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その2 この世界は親神様の身体であり、その中で、人間は生きることができます。それは、親神様が絶え間なく私たちを守護されているからです。 人間の身体は、親神様からお借りしているものです。決して自分のものではありません。心だけが自分のものです。 心臓を動かすのも、胃腸が食べ物を消化し吸収するのも、人間の意志によってではありません。 毎朝、目覚まし時計や家族の誰かにお世話になっている人がほとんどだと思いますが、眠るのも目が覚めるのも人間の力ではありません。 毎夜寝床に入り、気がつけば朝になっています。しかも、目が覚めてはじめて自分が眠っていたことがわかります。自分の意志で眠っているのではありません。眠ろうと寝床に入っても、目が冴えて眠れぬ夜があります。 誰でもケガをしたくはありませんが、作業中、誤って手を切ってしまうこともあります。 切った手を病院で縫って貰うことにしましょう。 さて、しばらくして抜糸すると皮膚がつながっています。 誰が治したのでしょうか。自分が治したのではもちろんありません。それなら病院に行く必要なんてまったくないのですから。 誰が治したのでしょうか。医者でしょうか。いいえ、医者は縫っただけで皮膚をつなげたわけではありません。 医者は、縫えば皮膚がつながることを知っているというだけです。もし、糸を抜いても皮膚がつながっていなかったとしたら、医者はどうするでしょう。 こうしてみると、ふだん何気なく使っているこの身体は、人間の思い通りにならないことの方がずっと多いことに気づきます。 私たちは、健康を親神様にお守りいただいています。人間が身体のことを考えなくてもいいようにしてくださっています。ふだんは、身体のことなど忘れているのです。 健康な人ほど健康であることが当たり前になっています。体を動かせるのが当たり前になっているので、つい、自分のものだと錯覚してしまいます。 それで「何かあったら大変だ、病気になったら大変だ。お金がなければ医者にもかかれない」と、毎日稼ぎに出ます。多少の無理もします。 しかし、親神様の守護を十分にいただけなければ、いくらたくさん稼いでも、薬代、手術代となり、右から左に消えてしまいます。 己の力で生きているのではないのです。親神様の力によってこそ生きることができるのです。身体を使うことができるのです。 自分の心遣いや行いが天の理法・摂理にかなっていたならば、切ないことも心配事も起こりません。 人間は我が身のかわいい存在です。 天の理にかなう生き方はなかなか難しいものですが、そこに向かって歩む姿勢、心がけを親神様はお受け取りくだされるのです。 そして、その心に恵みをくだされるのです。 |
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