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その6

世界には巨大な礼拝堂、様々な寺院があります。
日本にも、立派な神社やお寺から、辻に建つ小さな祠にいたるまで、どこにでも祈るところ、拝をする場所があります。

なぜでしょうか。

それは天保九年より遡ること九億九千九百九十九年のむかし、親神様が人間を創られるにあたり、用いられた道具・雛型になされた約束、「最初に生みおろす子数の年限が経ったなら、宿し込みのいんねんある元のやしきに連れ帰り、神として拝をさせよう」があるからです。
ですから「拝」をするという行為は、人間にとってとても重要なことなのです。

私たちは、人に褒められること、尊敬され慕われること、感謝され拝まれること(少々照れくさいものですが)を心地よく感じます。
それは、私たちもこの約束につながっているからです。

さて、「最初に産みおろす子数の年限」である天保九年が到来し、親神様は「世界いちれつをたすける」宣言をなさいました。
そのたすけの手立てとしてお教えくだされたのが「おつとめ」です。
親神様は、「世界いちれつをたすける」という価値をつけて、人間のすべき「拝」のカタチを定められたのです。

また、カタチだけでなく、おつとめをする「所」と「時」も定められました。
それが、人間を宿し込まれた場所である「ぢば」であり、世界いちれつをたすける約束がなされた「二十六日」という日なのです。

人間は古来より、五穀豊穣、無病息災、子孫繁栄、商売繁盛などを神々に祈願してまいりました。
親神様も人間が願うように、病まず弱らずに長生きをさせたい、いつも豊作であるよう守護したいと思し召しています。そのために「つとめをせよ」と仰います。
しかし、親神様がどれだけ守護してやりたいと思っても、それを受けるだけの器がなかったならば、ご守護を戴くことはできません。

欲の心、酷い心を忘れ、優しい心、人をたすける心になること、それがおつとめの効能を戴く大きな器となります。
より多くの人々が祈る真実のおつとめによって、親神様は世界中の人間の心を澄まし、勇まし、そしてこの世は陽気ぐらしの世界へと建て替わってゆくのです。

究極の陽気ぐらしの姿、それは、世界中のありとあらゆる人間が、世界たすけに縁ある二十六日、人間元はじまりのぢばに向かい、心を揃えておつとめという拝をすることである、と云えましょう。

人間のみならず、生きとし生けるもの、否、森羅万象すべてに活力を与えるのがこのおつとめです。

私たちは、親神様が十分にお働きくだされるような真実のおつとめをするために、日々常々の行動を省み、心を澄ます必要があるのです。おつとめに磨きをかける必要があるのです。
そのための場として教会があります。

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