その1 その2 その3 その4 その5 その6 その7 その8
その1 人々が天理教を信仰し始めた理由とは何でしょう。 天理教の教えに感激して入信した人はほとんどありません。 自分、あるいは家族の者が病気になり、また、医者にも見放されて、他に行くところがない。あるいは、家庭内で、夫が酒を飲んで暴力をふるうとか、子供がぐれたり、家のお金を持ち出したりとかいった、やむにやまれぬ事情を解決するため。そんな人たちがほとんどでした。 天理教の信仰は、決して病気を治療するのが目的ではありませんし、身の回りで起こる事情を解決することが目的でもないのです。 では、この信仰の目的とは何なのでしょうか。それは「陽気ぐらし」です。 私たちの信仰している神様を天理王命と申し上げます。この神様が「人間の陽気ぐらしをするのを見て、神も共に楽しみたい」と思いつかれたのです。 「陽気ぐらし」を見たいが故に、神様はこの世界と人間を創られたのです。そして、昔も今も変わらず、生きることのできる環境と、生きることを味わえる命を、守護してくださっているのです。 この神様は、私たちの親である神「親神」であり、私たちは等しく、親神様の子どもなのです。ですから、この親神様の教えに添って生きること、それが人間の道なのです。 この道を通れば、どんな人間でもたすかるのです。その証拠を見せるために、まず、病気を治したり、家庭の事情をおさめたりするのです。 人間は、少なくとも目に見えることがなければ信用しません。人間は疑い深いものです。だからこそ、病人をたすけるのです。そして、たすかるからこそ、信仰するのです。 繰り返しますが、病気の治癒、事情の解決は、本来のたすけではありません。たすけのためのきっかけ、ほんの入り口でしかないのです。 親神様は、祈祷による病癒しを願うだけの神ではありません。 天理教は、葬式や結婚式、地鎮祭などを執り行います。しかし天理教は、儀式をするためにある宗教ではありません。 この道は、人間本来の生き方、心の持ち方の教えです。 厳しい修行をして、悟りを開く教えではありません。 親神様が、誰でもできるように、誰でも通れるようにと、無学の農家の一主婦に入り込み、手本・ひながたを残された教えなのです。 すべての人間に通ることができ、すべての人間がたすかる教えです。他力ではなく自力、自らの足で歩む道です。 陽気ぐらしの世界は、私たち一人一人の手によってつくりあげるものであり、そのひたむきな姿勢に、より大きな守護が、親神様より戴けるのです。 これが、この信仰における、もっとも大切なところであります。 |
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