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渡辺容子さんの遺作、
『「乳がんです」と言われたら、あわてて切ってはいけない!』(径書房)
が出版されました。
                            
                                           2012年9月1日


 渡辺容子さんは近藤誠医師(慶應病院放射線科)の患者さんでした。
 1994年に5ミリの乳がんを「超早期発見」してからご自身でいろいろ調べて近藤誠医師の「がんもどき理論」は正しいと判断し、乳がんを6年間放置しました。2000年に4センチになった乳がんを乳房温存療法で治療し、その後は命も元気も奪うがん治療を拒否し、痛くなって困った時だけ最低限の治療を受けて、悔いなく楽しく人生を謳歌する生き方を選んできました。 

昨夏、渡辺さんの乳がん治療の体験が書かれた著書『乳がん 後悔しない治療』(径書房)を読んでメールを差し上げたところ、近藤誠医師の本に登場したことがある私の事件に関心を寄せ、「本に書きましょう」と言ってくださいました。

その本の取材のために渡辺さんに初めてお会いしたのは、「余命1年」を過ぎた昨秋でした。久我山駅からご自宅まで歩いて10分くらいの道を三輪自転車を押しながら送迎してくださいましたが、とても余命宣告を受けた状態とは見えず、驚きました。過酷な医療(後遺症の出る手術や抗がん剤)を受けていたならば、これほど自然体でいられなかったはずと思わずにいられませんでした。

原稿を書き上げた渡辺さんは、残念ながら本ができるまでの願いは叶わず、今春330日に寿命がつき亡くなられました。 

729日に追悼コンサートが開かれた際、参加者に遺作となった本が配られました。私もその場で本をいただきましたが、私が一番伝えたいことがタイトルになっていることを知って、驚いたしうれしかったです。編集者に尋ねたところ、渡辺さんが一番伝えたいことをタイトルにしたとのことだったので、同じ思いだったんだと思いました。

私の裁判では、病院側は裁判の途中から、すでに亡くなられていた高名な病理教授のお名前を出して、その病理教授が癌であると病理診断したから癌だったと主張し始めました。証拠はなにもないのに裁判所がその主張を認めたために、私は裁判所でも癌にされたのですが、その、名前を持ち出された教授の奥様(東京在住)に、渡辺さんの本と、日刊ゲンダイの記事をお送りしたところ、

手を尽くして裁判に持ち込んでも医療側に有利に決着させる。この構造を正す為に、例えば、日刊ゲンダイ、また刊行早々の渡辺容子氏の本を通して多くの人に知って欲しい・考えていただきたいです

と、そのためにお住まいの区立図書館に渡辺さんの本を寄贈して多くの方々に供したいとおたよりを下さいました。 

病理教授だったご主人が亡くなられた後に裁判に利用されていることを突然私からの電話で知らされた奥様は、私が裁判を起こしたことでご主人の学問的業績を汚されたことになったわけで、奥様のお気持ちを考えると、裁判のことも絶対に風化させてはいけないと思うのです。

そのためにも渡辺さんの本は、ぜひぜひ多くの人に読んでいただきたいと心から願っています。私の裁判のことはPART5に詳しく書かれています。 


                                 竹下勇子(2012年9月1日)


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