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その4

人間は本来、陽気ぐらしをするように創られています。
しかし、その目的からはずれる生き方をすると、そこに歪みが生じます。
その歪みが、病気やケガとなって身の上に現れたり、家庭の不和や、揉め事などといういう事情になったりします。

親神様は、この歪みの元となる人間の心遣いを「ほこり」に喩えてお教え下さいました。
ほこりというものは、吹けば飛ぶような小さなものですが、掃除をせずに放っておくと、だんだん積もり重なり、ついには掃いても拭いても容易に取れなくなります。
では、なにがほこりの心遣いなのでしょうか。

「おしい」「ほしい」「にくい」「かわい」「うらみ」「はらだち」「よく」「こうまん」

親神様はこの八つお示し下さいました。
それは、ほこりが八つしかないという意味ではありません。すべてのほこりを八つに分類できるというのでもありません。
ほこりの心を遣っているかどうかという判断の基準と考えた方がいいでしょう。

さて、ここで八つのほこりを積んでいる人格をイメージしてみます。
努力もせず汗もかかず、自分の手を汚さずに身惜しみ、骨惜しみをしているにもかかわらず、たとえ満腹でも、自分の力量では手に入らないようなものでも、何でもむやみにほしいと思う。
しかし、その無理が通らぬがために世を恨み、人を憎む。
それもやはり、思いやりの心を持たず、他人を押しのけてでもいい思いをしようというほどに自分が可愛いからで、些細なこと、取るに足らないことに腹を立て、あちこち当たり散らし、ひとの善意も悪意に受け取り、世界は自分のためにあるのであって、思い通りにならなければおかしいと考える欲ボケの高慢チキ。

近所の誰か、職場の誰かの顔が思い浮かんだかもしれません。これほどほこりにまみれた身の程知らずはあまりいないでしょうが、しかし、だれでも似たような心遣いは、知らず知らずのうちにしているものです。

ではなぜ、人間はほこりの心遣いをしてしまうのでしょう。
それは、ほこりとなるような心遣いも、陽気ぐらしのためには必要だからです。

何事にも目標を持ち、それを達成するための意欲と努力。
質素倹約に努めること。
分け隔てせず誰でもかわいがること。
罪を憎み、過ちの起こらぬように工夫すること。
我が身を省み、自分の力量を恨むこと。
誇りと自信を持つこと、などなど、それぞれ大切です。

薬も扱い方によって毒となるように、心遣いも、その方向を誤るがためにほこりとなるのです。

もう一つ忘れてはならないこと。それは、自分が遣った心のほこりは、すべて自分が被るということです。
人の振り見て腹を立てたり、恨み憎んでも、それは自分のほこりです。
積んだほこりのツケに苦しむのは、けっきょく自分自身なのです。

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