点に関し、原告は、喜納教授の日記を提出し(甲83,84)、その中の記載から、被告小坂と喜納教授は組織標本の診断を依頼できるような親密な関係ではなかったと主張するが、このような記載の断片からそのように断定することはできないといわざるを得ない。
  また、被告小坂が喜納教授に診断を依頼したことはなかったなどとも主張するが、この点は、後記「原告の主張について」の項で判断する。
  (4) 当裁判所の依頼した鑑定人並木恒夫医師は、この日摘出された原告の組織標本から、原告の腫瘤は乳管内成分が優位の浸潤性乳管癌であると鑑定している。
  なお、同鑑定人には、裁判所や被告らの知らないうちに、原告側から当初予定されていた以外の資料が交付されており、被告らから、このような資料に基づいてされたと疑われる鑑定書の一部の記載を証拠から排除するようにとの申立があった。当裁判所は、この申立を採用しているものではないが、さらに原告側からは、同鑑定人作成の甲109(迅速診断についてと題する意見書)が提出された。これは迅速標本や永久標本などについての一般論と被告小坂と喜納教授の関係を必ずしも正確に理解せずにされた立論からなっているが、いずれにしても、このような書面が原告側から提出されるということは、前記の裁判所も被告らも知らない資料の受け渡しと併せて考えると、原告側と同鑑定人の間に、裁判所も被告らも知らない関係があるのではないかとの疑いを持たせることになっていて、上記鑑定の信用性にも暗い影を落としている。しかしながら、仮にそのような関係があったとしても、上記のとおり、同鑑定は、原告は真実は乳癌ではなかったとの原告の主位的主張を否定する方向に働く証拠であるから、この面では信用性を必ずしも否定することはできないというべきである。
  (5) 東海大学医学部病態診断系病理学の長村義之教授は、平成8年10月3日及び同月16日付で作成した書面の中で、原告から採取された生検の標本では浸潤性乳管癌、乳頭腺管癌であると診断しており、後記の本件手術によって切除された乳房の組織中にも浸潤性の乳頭腺管癌の残存癌が認められるが、切除されたリンパ節には癌転移は認められないとしている(乙8の1,2)。
  (6) 他方、清水病院の病理組織検査では、乳癌手術で切除された組織標本では、生検の糸による肉芽腫や炎症を伴った異物反応がみられるが、癌細胞の残存は明らかではないとの平成4年1月21日付検査結果がある(乙1p29)。
  (7) なお、上記(4)から(6)の診断対象となった組織標本については、これが原告由来の組織標本であるかどうかについて争いがあり、この鑑定もされているので、この点は、後記「原告の主張について」の項で判断する。

 3 平成3年12月28日から平成4年1月3日まで
  (1) 被告小坂は、同月28日、原告に対し、前日の生検によって得られた迅速標本の病理診断の結果、触診の結果等から、右胸のしこりは癌であったとして、後記(2)のとおり告げた。この告知の際には、原告は一人で病院に来ており、家族などの付添はなかったので、被告小坂は、家族に説明するので原告の自宅を訪問すると言ったが、原告が断ったため、入院後家族に説明することとし、原告の入院日を平成4年1月4日と、家族への説明の日を同月6日と定めた。そして、病理科に対し、このスケジュールで患者及び家族に説明するとして、永久標本に基づく病理診断の結果を同日までに出して欲しいと依頼した。
  (2) この同月28日、被告小坂が原告に告知した内容は、原告の乳癌は第1期と考えられること、生検より大きな手術を受けなければならない可能性が大きいので、準備をしておいた方がよいこと、そのため入院してもらうことであった。また、乳癌の手術方法についても説明をし、一つは乳房を取って併せて腋の下のリンパ節を取る方法で、胸筋と神経、血管は全て残す方法であること、他の方法は、しこりの周辺を含めて乳腺を4分の1取り、併せて腋の下のリンパ節を取る方法であること、前者は、既に治療成績が出ていて、原告のように第1期であれば5年生存率は90パーセント以上になるし、胸筋や神経、血管を残すので、術後のリハビリをきちっと行えば後遺障害はほとんど残らないことが多いこと、また、この方法では放射線治療は行わないが、乳癌は全身病で血液やリンパ液を通して転移している可能性や再発の可能性もあるので、抗癌剤やホルモン剤を投与すること、抗癌剤は強い抗癌剤ではなく、飲む抗癌剤になること、ホルモン剤は女性ホルモンを下げるために飲んでもらうこと、短所としては、乳房が失われることなどと説明をした。さらに、後者の方法については、日本では乳癌手術の10パーセント強で実施されているが、第1期でも全ての人に適応しているわけではなく、原告の場合には、しこりの性状や乳頭からの距離から癌が残る可能性があること、この方法の長所は乳房が残ることであるが、短所として、日本では5年生存率の報告が出ておらず、また、乳腺は残るので、その中に癌が残り、再発の可能性があるので、乳房に放射線をかけることになること、抗癌剤は、脇の下のリンパ節に癌が転移していれば、強い抗癌剤を使用することになること、ホルモン剤は通常投与すること、との説明を行った。この説明の前者が非定型的乳癌根治術(以下「乳房切除術」という)であり、後者が乳房温存療法 (以下「温存療法」という)である。
  (3) ところで、温存療法については、清水病院では、平成元年から、適応基準を設け、症例に応じてその術式を実施していた。その適応基準は、癌研究会付属病院のプロトコル(乙6)を参考に、1)腫瘤の大きさが2センチ以下であること、2)腫瘤は限局していること、3)乳頭と腫瘤間の距離が5センチ以上あること、4)発生部位が外上であること、5)治療成績が良好と考えられる組織型を持った乳癌(粘液癌、髄様癌、嚢胞内乳癌等を含む)であること、6)乳房を4分の1切除することによって乳房の変形がないことであった。さらに、7)高年齢者(75歳以上)、8)術前に心臓病や脳梗塞等の合併症を持っている患者であっても適応が認められていた。このような適応基準を設けた結果、平成3年当時の全国での乳癌手術の各術式実施率は、乳房切除術が64.2パーセント、ハルステッド手術が16パーセント、温存療法が約12.7パーセント、その他が6.5パーセントであったのに、清水病院における温存療法の実施割合は、約21.2パーセントと高率であり、被告小坂が執刀ないし立ち会った温存療法の実施割合も約7.1パーセントであった。この温存療法実施割合は、データの蓄積とともに平成5年から増加し、平成7年には約42.7パーセント(被告小坂の関与した手術では約32.9パーセント)にのぼっている。なお、原告の場合には、結果から見てみると、この清水病院の基準では、2)3)5)6)に難があることになるが、温存療法が不適応というわけではなかった。
  (4) また、被告小坂は、同月28日、原告の血清検査を依頼しているが、これによれば、28日時点での原告のCEA(腫瘍マーカー)の数値は正常値であったものの、同様の腫瘍マーカーであるIAPの数値は1201であり、これは本件手術後の平成4年2月6日には364に、同年3月5日には232に低下し、その後平成5年4月1日まで200から300台前半で推移していた(乙1p17から25)。なお、甲38から甲40(各論文)によると、IAPの値は、肺結核などの非腫瘍性疾患でも高くなるが、癌疾患でもやはり高くなり、癌疾患183検体のIAP平均値は1190±580であったし、癌のうちで胆のうがんなどでは異常値が80パーセント以上あるが、乳癌等では異常値は約30パーセントと低くなるものの、再発例での陽性率を合算すると約36.1パーセントとなり、乳癌の腫瘍マーカーとしてよく使われるCEAの約30.5パーセントなどと比較しても遜色はない数値であるが、上記のとおり乳癌の臓器特異性はないといわれ、乳癌の腫瘍マーカーとして比較的多く使われるものには該当しない、とされている。
   なお、本訴提起後の平成9年7月30日、清水病院病理科の渋谷誠医師は、原告の組織標本の特殊染色報告書(乙17)を作成しているが、同結果によると、乳癌の予後因子(遺伝子)といわれる「p53」がプラスとなっていて、これは悪性度が高いと診断できるものである(被告小坂の第1回尋問調書153項)。
  (5) 生検後、原告は平成3年12月30日、平成4年1月2日に清水病院に赴き、包帯を交換してもらい、同1月2日には小原医師によって抜糸もしてもらっている(乙1p5)。

 4 平成4年1月4日から同月8日まで(この項では、特に指示しない限り乙2の頁を記載する)
  (1) 平成4年1月4日午後1時ころ、原告は清水病院に入院したが、その際、以前に子宮癌と言われたことがあるが半年くらいで消失したこと、自分は神経質で緊張しやすく、薬の連用で胃のむかつきがあり、下痢しやすいことなどを申告している(p37、p38)。そして、入院手続が終わった直後の午後1時15分には、被告小坂とともに主治医であった泉陽太郎医師の外泊許可を得て、翌1月5日午後8時まで外泊をしている(p40)。
  (2) 同月6日、被告小坂は、前年12月27日に浜松医科大学の喜納教授に、原告の永久標本が作製されたらこの診断をお願いしたいと依頼済みであったので、複数作成された原告の永久標本の一つを清水病院に出入りしていた製薬会社の社員である武内浩三氏に、内容物の説明をすることなく配達を委託して、喜納教授に届けてもらった(甲87、乙18)。喜納教授は、この永久標本によって、浸潤性乳管癌、乳頭腺管癌と診断し、その結果を電話で被告小坂に連絡した。また、東海大学助教授の多田伸彦医師(同医師も清水病院に非常勤で勤務していた)も、原告の永久標本によって、浸潤性乳管癌、乳頭腺管癌、上皮の異型増殖で、乳頭腺管構造を示し、一部間質への浸潤を認めると診断し、同日原告らへの説明が予定されていたことから、直ちにその結果を被告小坂に連絡し、翌7日付でその診断書面を作成した( 乙1p3 6)。
   なお、原告は、この多田医師の病理組織診断書(乙1p36)の筆跡と乙2(入院カルテ)の泉医師の記載部分とは筆跡が同一であるとする筆跡鑑定書(甲74)を提出しているが、同鑑定書が採用できないものであることについては後記「原告の主張について」で記載するとおりである。
  (3) 同月6日、原告は再度午後0時から午後8時までの予定で泉医師から外泊許可を得ていたが、同日午後5時から、被告小坂による説明が予定されていたので、そのころ一時帰院した(p40)。
  被告小坂からの説明は、同日午後5時30分ころから、診察室で、原告、原告の夫、姉、息子同席のもと行われた。説明内容は、上記(2)の喜納教授、多田医師による診断結果を踏まえ、組織検査の結果乳癌と診断した、段階はステージ1である、今の段階では1)乳房温存療法と2)乳房切除術の2つが選べる、それぞれ長所と短所があり、1)では治療成績が日本ではここ二、三年のものしかわかってない、放射線治療、強い抗癌剤の使用が必要で、再発の可能性もあるため、医師としては2)を勧める、他への転移を調べるため検査をする、転移があるかもしれないが、ないかもしれない、2)の方法であれば放射線治療はない、というものであって、被告小坂からはその他にも細かい説明がされた。これに対し原告は、乳房は残したい、しかし強い抗癌剤はいやという希望を述べて、結局翌1月7日午後3時までに原告が手術方法を選択・決定し、手術のためのマーキングや手術同意書を作成することとされた(p11、p48、乙21)。
  (4) 同月7日、原告及び夫は、前日の被告小坂の説明にもとづき、乳房切除術を選択し、この手術を受けるとの同意書を作成し、手術のためのマーキングなどが行われた(p14 、p41)。また、同日には手術のための術前検査が行われている(p22、p23)。なお、同様の検査は、前日の6日にも、前々日の5日にも行われている(p11、p24)が、これら検査の実施は事前に決定されていたし、同月5日には、手術施行を前提としたオペ前チェックリスト(p15、16)、抗癌剤UFTの投与指示(p62)や注射指示伝票(p32、33)が作成されている。
  (5) 同月8日午前9時ころから午前11時30分ころまで、被告小坂を術者、藤田、泉両医師を助手として、原告の乳房切除術による乳癌手術(本件手術)が行われた。手術内容の概略は、皮膚は横切開、乳房と同時に大胸筋の筋膜は切除するが、大胸筋、小胸筋は温存し、腋窩リンパ腺は切除する、神経は胸筋神経も含めて温存するというものであった(p17以下)。国立静岡病院の外科医長である馬場國男医師は、このように腋窩リンパ節を切除することは、乳癌の手術としては、乳房切除術であっても、温存療法であっても、通常の方法であり、リンパ節切除に伴って患肢に浮腫が発生することは避けられないことであるが、発生の状況等はリハビリを行うか否かや個人差によって異なるし、特定の患者について発生するかどうかの予測は不可能であること、原告は、平成5年4月ころから同医師の診察を受けているが、原告の右前腕部には、左と比べて1.5から2センチメートルくらいの浮腫が認められるものの、これは通常の浮腫と比べてひどいものということはできない程度であること、などを証言している(同証人)。
  (6) 同日、本件手術後、被告小坂から原告の両親、姉、長男に対し、手術が順調に行われたこと、切除した組織を標本にして病理組織学的に詳しく調べること、その結果によって補助療法としての抗癌剤、ホルモン剤の量や期間を決めること、さらに手術後の合併症が発生するかどうかは七日から十日くらいでわかるので、その間は必ず連絡が取れるようにしておいて欲しいなどを説明した。

 5 平成4年1月9日から同月31日(退院)まで(この項では、特に指定しない限り、乙2のカルテの頁を記載する)
  (1) 本件手術後の原告の経過は順調であった。血圧、脈拍、呼吸数にも特に異常はなく(p39以下)、手術創もきれいで(これは、被告小坂、泉医師や診察を担当した丸尾医師によって、1月9日以降カルテに繰り返し記載されている。p12以下)、食事も1月9日昼から五分粥で開始し、翌10日朝は常食を指示されている(p53)。そして、同月14日には2本のドレーンを吸引器から外し、同月17日には丸尾医師が鎖骨下(内側)のドレーンを抜去し、同月20日には被告小坂が腋窩ドレーンを抜去した(p12、p47)。そして、同月22日には全抜糸をしている(p44、p47)。 また、同月21日には、泉医師の許可を得て1時間自宅へ外出しており、同様の短時間の外出はその後同月22日、24日と繰り返され、同月25日と28日には翌日までの外泊許可も得て自宅に外泊している(p44、p45)。
  (2) 原告は、入院中に他の患者から話を聞き、病気について不安を持っており(p42)、また不眠を訴えて同月14日からはほとんど毎日のように睡眠剤を処方してもらっていた。また、患肢に軽度のしびれをたびたび訴えていたものの、腫脹はみられず、同月31日に退院となった(p42以下)。この退院の際、原告は退院後の生活上の注意点を記載した書面(甲25)を受領している。
  (3) 抗癌剤、ホルモン剤については、同月21日ころから、本人管理のもと、抗癌剤UFTの投与が開始された(p62)。しかし、ホルモン剤については、被告小坂は投与の必要性を感じていたものの、原告が不眠や病気への不安を訴えていたため、精神的に不安定な状態にあると判断し、しばらく様子を見て落ち着いてから投与することとした。
  (4) リハビリテーション(以下「リハビリ」と省略する)は、清水病院では術後3日目から、乳房術後回復体操と題するパンフレット(乙9の1,2)にしたがって行われることになっており、原告もこれにしたがってリハビリが開始された。そして、原告の場合、同年1月26日からは理学療法士によるリハビリが開始されたが(p13)、同月23日の治療計画のための評価では、原告は、浮腫はほとんど認められず、握力は右42キログラム、左30キログラムで、問題点として関節可動域制限と筋力低下が指摘されたものの、評価点は83点の高得点をあげていたので、リハビリは簡単なものとされ、泉医師が主治医としてこれを確認している(p25、乙3p7)。なお、41才から50才女性の握力の標準値は25キログラムとされ(乙23の1)、上記原告の成績はこの標準値を大きく超えていることになる。
  (5) 原告は、このリハビリ中、頑張ったのに日に日に動きが悪くなっていくと感じ、このような不安を看護師に訴えると、大きな手術をしたから元通りにはならないなどと言われ、そのようなことは術前には聞いてないとして、このころから清水病院や被告小坂に対する不信感を抱くようになっていった。

 6 平成4年2月1日以降
  (1) 同年1月31日の退院後、原告は翌2月1日からリハビリに通っていたが、当初はほぼ毎日のように通っていたものの、3月ころから二、三日置きとなり、4月に入ると14日と21日の2回しか通ってない。そして、その間、特段の変化や異常は指摘されてない(乙3)。なお、原告がこの後リハビリを行ったかどうかは、原告本人尋問の結果によっても、いろいろと工夫をしていたというのみであって、不明である。
  (2) 他方、原告は、同年2月ころ、書店で入手した近藤誠医師の本(甲4)を読んで、自分が受けた治療に対する不信感をさらに強めていった。同月6日、退院後初めて被告小坂の診察を受けた。この際、原告は自分の癌の種類等について被告小坂に質問をし、これに対して被告小坂は、検査の結果から原告の乳癌は通常よく見られるタイプの乳癌であること、腋窩リンパ腺への転移はなく、第1期の乳癌であったことを説明した。また、原告が再発に対する大きな不安を持っていたため、そのような心配をしても解決にならない、誰も明日のことはわからないし、神様にしかわからない、自分も交通事故にあうかもしれないのだから、先のことを心配するより今を大切にしなさい、など諭した。また、同年1月9日に報告された検査結果によると、標準値が13であるエストロゲンレセプターの値が37と陽性であったので(乙12、乙22)、上記2月6日の診察の際、被告小坂は原告に対し、原告の場合はホルモンの影響を受けやすい癌であり、女性ホルモンを下げる薬を飲んだ方がよいなどと説明し、ホルモン剤であるタスオミンを処方した(乙1p5)。
  (3) その後、原告は、一、二週間毎に清水病院で診察を受け、薬の処方や血液検査を受けていたが、手術創は同年3月19日の診察ころからほとんど目立たなくなり、また、検査データも良好な数値であった(乙1p6)。他方、原告は、同年4月16日の診察の際、疲労倦怠感や食欲不振などの不定愁訴を訴えたため、被告小坂は、抗癌剤をUFTから5FUに変更し、ホルモン剤の投与を一時中止し、術後体力回復などを目的として、消化器症状に効果があると考えられた漢方薬の十全大補湯を処方したところ、翌4月23日の診察の際には、原告からの同様の訴えはなかった(乙1p6)。その後も、原告は平成5年4月1日まで清水病院に診察に通っていたが、その間、平成4年9月から10月ころにかけてひどい下痢に悩まされたことから、抗癌剤の影響ではないかと考え、抗癌剤の服用を自主的に中止した。これに対し、同年11月19日、原告を診察した住吉健一医師が、原告が抗癌剤を服用してないことに気付き、副作用が激しいならばその旨を言って欲しい、患者が勝手に服用を中止しないようにと注意し、さらに、同年12月24日にも、被告小坂から薬を服用するよう注意することと指示された坂口孝宣医師が原告に同様の指示をしている(乙1p7)が、原告はこの指示には黙って従わずにいた。
  (4) その後、原告は、清水病院で原告と同様の手術を受けた患者には半年ごとの検診の通知が来ているのに自分には来ないこと(これは、被告小坂において原告が神経質になっていると感じ 、 中止していたものであった)、平成5年4月に国立静岡病院に赴き馬場医師の診察を受けて説明を聞いたことなどから、ますます清水病院及び被告小坂に対する不信感を募らせ、同4月1日の通院後は清水病院へ通院することを止めた。そして、平成6年5月、当時清水病院を設置管理していた清水市( 現在は合併により静岡市となっている)の市政モニターに応募し、同年7月のレポートで、自らの体験として清水病院の問題点を取り上げた。これが切っ掛けとなって、同月21日、原告は被告小坂と同人の自宅で、市の職員立ち会いのもと話し合ったが、すれ違いに終始し、さらに同年8月11日には原告の自宅で原告と清水市の職員が話し合ったが、原告の満足のいく解決には至らず、原告は証拠保全をした後、平成8年2月23日本訴を提起した。なお、本訴の第5回口頭弁論期日(平成9年1月16日施行)において、原告側は「癌の性状の点を除き、原告が癌であったことは認める」と陳述している。これは被告側に永久標本の任意提出を求め、これを病理医に診てもらったところカルテ記載の結果と同じであったためであるが、原告は、その後、清水病院に保管されている原告由来の組織標本といわれるものが、真実は原告由来のものではなく、他人の組織標本ではないかとの疑いを強め、後記「原告の主張について」の項に記載のとおり、種々の立証活動を行っている(甲54p10)。
  (5) 原告は、現在、患肢である右腕の浮腫に悩まされており(甲105)、3匹の小型犬を散歩させる際には左手でリードをつかむようにし、仕事や食事をする際にも右腕には添え木をせざるを得ない状態であるが(甲33、甲34)、他方で、平成7年7月16日及び平成8年7月21日には清水病院で開催されたコンサートには参加してフルート演奏を披露している(乙15の1、2)。このような原告の浮腫については、平成8年6月17日付診断書(甲16)では、要旨「右上肢の浮腫、しびれが持続、他覚的にはEMG、正中神経、尺骨神経の伝導速度を含む電気生理学上、麻痺は認められず、日常生活活動は可能であるが、日常生活活動における使用にても右上肢の浮腫、しびれが増悪するため、使用を制限しております」として、身体障害者福祉法別表に掲げる障害の7級に相当すると判断されている。なお、同診断書では、握力は右28キログラム、左32キログラムであって、前記41才から50才女性の握力の標準値25キログラムを超えている(乙23の1)。また、平成11年9月22日付の診断書(甲101)においても「乳腺腫瘍術後より浮腫を生じ、現在加療中である」とされる。
  さらに、平成8年11月25日に撮影した原告の胸部の写真(甲31)では、乳房を切除した右胸については、筋肉等が落ちてあばら骨が見えるような状況にあると思われる(甲31は暗く不鮮明であるものの、かろうじて上記のとおり認めることができる)。
  (6) なお、原告は、平成4年3月2日、足首の捻挫(骨折)で清水病院で入院治療を受けていた夫とともに、清水病院に車椅子と30万円の寄付を行っている。

第4 原告の主張について
  原告は、真実は癌でなかったのに、被告小坂が癌と偽ったと主張している。そして、前記のとおり、病理医の稲田、多田両医師、浜松医科大学の喜納教授、東海大学の長村教授、並木鑑定人が、原告由来とされる組織標本から癌と診断したことについては、同組織標本は原告由来のものではなく、他人の組織標本であると主張する。
  (1) 東京医科歯科大学医学部法医学教室の支倉逸人教授は、当裁判所からの依頼によって、12月27日の生検によって採取された組織標本(パラフィンブロックの破片)と原告の血液とを比較し、その両者が同一人の組織であるかどうかをDNAを素材として鑑定している
   なお、同鑑定では、同大学の佐藤慶太講師が共同鑑定人となっている。この佐藤講師が共同鑑定人になることは裁判所も予定しておらず、鑑定人としての宣誓もしていただいていない。また、後記のとおり、佐藤講師に対しては、鑑定結果提出後、裁判所も被告らも知らない間に原告側が接触し、甲53の意見書を作成してもらっている。この点では、前記のとおり原告が並木鑑定人に作成していただいた甲109と同様の問題があるが、鑑定そのものは内容自体から信頼性があると考えられるので、検討する。
   同鑑定の主文は「1 提出されたパラフィン包埋組織から抽出したDNAは極めて微量で著しく変性(低分子化)していて、ほとんどのゲノムDNA型システムが型判定不能であったものの、ABO式血液型遺伝子システムのみは検査に成功し、BO型と判定され、血液から抽出したDNAによる型判定と一致した。 2 染色体外遺伝子であるミトコンドリアDNA型については、血液から抽出したDNAと組織から抽出したDNA型のいずれも検査可能であり、3箇所の塩基で異なった型を示した。 3 この成績からパラフィン包埋組織が原告から抽出された組織ではない可能性が疑われたが、ミトコンドリアDNAに突然変異が生じた可能性も否定できず、他のシステムによる否定も得られなかったため確定できなかった」とされる。そして、鑑定理由で、ミトコンドリアDNAはヒト固有の染色体DNAではなく、また、しばしば突然変異を起こすことから、法医学実務においては積極的には用いられないが、しかし、資料の保存状態が悪い場合や微量であった場合は、染色体DNAを対象とした検査よりも検査成績が良好な場合が多いこと、本件で塩基が異なっていたのは、16130番目(血液がA、パラフィンがG。以下、同様に記載する)、16224番目(T→C)であったこと、16246番目(C→T、C)では2種類のピークが見られるので判定保留とされたこと、一般に、個人識別や親子鑑定においては、否定する場合には型が適合しない複数のシステムを出すことが必要であり、いずれでもない場合には検査不十分と考えて、さらに検査項目を追加しなければならないとされていること、今回の検査では、ABO遺伝子型ではBO型と一致したが、肯定確率84パーセントで90パーセントよりも低く、一方ミトコンドリアDNA型システムのみで型が適合しないという結果だったので、肯定、否定、いずれの結論も得られず、検査不十分だったことになる、とする。
  (2) ミトコンドリアDNAについては、東京慈恵会医科大学法医学講座の福井謙二助手、高津光洋教授は、その意見書中(乙24)中で、一般に、ある固体のDNAの塩基配列は一生を通じて変わらず、また、身体のどこの組織から抽出したDNAも同一であること、ただし、例外の一つとして、癌細胞は同一固体の一部であるにもかかわらず、正常細胞のDNAと比較して塩基配列が異なる場合があること、すなわち癌細胞は過剰な増殖を続ける過程でDNA複製時の誤り、誤りを修復する際のエラー、あるいは活性酸素によるDNAの障害などが原因となってDNAの変異を生じ、結果的にその固体が生来有しているDNAとは異なった塩基配列のDNAを有することが起こり得ること、また、この突然変異は核DNAにもミトコンドリアDNAにも観察されること、支倉鑑定の資料となったパラフィン包埋組織は、並木鑑定で乳癌と診断されているから、上記のような突然変異を考慮に入れておく必要があることなどから、支倉鑑定における塩基の違いは、それが癌で生じた突然変異に基づくものなのか、あるいは原告の血液とパラフィン包埋組織が同一人に由来しないことによるものなのかを区別するのは困難である、と結論づけている。
  (3) 慶應義塾大学医学部法医学教室の村井達哉教授は、その意見書(乙25)中で、癌組織では、病変部位のDNAに突然変異が生じることは知られており、とりわけ、癌細胞のミトコンドリアDNAについては、突然変異が高頻度で生じることは、十分予想されることである、として、支倉鑑定の資料とされた原告の血液とパラフィン包埋組織が同一人に由来するものか否かを判定することは困難と評価される、と結論づけている。
  (4) 前記のとおり支倉鑑定人と共同鑑定を行った佐藤慶太講師は、その意見書(甲53)中で、上記2箇所の明らかな相違(ただし、16129番目、16223番目とする)の原因について考察し、汚染を原因と考える必要性は乏しいとし、突然変異の可能性については、本鑑定資料は限局した癌組織標本を対象としているため、ミトコンドリアDNAにおける突然変異等による塩基置換の可能性の存在を完全否定することは困難とし(現実に、16246番目(佐藤講師は16245番目とする)では、2種類の塩基(C,T)が同時に検出されており、癌化によって塩基置換を生じた細胞由来のDNAが混在していたと理解できるとしている)、種々の前提をおいた上であるが、第3の可能性としてパラフィン包埋組織が原告由来ではない可能性があることを示唆している。しかしながら、この意見書の第3の可能性については、その前に「パラフィン包埋組織の人物由来性は、原告及び第三者のものも含め断定できないとするのが妥当」とも記載しており、前記示唆部分は、種々の前提をおいていることからも、根拠が薄弱であるといわざるを得ない。そして、このように根拠薄弱と思えるのに、あえて第3の可能性を示唆しているところに、裁判所が支倉教授に依頼した鑑定であったのに裁判所も知らない間に共同鑑定人となり、しかも、裁判所も被告側も知らない間に原告からの依頼で意見書を作成するという不透明な手続の危うさが現れている。
  (5) 岐阜大学医学部法医学教室の永井淳医師は、当裁判所においてDNA鑑定についての解説をされたが、その録音反訳(甲51)によると、一個人の持っているミトコンドリアDNAの配列は一生の間変化はないこと、癌細胞組織では、核DNAには変化が生じうることは報告があるが、ミトコンドリアDNAについては、研究がされていないためか、不明である、とされる。
  (6) 以上の事実、すなわち支倉鑑定ではABO式血液型遺伝子システムのDNAは一致していること、他方、型が異なっていたミトコンドリアDNAは突然変異の可能性を排除できず、同DNAの相違から両資料(原告の血液と清水病院保管のパラフィン包埋組織)の同一人由来性を否定することはできないこと、さらに、前記清水病院における標本作製のシステムから、パラフィン包埋組織が他人のものと混同されて作製されることは考えがたいこと、これらの事情を総合すれば、12月27日に作製された組織標本は原告由来のものと考えられ、これが原告由来のものでないということは到底できない。
   そこで、この原告由来の組織標本を診てされた前記のとおり多数の医師や鑑定人の診断、原告自身の腫瘍マーカーの数値などを総合すれば、原告が乳癌であったことは否定できないというべきである。

  原告は、真実は癌ではなかったとの立証の一環として、被告小坂が、12月27日及び1月6日に浜松医科大学の喜納教授に診断をしてもらったことについて、同教授が診断をしたことはないと主張する。確かに、同教授が診断をした結果としての診断書等の書面は存在しない。しかしながら、この点の被告小坂の供述等(説明)は筋が通っており、これを虚偽であるとする根拠はない。この点に関して、原告は、喜納教授が亡くなられているので、その妻から喜納教授の手帳と日記(甲61から63)の提出を受け、これと妻の陳述書(甲55)を証拠として提出しているが、これらによっても被告小坂主張の日に被告小坂と喜納教授が出会うことがなかったということはできない (乙29)。また、時間的に、喜納教授と被告小坂が出会えないはずである、あるいは会えたとしても組織標本の診断依頼はできないはずであるとの原告や原告代理人の報告書(甲72、85,86)も、確定されてない事実を前提にして一方的な推測をしているもので、採用できない。甲81の弁護士照会への回答は、喜納教授が通常は午前9時から9時30分ころに磐田市立総合病院を訪れていたというものであって、12月27日の到着時間を示しているものではなく、原告主張を裏付けるものとはいえない。

  原告は、カルテの泉医師が記載した部分と1月7日の多田医師の病理診断書とは同一人が記載したものであると主張し、筆跡鑑定書(甲74)を援用する。しかしながら、この筆跡鑑定書は、一言でいえば、当初から結論を決め、それに向かって強引に論を進めているものであって、客観的な鑑定とは到底いえず、採用できないものである。
  すなわち、同鑑定書は、上記病理診断書の記載を「資料A」 、カルテ中の平成4年1月4日など(資料中には同月8日分が存在するが、本文中にはこれを参照したとの記載がない)の記載部分を「資料B」 とし、この中の多数のローマ字中「t,o,c,d,r,p」 の6文字を取り上げて検討し、それぞれに共通する筆癖があるので、資料Aと資料Bは同一人が記載したものであると結論づけている。しかしながら、例えば、「o」 部分は、全体が縦長の形態を示すべきところが円に近くなる傾向があるとするものの、資料Aではそのようにいえるかは疑問を持たざるを得ない。また「r」 部分は、資料Bには3種類の筆癖があり、このうち1種類は資料Aには見られない筆癖であるとしながら、何ら根拠を示すことなく「ていねいな書き方と早書きの違いと思われ」るとし、「p」部分は 、資料Bには資料Aには見られない特異な筆癖が見えるとしながら、これは「検査台帳の診断結果という内容から癖の強い書き方は避けたと見られる」 としている。これらの判断根拠は不明確であって、なぜ病理診断書(検査台帳)の中のこの文字だけに丁寧に書いたという特徴が現れるのかなどの疑問を持たざるを得ないのである。他に「d」 は資料A中に一つしかなく、資料が不足していると思われるし、「c,d」 とも資料AB中にかなり相違するものがあるのではないかと思える。また、資料A中の「殖」 と資料B中の「目」 部分が少数派の筆癖と一致すると記載するが、一文字の一部のみを取り上げて比較しているのであって、これが決定的な重要性を持つものとは考えられない。さらに、被告らも主張するように、上記病理組織診断書とカルテには、他にも共通するローマ字があり、その「m、n」 などは、前者の診断書では上部が尖っているのに後者のカルテでは尖ってないなど、素人目にも相違した筆癖のように見えるが、筆跡鑑定ではこれらは取り上げられてない。そして、同鑑定では、鑑定資料がいずれも写しであったので、筆圧などの検討が全くされてない。このように同鑑定書の内容を検討すると、同鑑定書は、当初から結論を決め、その結論に合致しない文字は採用せず、又は根拠不明の理由を付けたり、不十分な資料のまま当初の結論へ強引に導いているものといわざるを得ないのである。
  そして、当の泉医師(乙32、乙34)も多田医師(乙35)も、病理診断書は泉医師が記載したものではなく、多田医師が記載したものであること、カルテの記載は多田医師が記載したものではなく、泉医師が記載したものであるとの証明書や回答書を作成しているのであって、これを疑うべき理由は全くない。
  結局、これらの検討から、上記筆跡鑑定は採用できず、カルテと病理診断書とが同一人によって作成された、つまり名義を偽って偽造された、との原告主張は採用できないことは明らかである。

第5 裁判所の判断
  以上の検討の結果によれば、原告は乳癌に罹患していたのであり、被告小坂において、原告が乳癌ではなかったのに、乳癌と偽って原告を故意に傷害した、との原告の主位的主張は採用できない。

  原告の予備的主張(過失)について検討する。
  (1) 原告は、第1に、右乳房を含めた右胸部に不必要な身体的侵襲を受けたとして、慰謝料900万円を請求する。しかしながら、前記認定によれば、原告は初診の段階から乳癌の疑いがあり、生検をしてこれを確定しようとしたのは医師の合理的な裁量の範囲内の判断であったといわざるを得ないし、その後本件手術を行ったのも、原告が乳癌であった以上相当な措置であり、これらが被告小坂の過失による不法行為であるといえないことは明らかである。この原告の主張は採用できない。
  (2) 原告は、第2に、右上半身のしびれ等を原因として、慰謝料1000万円を請求する。原告の現在の症状は前記第3の6(5)に記載のとおりであって、原告が患肢の浮腫やしびれ等に悩まされていることはまことに気の毒なことである。しかしながら、しびれについては他覚的な所見が得られていない。また、浮腫については、リンパ節を切除したことが原因で発生したものであろうと考えられるものの、乳癌手術を行えば、乳房切除術であれ、温存療法であれ、リンパ節の切除をせざるを得ず、その不可避的合併症として、浮腫が生ずるものであることは前記認定のとおりであるから、これが被告小坂の過失によって生じたものであるということはできないし、被告らに損害賠償を命ずる根拠はない。なお、浮腫の軽減などのために必要とされるリハビリについては、原告が平成4年4月21日後どのようなリハビリを行っていたのかが不明であることは前記のとおりである。他に、原告は、本件手術の結果肩が前に引っ張られて前屈みになった、右胸筋が落ちてしまっているなどとも主張するが、これも本件手術の影響であろうと推測できるものの、それが被告小坂の過失によって生じたものとの立証は全くされてないといわざるを得ない。原告のこの点の主張も採用できない。
  (3) 原告は、第3に、原告は抗癌剤等の副作用に苦しんだとして、慰謝料400万円を請求する。しかしながら、前記のとおり、原告が乳癌であった以上、しかも女性ホルモンの影響を受ける癌である以上、本件手術のみならず、抗癌剤やホルモン剤の投与は、通常の医師であれば当然に選択される医療行為であると思われ、本件でこのような医療行為を行ってはならないとする根拠は見当たらない。しかも、前記認定のとおり、平成4年4月16日に原告から体調不良の訴えがあった際には、抗癌剤の種類を変更し、ホルモン剤の投与を中止したりしているのである。このような本件において、抗癌剤やホルモン剤の投与が被告小坂の過失による不法行為であるとする根拠は全くない。
  (4) 原告は、説明義務違反として、慰謝料300万円を請求する。
   この説明義務違反の内容は、要旨次の2つに分かれている。すなわち、
   1) 被告小坂は、乳房切除術の場合にも、温存療法と同様に、副作用がある抗癌剤とホルモン剤の投与をすること、リンパ節を切除するので浮腫が発生すること、その予防のためにマッサージやリハビリが必要であること、温存療法でも再発率は切除術と相違がないこと、欧米では温存療法が主流となっていること、日本でも温存療法をメインにしている病院があることなどの重要な点を説明しなかった、
   2) 被告小坂は、原告の病状が緊急を要するものではなかったのに、手術を急ぎ、原告が乳癌について情報を収集し、考え、決断する時間的余裕を与えなかった、というものである。
   そこで検討すると、
   1) 被告小坂が、平成3年12月28日と平成4年1月6日に原告及びその家族に説明した内容は、前記第3の3(2)、4(3)に認定したとおりであって、これによれば、被告小坂は原告及びその家族に対し、抗癌剤やホルモン剤の投与、リハビリの必要性を含め、主要な部分の説明をしているものというべきである。そして、後記2)記載の時間的経過のもとで、副作用等も含めてこれ以上の詳細な説明を行うことは、説明を受ける心構えをしていない患者にとっては、それが専門内容にわたる事項であり、その場では容易に理解しがたい情報を、短時間の間に、多量に受け取ることになって消化不良を起こしかねないし、しかも患者側に重大な決断を促すたぐいのものであるから、大きな混乱を来すであろうことが予想されるのであって、患者が他から予備的な情報を得たことを明らかにした上でこの説明を求めたとか、明示的ではないが、種々の事情から患者が一定程度の基礎的情報を得た上で説明を求めていることが医師側に容易に判明するなどの特別な事情がない限り、このような時間的経過のなかで上記以上の詳細説明を行うことが必要であるということはできず、このような詳細説明を行わなかったことが違法であるということはできない。
   2) しかしながら、上記1)から理解されるとおり、説明の時期、手順については、問題がある。
     本件手術に至る時間的経過は、これを要約すると、平成3年12月26日初診、乳癌を疑い生検実施を決定、翌27日生検実施、稲田医師、喜納教授が迅速標本で乳癌と診断、翌28日原告一人に対し迅速標本の結果等から乳癌であるとして、手術実施を前提とした説明、平成4年1月4日手術を前提として入院、その後手術を前提とした種々の検査実施、同月6日多田医師、喜納教授が永久標本によって乳癌と診断、原告及び家族に乳癌手術を前提とした説明があり、翌7日午後3時までに手術方法を決定することとされる、翌7日原告が乳房切除術を選択、翌8日午前9時ころ本件手術実施、となる。
     このような時間的経過はほとんど流れ作業を思い起こさせる。女性である原告にとって、例え乳癌であったとしても、乳房を残す温存療法を選択するか(乳房が残る代わりに、再発の危険性、放射線治療や強い抗癌剤の投与を受け入れる)、乳房切除術を選択するか(予後についてのデータがあり、推測が可能である、放射線治療はなく、抗癌剤も弱い経口剤ですむ)は、術後の生活の質に思いを致せば、極めて重要なものであることはいうまでもない。しかも、本件では、初診時には、被告小坂は触診やマンモグラフィーで乳癌を疑ったものの、乳腺エコーでは良性腫瘍の疑いとされており(これらの診断には微妙なものがあって、被告小坂が生検実施を考えたことは医師の裁量の範囲内であることは前記のとおり)、迅速標本による診断の結果は乳癌であったものの第1期と考えられたのであるから、緊急に手術を行わなければならないとの事情は見出せないのである。この点に関し、被告らは、生検を行った以上、癌細胞の散布の危険性を考慮すると早急に手術を行わなければならないと主張し、被告小坂(第一回)は、当時の清水病院では一般に2週間以内に手術を行うこととされていたと供述する(147項)。そして、書籍の中には、生検後一、二週間内に乳癌根治術を行えば再発率に差異はないが、これを経てから手術をすると再発率が高いとするものがある(乙37の1,2)が、他方で「乳癌研究会の調査では、生検から手術までの期間があいても、生検後直ちに手術された場合と再発率や生存率に変わりがないことが示されています」と記載する書物もあり(甲4p63。もっとも、同記載部分は原典が示されてないので、十分に信用できるかは疑問がある)、清水病院での取扱いが「一般に」というものであることから考えても、本件のように診断の結果が微妙に分かれており、年末年始という時期的な特殊性があって、特に緊急を要する症状などもなく、手術内容によっては患者に多大な生活の変化をもたらすことが当然に予想されるような場合には、2週間という期限を守るつもりであれば生検実施時期も含めて、全体のスケジュールをより慎重に組み立て、患者である原告により慎重な検討と決断を促すようにするべきである。
     本件では、特に、初めて乳癌の告知を受けた12月28日には原告一人で病院に来ていたのであり(被告小坂も、乳癌の告知は夫同席のもと行うのが通常であると供述する)、家族も含めて再度乳癌の告知を受けた1月6日には、その翌日までに手術方法の選択を迫られているのである。このような全体の経緯を見ると、被告小坂において、患者である原告に十分な理解と納得をしてもらうという配慮が不足していたといわざるを得ない。そして、原告の選択の結果は、前記のとおり、原告の術後の生活の質に大きな影響を与えるものであったから、このような事情を考慮すると、被告小坂のこの配慮不足は、形式的には原告に対する説明を行い同意を得たスケジュールであっても、実質的には、原告の同意は十分な理解と納得のもとに得られたものとはいえないとして、違法と評価せざるを得ない。原告の主張2)はこの点で理由がある。
     このように原告が十分な理解と納得のもとに手術方法を選択する機会を与えられなかったことへの慰謝料としては、乳房切除術が原告にもたらす結果を考慮し、他方で、時期などに問題があるとしても被告小阪が説明を行っていることなどの前記認定の各事情を考慮するときは、200万円が相当である。
     また、本件訴訟の経緯などの事情を考慮すると、本件の弁護士費用は50万円が相当である。
  (5) 原告は、逸失利益として3037万5278円を請求する。これは上記(1)から(3)を原因とするものと思われるが、これら身体への侵襲等が被告小坂の不法行為といえないことは上記説示のとおりであって、この原告の請求は理由がない。

第6 結論
   以上のとおり、原告の請求は主文記載の限度で理由があり、その余は理由がないので、主文のとおり判決する。

    静岡地方裁判所民事第2部

        裁判長裁判官  佃  浩 一

           裁判官  棚 澤 高 志

           裁判官  綿 貫 義 昌





これは正本である。

平成16年3月18日


     静岡地方裁判所民事第2部


       裁判所書記官  勝 又 栄 士

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